東アジアの唐芋事情
最終更新日:2011年7月8日
東アジアの唐芋事情
2011年7月
NPO法人「唐芋ワールドセンター」 理事長 郷原 茂樹
世界の唐芋はほぼ90%をアジアで生産している。そのトップは中国であり、単位面積あたりの収量は日本には及ばないが、最近、品種改良などが進み、急速にレベルアップしている。韓国は最近、唐芋が健康食品としてブームを呼んでおり、唐芋農家は同面積の売上高が米の3倍という恩恵を受けている。両国のこれからのテーマは、唐芋で加工業を起こそうということである。
唐芋の新しい時代は始まっている
中国
中国での唐芋の基礎的研究の中心は、中国農業大学で、そのリーダーは農業生物技術学院の劉慶昌教授である。
私は劉教授の案内で北京やその周辺各地の農業科学院や大学などを視察した。北京の研究所ではさまざまな品種を収集した見本農場で近隣農家に希望の品種を配布している集会をみた。その研究所では品種改良も進んでおり、日本の唐芋を種とする新しい品種も生まれていた。
徐州の研究センターでも、品種の収集や保存、新品種の開発、さらに栽培や貯蔵などの研究も進んでおり、日本では考えられない壮大な規模の農地で、特別な唐芋農家を育成する事業も手掛けていた。
北京の胃袋をまかなう青果市場は実に広大で、建物のない広場におおまかな作物ごとの区分がなされていて、唐芋の場所を探しまわるのに30分もかかった。唐芋の場所も広い範囲を占めており、農家が大型トラックで唐芋を持ち込んで販売していた。テントを張った大型トラックの荷台には、裸のまま唐芋が積み込まれており、荷崩れしないようにとぎっしり積めこまれている様子は、まるで芸術のように壮観だった。「どこから積んできたのか」と問いかけても、誰もそれについては答えなかった。彼等はトラックの下や荷台に寝泊まりして販売していた。
日本の品種も多く、「山川紫」「川山紫」という名称で立て看板をかけていた。
中国では食料としての唐芋消費量のピークは1960年代で終わり、その後は急速に減少の一途をたどってきた。最近になり政府が唐芋を農業再生の重点作物のひとつとしての政策を打ち出しているが、食料として消費量が拡大できる可能性は低いため、これを加工する方向をめざしている。
唐芋の加工業が起きることで、新しい職場が創出され、農村の活性化が促進される。
韓国
韓国における唐芋の生産地は全羅北道の益山市、全羅南道の海南郡および務安郡などである。私はこれらの一帯を3年前から毎年訪問しており、道農業技術院や市、郡の農業技術センターなどを視察した。これらの施設では新品種の開発、栽培研究、そして用途創出なども行われており、行政の力の入れ方がよく分かった。
また農家や生産組合、農協なども訪ねて、活況に沸いていることを知った。最近、健康食品として唐芋ブームが起きており、テレビ各社も特集番組を制作して、それを煽っている。
海南の唐芋企業が益山市の軍施設跡を利用して作った集荷・選別場は実に大規模で圧倒された。また、務安の唐芋クラスター事業団が建設した貯蔵庫や選別場も驚くほどに大規模で、しかも最新鋭の施設である。これらは国庫補助によって建設されたという。日本の農政のあり方を考えさせられた。
ライン化された選別場で箱詰め作業を見るとほとんど日本ではクズ芋として破棄されるものでも、何ら問題視されず、商品として送り出されていた。
私と同行した日本の農家は「こんな芋が売れるのなら、自分たちはいくつも倉を建てられる」と驚いていた。日本の消費文化が極端だということかも知れない。
ただし、韓国でも唐芋のブランド作りは進んでおり、務安は全国に知られる有機農法の先進地であるため、唐芋を有機栽培して、市場価格を高めている。その分、農家は潤っている。
務安などの赤土地帯の主たる品種は「紅おとめ」であるが、これは日本で開発された品種で、特に鹿児島では重点品種として大々的に奨励されたものの、黒い斑点ができるため、商品価値がなく、今では全く作られていない。それが韓国の土に適していたらしく、いまは農家の一番の収入源となっている。
韓国の場合も、唐芋を食料として消費したピークは1960年代で終わり、その後激減してきており、今日の生産農家の活況は限られた範囲のことである。これから生産拡大をめざすとしたら、唐芋を加工して販路をひろげる必要がある。それ故に、韓国でも加工業の創出がこれからの大きいテーマとなっている。
唐芋は東アジアをつなぐ
私の経営する会社には、地元の小中学生や全国の加工業者、あるいは中国・韓国などの唐芋関係者など、毎年1500人ほどの視察者が訪れる。
視察の目的を問うと、こういうことである。『この会社は直営農場で150品種の唐芋を栽培しており、これをケーキなどに加工して、都会のデパート、空港、JR駅などで販売し、富を地元に環流している。つまり一次産業・二次産業・三次産業が合体して、地元に職場をつくり出している仕組みを知りたいのだ』と。
このような海外の要請を受けて、私はNPO法人「唐芋ワールドセンター」を設立し、昨年2月、韓国および中国の唐芋関係者を招き、ワークショップを開いた。まず私の会社でケーキ作り講習会、唐芋の品種や栽培法の紹介、また地元の焼酎工場の見学、唐芋関連農機具の見学と活用体験などのほか、市民との交流パーティーも開いた。
このワークショップに参加した3カ国のメンバーで「東アジア唐芋友好協会」が結成され、昨年5月、中国農業大学の劉教授の呼びかけで、第2回唐芋交流ワークショップが北京で開かれ、私たち日本からも、そして韓国からも参加して国際唐芋博覧会や国際唐芋シンポジウムなどに参加した。その後、山東省に移動し、唐芋農家や加工企業などを視察し、参加者同志でも意見交換会を積み重ねた。
昨年8月、韓国の務安で第3回唐芋交流ワークショップが開かれた。これは務安の唐芋産業クラスターの主催によるものだったが、道や郡の行政も強力にバックアップし、務安農業研究センターの大講堂で開かれた式典には知事や郡守も参加した。そして唐芋産業振興パネル討論会では3カ国の研究者や農家、企業などの代表がそれぞれの立場の成果をふまえた熱い討論をくり広げた。この場で日本の農家から唐芋の貯蔵法を学んだ務安の農家は、その冬に唐芋を長期出荷できたと後日に語っていた。
韓国の務安の農家の人たちはとても歌が好きで、日本でも中国でも折にふれて歌をうたった。務安で開かれたワークショップの最終日は地元の農家で野外料理やコンサートを楽しみ、3カ国の歌を披露しあい、ラストは全員が肩を組んで「アリラン」の大合唱となった。 言葉は通じない仲でありながら、国境を超え、歴史をこえて、3カ国の人たちがひとつになれるということは「唐芋」のもつ力という他はない。
韓国は全羅北道の益山市に国家プロジェクトとして総合的な食品工場団地を形成し、世界から150社を誘致する方針だという。そこで第1号の候補として、我が社に5月12日、国家食品クラスター支援センターの朴鍾國理事長と益山市の李漢洙市長などが来社し、誘致覚書を締結した。
地元のマスコミ各社が取材に来ており、李市長はそのインタビューにこう答えた。「益山市は韓国最大の唐芋産地であるが、加工業が育っていない。農業の質を変え、地元に職場を作り、地元を活性化することは、このグローバル経済のなかでは何よりも重要だ」。
このページに掲載されている情報の発信元
農畜産業振興機構 調査情報部 (担当:企画情報グループ)
Tel:03-3583-8713