一般向け科学誌としては世界で最も影響力の大きいものの一つと思われる「Scientific American」の最新号2010年5月にキャッサバの報文が出ていた。内容はキャッサバは8億人以上もの人々の食生活を支えている知られざる大作物であり、そのポテンシャルも最大級で、今後ますます社会の関心と研究の重要度が高まるべきものであるとする妥当なものであったが、驚いたのは記事のヘッドラインにもなっている“カロリー生産高で世界第3位の作物”という記述であった。
キャッサバの育種でキャリアを築いた私には本当であってほしい記述であるが、どのような統計を参照しても世界第3位という数字にはならず、コムギ、トウモロコシ、イネ、サトウキビ、それに最近生産量の伸びが著しいダイズに次ぐ、世界第6位の作物というのが順当のようであるが、知られざる大作物という記述に偽りはない。
キャッサバの農学的特性は痩せ地と乾燥に強い事と低温と湿潤過多に弱い事であるが、これがこの作物の栽培がほぼ熱帯と亜熱帯に限られ、熱帯でも商品価値の高い作物が栽培される土壌肥沃な恵まれた地域ではなく痩せ地で潅漑もない貧困地帯に栽培の主力がある事の理由である。温帯圏先進国に栽培が無い事と、熱帯諸国においてもキャッサバは小農・貧農が栽培し貧困層が利用する作物として扱われ、半世紀前までは世の注目を集める事は殆んどなかった。
50年前に始まるコムギとイネのいわゆる“緑の革命”に触発されて熱帯農業研究の社会的重要性が認識されはじめると共に、40年前には世界を対象とするキャッサバ研究プログラムがコロンビアの国際熱帯農業研究センター(CIAT)に、アフリカを対象とするプログラムがナイジェリアの国際熱帯農業研究所(IITA)に設立された。
これらの研究機関で研究が進むと共に、20世紀を代表するアメリカの農学者Jack Harlan(故人)の名著「Crops and Man」の1992年の大改訂ではキャッサバの記述が大幅に増加したり、CIATキャッサバプログラム設立の盟友James Cockが「Science」誌をはじめ有力学術メディアにキャッサバのポテンシャルに関する多数の論説を発表したり、小なりといえども私も「Crop Science」誌等を中心に多数の論文を発表して、この作物の重要度と可能性は徐々に認識されるに至っていると思いたい。
FAOの作物生産統計に懐疑的な人もいるかもしれないが、世界レベルの統計を扱う唯一の公的機関であり、単一国、単年度の数字はともかく、数十年単位、作物毎、大陸間の統計は世界の大きな動きを反映するかなり信用できるデータであるとは我々の経験則である。
それによると、1978年から2008年までの30年間でキャッサバの世界総生産量は1.23億トンから2.33億トンへ90%近く増加しており、これはダイズ(206%)、サトウキビ(125%)、トウモロコシ(109%)に次ぐ第4位で、コメ(78%)やコムギ(55%)を凌いでいる。これらの作物はこの30年間、社会経済と研究開発の注目を大きく集めたものである事を考えると、このキャッサバの躍進はこの作物本来の実力とポテンシャルによるものと考えて誤りはない。
この比較をイモ類の中で三大作物とされるジャガイモ、サツマイモ、キャッサバに進めると更に驚くべき事実が見えてくる。世界の総収穫面積はこの30年間でジャガイモは微減(−5.2%)、サツマイモは大幅減(−36.1%)であるのに反してキャッサバは大幅増(+36.7%、2008年度1,864万ha)、生産量はジャガイモで微増(+7.9%)、サツマイモは大幅減(−24.8%)であるのに反してキャッサバは大幅増(+88.9%)であり、単位面積当たり収量ではジャガイモで微増(+13.8%)、サツマイモも微増(+11.3%)であるのに比べてキャッサバは大幅増(+38.9%、同12.5トン/ha)である。
まさにキャッサバの一人勝ちの様相で、先の「Scientific American」の記述も、著者たちのラテン的・アラブ的乗りと誇張の産物であると一笑に付すべきでないかもしれない。私自身もキャッサバの論文を書くに当たり(始めの頃にはキャッサバなんかやっていて「Crop Science」に論文が書けるのかと実際に言った者がいた)、自分の仕事の正当化とこの作物の過小評価を覆したいとの気負いが常にあったが、もはや事態はそういう次元ではなく、この作物の真価を理解しないのは国家的損失であるとするべきであろう。
キャッサバの大陸間比較では、この30年間アフリカの重要度が高まり、現在では総生産量の51%をアフリカが占め、アジアは34%、原産地のアメリカは15%となっている。一般の感覚とは異なって、これはむしろ作物の栽培生産は原産地大陸よりも移出先の大陸で盛んになる原理的傾向に忠実である。
生産量はアフリカで148%の超大幅増、アジアで79%の大幅増、アメリカでは13%の微増であった。栽培面積はアフリカで69%、アジアで11%の増加を見たが、アメリカでは逆に3%の減少となっている。収量はアフリカで46%の増加を見たが、これは元々の収量が低い(1978年度6.7トン/ha)ので実際は同3.1トン/haの増加で、このうちどれだけが技術の改良によるものかは論議の余地がある。アジアの収量は69%の大幅な増加を記録しているが、こちらは1978年度の収量が同11.7トン/haと元々かなり高く、この間に主力品種が多収性品種に置き換わった事を考えると、この収量増の大きな部分が新品種導入を柱とした技術の革新にあったと考えられる。アメリカでの収量増は12%の小幅に止まっている。
従ってアフリカの収穫量増加の一番の原因は栽培面積の増加であり、アジアのそれは単位面積当たりの収量の増加が一番の要因であった。アフリカのキャッサバはほぼ全量が人間の食料であり、これは増加するアフリカの人口を支えているのはトウモロコシと共にキャッサバである事を物語っている。
アジアでも半世紀前まではキャッサバはサツマイモ同様人々の主食・副食として小規模栽培・小規模消費のマイナーな作物であったが、1960年代のタイに始まりその後インドネシア、ベトナム、中国等に拡大していった家畜の飼料および工場加工でん粉の原材料としての用途が加速し、栽培の主力はあくまでも小農であるが、彼等の貴重な現金収入の手段としての地位を獲得して新品種、新技術への需要が高まった事がアジアでのキャッサバの躍進の背景にある。