脳の栄養
〜ブドウ糖(砂糖)とトリプトファンを中心として〜
最終更新日:2015年4月10日
脳の栄養
〜ブドウ糖(砂糖)とトリプトファンを中心として〜
2015年4月
NPO法人「食と健康プロジェクト」 高田 明和
昭和女子大学生活科学部
小川 睦美、清水 史子、石井 幸江、黒田 みさき、尾 哲也、志賀 清悟
昭和大学医学部 木庭 新治
群馬大学大学院保健学研究科 中嶋 克行
【要約】
血中のトリプトファンが脳内に取り込まれることにより、抗うつ物質であるセロトニンが作られるが、その際にインスリンの存在が不可欠である。ブドウ糖や砂糖はインスリンの放出を促すことにより、トリプトファンの脳内への輸送を促進し、脳内でセロトニンの産生を高めている。
1. ヒトの脳の大きさと栄養
動物の脳の大きさは身体の大きさ(体重)に比例し、基礎代謝も体重に比例する。約350万年前にアフリカで地上に降り立った、人類の祖先の脳の大きさは約400グラムであり、全摂取カロリーの約10.5%を消費するのみであった。約200万年前に道具を使うホモ・ハビリスが現れると、脳の大きさは約600グラムになり、約120万年前に火を使い料理するようになったホモ・エレクトス(直立原人)が現れると、その脳は約900グラムになった。現在、ヒトの脳は約1250グラムであり、全摂取カロリーの約24%を消費している。脳における酸素消費量とブドウ糖消費量は全摂取量の約25%である。
このように脳が非常に大きくなり、多量のカロリーを必要とするようになったために、ヒトは動物とは異なる利点、問題点を持つようになった。その問題点の一つは栄養摂取が減った際に、脳がブドウ糖を確保しようとするために、末梢の組織のブドウ糖の取り込みを阻害する、つまり組織がインスリン抵抗性になってしまうことである。これが痩せている人に糖尿病が多くみられる理由であるとされている(Tobias,D. K. et al. NEJM 370;233,2014)。
2. 脳とブドウ糖
脳の主なエネルギー源はブドウ糖であるため、脳の血管には非常に多くのブドウ糖の輸送体(GLUT1,3:グルコーストランスポーター1,3)が存在する。また、ブドウ糖の利用が多いところには輸送体も多いことが示されている(Duelli,R and Kuschinsky,W. News Physiol. Sci. 16;71,2001)。ブドウ糖は血管壁の周囲に存在するグリア細胞(星状細胞)に取り込まれ、解糖により分解される。その際にグリア細胞は、産生されたATP(アデノニン3リン酸)を用いナトリウム・カリウムポンプを動かし、グルタミン酸と共役に取り込まれたナトリウムを排出する。グルタミン酸と乳酸が神経細胞に取り込まれると、最も重要な神経であるグルタミン酸神経が活動する。つまり、ブドウ糖を取り込まないとグルタミン酸神経が動かないのだ(
図1)。
脳の活動にブドウ糖が必要なことは多くの研究で示されている。そのデータは本誌
2014年1月号で示した(高田)。簡単に言うとブドウ糖摂取は記憶を高めるし、その効果は血糖値が高いほど有効である。またGoldらは砂糖摂取がアルツハイマー病患者の記憶を改善することも示している(Gold,P. E. Am. J. Clin. Nutr. 61(Suppl)987S-95S,1985)。
一方、砂糖摂取は精神の安定、気分の改善に役立つことが知られている。実際、動物に砂糖を摂取させると快感を示す行動を取ることも知られているし、乳児では、「より欲しがる」「笑顔を示す」「眠る」などの快感の症状を示す。この理由として、砂糖摂取により脳の快感中枢である側坐核(そくざかく)や中隔核(ちゅうかくかく)などが刺激されるからであると考えられている。
3. グリア細胞の活動とブドウ糖
神経に栄養を与え、活動を支えるグリア細胞の役割が注目されている。最近Johnらは、グリア細胞へのグルタミン酸の取り込みを阻害するとうつ状態になり、グルタミン酸の取り込みを促進すると抗うつ状態になることを示した(
図2、John,C. S. et al. Neuropsychopharmacol. 37;2467,2012)。グリア細胞はブドウ糖を必要とし、そのブドウ糖はグルタミン酸神経からのグルタミン酸の放出、再取り込みを促進する。つまり、グリア細胞はブドウ糖で機能を果たしているのだ。
図1に示すようにグルタミン酸の取り込みはブドウ糖の解糖により産生されたATPによることが示されている。このために、ブドウ糖摂取により快感の中枢である側坐核などが刺激され、快感をもたらしていると考えられる。
4. トリプトファンと精神の安定
現在、うつ病の治療には、セロトニンの受容体(5HT1A)を刺激する薬か、シナプス(情報伝達のための接触構造)のセロトニンを増やす薬が用いられている。三環系と呼ばれるこの薬は、ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンなどのモノアミン(神経伝達物質)をシナプス内で増やす作用をする。
モノアミンは神経の末端から放出されると、5HT1Aと結合しこれを刺激する。作用が終わると元の神経の膜にある輸送体を通って、神経の末端に再取り込みされ、そこでモノアミン酸化酵素(MAO)により分解されるか、小胞に入り再利用される。三環系の薬ではモノアミンのすべての再取り込みを阻害し、四環系と呼ばれる薬ではノルアドレナリンの再取り込みを阻害する。セロトニンだけの取り込みを選択的に阻害する選択的セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)は、うつ病の治療薬として最も使用されている。この薬はシナプスにおけるセロトニンの作用が持続、強化されるようにするものである。
トリプトファンは5ヒドロキシトリプトファンに変わり、さらにアミンとなりセロトニンになる。トリプトファンの摂取が少ないと、脳内のセロトニンが減少することが示されている(
図3)。この研究では海馬にマイクロダイアリシス(微小透析プローブの半透膜により物質を連続して回収する方法)の管を挿入し、海馬の中のセロトニンの量を調べている。トリプトファンの欠乏食を与えると、次第に海馬の中のセロトニンが減っていくのが分かる。つまり、脳内のセロトニン量は食べ物により摂取されるトリプトファンに依存しているのだ。
つまり、精神の安定のためにはトリプトファンの摂取が欠かせない。しかし、トリプトファンは野菜、果物には少なく、食肉、卵、チーズ、魚に多い。このため、精神の安定にはこれらの動物性のタンパク質を摂取する必要があるのだ。
5. トリプトファンの取り込みとブドウ糖、砂糖
血中のトリプトファンは輸送体によって脳内に運ばれるが、この輸送体はバリン、ロイシン、イソロイシン、フェニルアラニンなど長鎖中性アミノ酸も輸送する。食肉を摂取すると血中にはトリプトファンも増加するが、長鎖中性アミノ酸も増加するために、トリプトファン以外の長鎖中性アミノ酸が積極的に脳に運ばれ、トリプトファンの輸送は抑えられる。つまり、食肉摂取のみではトリプトファンは脳に入っていかない。
Burtmanらは、ブドウ糖などを摂取した際に分泌されるインスリンが存在すると、トリプトファン以外の長鎖中性アミノ酸は筋肉などに積極的に運ばれ、トリプトファンは脳血管に存在する輸送体を介して脳に運ばれることを示した(Fernstrom,J. D. and Burtman R. J. Science 178;414,1972)。つまり、食肉摂取とともに、ブドウ糖、砂糖を摂取してインスリンの濃度を高めないとトリプトファンは脳に入らないのだ(図4)。このことは食事の後に甘いものをデザートで食べたり、砂糖入りのコーヒーを飲んだりすることの意味を証明するものである。
6. トリプトファンと摂食
私たちの摂食はさまざまな神経系、あるいは体液性の調節を受けている。
図5に示すように、視床下部の弓状核には摂食を促進するNPY/AgRPいわゆる摂食中枢と、摂食を抑制するメラノコルチン産生細胞いわゆる満腹中枢がある。これらは消化管、脂肪細胞などから分泌されるホルモンの影響を受けている。脂肪細胞が産生するレプチンは摂食を抑制する。また膵臓のβ細胞から分泌されるインスリンも摂食を抑制する。一方空腹時に胃から分泌されるグレリンは摂食を促進し、結腸から分泌されるPYYは摂食を抑制する。セロトニンは摂食を抑制することが知られている。
図6はセロトニンの分解を阻害するモノアミン酸化酵素阻害剤(MAOI)のトラニルサイプロミンを、腹腔または視床下部に与えた場合の摂食と体重の変化を示したものである(Takada Y. et al Biogenic Amines14;67,1998)。モノアミン酸化酵素阻害剤はドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンなどのモノアミンの分解を阻止するため、腹腔に投与しても、視床下部に投与してもラットは摂食を抑制され、摂食量も体重も即座に低下することが分かる。インスリンやレプチンのように摂食を阻害する物質は中枢性に血糖値を下げ、セロトニンも血糖値を下げることが推察される。
木庭らは急性冠疾患の患者で、糖尿病を合併する場合とそうでない場合を正常人と比較した。図7に示すように糖尿病を合併する患者の血中トリプトファンは低値を示す。このことは食肉、卵、チーズなどの畜産食品を摂取することが心筋梗塞の予防につながることを示唆する。実際、タンパク質を多量に摂取すると糖尿病患者の血糖値が下がることも示されている(Gannon,W. C. and Nuttall。F. O. Diabetes 53;2375,2004)。この現象に関する今までの考え方はタンパク質に含まれるアミノ酸がブドウ糖になりにくいために、血糖値が下がるとされてきた。しかし私たちの研究は食肉に含まれるトリプトファンが摂食を抑制し、血糖値を下げるためであることを示唆している。
おわりに
人類が約350万年前にアフリカで地上に降り立ったときには、現在のチンパンジーと同じくらいの約400グラムの脳を持っていた。この脳は摂取する全カロリーの10.5%を消費するにすぎなかった。現在の人類、ホモサピエンスは約1250グラムの脳を持ち、摂取する全カロリーの25%を消費している。酸素、ブドウ糖も全摂取量の約24%が消費されている。脳の主なエネルギー源であるブドウ糖は脳に取り込まれるとグリア細胞で解糖され、そのエネルギーでグルタミン酸を取り込み、神経系を活性化している。必須アミノ酸のトリプトファンは野菜、果物に少なく、食肉、卵、魚に多い。トリプトファンが血液から脳に取り込まれる際にはインスリンが必要である。つまり、ブドウ糖、砂糖の摂取が欠かせないのである。そして、脳内に取り込まれたトリプトファンはセロトニンになり、精神の安定、摂食の抑制、血糖値の低下をもたらしているのである。
Brain and Nutrition-especially with respect to glucose and tryptophan
Akikazu Takada
The chairman of NPO “ International projects on food and health”
The brain consumes 24% of total calorie, and glucose or oxygen. The brain mainly uses glucose as an energy source. Tryptophan, one of essential aminoacids, which is rich in meat, egg or fish and present less in vegetables and fruits, are incorporated into the brain in the presence of insulin, thus glucose or sucrose and converted into serotonin which stabilizes mental status and controls blood glucose levels.
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