非常食としての氷砂糖
最終更新日:2011年7月8日
非常食としての氷砂糖
2011年7月
3月11日午後2時46分、東京の取引先の方と電話中に起こった地震は名古屋では30秒位遅れて揺れはじめた。今まで経験したことが無いようなゆっくりとした揺れが続くので、テレビを入れたら緊急地震速報において東北が震源でM8超と流れていた。各地の津波予報も最大波高が6mから10m超となり、岸壁を越えた海水で自動車だけでなく家屋までもが流される映像を呆然と見ていた。
災害時の非常用持出袋の中味の定番にカンパンと氷砂糖がある。何時必要かわからないので、食品類は長期保存が可能で、簡単に食べられることが大切だ。そして、消化吸収が早いことも重要である。
当社の主力製品である氷砂糖は保存性に優れ、炭水化物100%なのでカロリーの吸収が早い上に、後味がよく唾液が出るなどの条件を満たしており非常食としてだけでなく、年配の人の喉の渇きを潤すのにも利用されている。
そのようなことから、昨年(2010年)6月に災害救援復興支援の協賛に関する協定を特定非営利活動法人レスキューストックヤードと締結した。災害時に救援物資として氷砂糖を提供すると共に、NPOのマーク入り商品の売上げの一部を活動資金として拠出することになっている。協定締結時にいただいた名古屋大学医学部教授の推薦状には、氷砂糖の被災者および災害ボランティアへの効能について、医学的にも優れているとして以下のように書かれている。
1.疲労回復
氷砂糖は消化管からの吸収が良好で、素早く脳を始めとする主要な臓器のエネルギーに変換されるため、長期避難生活や復旧作業時の疲労回復に効果的です。
2.口や喉の渇きを潤す
氷砂糖は後味が良く口の中で長持ちするため、唾液の分泌が促進されやすく、高齢者などの口や喉の渇きを潤すのに効果的です。
3.精神安定
糖分には、脳を活動させる神経伝達物質で気持ちを鎮める作用のあるセロトニンの産生を促す作用があるので、災害時のパニックや疲労などからくる精神不安やイライラを緩和させるのに効果的です。
初めて我が国へもたらされた氷砂糖は、8世紀に遣唐使によって持ち帰られた「石蜜」であったようで、正倉院の種々薬帳にも「蔗糖」の文字が記されている。
その後、江戸時代までは大変な貴重品で、庶民の口に簡単に入ることはなかった。江戸時代中頃に寺島良安により編集された「和漢三才図会」という百科事典にも「石蜜ハ即チ白砂糖ナリ」「氷(こおりさとう)ハ堅ク白ク氷ノ如シ」と記述されている。
このことは室町時代の一休さんのトンチ話の中に、お寺の和尚さんがツボの中の砂糖を毒なので触れないようにと申しつけることや、狂言の「附子(ぶす)」(=トリカブトの毒)、そして最近のNHKテレビの土曜時代劇で、大奥の女中が一粒の氷砂糖のために命を絶つ場面が出てくることなどからもその貴重さがわかる。
現在のような氷砂糖の製造が始まったのは明治18年からで、大きな需要先が軍隊の携行食品であった。軽くて保存性に優れ100%カロリー源になるし、当時の食料状況からも貴重品だったことが容易に推測出来る。
災害時においての氷砂糖は、自身の経験から以下の三つのケースが思い出される。最初のケースは昭和34年の伊勢湾台風の時で、当時学生だったこともありボランティアとして救援物資を届ける手伝いをした。名古屋西部の海抜ゼロメートル地域では1カ月も浸水したままの場所もあり、食料にしても衣料(全部古いものだった)にしても非常に喜んでもらえた。阪神・淡路大震災では、物資が豊富な時代となっており、テレビニュースでは真冬の厳しさの中、熱いうどんとの声が印象に残っている。そして今回の東日本大震災では被災地域が非常に広く、救援物資や義援金がなかなか被災者に届かないことが問題となっている。しかし、孤立した被災者がコーヒー用の砂糖などで飢えをしのいだことなども報道されている。
飽食時代の現在は、栄養過多とかメタボが話題になるが、生死をわける今回のような災害初期には氷砂糖は長期保存が可能で、そのまま摂取出来るので非常に適している。さらには避難所生活での特に高齢者向けに重宝される。又、山歩きの携行非常食などにも最適な食料の一つである。
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