(1)北海道・十勝管内における新ETシステム
こうした全農ET研の新しい仕組みに、酪農家はどのように参画しているのだろうか。一般に、酪農家では乳牛の種付けにおいて①和牛ET(和牛生産)のほかに②ホルスタインの性判別精液の人工授精(後継牛の乳牛生産)③ホルスタインの精液の人工授精(雌が生まれれば後継牛、雄が生まれれば乳用種雄牛の生産)④和牛の人工授精(交雑種生産)など─の選択肢があり、自らの経営や将来の展望を踏まえてそれらが選択されている。従って、ETの広がりやその可能性を検討するには、各酪農家がどのような論理と動機でETを選択しているのかという、いわば「種付け戦略」を理解する必要がある。
ここでは、全農ET研のお膝元の十勝地方で先駆的に取り組まれてきた新ETシステムと、それに参加してETを行う酪農家について見る。十勝地域は全国有数の酪農地帯であり、和牛子牛市場でもET産子が全体の2割程度を占めている。
十勝地域の新ETシステムでは、全農ET研と管内の各JAが連携し、域内の酪農家を結び付けている。まず、各JAは地区内の酪農家に働きかけてETの希望を取りまとめる。それを受けた全農ET研は、獣医師が希望農家を訪ねて受卵牛を選畜し、発情同期化のホルモン処置を行う。これらの受卵牛は順調にいけば18日後に移植適期になるため、移植前日に全農ET研の獣医師が再訪して超音波で黄体を確認した上で、翌日、本場で採卵されたばかりの新鮮卵を全農ET研の移植師が移植している。現在、十勝管内の酪農家の約3%に当たる約50戸が新ETシステムに参加 しているが、新規に参加する農家がある一方で、成績の伸び悩みや離農により離脱する農家もあり、参加農家数はそれほど増減していない。
(2)新ETシステムに参加する酪農家とその種付け戦略
筆者は新ETシステムに参加し和牛ETを行う酪農家3戸について、その経営や世帯の概況と、種付け戦略、新ETシステムに加わりETを行う理由や今後の方針などについて調査を行った(図4、表4)。調査したのは十勝の酪農家としても規模が大きい3戸のみであり、これらの事例だけで全体を論じることはできないが、それでも酪農家の種付け戦略の一端を見ることはできよう。以下では、調査した酪農家A〜Cについて、経営の概要を踏まえた上で、その種付け戦略やETの動機、将来の見通しなどについて説明する。
ア 農家A
農家Aは、経産牛160頭を飼養し、フリーストール体系で搾乳ロボットを揃えた大規模酪農経営であり、経営主と妻、1人の従業員の3名が飼養管理に従事している。95ヘクタールの経営耕地のうち45ヘクタールに牧草、50ヘクタールにデントコーンを作付けしている。農家Aは生乳販売で1億1000万円、ETによる子牛販売を中心とする副産物販売で3000万円弱を得ている。副産物販売では、交雑牛や乳用種雄は初生牛として1週齢程度で販売されているが、ET産子は10カ月齢前後まで育成され(写真6)、2017年には38頭、2018年には28頭が販売された。
農家Aでは、まず、毎年60頭ほど導入される未経産牛の8割に、新ETシステムによるETが行われている。未経産牛の多くに和牛受精卵を妊娠させるのは、和牛はホルスタインよりも小さく生まれるため初産でも難産せず、乳牛の事故リスクが小さいためだという。新ETシステムによる受胎率は高く、農家Aの初産牛の受胎率は70%を超える。他方、2産目には、後継牛確保のために、乳牛の大半に性判別精液とホルスタインの通常の精液を種付けするが、なかなか受胎しない牛には和牛ETが試みられる。全農の新ETシステムによるETは人工授精より受胎率が高いことが、その最大の理由である。3産目以降は牛ごとに判断するが、発情が来ないものにはETや和牛人工授精を試みている。
こうした種付け戦略のもと、この農場では年間に50頭前後のET産子が生まれているが、子牛の事故率は極めて高く、2018年には19頭が死亡した。和牛の子牛は乳牛よりも病弱である上に、哺育の担当者が経験豊富な母から妻に変わったこと、極寒時や寒暖差が大きい時に出産が集中したことがその原因という。他方で、十勝の子牛市場には自分の子牛を買ってくれる購買者がいるといい、2018年の子牛販売価格は83万円と高い。その意味でも、子牛死亡による機会損失は大 きく、ET産子の事故率低減は重要な課題と いえる。
農家Aは、2000年前後より近隣の移植師に依頼して凍結受精卵によるETを行っていたが、受胎率の低さが難点となっていた。こうした中、農家Aは2009年、新ETシステムを立ち上げようとしていた全農ET研の職員から熱心な説明を受け、システムへの参加を決めた。新ETシステムでは、多数の牛を保定して発情同期化をかけ、後日、再び一斉に保定し黄体確認、移植するという手間が必要になるが、その受胎率は通常のETよりもかなり高い。ただし、農家Aは、新ETシステムは近隣の農家にはそれほど大きくは広がらないと見ている。牛を保定し発情同期化したり黄体確認したりする作業に手間が掛かるし、ET産子の哺育は難しい。そのうえ、農家Aの所属するJAは耕種に力を入れており、新ETシステムへの勧誘には必ずしも積極的ではない。地域の多くの酪農家にとっては、ホルスタインや黒毛和種の人工授精のほうが気楽と考えており、地域のJAからの積極的な働きかけやサポートがなければETはなかなか広がらないという。
イ 農家B
農家Bは、2018年4月に経産牛80頭規模のつなぎ牛舎から240頭規模のフリーストール牛舎へと移行したばかりであり(写真7)、2019年2月の調査時点で145頭の経産牛を飼養するとともに、育成牛も95頭飼養する、急速な拡大途上にある農家である。また、牧場体験で年間4000人近い修学旅行生を受け入れるなど、観光農場にも力を入れている。農家Bは、経営主と妻、父の3名の家族労働力に加え、4名の雇用労働力を確保して飼養管理にあたっており、55ヘクタールを採草地として利用し、夏期は育成牛を町営牧場に預けている。つなぎ牛舎で飼っていた2016年は、農家Bでは生まれた81頭の子牛のうち、和牛ET産子が23頭、交雑種が12頭で、残りがホルスタインの雄および雌であった。しかし、フリーストール牛舎を建設した直後の2019年時点では、農家Bは高能力の乳牛を短期間で確保することを最優先した種付け戦略を採用している。
農家Bでは、未経産牛については、すべて乳牛ゲノム解析サービスを用いて潜在的な遺伝的能力を判明させた上で、未経産牛のうち指数上位75%の個体には性判別精液を人工授精し、これらを後継牛として確保している。他方、指数下位25%の個体には、和牛のETを行い、初妊牛として、十勝の家畜市場で1頭100万円を超える価格で売り払い牛群から外している。
農家Bは2産目以降も、8割程度の乳牛に性判別精液やホルスタインの精液を人工授精して後継牛を確保しており、受胎しないものについて和牛の人工授精を行い、それでも受胎しないものに限り、より受胎率の高いETを試みている。その結果、農家Bは2018年には、酪農副産物として、乳用種雄牛35頭、交雑種48頭、和牛4頭を初生牛として販売していた。農家Bの地域では、町内の酪農家の初生牛を提携する肥育経営が生後数日中に買い取り育成・肥育する仕組みがJAや行政の主導で構築されており、乳用種雄、交雑種、和牛の違いにかかわらず、初生牛がスムーズに引き取られるようになっている。このように哺育・育成に大きな負担がないことが、農家Bがつなぎ牛舎の時代から和牛ETに積極的に取り組んでいた理由でもあったという。
農家Bも新ETシステムの立ち上げ時からの農家であり、熱心な全農ET研の職員との対話の中でシステムに加わることを決めていた。もっとも、農家Bでは、フリーストール牛舎への移行後、ET利用が大幅に減っている。これは、後継牛を多数確保するという上記の理由だけでなく、新ETシステムでは牛をつなぐ作業が追加的にかかることも背景にあるという。新ETシステムでは、受卵牛の選畜や注射、ホルモン剤の抜去、黄体確認、移植などで5回は保定する必要があり、フリーストール牛舎ではそれが追加的な作業負担となりやや面倒であるという。
ウ 農家C
農家Cは、つなぎ牛舎で経産牛80頭を飼養する経営であり、経営主と妻、息子の3名が飼養管理に従事している。32ヘクタールの経営耕地のうち、デントコーンを15ヘクタール、牧草を17ヘクタールに作付けしている。農家Cの飼養頭数は農家AやBよりも小さいが、投資は抑えられ、全国トップレベルの高能力の乳牛が揃っており収益性は高 い。ET産子も自ら哺育・育成しており、2018年は22頭を販売している。このほかに、農家Cは交雑種を妊娠した初妊牛5頭、育成牛5頭、乳用種雄の初生牛18頭、交雑種の初生牛2頭を販売しており、2018年に農家Cは、生乳販売で7000万円弱、和牛子牛販売だけで1600万円を上げている。
農家Cの場合も、未経産牛についてはゲノム解析データに基づき、約25頭のうち、指数上位の15頭ほどにホルスタインの性判別精液を交配している。指数中位の5頭ほどには和牛受精卵のETが行われ、生まれた子牛は自経営で哺育・育成される。他方、さらに指数が劣る5頭ほどは、和牛精液と交配して妊娠牛として売り払い、牛群から外してい る。
農家Cは2産目以降は、ゲノム的に特別に優れたものについては性判別精液を使うが、それ以外の乳牛には、その約半数にETを行っている。一般に、和牛の子牛は出生時の体重が小さく病弱であるが、2産目以降に生まれる子牛は出生時体重が大きく生まれやすく、事故のリスクも少なくなるという。その点でも、農家Cは、2産目以降の和牛ETに魅力を感じている。農家Cでは、和牛のET産子は当初は下痢による事故が多かったが、乳牛の子牛よりも丁寧な観察を徹底し、異変に気づいたらすぐに獣医師を呼ぶなどしてこれを克服したという(写真8)。現在、農家Cの事故率は低く、近年では死産もほとんどない。現在も乳用種雄や交雑種は初生牛の状態で販売しているが、高い付加価値がつく和牛だけは自ら育成している(写真9)。
農家Cは、農家Aや農家Bとともに、新ET システムにごく早い段階から参加していた農家である。農家CがETを開始したのは2000年ごろであり、当初は凍結卵を利用していた。しかし、全農ET研の職員と話す中で、全農ET研で採卵した新鮮卵をそのまま職員が移植すれば受胎率が上がり受精卵利用も大幅に広がるのではないかという話になり、それが現在の新ETシステムの構想につながっていったという。農家Cは毎月3、4頭にETをしており、その受胎率は8割近い。農家Cは、今後の性判別精液の普及とともにETが増える余地はあるが、他方で、乳牛の受胎率が高くかつ事故率が低く、後継牛が確保できている農家でない限りは、十分には増えないと考えている。また、和牛の哺育に問題を抱える農家も多く、その点にもET普及の制約があるというのが、農家Cの見方であった。
以上の3戸の酪農家は、それぞれ異なる種付け戦略を採用している。各事例がどの程度、十勝全体の酪農家にも当てはまるのかどうかについては留保が必要であるし、そのためにはETと人工授精に関する収益性の詳細な比較も必要であろう。しかし、この3事例だけでも、ETの普及をめぐる、いくつかの重要な論点が示唆されるように思われる。
各事例に共通するのは、和牛のETは、あくまでも酪農部門における副産物生産と位置付けられており、従って、酪農家がETを行うかどうかは、乳牛の牛群改良や受胎率改善、施設の変更や規模の拡大といった、主部門たる酪農における意思決定の下位に置かれているという点である。いかに和牛子牛が高価格であっても、酪農家にとっては生乳販売が最も重要な収益部門である。乳価も近年は上昇しているし、副産物である交雑種や乳用種雄牛、育成牛の価格も上昇している。しかも、ETは通常の人工授精と比べて追加的な作業や費用がかかる上、生まれてくる和牛の子牛は病弱で事故のリスクも高い。こうした中で、和牛子牛が空前の高騰を続けている割には、酪農家にとって和牛のETに対する関心はそれほど高くはないし、ETを行っていても産子の事故率が高い経営も多い。もっと も、このことはETの導入やそれによる収益改善の余地が大きいことを示すものでもあり、実際に大きな所得を得ている農家も存在する。
従って、酪農家に新ETシステムによるETが浸透するためには、人工授精をしのぐ高い受胎率が安定的に実現されることに加えて、地域内での生産者への積極的な働きかけや、ETに伴う追加的負担の軽減、特にET産子の出生後の事故率低減の取り組みが、大きな鍵となるように思われる。調査した酪農家が、いずれも、全農ET研の職員の熱意に動かされてシステムに加わった農家であったのは決 して偶然ではない。また、和牛子牛の個体管理に未熟な酪農家が多い中で、初生牛を地域の肥育経営がまとめて引き取り哺育・育成するといった、農家Bの地域の取り組みはETの普及に有効であったに違いない。