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沖縄サトウキビ作の長期動態

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最終更新日:2012年4月10日

沖縄サトウキビ作の長期動態

2012年4月

東京大学・大学院総合文化研究科 准教授 永田 淳嗣
 

【要約】

 戦後の沖縄のサトウキビ作は、二度の大幅な拡大と縮小を経験してきた。この変化は、土地生産性の変化より、生産者価格の動向と連動した、作付面積の増減や労働力・資本投入の水準に規定されてきた。さらに1980年代後半以降の動態には、サトウキビ作農家の世代構成も深く関わっている。今後の沖縄のサトウキビ作の方向性を考えるには、これらの点の理解を踏まえ、真に農家の生活や経営の中に活かすことのできるサトウキビ作のあり方を、今一度、生産の現場から見極めていくことが重要だろう。


 2012年、沖縄は復帰後40年を迎える。これからの沖縄の糖業・サトウキビ作の方向性を考える上で、沖縄のサトウキビ作の長期的な動態とその到達点としての今日の状況、そしてそこから示唆される事柄を、客観的かつ冷静に理解しておくことはきわめて重要だろう。

 図1、図2は、1960年代前半〜2000年代後半までの沖縄のサトウキビ作付面積と生産量の推移を、自然条件や社会経済条件の異なる沖縄本島と離島部に分けて示している。1960年代前半の拡大は、いわゆる「サトウキビブーム」によるものである。日本政府の甘味資源自給力強化策による大型分蜜糖工場の設立・拡充や、キューバ危機による国際糖価の高騰などが絡んで、沖縄のサトウキビ作は一気に拡大した。しかしブームは長くは続かなかった。日本政府による粗糖輸入自由化と国際糖価の暴落を受けて1965年に糖価安定制度が発足したものの、沖縄のサトウキビ生産者価格は実質的に低下を続けた(図3)。基地経済の展開をみた本島、また産業基盤の限られる離島部でも、サトウキビ作は大幅に縮小し、農家は労働力や経費の投入を抑え所得の確保を図ったため、栽培は粗放化した。
 
 
 
 
 
 
 復帰後〜1980年代前半の拡大は、復帰後の政策環境の劇的な変化、特に糖業・サトウキビ作の振興を沖縄農業政策の柱の1つに掲げた政府による、生産者価格の大幅な引き上げに誘発されたものである。引き上げ後の価格は、実質価格でみるとサトウキビブーム当時を上回るほどだった。各地で製糖工場の原料処理能力が拡大され、補助事業や制度金融の拡充など政策環境が全般的に好転したこともあり、農家のサトウキビ生産意欲は大いに刺激された。特に反応が大きかったのは離島部である。労働力投入やトラクター導入など資本投入が進み、1980年代半ばには、作付面積・生産量ともにサトウキビブームをしのぐ水準に達した。離島部を中心に「第2次サトウキビブーム」とでも呼ぶべき状況が生まれたのである。この時期は、沖縄農業の全般的な拡大期にあたり、本島では花卉の生産が伸び、離島部も含め冬春季の本土向け野菜の生産が一定の興隆を見た。こうした中でも、とりわけ離島部におけるサトウキビ作の地位は突出していた(図4)。
 
 
 復帰後の転機は、1980年代半ばに訪れる。1980年代後半〜1990年代後半にかけて、本島のサトウキビ作は急激に縮小し、製糖工場の整理統合が進んだ。2000年代以降、底を打った形で低位安定状態にあるが、1980年代後半以降、沖縄農業が全般に縮小した中で、花卉、野菜に次ぐ第3の部門に後退した。一方離島部でも縮小が顕在化するが、ピーク時の4分の3程度の水準でいったん下げ止まっている。2000年代に入り、再び縮小の動きが見られるが、この間に伸長してきた肉用牛と並ぶ形で、農業の基幹部門としての地位を保っている。サトウキビ生産者価格は、実質価格で見ると、既に1970年代後半から傾向的に低下していたが、1990年代前半には、サトウキビ作からの離脱が進んだ復帰直前の水準にまで低下し、その後は安定している。サトウキビ作縮小の動きが、1980年代後半に顕在化し、1990年代前半に加速、1990年代後半に減速しているのは、実質価格の動きとよく連動している。

 以上の沖縄のサトウキビ作の長期動態を、以下ではもう少し掘り下げて考察してみたい。図5は、サトウキビ作付面積あたりの土地生産性の推移を示している。40年余りの長期にわたり、離島部では4トン前後で一定している。本島は1980年代半ばまで6トン台で安定していたが、その後傾向的に低下し、2000年代半ばには5トン弱と離島部の水準に近づいている。ここで重要なのは、沖縄のサトウキビ作の拡大・縮小は、基本的に土地生産性の上昇・低下ではなく、価格動向に誘発された、面積の拡大・縮小や労働力・資本投入の水準に規定されてきたという点である。ただし1980年代後半以降の本島の縮小は、労働力・資本投入の低下が土地生産性の低下に結びついている可能性を示唆している。
 
 
 サトウキビ作の動態をより丁寧に理解するには、農家の世代構成に注目することも重要である。沖縄県の農業就業人口の年齢別構成をみると、昭和一桁生まれ以前の世代は、昭和二桁生まれ以降の世代に比べ、人口のボリュームが格段に大きい。1985年〜1995年の10年間は、昭和一桁世代が60歳を越え、二度のサトウキビブームの影響を強く受けサトウキビ作を続けてきたボリュームの大きな世代が、高齢化・引退していく時期に当たった。このことが、この時期のサトウキビ作の縮小に拍車をかけたといえる。ただし離島部では、復帰後の第2次サトウキビブームの影響を強く受けた、昭和一桁生まれに続く昭和10年代〜30年代生まれの世代(第2次サトウキビブーム世代)がある程度のボリュームでサトウキビ作にとどまっているため、本島ほど大きな縮小には至らなかったと解釈できる。

 収穫機械化との関連でいうと、1980年代後半以降の本島のサトウキビ作の大幅な縮小は、大量のサトウキビ作農家の高齢化・引退という事態に対し、収穫機械化という方向で対処できなかったという厳しい現実を示している。現在の低位安定状態にある本島のサトウキビ作も、機械収穫は1つの選択肢であるが、収穫機械化によって生産が支えられている状態にはない。ここで注意すべきは、本島をしのぐ生産量を上げるようになった離島部の動向である。1995年〜2005年の10年間に、昭和10年代生まれが60歳を越え、今後は第2次サトウキビブーム世代の高齢化・引退が進む。2000年代に入り、離島部の作付面積・生産量は減少傾向にある。確かに本島に比べ離島部は、収穫機械化が進みやすい条件はある。しかし高齢農家や兼業農家を機械収穫で支えるという方向性、あるいは大規模機械化経営という方向性だけで、将来の展望を見いだしうるのかという発想も必要だろう。

 以上のような沖縄のサトウキビ作の長期動態と、その到達点としての今日の状況の理解を踏まえ、今後の沖縄の糖業・サトウキビ作の方向性を考える糸口を、どのように見いだしていけばよいのか。何より重要だと考えることは、糖業・サトウキビ作が地域にとって必要であるという以前に、その担い手である個々の農家が、真に、その生活や経営の中に活かすことのできる、取り組む意味のあるサトウキビ作とはどのようなものなのか、今一度、生産の現場から見極めていくことである。その方向性は、何も1つや2つにまとめる必要はない。1つの生産地域として、あるいは沖縄県全体として糖業・サトウキビ作を活かしていこうとするなら、いくつかの方向性を組み合わせる必要があるだろう。
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