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最近の洋菓子界の動向について

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最終更新日:2010年7月1日

最近の洋菓子界の動向について

2010年7月

社団法人 日本洋菓子協会連合会 事務局長 持田 謙二

はじめに

 ご承知のように、“パティシエ・ブーム”や“スイーツ・ブーム”というようなことを言われて久しいのですが、“パティシエ”というフランス語が広く一般に知られるようになったことや、洋菓子がさまざまな方面で取り上げられ話題になっていることについては、洋菓子業界全体としても歓迎すべきことだと考えます。
 
 近年、日本の洋菓子については、歴史のあるヨーロッパ諸国の菓子業界からも高い関心を集めています。まず、ここに至るまでの経緯を簡単に述べてみましょう。
 

半世紀を経て

 よく、我が国の食生活に関して海外の食文化の影響が顕著にみられるようになったのは、1964年の東京オリンピック開催が一つのきっかけになったといわれることもありますが、洋菓子に関してもこの時期にエポック・メイキングな出来事がありました。
 
 それは、東京オリンピックの前年、1963年にフランス人の製菓人アンドレ・ルコント氏が、「ホテル・オークラ東京」のシェフ・パティシエとして着任したことです。
 
 氏はオリンピック終了後も日本に留まり、1968年には東京の六本木に自店「ルコント」をオープンすることになるのですが、本格的なフランス菓子を目の当たりにした業界関係者、とりわけ若いパティシエ達が受けた衝撃は計り知れないものがありました。
 
 当時、日本の若い世代の間では積極的に海外に出て見聞を広げようという機運が高まっていましたが、そうした流れに後押しされるように若い世代のパティシエ達も次々に渡欧します。
 
 やがて、彼らの多くは1970年代中頃には帰国し、1980年代に入って自らの店を立ち上げることになるのですが、それを機に洋菓子のレベルが急速に上がり、日本の洋菓子業界は新たな時代を迎えることになるのです。
 
 我が国の洋菓子の歴史はこの1980年代を境として、それ以前と以後に大きく分けることが出来るといってもよいかもしれません。
 
 現在一線で活躍しているパティシエの多くは、今日の本格的な洋菓子の基礎を築いたそれらの店の影響を直接受けた世代です。彼らも同様に海外で技術を磨くことになるのですが、その過程でさまざまなコンクールに参加して優秀な成績を収めます。“コンクール世代”と言ってもよいかもしれません。
 
 現在、世界規模のコンクールはいくつかあって大抵は2年に一度の開催ですが、連覇中の大会もあるなど、日本のパティシエの実力は世界でもトップ・クラスです。(図1)
 
 
 
 彼らはコンクールで名をはせると同時に、我が国の洋菓子界の存在を世界に知らしめたのです。その結果、我が国の洋菓子が世界各国の熱い注目を集めるようになったという訳です。
 
 ところで、こうしたコンクールの作品の中心となるのがあめ細工の“ピエス・モンテ”(図2)と呼ばれる工芸菓子です。世界大会ともなると高さ2メートル近い作品を15キログラムもの砂糖を使って作ります。おまけに大会に出場するために、選手は何度も練習を繰り返すわけですから、練習を含めると一度のコンクールに出場するだけで平均30キログラム以上もの砂糖を消費することになります。日本国内だけでも毎年数々のコンテストが実施されているわけですから、それを考えるとコンテストのためだけでも年間に大変な量の砂糖が消費されているのがわかります。
 
 
 

最近の菓子の傾向について

 フランスから戻り、80年代に自店を展開し始めた世代が提案した菓子に、“ムース”という種類の菓子があります。
 
 当時のフランスではカロリーの高い伝統的な料理が敬遠され、ヘルシー志向の“ヌーヴェル・キュイジーヌ”という料理が台頭していました。“ムース”はその影響を受けた、大量に空気を含んだ軽い食感の菓子です。
 
 この菓子を作る際には、泡(ムース)を消さないよう素早く冷やして固めるための急速冷凍庫が必要でした。この種の冷凍庫は、現在大抵の洋菓子店には備えられているのですが、計画生産や人件費の削減につながる等、経営面からみた場合のメリットは大きく、この急速冷凍庫の普及によって、その後の洋菓子店の仕事内容は大きく変ることになります。その意味では、“ムース”系菓子の出現は、近代洋菓子史上革新的な出来事であったといえるかもしれません。
 
 この“ムース”は、最近までフランス菓子の主役的な存在であり続けたのですが、単調な構成や触感、似たような味が次第に消費者から敬遠されるようになり、その反動としてフランスでは食べ応えのある伝統的な郷土菓子の見直しが提唱されたりしました。
 
 現在はその“ムース”のように洋菓子製造の根本にまで影響を与えるような菓子の流れはみあたりませんが、フランスと同様に我が国でも原点回帰とでもいうような現象は出ています。“バウム・クーヘン”(図3)、“ロール・ケーキ” (図4)、“マカロン”(図5)といった菓子がそれで、いずれも決して目新しいものではありません。
 
 
 
 
 
 
 
 “バウム・クーヘン”については、ご承知のように10年程前までは結婚式の引き出物の定番でしたが、結婚式の形態の変化や粗製乱造等が原因ですっかり忘れられた存在になっていたものを、配合を変えたりデパートで製作実演をみせる等、各社の企業努力もあって人気を取り戻したようです。
 
 また“マカロン”はフランスの伝統的な地方菓子ですが、日本では長い間不幸な扱いを受けてきた菓子でした。何人ものフランス人パティシエが講習で作ることが出来なかったことから、湿気の多い日本には向いていないと言われたりしていたのですが、その後、日本の材料(卵白の質、コーン・スターチが含まれた粉砂糖、酸化したアーモンド・プードル等)にパティシエが慣れていなかったことが当時の制作に影響していたということが分かりました。最近では、マカロン専門店などもあり、マスコミなどでたびたび話題となっています。
 
 このほか、パイ生地とアーモンドのクリームで作られる、フランスの新年には欠かせないこれまた伝統的な“ガレット・デ・ロワ”(図6)も日本の洋菓子店の店頭に並ぶようになってきました。
 
 
 
 この“バウム・クーヘン”や “ロール・ケーキ”といったすでにおなじみの菓子が取り上げられる背景の一つには、現在の経済状況が影響しているかもしれません。
 
 “ブーム”とはいっても、業界全体の業績はこの数年横ばいですし(表1)、以前のように手の込んだ菓子ばかり作って並べるわけにはいきません。これら「定番」の製品は製造上のコストは抑えられますし、また作業工程はシンプルで技術的に経験の少ない者でも充分に対応が可能ですから、こうしたご時世にそうした菓子が話題になれば、手間がかかり利益率の低い製品よりもそうした菓子作りに傾くのも必然といえるかもしれません。
 
 また、このところフランス発の“ヴェリーヌ”(図7)という製品が話題を集めていますが、これはフランス語のヴェール(グラス)と料理のテリーヌを併せた造語で、その名のとおりガラスの容器にクリームやジャムを交互に流したような製品です。一見すると日本の夏場に見られるゼリー製品のようにも見えます。
 
 
 
 
 
 もう20年近くも前のことになりますが、日本を訪れたフランス人パティシエが菓子を見たいというので知人がデパートの食品売り場に案内したところ、夏場のためどの店のショーケースにもカップに入ったゼリー製品がずらりと並んでいて、それを見て彼は、「こんなのでいいのか」と言ったそうです。つまり、日本の消費者は型に流しただけの簡単な製品で満足するのかと彼は言いたかったのだと思います。
 
 フランスでは、現在労働時間は週当たり35時間と決められており、従来通りの仕事を続けていたのでは経営は成り立たず、そのため、今ではパイ生地を折れない若いパティシエもいて、菓子作りの技術伝承も危ぐされているほどです。フランスでも“こんな”製品が出てくるようになった背景には、そうした事情もあるのかもしれません。
 

今後の展望

 このところ、我が国の洋菓子業界は労働環境の改善等により女性の進出が著しく、様変わりの様相を呈しています。一方、前述のように経済的・社会的状況次第では、我が国の菓子作りそのものにさまざまな影響が出る事は避けられず、今後業界がどの方向に向かうかは不透明であるといえます。
 
 ただ言えることは、日本の洋菓子は今後もフランス菓子の影響を受け続けるであろうこということです。伝統的な菓子を守り続けるドイツ、スイス、オーストリアといった国々と異なり、日本と同じようにフランスは常に新しいものを模索し続けているからです。
 
 この業界の若い世代は、半世紀前も今も変わりなく元気です。近い将来には、世界の注目に応えるべく日本発の菓子の流れが生まれるものと大いに期待しているところです。
 
このページに掲載されている情報の発信元
農畜産業振興機構 調査情報部 (担当:情報課)
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