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最終更新日:2010年3月6日
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[2009年4月]
【話題】東京大学大学院農学生命科学研究科 教授 林 良博
本年1月27日、わたしが会長を務める食料・農業・農村政策審議会は、石破農林水産大臣より「新たな農政基本計画の策定」の諮問を受けた。会合の冒頭に石破大臣の代理として出席した野村政務官が「食料自給率の向上により、世界の食料需給の安定化に貢献する」と挨拶されたように、「新たな食料・農業・農村基本計画」の主眼が「我が国の食料自給力を高める」ことであることは、基本計画が諮問される以前から多くの国民が望んでいたことである。
これに対し有識者の多くは、WTO交渉が再開されれば厳しい対応を迫られることを十分に承知している。我が国が現在の経済力を維持し続けることができたとしても、輸入食料に頼って耕作地を最大限に活用することなく飽食・食料廃棄を続けた場合には、限界がはっきりしてきた世界の食料需給はひっ迫し、輸入食料に頼っている貧困国への食料供給が十分にできなくなることは明らかである。これは世界の人道問題として捉えるべき問題である。
一方、我が国の経済力が低下した場合には、我が国における人道問題が発生する。高級魚の買い付けなどにおいて、経済力をつけた中国に買い負けしているような状況が現在でも発生しているが、経済力が低下して穀物や砂糖・でん粉などの基幹的食料までに波及するとなると、輸入総量の減少や価格の高騰は避けることができず、我が国の食料確保における人道問題が発生する。
しかし、WTO交渉で我が国に食料輸入の自由化を求める勢力は、むしろそうした事態が到来することを待ち望んでいる。食料が安定的に供給されることは、まちがいなく世界の多くの人びとが望んでいることであるが、食料の輸出でひと儲けしたい者は世界の食料需給がひっ迫し、混乱すればするほど儲けるチャンスが増えると踏んでいる。人道問題などどこ吹く風である。
こうした状況を打破するためには、我が国が一丸となって、食料自給力の向上を目指す以外にない。しかし残念ながら、いまだに「日本の農業は過保護である」という神話を信じている日本人が少なくない。つまり、国際的な戦争をしているときに、後ろから鉄砲を打つような日本人が少なからず存在するという残念な状況がある。
東京大学大学院の鈴木宣弘教授が言うように、日本の農業が本当に「過保護」といわれるほど手厚く保護されていたならば、自給率が40%まで落ち込むことはなかったはずだ。そんなことは少し頭を冷やして考えれば、誰にでもわかることである。穀物を戦略物資と位置づけているアメリカが、国際競争に負けないよう輸出補助金をつけて手厚く農家を保護していることを、日本人に知らせないマスメディアの責任は重い。EU諸国はEU圏内の農民を守り、食料自給力を維持するために、輸入関税を日本の2倍に設定していることを、日本国民のほとんどは知らされていない。農業国のフランス、また日本の中山間地のような立地条件をもつスイスでは、政府や消費者が農業者の所得を高めるためにいかに多くの支援をしてきたか、そうした事実を無視して「日本の農業は過保護である」という神話をふりまいている人たちに疑問を感じざるを得ない。
我が国の食料自給力を高めるためには、国民の理解と支援が必須の条件であることは言うまでもない。国民の関心事は、食料自給力の向上と同時に、環境保全にかかわる農業の役割である。残念ながら過去数十年間にわたって、「環境から見た場合、国民に農業がどのように見られていたか」を検証してみると、「負の側面」がより大きかったことは事実として認めざるを得ない。特に『沈黙の春』(1962年、レイチェル・カーソン著)から始まった「農業の環境に及ぼす負の側面」が長期間にわたって国民に悪いイメージを与え続けたことは否定できない。
しかし10年ほど前から、日本の農林業が環境に対して良い面があるのではないかという認識が高まり始めた。地球温暖化を防止するために、農林業のちからを借りる必要があるという認識は、樹木や作物などの植物資源が地球温暖化ガスの吸収源として、またさとうきびなどの農産物から得られるバイオエタノールが化石燃料の代替燃料として、さらに耕作地が地球温暖化ガスの最大の蓄積地として注目されるようになってから、ますます高まってきたといえる。
このように農業の「正の側面」が多くの国民に理解されるようになったことは歓迎すべきことである。国民が農業を支援することを惜しまないという、一時的ではなく恒久的な考え方が生まれることが、日本の農林水産業を持続的に発展させるために何よりも大切なことである。しかし、砂糖・でん粉の原料となっているさとうきび、てん菜、かんしょ、ばれいしょを国内で生産することの重要性は、どの程度多くの国民に共有されているのであろうか。
わたしは1975年から5年間、ハブ駆除研究のために設置された東京大学医科学研究所の奄美病害動物研究施設に勤務した経験がある。島民がハブにかまれる危険性が高い場所のひとつはさとうきび畑であった。ハブはさとうきびを食害するネズミを駆除してくれるという意味では有難い存在ではあるが、重労働を強いられる農作業中に咬症にあうというのは悲劇である。当時行ったわたしの推定では、さとうきび生産に従事する農業者は、生涯のあいだに1度はハブにかまれる危険があった。
にもかかわらず、さとうきびは奄美・沖縄を中心とする南西諸島における主要な農産物である。それは台風の通り道にあたる当地で、数度の強風、雨、塩害を受けてもある程度の収穫が見込める農作物はさとうきび以外にないからである。もちろん、これらの島々に暮らす農業者はパイナップルやマンゴーなどの生産にも積極的に取り組んでいるが、基幹的な農作物は依然としてさとうきび以外にあり得ない。
我が国の政府と国民が、もしも国際価格の6倍(甘しゃ糖)もの生産費を要するからという理由でさとうきびの国内生産を見放し、国内の砂糖需要のすべてを外国産の原料糖または精製糖に置き換えることを選択するならば、南西諸島で暮らす島民は生活基盤を喪失することになる。その結果、生活基盤を失った少なからぬ島民は離島するであろう。たとえ少数の島民が残ったとしても、荒れたさとうきび畑を見ながら暮らすことは精神的に容易でない。
てん菜についても同様である。我が国の食料生産供給において中核的な役割を担う北海道の農地土壌が健全であり続けるために、てん菜の果たす役割は無視できない。我が国のでん粉生産における鹿児島県のかんしょ生産、北海道のばれいしょ生産の果たす役割も同様であり、これらを見捨てる政策は、新たな食料・農業・農村基本計画になじむものではない。