(1)経営を軌道に乗せるまで
雅博氏が就農を考えたとき、知子氏は反対(心配)した。その当時、子供たちはまだ5歳と0歳だったのであるから、当然といえば当然であろう。しかし、就農時には知子氏も気持ちを切り替えて、「やるしかない!」と決心したとのことである。夫婦で就農する場合、パートナーの考えを尊重し、配慮する重要性が再認識される逸話である。
知子氏が一番大変だったことは、就農初年(平成16年)の9月に台風被害で牛舎の屋根が飛ぶなど、施設的に大きな被害を受けた時であるという。幸い、周囲の支援・協力を受けて乗り切れたとのことであった。経験も浅く、対応に苦慮する時期に周囲からの支援が必要なことにも触れておきたい。
一方で、雅博氏は、研修中の苦労に比べて、 右肩上がりの実績を達成した就農後は充実感の方が大きいようである。それでも、今の経営があるのは、専門家の丁寧な指導と地域の共助のおかげであると強調している。
専門家とは、北海道立上川農業試験場(現在の地方独立行政法人北海道立総合研究機構)の石田亨氏である。雅博氏は、石田氏から就農2年目にデントコーン給与試験の現地実証地として協力を依頼され、試験に協力する中で石田氏から短草利用の重要性、放牧開始、転牧のタイミングなど放牧の基本を伝授してもらった。以来、常に良質な粗飼料を給与することを考えている。共助については、機械が故障した際などに近隣の先輩酪農家に親切に対処してもらっており、当時のことを振り返って、地域からのサポートは「心強かった」と語っている。
(2)経営概要等
労働力は、山下夫妻2人を前提として、就農当初から四つの経営目標を設定して取り組んできている。
① もうかる酪農 「サラリーマン時代より所得が得られるもうかる酪農を目指そう」
② 省力的飼養体系 「夫婦2人で継続可能な省力的飼養体系を目指そう」
③ 地域条件に合う飼養体系 「地域条件にあった飼養体系を目指そう」
④ 資源有効活用&良質な乳生産「資源を有効活用し良質な乳生産を目指そう」
この目標に沿って経営を展開するため、労働分散が可能な季節繁殖を取り入れた集約放牧の徹底、牛舎の改善(スタンチョンをチェーンタイに変更、カウトレーナーを設置、給水設備や飼槽の改修など)、また電気牧柵を整備し、昼間だけだった放牧を昼夜放牧に拡大するなどの対応を逐次行ってきている。現在、飼料畑面積は借地を含めて約77ヘクタール、経産牛頭数53頭で年間412トンの生乳を生産している(平成30年10月現在)。平成29年度の収入総計は5500万円(うち、7割が生乳販売)に達し、所得率は3割を超える素晴らしい経営を展開している(表1、表2)。
山下氏は、サラリーマン時代に経験したPDCAサイクルを酪農経営でも実践して成果を挙げている。夫婦で決めたこれらの経営目標があったことが、改善点をより明確に把握することを可能とし、成績向上につながったのではないだろうか。
(3)放牧を活用した省力管理で超省力高収益経営を実現
ア 昼夜放牧を取り入れた超省力管理
放牧期間は4月下旬から10月下旬、前オーナーは昼間のみの放牧であったが、山下夫妻の経営になってからは、夜間での放牧も労働力軽減の観点からはメリットが大きいと考え、昼夜放牧に取り組んでいる。新規就農者ならではの新鮮な感覚を生かし、先入観にとらわれずに行動することの大事さが再認識される対応である。
ただし、昼夜放牧が成功しているのは、徹底した短草管理と季節分娩により草の栄養価と搾乳牛管理の同期化を図っていることが根底にあることを忘れてはならないだろう。
牛舎周辺の草地はすべて放牧地として、ペレニアルライグラスと白クローバーの混播で24ヘクタールを利用している(図2、写真2)。搾乳牛用草地は11牧区に分けて、短草利用を徹底している。
また、輪換放牧の間隔や兼用地利用のタイミング、スプリングフラッシュ時の育成牛の後追い放牧など、きめ細かい草地管理を行っている。その結果、経産牛1頭当たりの放牧面積は36アール、年間1頭当たり乳量約8000キログラムの成果となっている。
イ 季節繁殖の実践
季節繁殖の有用性を教科書では学んでいても実践している経営は極めて少ないのではないだろうか。山下夫妻は、就農当初から取り組んでいたものの、納得のいく形になったのは、就農後5年を経た平成21年ごろからである。
不受胎牛や分娩時期がずれた牛は迷わず家畜市場へ出荷する。確実に受胎させるために、育成牛はホルモン処理により同期化して2〜3月に分娩させる。初産分娩月齢は平均23カ月、初産牛にはシダー(膣内留置型黄体ホルモン製剤:CIDR)を使った上で雌雄 判別精液で授精、その他はまき牛を使って種を付ける。その結果、受胎成績は極めて良好であり、分娩間隔は373日とほぼ1年1産、平均牛群産次は4.3産と文字通り長命連産である。まき牛の選定については、近隣のブリーダーに依頼して雄子牛を導入しており、小さいうちから山下牧場の牛群になじませている。血統のこだわりはないものの、優れた能力を持つ牛を育成している導入元を全面的に信頼することで、遺伝的な能力にも配慮している。
発情の同期化、雌雄判別精液の使用などといった新しい技術を積極的に導入するだけでなく、まき牛のようなローテクにもひと工夫を加えて活用していることに注目したい。
ウ 育成牛の育て方
山下牧場での放牧の活用が成果を上げている要因の一つに、育成牛の放牧が挙げられる。2〜3月に生まれた子牛の哺乳期間は30〜35日間、長くても45日間、全乳で哺育し離乳後は群飼で育成牛専用の放牧場で育成する(写真3、4)。4月以降に生まれた子牛は雄雌のいずれも全頭売却する。育成前期の配合飼料給与量は1日当たり1キログラム程度だけでも十分な体高、体重に育つのは、よく手入れされたペレニアルライグラスの放牧地なればこそである。初産分娩月齢も24カ月以下で推移しており、難産などのトラブルもないとのことである。放牧育成のコツが草地管理であることを実証している。
エ 搾乳牛の飼養管理と乳量・乳質
山下牧場の1頭当たりの乳量・乳質の年間の推移を図3に示す。経産牛1頭当たりの305日当たり乳量は8000キログラム程度で、月ごとの1頭当たりの乳量の推移は季節繁殖の状況をよく反映したものとなってい る。しかし、月ごとの乳量の変動は大きいものの、乳脂率、乳タンパク質率はそれぞれ3.7%以上、3.0%以上の値が維持されている(図3)。搾乳牛の管理が実質的に1群管理でうまく機能しており、周産期の対応、放牧草の生育ステージに対応した補助飼料の給与などが適切に行われている結果である。
山下夫妻は、それぞれの作業時間を常に意識しており、年間の労働時間は2000時間程度に抑えられている。労働時間の年間ピークも、分娩・哺乳時期、牧草収穫時期の重複が少なくなり、経産牛の管理の負担(搾乳、種付け、ふん尿処理)を昼夜放牧と独自の繁殖管理により軽減することで、大幅な省力化、平準化を達成している(図4)。
山下夫妻は、今後の経営目標を、現在の飼養規模でさらなる所得の拡大、最大化を目指すことにおいている。そのため、牧草の調整・収穫作業の機械化・効率化をさらに進めることやIoTなどを活用した家畜管理のさらなる精密化を目指している。分娩監視カメラなどは早くから活用していたが、最近では温度センサーを利用した分娩監視システムを導入するなど、最新の技術への目配りを常に行っている。