よく、我が国の食生活に関して海外の食文化の影響が顕著にみられるようになったのは、1964年の東京オリンピック開催が一つのきっかけになったといわれることもありますが、洋菓子に関してもこの時期にエポック・メイキングな出来事がありました。
それは、東京オリンピックの前年、1963年にフランス人の製菓人アンドレ・ルコント氏が、「ホテル・オークラ東京」のシェフ・パティシエとして着任したことです。
氏はオリンピック終了後も日本に留まり、1968年には東京の六本木に自店「ルコント」をオープンすることになるのですが、本格的なフランス菓子を目の当たりにした業界関係者、とりわけ若いパティシエ達が受けた衝撃は計り知れないものがありました。
当時、日本の若い世代の間では積極的に海外に出て見聞を広げようという機運が高まっていましたが、そうした流れに後押しされるように若い世代のパティシエ達も次々に渡欧します。
やがて、彼らの多くは1970年代中頃には帰国し、1980年代に入って自らの店を立ち上げることになるのですが、それを機に洋菓子のレベルが急速に上がり、日本の洋菓子業界は新たな時代を迎えることになるのです。
我が国の洋菓子の歴史はこの1980年代を境として、それ以前と以後に大きく分けることが出来るといってもよいかもしれません。
現在一線で活躍しているパティシエの多くは、今日の本格的な洋菓子の基礎を築いたそれらの店の影響を直接受けた世代です。彼らも同様に海外で技術を磨くことになるのですが、その過程でさまざまなコンクールに参加して優秀な成績を収めます。“コンクール世代”と言ってもよいかもしれません。
現在、世界規模のコンクールはいくつかあって大抵は2年に一度の開催ですが、連覇中の大会もあるなど、日本のパティシエの実力は世界でもトップ・クラスです。(図1)