海外編

 IV 東南アジア 




1. 一般経済の概況

 東南アジア諸国連合(アセアン)加盟国の2006年の経済は、前半の原油価格の高騰に加え、タイやフィリピンの政局の混乱などの影響があったものの、おおむね堅調に推移した。加盟国の実質国内総生産(GDP)の伸びは、経済発展が低水準の国ではおおむね前年を下回ったものの、高水準の国ではおおむね前年を上回った。また、2007年1月にフィリピンのセブ島で開催された第12回アセアン首脳会議において、アセアン共同体の形成目標年が2020年から2015年に前倒しされた。引き続きアセアン10カ国、日本、中国、韓国、インド、豪州、ニュージーランド(NZ)の計16カ国により開催された第2回東アジア首脳会議では、エネルギー安全保障問題を重点に、その他事項として教育や防災、鳥インフルエンザ、金融についての議論が行われた。

 ブルネイでは原油、石油製品および液化天然ガスなどが輸出総額の9割を占めるという天然資源への過度の依存からの脱却を目指して、経済の多角化を図るため、国家開発五カ年計画が進められている。2006年6月から日本との経済連携協定(EPA)の交渉が開始され、12月に大筋合意に達した。2006年の実質GDP成長率は前年の0.4%から5.1%に上昇した。

 カンボジアでは、フン・セン政権が2004年7月の成立以降、「四辺形戦略」と呼ばれる戦略に基づいた国家開発を行っている。これは、中心部に「グッド・ガバナンス(汚職追放、司法改革、行政改革、国軍改革)」を掲げて最優先課題とし、四辺に@農業セクターの強化、Aインフラ復興と建設、B民間セクター開発と雇用創出、C人材開発等を掲げて優先課題を明確にした国家戦略である。2006年には政府が憲法改正などによる政治的安定を図ったこともあり、2006年の実質GDP成長率は前年の13.5%を下回るものの、10.8%と二ケタ成長を維持した。

 インドネシアでは、2006年5月に起こったジャワ島中部地震で、5千人を超える死者・行方不明者が出た。また、2006年前半は、石油燃料補助金の削減や金利引き上げの影響で消費が低迷したが、物価の安定や政策金利の段階的引き下げにより、後半には消費も徐々に回復した。また、好調な輸出にも支えられたものの、実質GDP成長率は5.5%で、前年の5.7%を下回った。日本とのEPAについては、2005年7月から交渉が開始され、2006年11月に大筋合意に至った。一方、2005年7月に鳥インフルエンザ感染による初のヒト死亡例が確認されて以来、国内でのヒトの死亡例は継続して発生している。アチェでは特別自治のための特別法の制定や首長選挙の実施といった進展があったものの、引き続きパプアや中部スラウェシなどでは分離独立運動が生じている。

 ラオスは、人民革命党が引き続き一党独裁下での市場経済化路線を推進しており、2006年3月の党大会において、改革・開放路線に基づいて市場経済化を進める新思考(チンタナカーンマイ)政策の維持が決議された。6月にはブッパワン新首相をはじめ主要閣僚の交代があった。12月には、メコン川流域開発計画の中心プロジェクトの一つ、ベトナムとミャンマーを結ぶ「東西経済回廊」上のラオス−タイ間の第2メコン国際架橋(第2友好橋)が完成した。2006年の実質GDP成長率は7.5%と、前年の7.3%を上回った。

 マレーシアは、アブドゥラ首相が2006年2月の内閣改造に引き続き、3月、持続可能な発展のために国家競争力を拡大することを目的に、2006年〜2010年を対象とする第9次マレーシア計画を国会に上程した。目標として、2020年までの先進国入りと2010年までの年平均6.0%のGDP成長率を掲げている。経済の高付加価値化の重点分野として、製造業、農業、情報通信技術、バイオなどに加えて、イスラム金融やハラル食品が挙げられているが、経済成長だけでなく社会格差の是正にも重点を置き、マハティール前首相の開発路線の修正を見せた。日本とのEPAについては、2005年12月に署名され、2006年7月に発効した。実質GDP成長率は5.9%と、前年の5.0%を上回った。

 ミャンマーは、1988年9月にクーデターで誕生した軍事政権が、2003年5月に非暴力民主化運動指導者アウン・サン・スー・チー女史を再度自宅軟禁下に置いた状況が継続している。2005年11月に開始した首都のヤンゴンからピンマナ県への移転は2006年3月頃までにおおむね終了し、新首都は10月にネーピードーと命名された。米国やEUの対ミャンマー制裁措置が引き続き実施された。2006年の実質GDP成長率は不明だが、2005年の推定値は13.2%であった。

 フィリピンは、2005年6月に浮上したアロヨ大統領の選挙不正疑惑により辞任要求運動が発生した。この運動はいったん沈静化したものの、アロヨ大統領がクーデター計画が発覚したとして2006年2月に非常事態宣言を出したことにより、その強権的手法への反発が強まり、野党などにより再度下院に弾劾請求が提出された。この請求は却下されたが、大統領の支持率は低い水準で推移している。一方、2005年12月に大統領により提出された憲法改正案は10月に最高裁により却下された。また、日本とのEPAは2006年9月に署名され、上院の審議中となっている。政権の混乱も見られたものの、サービス産業の好調もあり、実質GDP成長率は5.4%と、前年の4.9%を上回った。

 シンガポールは、2004年に続いて2006年5月の総選挙でも与党が圧勝した。引き続き安定した内政状況を反映した結果、2006年の実質GDP成長率は7.9%となり、前年の6.6%を上回った。また、2002年11月に発効した日本とのEPAについて、2006年4月に協定改正交渉の開始が決定され、2007年1月に大筋合意、3月に改定議定書に署名された。

 タイは、2005年2月の下院総選挙でタクシン首相率いる与党が圧勝し、タクシン政権は2期目に入ったものの、トップダウン方式による独断専行やメディアへの介入、一族の株売却疑惑などに対する国民の批判が高まり、2006年2月以降、親タクシン派と反タクシン派の社会的対立が激化した。首相は議会の解散総選挙を行ったが、野党のボイコットや憲法裁判所による総選挙の無効判断などもあり、政治が混迷した。同年9月には軍部によるクーデターが発生し、10月にスラユット元陸軍司令官を暫定首相とする暫定政権が発足した。新政権は開かれた経済政策は不変であるとしたものの、タクシン政権下での経済拡大路線を見直す姿勢を打ち出し、2005年9月に大筋合意された日本とのEPA交渉の進捗はなかった。2006年の実質GDP成長率は5.0%と、前年の4.5%を上回った。

 ベトナムは、1986年から導入されたドイモイ(刷新)政策に基づき、社会主義市場経済を推進している。2006年4月の共産党大会でドイモイ政策20年が総括され、ドイモイ路線の継続、汚職追放への決意などが確認された。続く6月の国会でグエン・ミン・チェット国家主席、グエン・タン・ズン首相が新たに選出され、一部閣僚が交代した。また、11月にWTO一般理事会において加盟が承認され、2007年1月にWTOに正式に加盟した。日本とのEPAについては、2006年2月に、交渉に向けた共同検討会合が開始され、10月に、2007年1月に正式交渉を開始することで合意した。2005年の実質GDP成長率は8.2%と、前年の8.4%を下回った。


表1 主要経済指標



2. 農・畜産業の概況 

 アセアン10カ国のうち、シンガポールとブルネイは、GDPに占める農業の割合が1%以下と低い。一方、マレーシア、タイ、インドネシア、フィリピンは、GDPに占める農業の割合が8%〜14%台となっている。ベトナムは20%となっているが、製造業の発展により、これらアセアン先進4カ国の状況に近づきつつある。先進4カ国にベトナムを加えた5カ国では、都市と農村の社会格差が顕著になる一方で、農村が失業者の緩衝機能を果たしているといわれている。

 また、これら5カ国では、米などの主要作物の価格が政策的に低く抑えられているため、農業分野の生産額が高くならないという特徴も有している。上記以外の3カ国のGDPに占める農業の割合については、カンボジアが30%、ラオスが45%、ミャンマーは48%となっている。

 政情不安が長引いたこれら3カ国では、ほかの産業の発展が遅れているため相対的に農業の比重が高いが、3カ国ともGDPに占める農業の割合が2〜3ポイント低下しており、政情の安定化や経済の発展に伴って農業の比重が低下してきている。

 マレーシアは、油ヤシ、ゴムなど永年性作物の栽培が多く、油ヤシの下草などを利用した畜産物の生産拡大の可能性はあるものの、将来的に食用作物栽培が増え、飼料資源が拡大するとは考えにくい。一方、フィリピンは、トウモロコシ、米などの食用作物が中心となっている。アセアン諸国中、ベトナム、タイ、ミャンマーは米の輸出国である。

 畜産物の生産量は、食習慣、宗教、農業の形態などを反映して、各国ごとに畜種の重要度が異なっているため、国ごとに大きな差がある。


表2 アセアン諸国の主要穀物及び畜産物生産量

 

3. 畜産の動向 

(1)酪農・乳業

 東南アジア諸国では、一般に牛乳・乳製品は、伝統的食文化としての位置付けが低く、また、気候条件が酪農にあまり適していないことや良質な飼料を得にくいことなどもあり、酪農・乳業は欧米諸国に比べて盛んではなかった。従来から、乳製品の主体は全粉乳などの粉乳類か、缶入り加糖れん乳であったが、冷蔵施設の普及や経済発展に伴い、特に都市部およびその周辺では飲用乳製品の需要も高まりつつある。

 東南アジアでは、各国とも牛乳・乳製品の自給自足にはほど遠い現状にあるが、生乳生産、工場インフラ、地理的条件などを総合的に考慮すると、将来的には、輸入乳製品からの還元乳の製造を含め、タイやベトナムはインドシナ半島諸国の牛乳・乳製品供給基地になりうると思われる。また、2億を超える人口を擁し、ジャワ島を中心に近年経済発展を遂げているインドネシアにおける需要の伸びも期待されている。

 東南アジアでは、乳脂肪の一部または全部を価格の安いパーム油などの植物性油脂で置き換えた、国際規格上は乳製品表示を行い得ない模擬乳製品が普及しており、これに加えて、各国統計上の取り扱いもあいまいであることから、乳製品の需給動向の正確な把握は困難なものとなっている。



(1)生乳生産動向

 2006年の乳牛の飼養頭数は、インドネシア、フィリピンでは増加し、マレーシア(2005年、半島部のみ)、タイでは減少した。

 インドネシアの乳牛飼養頭数はタイに次ぐ規模であり、2006年の飼養頭数は前年比2%増の36万9千頭となっている。同国における乳用牛は、ほとんどがジャカルタなど大消費地に隣接するジャワ島の冷涼な気候の山岳地域で飼養されている。同国では、政府が乳用牛増頭計画を掲げており、また豪州からの繁殖牛の輸入も行われているものの、遺伝的能力の高い繁殖牛がまだ十分ではなく、零細な経営が多くを占めているという課題もある。同年の生乳生産量は、同15%増の61万7千トンとなっている。

 マレーシアの乳用牛は大半が半島部で飼養されており、2005年の乳用牛飼養頭数(半島部)は前年比9%減の約2万6千頭となっている。飼養頭数の割合は、シンガポールに国境を接するジョホール州が全体の約20%、首都クアラルンプール近郊のスランゴール州が約18%、北西部のペラク州が約16%となっている。また、同国の乳用牛は約75%がホルスタインとの交雑種であり、他はインド原産種となっている。同年の生乳生産量は、同6%増の約4万1千トンとなっており、このうち約83%が半島部で生産されている。能力が低いインド原産種はおおむね減少傾向で推移しており、全体の飼養頭数が減少しているのに生産量が増加しているのはこのためもあると考えられる。同国は歴史的に天然ゴムや油ヤシのプランテーションのための土地開発が多く、反すう家畜のための飼料基盤の不足から政府の振興策ははかどっていない。

 フィリピンの乳用牛飼養頭数は、前年比12%増の約1万1千頭となっており、飼養頭数は増加傾向で推移している。同国では、乳用水牛の飼養頭数が約1万4千頭と乳用牛の飼養頭数より多い。生乳生産量は、同4%増の約1万3千トンで牛乳のほか水牛乳とヤギ乳も含まれる。生乳生産量に占める牛乳の割合は約6割で、残りの4割は水牛乳とヤギ乳となっている。同国の生乳換算による自給率は1%未満となっており、消費量のほぼ全量が輸入品および輸入品を原料とした加工品となっている。

 タイの乳用牛飼養頭数は前年比14%減の41万3千頭となっており、大きく減少した。99年以降、2005年まで飼養頭数は増加傾向で推移していたが、原油高などにより酪農家戸数が大きく減少したことが原因の一つと考えられる(囲み記事2参照)。同年の生乳工場における処理量(表4の国内生産量)は同13%減の77万6千トンで、このうちの約9割は飲用乳に加工され、残りはヨーグルトなどに加工されている。2001年より学校供給用牛乳に国産生乳の100%使用が義務付けられたことなどの酪農振興施策を実施しているものの、飼養頭数の減少の影響を受けて生乳生産量も減少したと考えられる。

 ベトナムの乳用牛の飼養頭数は前年比9%増の約11万3千頭となった。主な飼養地域は、南部ホーチミン周辺で全体の約66%を占めている。また、生乳生産量は同9%増の21万6千トンとなっている。同国では2001年以降、豪州やオランダから乳用牛の雌子牛を導入すると同時にホルスタイン種などの精液を用いて在来種に人工授精を行い、交雑種作出を活発化するなど、酪農振興に取り組んでいる。


表3 乳用牛の飼養頭数と生乳生産動向
表4 牛乳・乳製品の需給


(2)牛乳・乳製品の需給動向

 生乳換算で見た場合、牛乳・乳製品の輸入量が国内消費量に占める割合は、最も低いタイでも約84%を占めている。東南アジアにおける輸入乳製品の中心となるのは粉乳であり、そのまま小分けして販売されるほか、LL牛乳や缶入り加糖れん乳なども、全粉乳や脱脂粉乳から還元製造されるものが多い。

 インドネシアにおける牛乳・乳製品の1人当たり消費量は、前年比12%増の約10.5キログラムで、前年よりは増加しているものの消費量は少ない。その他の国における乳製品の消費をみるとマレーシア、ベトナム、ミャンマーは加糖れん乳が中心となっている。

 マレーシアの2005年における牛乳・乳製品の1人当たり消費量は、約34.3キログラムで東南アジア最大となっている。また、地域別では半島部における消費量が高く、同約42.5キログラムとなっている。同国は、牛乳・乳製品の輸出量が約29万6千トンとなっており国内生産量の約7倍となっているが、ほとんどが調製品および加工食品に含まれる乳成分である。

 フィリピンにおける牛乳・乳製品の1人当たり消費量は、前年比9%増の約17.3キログラムとなった。同国の生乳換算による自給率は1%未満で、消費量のほぼ全量が輸入品および輸入品を原料とした加工品となっており、フレッシュ牛乳の飲用習慣は希薄とされている。同国における乳製品の主な輸入先は豪州とNZとなっており、この2カ国で全輸入量の約6割を占めている。

 タイにおける牛乳・乳製品の1人当たりの消費量は、生乳が前年比10%増の19.0キログラム、乳製品が同6%増の14.5キログラムとなっており、学乳制度の導入や政府や民間企業による乳製品の消費拡大運動などにより、生乳や乳製品の消費量は増加傾向で推移している。また、牛乳・乳製品の輸出量は約58万トンとなっている。これは、豪州などから脱脂粉乳などの原料を輸入し、還元乳やれん乳などへ再加工の上、周辺国などへ輸出しているものである。




(2)肉牛・牛肉産業

 アセアン諸国では、2003年から2004年にかけて鳥インフルエンザ(AI)の発生が確認された。このため、鶏肉需要の一部は他の食肉へ代替がみられたとしている。ただし、牛肉需要についてみると、1人当たり消費量は横ばいないし微減で推移しており、AI発生による鶏肉需要からの代替はみられなかった。アセアン諸国では、牛肉消費については、各国における食習慣や経済状況の影響が大きいものと考えられる。



(1)肉牛の生産動向

牛(肉用牛・乳用牛含む)の飼養頭数は、アセアン諸国の中ではミャンマーの飼養頭数が最も多く、次いでインドネシア、ベトナムの順になっている。アセアン先進4カ国の肉牛の飼養頭数では、インドネシアの飼養頭数が最大で、タイ、フィリピン、マレーシアの順になっている。

 インドネシアの肉牛飼養頭数は、97年に過去最大である1,194万頭を記録して以降、総じて漸減傾向で推移している。ここ数年の飼養頭数は1,050万頭台で推移していたが、2006年は前年比3%増の1,087万5千頭となった。地域別の飼養頭数は、首都ジャカルタのあるジャワ島が全体の約4割を占めている。また、同国では豪州などから肥育素牛を輸入して3カ月程度肥育した後、と畜に供するいわゆるフィードロット産業が盛んである。一方、水牛の飼養頭数は減少傾向が続いていたが、この間、水牛肉生産量(生体重換算)は4万トン台で大きな変化がないことから、水牛の飼養頭数の減少は、農作業の機械化による役用の減少が主な要因と考えられる。なお、2006年の飼育頭数は、216万7千頭と、同2%の増加に転じた。

 マレーシアの2005年における肉牛飼養頭数は、頭数が把握できる半島部においては、前年比1%減の69万8千頭となった。また、サバ州およびサラワク州から成るボルネオ島部を合わせた全国の水牛飼養頭数は同4%減の13万3千頭となっており、ともに減少傾向で推移している。全国に占める半島部の飼養頭数の割合は、肉牛、乳牛を合わせた牛では9割を超えるのに対して水牛は6割となっている。水牛については、ボルネオ島部の飼養比率が高くなっており、主に役用に供される機会が多いためと考えられる。

 フィリピンの肉牛飼養頭数は前年比1%減の252万頭、水牛飼養頭数は同1%増の336万1千頭となっている。豪州などから素牛を輸入する商業的なフィードロット経営もみられるが、牛・水牛ともに飼養頭数が20頭未満の小規模経営が全体の9割以上を占めている。このため、同国政府は農村部における零細経営の就労機会、収入の確保などを目的とし、新技術の普及促進、専門家の育成などの畜産活性化策を打ち出している。同国では水牛の飼養頭数が肉牛を上回っているが、政府による振興政策などもあり、その飼養頭数はアセアンで最大である。

 タイの肉牛飼養頭数は、96年以降減少していたが、政府の肉牛振興政策などにより2001年からは微増傾向に転じている。2006年における飼養頭数は前年比3%増の803万6千頭となり、水牛の飼養頭数は同17%減の135万2千頭となったが、水牛肉を合わせた牛肉生産量は同12%増の13万6千トンとなった。アセアン先進4カ国のうち、タイだけは政策的意図により豪州などから生体牛を輸入して肥育を行うフィードロット経営が少ないことが特徴である。同国では、ミャンマー、カンボジア、ラオス、中国などの周辺国から生体牛輸入が増加しており、このうちミャンマーからの輸入が約9割を占めている。水牛については、同国でも役畜として供されてきたが、工業化の進展に伴う農業の機械化が進んだことに伴い、飼養頭数の減少が他のアセアン諸国と比べて顕著であった。しかし、政府が同国東北部を中心として、現地の気候に適した水牛を含む肉牛飼養を奨励したことなどから、頭数減に歯止めがかかっている。

 ベトナムの牛(乳用牛含む)飼養頭数は前年比18%増の651万頭、水牛は前年同の292万頭となっており、飼養頭数は増加傾向で推移している。水牛は1995年から2001年の間に一時頭数が減少したものの、2002年以降は微増傾向で推移している。従来、水牛肉は食用としては重要視されていなかったものの、今後はホーチミンやハノイなどの消費地への供給を目指すとしている。


図1 牛・水牛の飼養頭数の推移
表5 肉牛の飼養頭数と牛肉生産動向


(2)牛肉の需給動向

 インドネシアにおける牛肉および水牛肉の1人当たり消費量は、牛肉、水牛肉合わせて前年比7%増の2.5キログラムとなった。同国における牛肉消費量は、ジャカルタなど一部地域に集中しており、また、食肉全体の消費についても民族・宗教によって慣習が異なることなどから消費動向における地域差が大きいとされている。

 マレーシアでは、牛肉消費量に占める輸入品の割合が高いのが特徴であり、国内消費量に占める輸入品の割合は約9割とアセアン先進4カ国中最大となっている。牛肉の1人当たり消費量についても地域差が大きく、2005年における同消費量は半島部が約6.2キログラムとアセアン諸国の中でも突出しているが、ボルネオ島部のサバ州では約2.1キログラム、サラワク州では約1.5キログラムとなっている。

 フィリピンにおける牛肉自給率は約7割となっているが、輸入の割合も約3割を占めている。同国の牛肉輸入量は、アセアン先進4カ国のうちマレーシアに次ぐ規模となっており、ブラジル、豪州、NZなどからの輸入量が多い。2006年の牛肉および水牛肉の1人当たり消費量は、牛肉が約2.1キログラム、水牛肉が約1.6キログラムの合計3.7キログラムとなり前年を4%下回った。同国の水牛肉需要については安定的に推移しているが、牛肉需要については2000年に約3.1キログラムとなったものの、2001年以降は減少傾向で推移している。


図2 牛肉・水牛肉の生産量の推移
表6 牛肉の需給

 タイにおける牛肉および水牛肉の1人当たり消費量は、牛肉が約1.8キログラム、水牛肉が約0.4キログラムの合計2.2キログラムとなり、前年比11%増となった。牛肉の輸入量は約4千トンとなっており前年よりは増加しているものの消費量に占める割合は少なく、輸入先はその大部分が豪州とNZとなっている。



(3)養豚・豚肉産業

 アセアン諸国では、インドネシアをはじめ宗教上の理由から豚肉を消費しないイスラム教徒の人口が多い。このため、国によって食肉における豚肉の重要度には大きな格差があり、国の政策上の位置付けもさまざまである。しかし、イスラム教徒の多い国においても、中国系住民などの豚肉需要をまったく無視することはできず、種々の規制は設けながらも養豚を許容している。


図3 豚の飼養頭数の推移
表7 養豚の現状と豚肉生産動向


(1) 豚の生産動向

 東南アジアで豚の飼養頭数が最も多いのはベトナムで、2005年の飼養頭数は2,743万4千頭となっている。2006年については、同年1月以降に発生した口蹄疫の影響により前年比2%減の2,685万5千頭となっているものの、フィリピンの約2倍の飼養規模となっており東南アジアでは最多である。同国では、畜産振興計画を策定し、豚などの増頭に取り組んでいる。しかし、飼料の約6割を輸入に依存しているほか、口蹄疫などが継続して発生していることもあり、飼料の増産のほか家畜衛生対策の強化が必要となっている。

 インドネシアでは97年以降、飼養頭数の減少が続き2000年には535万7千頭となった。しかし、98年後半にマレーシアの半島部諸州で豚のウイルス性脳炎が発生したため、シンガポールは同国からの生体豚と豚肉の輸入を全面的に禁止し、生体豚の輸入先をインドネシアのリアウ州に切り替えた。この影響などにより、2001年以降の飼養頭数はおおむね増加傾向で推移しており、2005年の飼養頭数は同14%増の680万1千頭とかなり大きく増加した。しかし、2006年にはインドネシア国内でアフリカ豚コレラが発生した影響もあり、飼養頭数は同9%減の621万8千頭となった。

 2005年のマレーシアの豚飼養頭数は、半島部で全体の約8割を占めている。主要生産地である半島部において、ウイルス性脳炎が98年から99年にかけて発生したため、大量と畜や廃業などの影響により、99年の飼養頭数は240万頭台から130万頭台まで減少した。その後、99年以降は飼養頭数が微増傾向に転じ、2001年以降は140万頭台で推移しており、2005年の飼養頭数は同3%増の152万9千頭となった。しかし、ボルネオ島部を加えたマレーシア全体の飼養頭数は、サラワク州における飼養頭数が同29%減少したこともあり、同4%減の203万6千頭となった。

 フィリピンは宗教的な制約が少ないこともあり、東南アジアではベトナムに次いで飼養頭数が多く、94年以降、増加傾向で推移しており、2006年は同8%増の1,304万7千頭となった。

 タイは、ブロイラーに次ぐ輸出産業として養豚振興を推進してきており、97年には飼養頭数が1,014万頭となりフィリピンを抜いたものの、98年以降は政策意図とは逆に、飼養頭数が増減を繰り返す状態が続いている。98年以降は、おおむね700万頭から800万頭台で推移しており、2005年は同30%増の817万5千頭となったが、2006年は同13%減の715万4千頭となった。



(2) 豚肉の需給動向

2006年のインドネシアの豚肉生産量は、前年比13%増の19万6千トン、フィリピンは同4%増の146万7千トン、タイは同13%増の45万1千トンとなった。また、2005年のマレーシアの豚肉生産量は、同1%増の20万6千トンとなった。

 インドネシアの豚肉消費量は、同66%増の19万8千トンとなった。同国の豚肉消費量は、2004年が同64%増の19万2千トン、2005年が同38%減の11万9千トンとなっており、ここ数年、急激な増減を繰り返している。この要因については、後述のようにインドネシアの鶏肉の需給動向を正確に把握することは難しいため確認することは難しいが、AIの発生による鶏肉からの需要のシフトが要因の一つと考えられる。

 2005年のマレーシアの豚肉消費量は、20万1千トンとなりほぼ前年並みとなった。このうち、半島部の消費量は16万1千トンとなり、前年に引き続き16万トン台で推移している。2006年のフィリピンの豚肉消費量は、同4%増の150万2千トン、タイは同14%増の45万9千トンとなった。

 アセアン諸国における豚肉の消費動向は宗教の影響を強く受けており、2006年の1人当たり豚肉消費量は、イスラム教徒が人口の大半を占めるインドネシアが前年同の0.6キログラムであるのに対し、食肉に関する宗教的制約の少ないフィリピンでは17.1キログラム、同様にタイで7.3キログラムとなり、それぞれ前年より増加している。

 一方、マレーシアでは、イスラム教を国教と位置付けているものの、伝統的に豚肉食を好む中国系住民(非ムスリム)などが4割程度存在していることから、1人当たり豚肉消費量は7.7キログラムとタイを上回っている。このうち、中国系住民などの非ムスリムにおける1人当たり豚肉消費量は19.3キログラムとなり、同国では鶏肉に次ぐ消費量となっている。


図4 豚肉の生産量の推移
表8 豚肉の需給



(4)養鶏・鶏肉産業

(1)鶏の生産動向

 東南アジアでは、ブロイラーの飼養が盛んであるが、在来鶏や採卵鶏、アヒルなどの家きんの飼養も盛んに行われている。ブロイラーや在来鶏、採卵鶏など鶏の飼養羽数は、インドネシアが最も多く、タイ、マレーシアの順となっている。2006年におけるインドネシアの鶏飼養羽数は11億8千8百万羽で、このうちブロイラーの飼養割合は67%、在来鶏は24%となっている。タイの鶏飼養羽数は1億8千4百万羽で、ブロイラーの飼養割合が55%、在来鶏が29%となっている。フィリピンの鶏飼養羽数は1億3千4百万羽であるが、このうち57%を在来鶏が占めており、ブロイラーの飼養割合は27%となっている。また、アヒルについては、ベトナムが最も多く6千4百万羽、インドネシアが3千3百万羽、タイが2千百万羽の順となっている。

 インドネシアのブロイラー飼養羽数は、2005年が前年比4%増の8億9千百万羽であったが、2006年は飼料費の高騰などの影響により同2%減の7億9千8百万羽となった。2006年の生産量については、前年の飼養羽数が増加したこともあり同11%増の86万1千トンとなった。同国のブロイラー飼養羽数は、2003年に同6%増の9億2千百万羽となり、その後はAI発生の影響を受け大幅に減少しているものの、依然として東南アジア地域では最多となっている。また、採卵鶏の飼養羽数は同18%増の1億羽、鶏卵の生産は同19%増の81万7千トンとなった。AIの発生による影響はあるものの、同国における鶏卵・鶏肉は安価なタンパク源として重要性は変わっていない。

 マレーシアの2005年のブロイラー飼養羽数は、前年に発生したAIの影響により同13%減の1億2千百万羽となり、このうち半島部では約8割の9千3百万羽が飼養されている。採卵鶏は同6%増の3千6百万羽となり、ブロイラーと同様に半島部で約8割の3千百万羽が飼養されている。ボルネオ島部のブロイラーと採卵鶏の飼養羽数は、サラワク州で残りの2割程度、同島のサバ州ではわずかな飼養となっている。

 フィリピンについては、2005年7月にアヒルで弱毒性のAIウイルスの検出が報告されたが、鶏での発生は確認されていない。2006年については、ブロイラーの主要産地であるルソン島が大型台風による被害を受けたこともあり、同国のブロイラー飼養羽数は同11%減の3千6百万羽、採卵鶏の飼養羽数は同1%減の2千百万羽となった。しかし、生産量についてはブロイラーが64万4千トンとなりほぼ前年並み、鶏卵は同3%増の33万トンとなった。

 タイのブロイラーと採卵鶏の飼養羽数は、2004年1月に発生したAIの影響により、同年以降の飼養羽数は大きな増減を繰り返している。ブロイラーについては、2004年が同38%減の1億3百万羽、2005年が同44%増の1億4千8百万羽、2006年が同32%減の1億羽となっている。採卵鶏については、2004年が同14%減の2千百万羽、2005年が同98%増の4千百万羽、2006年が同28%減の3千万羽となった。また、生産量については、ブロイラーが同1%増の104万トン、鶏卵が同14%増の51万7千トンとなった。


図5 ブロイラーの飼養羽数の推移
表9 鶏の飼養状況と鶏卵・肉の生産動向


(2)鶏肉の需給動向

 鶏肉消費に関しては宗教上の制約が少なく、庭先での飼養による環境保全的機能も果たすため、東南アジアでは最も身近で重要な食肉となっている。

 インドネシアにおけるブロイラーの飼養羽数はタイの約8倍であるにもかかわらず、ブロイラー肉の生産量はタイの約8割という状況となっている。この要因としては、インドネシアに限ったことではないが、ブロイラーをと畜場で処理した場合には少額ながら課税されることやコールドチェーンが未発達であることなどにより、と畜場以外で処理したり生きたまま販売したりするケースが多数を占めるため、かなりの生産量が統計で把握できないことが考えられる。したがって、と畜場以外での処理が簡単に行える鶏肉については、インテグレーターの市場占有度が高いタイを除き、統計上から需給動向を正確に把握することは困難である。

また、インドネシアとフィリピンは、在来鶏の飼養羽数が多く、価格はブロイラーより高いものの、一般には在来鶏肉の方が好まれる傾向がある。このことも、需給動向を詳細に統計的に捉えることが困難である一因となっている。

 2004年1月以降、タイ産鶏肉の主要輸出先である日本およびEU各国が、相次いで同国からの家きんなどの輸入一時停止措置を実施した。その後、加熱処理された鶏肉調製品については、主要国に輸入再開を認められたものの、非加熱鶏肉の輸入停止措置は継続して行われている。そのため、同国の輸出は非加熱鶏肉から加熱処理された鶏肉調製品へとシフトしており、冷凍鶏肉の輸出量は2003年では37万1千トンであったが2006年には8千トンとなっている。鶏肉調製品の輸出量については、2003年の12万8千トンから2006年には25万3千トンへ増加している。


図6 ブロイラー肉の生産量の推移
表10 ブロイラー肉の需給


(3)鶏卵の需給動向

 東南アジア各国には鶏卵を粉卵や液卵に加工する施設がほとんどないため、市場動向に応じて価格が乱高下しやすい傾向がある。また、価格の変動に伴って生産量を調整する需給安定システムがうまく機能していないため、頻繁に供給過剰の問題を抱えることとなる。2006年の1人1年当たりの鶏卵消費量は、インドネシアが5.1キログラム、フィリピンが3.5キログラム、タイが8.1キログラムとなっており、特にインドネシアの鶏卵消費量は前年比66%増加となっている。同国の鶏卵消費量が大幅に増加した理由として、AIなどの家畜の疾病などの影響により、消費者が鶏卵をタンパク源として選ぶ傾向にあることが指摘されている。また、2005年のマレーシア1人1年当たりの鶏卵消費量は同3%増の15.1キログラムとなった。

表11 鶏卵の需給

 東南アジアでは、タイとマレーシアを除き、鶏卵の輸出入の実績はほとんど無い。タイの鶏卵輸出量は、AIが発生した2004年は3千3百トンであったが、2005年には同101%増の6千6百万トンとなり、2006年は同65%増の1万1千トンと増加傾向で推移している。マレーシアの2005年鶏卵輸出量は、同67%増の7万4千トンとなった。同国でも2004年8月にAIが発生したため、主要輸出先であるシンガポールがマレーシア産の家きん製品などの輸入を停止した。このため、2004年の鶏卵輸出量は同14%減の4万4千トンとなった。その後、シンガポールは生産農場を限定した上で、同国からの輸入停止措置を一部解除している。





東南アジア地域での常在化が懸念されるAI

 東南アジアでは、2003年から2004年にかけて、インドネシア、カンボジア、タイ、ベトナム、マレーシアおよびラオスの各国で高病原性鳥インフルエンザ(AI)の発生が確認され、2005年にも、タイ、ベトナム、インドネシアでAIが発生した。その後、AIの発生については、継続して発生が確認されているインドネシアを除きいったんは沈静化したものの、2006年2月のマレーシアを皮切りに、7月にはタイとラオス、8月にはカンボジアとベトナムでそれぞれ発生が確認された。また、同年3月にはミャンマーでもAIの発生が初めて確認されたため、東南アジアにおけるAI未発生国はブルネイとシンガポールのみとなった。なお、フィリピンについては、2005年7月にアヒルで弱毒性のAIウイルスの検出が報告されているが、鶏での発生は確認されていない。各国政府の対応は、殺処分を中心とした対策を推進しているが、インドネシアについては殺処分とワクチン接種を併用する対策がとられている。同国では財源不足により、家きんを殺処分した際の補償金額が少ないため、ワクチン接種による疾病抑制が必要としている。また、同国が広大な領土を有することや、多民族国家で多数の言語が使用されている点も、AIの知識を普及する際の阻害要因であるとしている。


 2006年のAIの発生に対しては、2003年から2004年のAIの発生時と比較すると、各国政府や消費者などは総じて冷静な反応を示している。タイでは、AI発生時には鶏肉の国内消費量の低下などはみられるものの、輸出については鶏肉調製品へのシフトが進んでいるため影響はないとしている。また、加熱調理品は安全である旨が周知されているため、消費者も冷静な対応を示している。マレーシアから主に生体鶏を輸入しているシンガポールでは、2004年にマレーシアでAIが発生したときは、同国から家きんや家きん製品などの輸入を全面停止したが、その後はマレーシアからの輸入停止措置をAIの発生が確認された州に限定するなど、シンガポール国内における鶏肉需給に与える影響の緩和に努めている。


 AIの発生が確認されると、各国政府は対象地域における家きんの殺処分や消毒などの防疫措置を実施し、その後AIが未発生のまま所定の期間が経過すると、終息宣言を発出している。しかし、AI終息が宣言された後も再発は繰り返されており、東南アジア地域でのAIウイルスの常在化が懸念されている。また、AI発生時には家きんや家きん製品などの移動制限を実施しているものの、密貿易が絶えないなど実際には厳格な監視が困難な状況にあり、国境管理の難しさも指摘されている。



原油高などで酪農家戸数が15%減少(タイ)

 タイ農業協同組合省は2006年8月上旬、これまで、順調な需要の伸びとともに年々生乳生産が増加してきたが、原油価格の高騰に伴う生乳生産コストの上昇により、既に全酪農家の15%に相当する3千戸の酪農家が乳牛の飼養を中止したと発表した。原油価格の上昇は、特に飼料価格の上昇と輸送費の増加を招いており、現行の販売基準価格である1キログラム当たり12.5バーツでは生産コストを賄えない酪農家が経営をあきらめたとしている。当時は、畜産開発局は、酪農をやめた農家の乳牛はほかの酪農家へ売り渡されるのが一般的で、酪農家の減少そのものが乳牛の減少や生乳生産の減少に直接にはつながらないとしていた。


 酪農家の経営を改善するためには乳業会社の取引乳価を引き上げるのが即効性のある措置であるが、タイは豪州やNZとFTAを締結し、2025年には乳製品の関税を撤廃することとしており、安易な取引乳価の引き上げはかえってタイの酪農業の競争力を失わせることとなるため、採用しにくい状況となっている。


 乳業会社が酪農家から購入する生乳の価格は政府によって統制されており、1998年に決定されて現在に至っている。タクシン(当時の暫定)首相は2006年8月上旬に大学でのセミナーの席で統制価格に触れ、決定当初の生乳生産コストは1キログラム当たり9バーツであったが、同年1月時点では11.56バーツに上昇しているとし、農業省と大学に生乳の品質向上と生産コストの削減を研究させるともに乳製品工場建設計画の早期実現により生乳取引環境を改善したいとした。

 政府は6月20日、閣議において、余乳などの対策のために粉乳工場建設の決定を行った。建設を行うのはタイ酪農振興機関とされ、サラブリ県の同機関所有の土地に1日当たりの生乳処理能力が400トンの工場を建設、年間300日の稼働を目指していた。建設費用は乳製品の関税5年分11億バーツを振り向けるとし、2007年に着工し、竣工は2009年の予定としていたが、2008年9月現在、工場の建設は始まっていない。

 政府はこれにより、4月と10月に学乳の休みにより発生する余乳を加工し、粉乳などの乳製品に仕向け、部分的ではあるが輸入品の代替にしたいとしていた。また、粉乳工場を稼働させることにより、余乳発生の不安が取り除かれることから、酪農家の生産意欲が高まるとしていた。