【トップインタビュー】「食を育む〜食育の3本の柱〜」
最終更新日:2013年11月6日
服部栄養専門学校 校長 服部幸應氏に聞く
日頃から食の大切さを教え、食育基本法の成立に携わるほか、食をテーマとした2015年ミラノ万博の出展に向けて日本館の基本計画策定委員を務められるなど、多方面で食文化の大切さを発信し続けられている服部栄養専門学校校長の服部幸應氏にお話を伺いました。
― あらためて食育とは
食育の意味がわからない人が随分おられるようですが、食育基本法は、もともと私が提案してできた法律です。
法律のもとになったのは食育の三つの柱です。一つ目はどんなものを食べたら安全か危険か、健康になれるかという食べ物を選ぶ力のことです。二つ目は衣食住の伝承、これは家庭の食卓での共食によって一般常識が培われます。三つ目が食糧問題と環境問題です。これらを家庭教育、学校教育、社会教育というそれぞれの段階で勉強していくことになるわけです。これは、男女によっても差がありますが、若いころと青年の時期、中年、さらには老年期に入っていくなかでの栄養摂取の仕方、食べ方などの勉強も大事だということを含めて、この三つの柱が非常に重要です。
そういう観点で物事をみていきますと、いろんなものが見えてきます。私はいま、内閣府の食育推進会議の委員をやっていますが、委員の皆さんはご自分の専門のこと、例えば、農業者は農業のことだけを話されますが、皆さんに共通している内容がこの三つの柱です。
特に食糧問題というのは、安全保障の問題でもあると思っています。日本の教育の中に食料自給率を教える教育がないんですね。もし、食料がなくなったらどうしますかという質問をされたら、みんな戸惑いを感じてしまうでしょう。そういう、いざというときにどのように対応するべきかについて、我々は、見つけておかなければいけないと思っています。
―食料自給率について
今年の8月8日に平成 24 年度の日本の食料自給率が発表になりました。カロリーベースで 39 %です。日本も、さかのぼれば昭和 40 年は 73 %あったんですよね。フランスのドゴール大統領は、食料を自給できない国は独立国とは言えないと言われたそうです。
昭和 40 年当時のフランスの自給率をみると105%、アメリカが102%、英国は 47 %しかありませんでした。それで、英国は慌てまして伸ばす努力をして 70 %を超えるようになりました。ドイツは 67 %しかなかったのが、今では 80 %を超えています。どんどん上げたんですよ。
ところが日本は、 73 %あった自給率が低くなってしまいました。これは、昭和 35 年当時日本の政治・経済の方向性というのが、農業国から、もっとお金を生む国にしようということで工業国に舵を切ったからです。
農業就業者は、昭和 35 年頃に1434万人いたのが、現在 50 年経って、いま農業就業者は239万人ですよ、なんと7分の1になってしまいました。しかも平均年齢が 65 ・8歳。みなさんお元気ですが 10 年したらどうなるのかという話です。
やはり、国策としてのこれからの農業の在り方を見直さなければいけないときだと思います。
―現在の農業について、どのようにお考えですか
今、農業従事者がどんどん少なくなってきています。私は、若者が農業をやることがどれだけ楽しいか、お金になるかなど、もっともっと魅力あるものを考えてあげませんと、農業をする人がいなくなるのではないかと思います。
若者が農業をするように、また、これからの自給率を本気で上げようとするのであれば、私は、EU諸国がやっているように国が負担するなど、国策としての支えが必要だと思います。3年ほど前から経営所得安定対策(注)というのができましたよね。しかし、日本の支援の水準は低いですよ。日本は約8千億円くらいの予算ですが、もっと増やさないと。どこからそのお金を持ってくるのかという問題はあります。
いま、農業がどんどん影響を受けるわけですから、自分たちの力で乗り越えられるような方向に持っていくためにも、工業でお金を手に入れたら、それをどういう風に分配するか、農業関係者にわたっていくかの仕組みを作らないとだめだと思っています。
―若手の農業参入のためには
6次産業化の動きのなかで、若者が農業に入って、思っていたよりも収入が良かったということもあると思います。
この収入の水準をもっと充実させる必要があるし、農家への補償を国がもう一度見直さなければならないと思います。調理師学校の在り方も見直しています。第一次産業、第二次産業、第三次産業が連携していけるような、存在の在り方を学校でも教えていこうとしています。第一次産業、第二次産業、第三次産業とは何か、第一次産業のことがわからなければ、第二次産業の人も、第三次産業の人も製造やサービスを行っていく意味がないと思います。
やはり、それらがうまくリンクするように教育体制をこれから作っていかなければならないと思います。
少なくとも、自分たちが食の産業に入った方が面白いと思わせるように持っていく必要があります。
「あの人が作ったもの、魅力的だな、あれ買おうよ、アイツのじゃなきゃだめ」といわれるように。例えば、「減農薬のものを食べたらこっちのほうがうまいな、安心だな」と。そうすると、どこにつながるかといいますと、作る喜びなのです。相手が喜んでくれる、相手が望んでくれるというものに、生きがいを感じるのですね。何が生きがいかといえば、お金だけではないのです。難しい問題のようですけど、ちょっとしたことで、人間はやる気を出しますから。
食品を扱っている人の心がけ、心持ちというか、どれだけ誇りを持って安心で安全なものを作るかという気持ちでいるかということなんですけど、疲れちゃっては仕方がないと。例えば、有機農法に関心のある農家がもう少し取り組みやすいように日本のJAS法も工夫していきませんとね。
食育の三つの柱の真ん中。衣食住の伝承においては、家庭の食卓で家族が一緒に食事することが重要なポイントです。
母と子の関係が形成される時期は0歳から3歳です。お母さんは、お乳を与えることによって、脳下垂体に刺激を与えられます。すると、オキシトシンというホルモンが分泌されて、お母さんは母性愛で子供を守らなくてはいけないと思うようになるのです。
世の中には五月病からはじまって、ニート、フリーター、暴力的な子供の問題など様々なことがありますが、子供の時に刷り込まれた母と子の関係は、他の人との関係なども含めて全て関連してきます。お母さんとの関係がうまくいきませんと、ほとんどうまくいきません。食育基本法は、そういうことを分かってもらうための法律ですが、残念ながら皆さんに理解されていません。
「食育って農業体験のことなの? 親子料理教室のことなの?」としか思われていない人がいますが、それ以前に子供を育てる段階で、一番の根本の食卓で家族が一緒に食事をするということができていない問題があります。
講演会をよく行うのですが、「うちの子供、9歳になっちゃったんですけど、どうしたらいいでしょうか。」と聞かれることがあります。
その際には「あきらめなさい。あなたの子どもはそのままですから。」と答えます。そのくらい幼少期の家族の食卓は実は大切なことです。
もう少し言いますと、「三つ子の魂百まで」といいますが、8歳までに食卓で家族から「姿勢が悪いよ、箸の使い方が悪いよ、なぜ、ニンジンを食べないの」などと、言われることが大事です。言われると、人間は人前でちゃんとできるようになるんですよ。(了)
学校法人 服部学園 服部栄養専門学校
理事長・校長・医学博士/健康大使
服部 幸應(はっとり ゆきお)
【経 歴】
昭和20年生まれ、東京都出身、立教大学卒。
昭和大学医学部博士課程学位取得。
【役 職】
公益社団法人「全国調理師養成施設協会」会長
内閣府「食育推進会議」・「食育推進基本計画」委員
農林水産省「食に関する将来ビジョン検討本部」委員
農林水産省「料理人表彰制度審査委員会」委員
内閣府、厚生労働省、文部科学省などの食と健康・安全・安心に関連する委員を歴任
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農畜産業振興機構 企画調整部 (担当:広報消費者課)
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