ホーム > でん粉 > 話題 > ばれいしょの見本畑「ようていポテトサミット35」について
最終更新日:2017年3月15日
でん粉情報 |
[2008年8月]
【話題】ようてい農業協同組合 営農販売事業本部
営農推進課 課長 辻 学
はじめに
ようてい農業協同組合は、北海道後志管内ようてい山麓より南西部に位置し、2村7町(寿都(すっつ)町・黒松内(くろまつない)町・蘭越(らんこし)町・ニセコ町・真狩(まっかり)村・留寿都(るすつ)村・喜茂別(きもべつ)町・京極(きょうごく)町・倶知安(くっちゃん)町)からなり、平成9年3月に8つのJAの合併農協として誕生いたしました。
当JAの農業生産の中でばれいしょは、昭和49年度に「羊蹄山麓」地域として野菜指定産地の指定を受け、以来精力的に生産振興を図った結果、今日、北海道の食用ばれいしょの主産地として高い評価を受けるに至りました。販売事業約200億円のうち、3分の1を占めるばれいしょは、作付面積3千5百ヘクタール、集荷量約8万トンの規模を誇り、当JAの大黒柱的存在です。
写真1 羊蹄山とばれいしょ畑 |
図1 ようてい農業協同組合の管内地図 |
活動の目的
組合長から新年の挨拶で、本年は国連で決定している「2008年国際ポテト年(International Year of the Potato 2008)」(日本での呼称「2008年国際イモ年」)であり、これを機にばれいしょ主産地として何か出来ないかとの話がありました。
また、7月には「G8北海道洞爺湖サミット」の開催が決定し、当管内留寿都村には国際メディアセンターが設置され、国内外から多くのプレス関係者や観光客が訪れることとが見込まれたため、36品種(生食用、加工用、でん粉用)のばれいしょを7月上旬に開花するよう栽培し、プレス関係者や観光客に羊蹄山を背景とした色とりどりのばれいしょの花を楽しんでいただき、産地としてのイメージを向上し、ばれいしょへの関心と農業へ理解を目的としました。
事業の内容
1 ばれいしょ見本ほ場(畑)設置
2 「ようていポテトサミット35」を活用した各種活動の内容
1) | 見本ほ場の愛称募集(4月) 見本ほ場(畑)という言葉は身近でないのでHPなどを活用し、愛称を一般公募。 道内・道外から50件以上の応募。採用は、大阪府在住の主婦の「ようていポテトサミット35」に決定。 |
2) | 植え付け(5月13日)【小学校と連携】 後志農業改良普及センターの協力を得て、ばれいしょについて学ぶとともに、畑の一画に、留寿都小学校の3・4年生がばれいしょを植え付け。 |
3) | 一般開放(6月25日〜7月27日) ばれいしょの開花時期には、品種の紹介立て札(倶知安農業高校生作成)を設置して、色とりどりの花を楽しめるよう、一般に開放。 |
4) | 収穫(9月)【小学校・高校と連携】 植え付けを体験した小学生が、収穫を体験。収穫したばれいしょは、給食で食するとともに、農家のお母さんを先生とした調理実習で利用する予定。 また、留寿都高校の生徒も、地域イベントでばれいしょのPRを実施予定。 |
5) | 収穫したばれいしょを利用したPR(10月以降)【近隣ホテルなどと連携】 ばれいしょをPRするため、ようてい産の主要品種に適した料理のレシピを紹介するとともに、収穫したばれいしょを近隣のホテルなどに展示する予定。 |
6) | ホームページ(HP)による活動の紹介 JAようていHPや、食関係の情報を集めたHP(食のパレット北海道など)、北海道後志支庁HPで取組を発信。 |
写真2 見本畑の整備 |
写真3 ばれいしょを植え付ける小学生 |
一般開放時の行事
①オープニングセレモニー(6月25日)
道産の間伐材を利用した看板の除幕などを行うとともに、倶知安農業高校の生徒が「じゃがいもナビゲーター」として来賓を案内。
写真4 除幕式の様子 |
写真5 来賓を案内する高校生 |
②地元高校生による「北海道洞爺湖サミット&国際イモ年」応援DAY(7月12、13日)
品種の来歴や特性、調理特性などを学習している倶知安農業高校作物班の生徒が、「じゃがいもナビゲーター」として、来場者を案内したほか、同高校が商品開発したじゃがいものプリンを販売実習。(来場者数:延べ600名 用意したポテプリン280個完売)
写真6 ① 羊蹄山とばれいしょの花 |
② にぎわう人々 |
③ ほ場鑑賞 |
畑には36品種なのに、畑の愛称はなぜ「ようていポテトサミット35」か
当初35品種の植え付け設置予定が、名称の公募も終わり畑の設置直前に、北海道農業研究センターバレイショ栽培技術研究チーム長 森元幸氏より助言され、当地域におけるばれいしょの歴史を知る上で、「紅丸」は欠かせないとし、1品種を追加し36品種を設置しました。
でん粉用品種「紅丸」について〜留寿都村は「紅丸」発祥の地〜
昭和4年(1929)に北海道農試本場(札幌市琴似)において、「レムブケ・フルーエ・ローゼン(Lembke Frühe Rosen)」を母とし、「ペポー(Pepo)」を父として交配したものから選抜された品種でわが国初の交配育種品種です。「本育309号」の系統名で試験され昭和13年(1938)に、でん粉用として羊蹄山麓地帯の限定品種にすることとして、優良品種に決定し「紅丸」と命名されたという経緯があります。
留寿都村との関わりは、「馬鈴薯紅丸」(昭和47年刊)などの記録によれば、昭和7年(1932)年4月、増田勇次と大西麻太郎が北海道農試本場を訪れ、後日「紅丸」となる「本育309号」を6〜7個持ち帰り、留寿都村の増田の畑で試験栽培したのが始まりです。
この品種は、収量が多くでん粉価も高く、でん粉用の主力品種として全道各地に普及し、戦時中は、満州(現中国東北部)に輸出され、第二次世界大戦の肥料、農薬、労力のない最悪の条件に耐えられる品種として昭和16年(1941)には1万4千ヘクタール、昭和19年(1944)には3万6千ヘクタール、昭和24年(1949)には5万8千ヘクタールとかなりの勢いで作付が増加し、でん粉原料用品種の大部分は「紅丸」に置き替わり、食用にまで栽培されることになりました。また、北海道ばかりでなく、他府県の高冷地帯や水田の裏作にも適することが認められ、昭和24年(1949)には全国の栽培面積は9万4千ヘクタールとなり、全国の42.4%を占めていました。
当時、「紅丸」の作付が統計にあらわれなかったのは、香川県ただ1県で、戦中・戦後の食料不足の緩和に著しく貢献したことは有名です。昭和18年(1943)に誕生した「農林1号」とともに昭和60年(1985〜)年代はじめまでは、両品種がでん粉用品種の座を堅持しながら栽培されてましたが、その後は「コナフブキ」の作付の増加により作付面積は急速に減少し、現在では直売用に数ヘクタールの栽培になっています。
写真7 紅丸 |
写真8 コナフブキ |
おわりに
このイベントを企画するまでは、日頃から当JAの主力品種「男爵」「キタアカリ」「とうや」のみに係る技術対策や販売対応しか頭にはありませんでした。しかしこの話題を通じマスコミの方々をはじめ、一般の方々からも多くの注目をいただき多くの問い合わせが有るのには正直驚いています。見本畑の開放以降は、南は鹿児島から、四国、関東、関西方面などから全国のばれいしょファンに大勢訪れていただくことができました。
昨今、新興国の食料需要の増大、深刻化する世界の水問題、穀物からのバイオエネルギー生産、穀物価格の急騰などによりひっ迫する食料事情の中、「2008年国際イモ年」は非常に有意義な世界規模のイベントだと思います。
歴史上ではつい最近まで、食料不足のたびに救荒作物としてばれいしょが登場しています。産地の一担当として、ばれいしょの果たしてきた歴史的役割や、今後のばれいしょの発展可能性を考えてみる良い機会と考えます。
文献
「馬鈴薯紅丸」(1972)
後志生産農業協同組合連合会.「後志馬鈴薯小史」(1961)
関連Web
JRT 日本いも類研究会