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イスラーム史のなかの砂糖(2)

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最終更新日:2010年4月28日

イスラーム史のなかの砂糖(2)

2010年5月

早稲田大学文学学術院教授 イスラーム地域研究機構長 佐藤 次高

アラブ医学書にみえる砂糖

 イスラーム世界の砂糖は、権力者・富裕者の甘味料であったばかりでなく、貴重な薬や祭りの品としても用いられた。ここでは、アラビア語の薬事書や医学書をひもといて、粗糖(カンド)や白砂糖(スッカル)に、どのような医学的効用があるとみなされていたのかを紹介してみることにしたい。

 本論へ入る前に、まず砂糖が登場する以前の甘味料について述べておくことにしよう。西アジア世界では、砂糖以前の甘味料は、蜂蜜(アサル)とアラビア語でディブスと呼ばれる、熟した果物のジュースであった。蜂蜜は、1万7000−2万年も前から使われてきた古い甘味料のひとつで、西アジアではイスラーム時代になってからも、薬や甘味料として利用されてきた。集蜜用にはウマゴヤシやエンドウ豆の花が上等とされていたが、蜂蜜は砂糖にくらべて喉の渇きを促進する作用があるとみなされていた。
 いっぽうディブスの原料としては、ブドウ、イナゴ豆、アプリコット、ナツメヤシの実などの熟した果実が用いられてきた。砂糖が十分に出回るようになった現在でも、中東の市場を歩けば、ブドウやナツメヤシの実を搾った濃縮ジュースの瓶がずらりと並んでいるのを目にすることができる(写真1)。おそらく果物の種類に応じて、独特な風味のある甘味料である点が評価されているのであろう。
写真1 クウェートの市場に並ぶナツメヤシのディブス
 さてイスラーム世界では、古代ギリシアの文化を継承して、薬事学・医学がおおいに発達し、その研究の成果は、中国伝来の製紙法を応用してつくった紙(原料は亜麻)に記されて広く普及した。ここでは数多くのアラブ医学書のなかから薬事学と医学の書物を1冊ずつ選んで、砂糖(スッカル)の項目を読んでみることにしよう。ともに12−13世紀のアラブ薬学・医学界を代表する重要な著作である。  スペインのアンダルシア生まれのイブン・アルバイタール(1248年没)は、アラブ世界では薬事学の第一人者に数えられてきた。マラガに生まれ、セヴィリャで植物学や薬事学を修めた後、アイユーブ朝治下のカイロに移り、スルタン・カーミル(在位1240−49年)から「薬事学者の筆頭」に任じられた。 主著は『薬種・薬膳集成』で、ここには約1400種の薬草・生物・鉱物がアラビア語のアルファベット順に配列されている。彼が典拠としたディオスコリデス(1世紀)の『薬物誌』(マテリア・メディカ)は1000種の薬草を記しているので、イブン・アルバイタールは新たに約400種を加えたことになる。  イブン・アルバイタールは、『薬種・薬膳集成』(カイロ、1874年刊)のなかで「スッカル」の項目をたて、先学者の説を引用しながら、砂糖の薬効をかなりくわしく論じている。以下に、その要点をまとめてみることにしよう。
 
  ディオスコリデスはいう。砂糖の形状は塩に似ていて、歯で噛めば崩れる。また水に溶いて飲めば、体がすっきりする。胃にも良く、膀胱や腎臓の痛みを和らげ、これを目に塗れば、かすみ目が治る。
 
  ガレノス(129頃−210年頃)によれば、砂糖はかすみ目を治し、患部を乾かし、痛みを取るほどの効能がある。しかも蜂蜜より胃に負担はかからず、また蜂蜜ほど喉の渇きをもたらすこともない。
 
  イーサー・アルバスリー(10世紀)の話。砂糖は熱にして湿であり、古いものは熱で、しかも乾である(注)。内臓や胃にしばしば発生するガスにも効き目があり、自然な状態を保たせる。もしアーモンドの粉と一緒に飲めば、疝痛(腹部臓器の疼痛、うずくような痛み)をおさえる。
 
 (注)アラビア医学はギリシア医学を受け継ぎ、人間の体は血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の4要素からなり、このバランスがとれているときは健康であると考える。そしてこのバランスが崩れたときには、熱、寒、乾、湿の性質をもつ薬種・薬草を投与することによって、バランスの回復をはかったのである。詳しくは、佐藤次高『砂糖のイスラーム生活史』(岩波書店、2008年)135−136頁を参照。
 ラーズィー(854頃−925/935年)によれば、砂糖は調和のとれた熱の食べ物であり、洗浄力があり、胸や肺の痛みに効く。ただ結核患者は砂糖をとらないようにするすることが肝要である。バラ水(水蒸気蒸留の技術を用いてバラの芳香を抽出した水)に砂糖をいれて煮れば、腹部にもっとも寒で、もっとも軽い飲み物となる。またスミレの葉水に砂糖を加えて煮れば、胃にもっとも柔らかく、もっとも優しい飲み物となる。
  シャリーフ・アルイドリースィー(注)(1100−65年)は述べる。砂糖にバターを混ぜて飲めば、尿閉(膀胱内にたまった尿をうまく排出できない状態)に効き目がある。これがもっともすぐれた薬であることは、経験によって確かめられている。また湯に溶いて飲めば、声のかすれに効き、これを続けて飲めば、咳や呼吸困難を治めることができる。
 
(注)ノルマン・シチリア王国のルッジェーロ2世に仕えたアラブ人地理学者であるが、医学にも造詣が深いことで知られた。シャリーフの呼称は、預言者ムハンマドの子孫であることを示す。
  
 以上を要約すれば、長い経験によって、砂糖は胃病や眼病に効果を発揮し、利尿剤や鎮痛剤ともなることが分かっていた。また膀胱・腎臓・肝臓などにやさしく、咳や呼吸困難を治めると同時に、胸の痛みを和らげる効能があるものとみなされていたのである。  
 続いて取り上げるのは、マムルーク朝の第5代スルタン・バイバルス(在位1260−77年)の侍医をつとめたイブン・アンナフィース(1288年没)である。シリアのダマスクスに生まれ、そこで医学・文法学・論理学・法学などを学んだ後、マムルーク朝の首都カイロへ移住し、スルタン・バイバルスの侍医に抜擢された。臨床医学にすぐれ、当時から「第二のイブン・スィーナー(注)」との呼び声が高かった。主著は80巻に及ぶ膨大な『医学百科全書』(アブダビ、発行年不明)であり、イブン・アンナフィースは、この書の第15巻第9講「砂糖の諸規則」で砂糖の種類や性質、あるいはその薬効などをさまざまに論じている。薬効についての主な論点は以下の通りである。
 
(注)ブハラ生まれの医学者で、ラテン名はアヴィケンナ。980−1037年。アラビア語の主著『医学典範』のラテン語訳は、17世紀までヨーロッパの医学校で教科書として用いられた。
頭の諸器官への砂糖の効用
 
  脳に達した砂糖は、脳の調和を保って穏やかに作用し、これを繰り返しとっても脳に弊害は生じない。砂糖は浄化や乾燥の作用があるので、目に対しても有用な薬となる。つまり砂糖からは、まぶたに生じた炎症を治すための薬がつくられる。またクフル(注)に砂糖を混ぜれば、効き目が増し、目の傷を治す。
 
 (注)アイメイク用の黒色の化粧料。主成分はアンチモン(銀白色の固体金属)。
 
胸部諸器官への砂糖の効用
 
  砂糖は柔らかく、浄化作用があるので、胸部とその諸器官に非常によく効く。喉の荒れにもよく効くので、湯にといて続けて飲むといい。また砂糖は喀血や呼吸困難、喘息、息苦しさに効果がある。さらに肋膜炎や肺炎に効き、胸から膿を取り出し、胸や肺の炎症を取り除く。
 
 内蔵への砂糖の効用
 
  砂糖は胃にやさしく、その粘液を取り除いてきれいにする。また砂糖は肝臓の入り口を開き、きれいにするが、それを熱くもする。砂糖の摂取による喉の渇きは蜂蜜より少なく、粘液質の渇きを散じる。ただ、古い砂糖は胃を浄化し、粘液を取り除くが、不純な血液も生じさせる。
 
 利尿剤としての砂糖
 
  砂糖には利尿の効果があり、バターと一緒に飲めば、尿閉の改善に著しい効き目を発揮する。赤砂糖(粗糖)は、飲むにせよ、浣腸するにせよ、胃にもっとも優しく、効き目がある。これは浄化作用が強いためである。砂糖きびを食べ過ぎると、水性が多いために、胃を膨らませる。しかし砂糖そのものは、鼓腸(腸内にガスがたまって、膨れあがった状態)をおさえ、ガスを取り除く。
 
  以上をさらにまとめてみれば、つぎのようになる。(1)頭の諸器官については、砂糖が脳に吸収されれば、脳の状態は良好となる。また砂糖は目を浄化すると同時に、まぶたの炎症や目の傷を治癒する。(2)胸の諸器官については、砂糖を湯に溶いて飲めば、喉の荒れに効き、咳をおさえる。また砂糖は、喀血・呼吸困難・喘息・肋膜炎・肺炎にも効果を発揮する。(3)砂糖は胃の不快感や粘液を取り除き、肝臓をきれいにするが、古い砂糖は、不純な血液を生む副作用もある。(4)砂糖は尿閉の改善に著しい効果がある。 現代では、砂糖は成人病の根源であるかのように説かれる場合もあるが、前近代のイスラーム世界では、以上の紹介からも明らかなように、砂糖はさまざまな効能をもつ優れた薬とみなされていた。ペストが流行したときには、砂糖を販売する街の生薬商(アッタール)(写真2)は大儲けすることができたが、これは胸や関節の痛みを取り除いてくれる「薬としての砂糖」への信頼が民間でもきわめて高かったからであろう。
写真2 関する色の生薬商
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