サツマイモが原料の対馬の郷土料理
最終更新日:2012年2月10日
サツマイモが原料の対馬の郷土料理
2012年2月
対馬観光物産協会 長 美咲
【要約】
対馬は古くからサツマイモを「
孝行芋」と呼び、大切にしてきました。
サツマイモは、対馬のやせた土地にも適応出来る優れた植物で、対馬の飢饉を何度も救ってきましたが、傷みやすく保存が難しいという問題がありました。その後これを解決するため、「セン」と呼ばれるサツマイモのでん粉を取り出す方法が考案され、長期保存が可能になりました。
その「セン」を使用したさまざまな郷土料理は、今も対馬の住人に愛されています。
◇サツマイモの歴史◇
1605年、野國總管によって中国福建省から琉球にサツマイモが持ち込まれたとされています。やがて、薩摩(鹿児島)・長崎・関東などで広く栽培されるようになります。
上県町久原の農家の次男である原田三郎右衛門は、少年時代に厳原で陶山訥庵(1657〜1732年)という、農政で活躍した儒学者の教えを聞き感銘を受け、苦労して海を渡り薩摩に侵入し、藩外持ち出し禁止の種芋を対馬に持ち帰ったと伝えられています。
サツマイモは、山がちで耕地の少ない対馬の食糧事情を大きく改善させ、何度も飢饉を救いました。三郎右衛門は「甘藷翁」と呼ばれ、その業績を称えた記念碑も建てられています。
対馬ではサツマイモのことを「孝行芋」と言いますが、「農民に孝行する芋」という意味で訥庵が名付け、住民に広めたという説もあります。さらにサツマイモは朝鮮に渡り、コグマ(孝行芋の発音がなまったもの)と呼ばれるようになります。現在も対馬ではサツマイモを「孝行芋」と呼び、大切にしています。
◇「センダンゴ」が出来るまで◇
サツマイモは、対馬のやせ地にも適応出来る優れた植物でしたが、傷みやすく、少しの傷でもすぐに腐ってしまい、保存の難しさが問題でした。
そこで、「セン」という、サツマイモのでん粉を取り出す方法が考案されました。その工程には数カ月という時間と、手間がかかります。
このような複雑な工程を経て「セン」は取り出されます。良くこねて、「鼻高団子」と呼ばれる形に丸め、天日乾燥させたものを「センダンゴ」といい、対馬独自の保存食となっています。「千の手間がかかるので『セン』と呼ばれる」と言う説もあります。
◇「セン」を使った料理◇
「センダンゴ」を、から臼で粉にし、熱湯で耳たぶぐらいの固さに良くこね、団子にしたものを一度ゆでます。それをさらにこね、沸騰している鍋の上に置いた「ろくべえせぎ」と呼ばれる穴の空いた鉄板から押し出すと、ゆであがって黒い麺になります。これを、メジナや地鶏で取っただしで食べるのが「ろくべえ」です。
また、「セン」をから臼で粉にし、ソバ打ちの要領で麺にしたものを「せんそば」といいます。その「せんそば」を島外の方にも親しみ安くしようと、商品化したものが「孝行麺」です。
〜孝行麺調理法〜
「孝行麺」を凍ったまま袋から出し、沸騰したお湯でゆでます。麺がほぐれたらざるにあげ、水気を切ってだしを入れて暖かい麺としても、冷麺としてもおいしく召し上がることができます。
「ろくべえ」や「せんそば」は、対馬ならではの「黒い麺」で、弾力のあるプリッとした独特の食感で、他の麺とは違い一度食べるとまた食べたくなります。
また、「セン」は麺料理だけではなく、菓子としても使用されます。「セン」を粉にして、熱湯で耳たぶほどの固さにこね、中に餡を入れ、サルトリイバラの葉で包み蒸した物を「せんちまき」といいます。対馬で「ちまき」と言えば「せんちまき」で、祝い事などの時に作ります。他にも「セン」を白玉団子の要領で丸めてゆで、ぜんざいに入れたり、黒蜜をかけて食べることもあります。
このように、対馬の食文化に欠かすことの出来ない「セン」は、さまざまな調理法で対馬の住人に愛されてきました。昔から「セン」作りは、母から娘へ、姑から嫁へと、代々受け継がれて来ました。しかし、現在では作り手が減少しています。この、貴重な対馬の財産とも言える「セン」を、絶えることなく若い世代へ伝え、受け継いでゆくことが、今後の対馬の課題となっています。
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