「でん粉」表記と宇田川榕菴
最終更新日:2011年5月6日
「でん粉」表記と宇田川榕菴
2011年5月
社団法人 菓子・食品新素材技術センター副理事長
静岡大学客員教授 中久喜 輝夫
最近、「でん粉」という文字を目にするたびに考えてしまうことがある。「澱粉」の漢字表記の件である。現在、「澱粉」は「澱」の漢字が常用漢字となっていないため、「澱粉」が公用語として使用されておらず、日本応用糖質科学会などの学界を除いて、一般に「でん粉」、「デンプン」、または「デン粉」などの表記が用いられている。
「澱粉」という言葉は、江戸時代の蘭学者、宇田川榕菴が著書「舎密開宗」に記載したのが最初といわれている。榕菴は1798年(寛政10年)3月9日、大垣藩医の江沢養樹の長男として江戸で生まれた。英才を望まれて14歳の時に津山藩医、宇田川榛斎の養子になり、植物学を学び「西洋菩多尼訶経」(1822年)や「植学啓原」(1833年)を著し、日本に初めて西洋植物学を紹介した。
その後、榕菴は薬物学や植物学の次に化学に情熱を傾注し、1837年、40歳の時に「舎密開宗」初編を上梓した。舎密とはオランダ語の化学を意味する「chemie」の音訳で、「舎密開宗」とは化学入門という意味である。その中で、オランダ語の「zetmeel」あるいは「zetpoeder」を訳して「澱粉」という日本語の訳語を考案した。「zet」は置く、澱(よど)む、沈むという意味であり、「meel」や「poeder」は粉という意味で、英語の「meal」、ラテン語の「mylum」と同類語でmillに由来する言葉である。従って、「zetmeel」や「zetpoeder」は水を加えても不溶で沈む粉という意味になる。榕菴が残した草稿を見ると、最初それを「セットメール沈粉」と訳しており、後に、「沈粉」を「澱粉」と改めている。1846年(弘化3年)、榕菴は予定していた「舎密開宗」の完結版の刊行を果たせないまま49歳の若さで逝去した。
その後、日本国内では、「澱粉」という名称以外に、「漿粉」(ショウフ)や「粉質」という言葉が併用されたりしていたが、明治時代の半ばになって初めて「澱粉」が一般的に使用されるようになった。すなわち、榕菴によって「澱粉」という名称が考案された後も、原料によって種々の名前が使用されていたが、長い時間を経てやっと「澱粉」という名称が文字通り定着する事になったわけである。
現在、「澱」が常用漢字にないため、「澱粉」が一般的に使用されないばかりか、本来の「沈澱」が「沈殿」と辞書にまで掲載されている憂うべき現状にある。従って、一日も早く、「澱」が常用漢字として登録され、「澱粉」が公用語として広く使用される事を切に願うものである。そのことによって、「舎密開宗」の完結版を見ないまま亡くなった宇田川榕菴の労も報われ、霊も慰められることになるだろう。
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