昭和16年(1941)の4月に「国家総動員法に基づく生活必需物資統制」、同年8月に「いも類配給統制規則公布」、同年12月対米英戦が開始され、この食糧危機状態は終戦まで続いています。また、その後も同様な食糧危機状態は続き、昭和25年まで作付統制、収穫農作物の供出や配給などの食糧統制が続いています。
しかし、昭和23年頃からは、この国家統制的な政策の変更が求められていたようです。昭和25年1月に「甘藷処理対策(特に加工を中心として)1950 食糧庁食糧研究所(さつまいも文庫1−323)」、同年9月に「いも類統制撤廃対策技術資料(甘藷)1950 農林省農業改良局研究部(さつまいも文庫1−324)」が出されています。
前者では、表2の甘藷利用方策が示されています。でん粉、発酵原料に重点がおかれ、またでん粉の第一利用に甘味資源がおかれています。これに対して後者における「加工利用」の項(研究企画官・木原芳次郎)では、(1)切干いも、(2)藷粉、(3)でん粉、(4)〜(7)アルコール、焼酎、雑酒、合成酒の酒類、(8)〜(15)甘藷麺、サツマイモ原型焼、いも板などの食品類に分類され、またでん粉については(1)食料品加工用(食品、加工食品、菓子、添加物)、(2)医薬・化学薬品(オブラート、葡萄糖など)、(3)糊、(4)その他とされています。
前者は近未来に視点をおき、後者は現状是認型の対策になっていると思われます。
表2資料に作成担当者名は記されていませんが、担当室長として鈴木が携わったことは否めません。その緒言に甘藷の貯蔵期間の短さと黒班罹病いもを問題として特記しています。この内、貯蔵問題はただちに鈴木の主要研究テーマとされたようです。なぜ腐るかを解明し、貯蔵期間を長くするにはどうすればよいかの化学的な解明は、食糧としてのいもを考える場合に避けて通れなかった課題だったのでしょう。