てん菜品種から見るてん菜栽培の現状と課題
最終更新日:2012年5月10日
てん菜品種から見るてん菜栽培の現状と課題
2012年5月
独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構 北海道農業研究センター
畑作研究領域 主任研究員 高橋 宙之
はじめに
北海道のてん菜栽培は、欧米に比べて栽培期間が短く、夏季が高温・湿潤なため、決して最良の環境に恵まれているとはいえませんが、先人から続く栽培法の改良(直播栽培から移植栽培へ)と北海道に適した新品種の開発・導入によって、世界的に高い収量水準に達しました。しかし、昨今の気象変動による度重なる不作、大規模化に伴う省力・低コスト化、さらに原料作物としてより高い安定性が求められる状況に対応するには、収量増加と病害抵抗性の付与が品種開発における必須の課題です。ここでは、「品種」をキーワードに、北海道のてん菜栽培について考えてみたいと思います。
1.北海道のてん菜栽培
てん菜は、主に北半球の温帯から亜寒帯にかけて栽培されている砂糖原料作物です。てん菜の祖先の原産地は、地中海・カスピ海沿岸からコーカサス地方とされており、現在の栽培地帯と異なり、乾燥が強い地域です。てん菜は、その仲間である飼料ビートから改良されてきたとされており、本格的な品種改良は19世紀に入ってからで、まだ作物としての歴史は200年程度の新しい作物です。日本では、明治初期に試作が開始され、米国より札幌農学校(現北海道大学)に教頭として招かれていたクラーク博士の勧めに従って、1880年より北海道で本格的な栽培が始まりました。しかし、日本国内では冷涼で栽培適地とされる北海道であっても、夏季の高温多湿による慢性的な褐斑病の発生や、連作によって多発する根腐病の発生、さらに、海外の主要生産地と比べて栽培期間が短く低収であることに栽培当初より悩まされてきました。そのため、北海道型の栽培法および品種の改良が古くからすすめられてきました。
栽培法の改良として決定的なものは、1960年代に開発・普及した「移植栽培法(注)」で、現在、栽培面積の約9割でこの方法が採用されています。一方、品種開発では、製糖業者による海外種苗会社が開発した「輸入品種」の導入と、われわれ北海道農業研究センターが、北海道の環境下で開発した「国産品種」で対応しています。これら栽培技術と品種開発の結果、北海道におけるてん菜栽培においては、世界的にも高い収量が得られるようになりました(図1)。
2.北海道で栽培されているてん菜品種
現在、北海道で栽培されているてん菜品種の開発には、全て一代雑種(F1)といって、異なる親品種をかけ合わせた子(後代)を栽培種子として利用する方法(育種法)が採用されています。この育種法は、遺伝的に異なる親を交配することで親よりも優れた後代が得られる現象である「ヘテロシス効果」を利用したもので、トウモロコシなどでも利用されています。てん菜では、通常、3種類の親品種を利用した三系交配F1の様式をとっており、一つの品種を育成するにも3種類の親品種が必要であり、コストと労力を多用します。その一方で、親品種の組合せを変えることで、いろいろなタイプのF1品種を育成することができるため、てん菜では品種変遷が非常に早く、通常5年ほどで品種が入替ります。それ故、てん菜の品種開発の主体は、十分な資本力を持ち大市場を掌握している民間育種会社であり、日本にはSyngenta Seeds社(スウェーデン)、SESVanderHave社(ベルギー)、KWS社(ドイツ)の3社が開発した輸入品種が導入されています。
しかし、北海道は年間を通じて降雨量が多く、夏季が高温・多湿になりやすいことに加え、栽培期間が短いという特異な環境であるため、気象条件が不良な年には病害が多発することがあります。2010年は、てん菜にとって歴史に残る大凶作年であり、過去四半世紀で最低の収量となりました(図2)。その原因は、栽培されている品種の多くが褐斑病と黒根病に対する抵抗性を持っておらず、これら病害が激発したためであり(図3)、複合病害抵抗性品種の必要性がてん菜業界共通で強く認識されるきっかけとなりました。また、図2に示したように四半世紀中に5回、平均すると5年に一度は不作年となり、その主原因が病害多発であることから、実際に病害抵抗性品種の作付け割合はここ数年で急速に高まっています(図4)。
3.北海道農業研究センターにおける品種開発
現在、北海道農業研究センターでは、研究員4名で品種開発を進めています。上述したようにてん菜の品種開発はコストと労力を多用するため、その開発能力・速度は、巨大勢力を注入して品種開発を進める海外育種会社にはおよびません。しかし、当センターが保有する遺伝資源は、「北海道の現場の環境下」で約50年かけて選抜・育成されてきたため、北海道の環境に適応した、特に病害抵抗性が優れる特徴を持っています。これらの遺伝資源を利用して、2007年には世界初の黒根病抵抗性品種である「北海90号」、2009年には高糖分で多収な比較的病害に強い「アマホマレ」、2011年には黒根病抵抗性に加えて褐斑病・そう根病に対する抵抗性を併せ持つ三病害抵抗性系統「北海101号」を育成しました(表1)。これらの品種・系統は、当センターだけで育成したのではなく、海外種苗会社との国際共同育成品種・系統です。つまり、当センターが保有する病害抵抗性を持つ親系統と、海外種苗会社が保有する生産性の高い親品種とを交配することで、上手にヘテロシス効果および両親の特徴を引き出した一代雑種育種法の醍醐味でもあります。
また、当センターでは、品種開発の効率化を図るために、遺伝子の分野にも研究の領域を広げています。従来、病害抵抗性の判定は、病原菌を接種して強制的に病気を発生させたり、病害が発生している圃場で栽培して、目視による判断で抵抗性選抜をおこなってきました。しかし、この手法では、誤判定の危険性に加えて、検定圃場を多く必要とするため、多大なコスト・労力を要します。これに対し、遺伝子情報(DNAマーカー)を援用した選抜法(マーカー援用選抜法=MAS)を用いることで、生育初期段階のわずかな試料で様々な形質を客観的に判定することが可能となり、選抜効率・精度が飛躍的に向上します。現在、当センターでは、黒根病、褐斑病およびそう根病に対する抵抗性選抜を中心にMASを利用しています。今後も、基礎的な知見・研究を積み重ねて、効率的な品種育成を進めていきます。
4.今後の課題
今後の品種に求められる最優先の開発目標は、次の2つです。
1つは収量性のさらなる向上で、てん菜および砂糖の生産コストを下げるには、収量増加が最も効果的です。てん菜は、10年前と比べて約10%収量が向上していますが、これは他作物では考えられない水準です。これもヘテロシス効果の賜物であり、品種育成への還元のみならず重要な科学的知見として、ヘテロシスのメカニズム解明は最も興味深いテーマの一つです。
2つ目は、病害抵抗性の向上・集積であり、2010年のような特異気象災害への備えだけではなく、製糖工場をはじめとする多くの雇用を生み出しているてん菜製糖産業を安定的に維持していくためには、計画的な原料供給体制の確立が欠かせません。また、病害抵抗性を強化することで、農薬の削減や病気に侵されていない高品質な原料の供給が可能となります。
さらに、直播栽培法の拡大へ向けた取り組みも重要です。移植栽培技術は、北海道のてん菜栽培の収量水準を飛躍的に高めた素晴らしい技術ですが、省力・低コスト化、そして大規模化を考えた上で直播栽培法の導入は大きな選択肢となります。ただし、品種改良だけで直播栽培の適応性を高めることは困難であり、栽培分野などとの連携による総合技術開発が必要です。また、現在、てん菜は、ほぼ製糖原料としてのみ利用されていますが、北海道の畑作物の中では極めて高いバイオマス生産性を持っています。海外では、バイオエネルギー利用に向けた研究開発も活発であり、そのバイオマス生産性を活かして遺伝子組換え技術などを利用した高付加価値物質の生産媒体として利用することなども、将来的に品種開発に求められる課題の一つかもしれません。
北海道の重要産業であるてん菜産業の持続的発展に向けて、品種開発に課せられた責務は重要です。北海道農業研究センターは、製糖業者、北海道・関連試験研究機関、大学、そして生産者と連携を図り、国内唯一のてん菜品種開発機関としてその責務をしっかりと担っていきたいと思います。
(注)4月下旬以降に直接畑に種をまく直播栽培に対して、3月中旬に育苗用の土を入れた紙筒にてん菜の種子を播種し、ビニールハウス内で育苗、4月下旬から5月上旬に畑に移植する栽培法。栽培期間が短いという北海道の栽培条件に対し開発された日本独自の技術。
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