青森県における肉用牛の飼養頭数は5万3500頭で、乳用牛は1万1700頭である(平成31年)。産出額は、肉用牛が159億円、乳用牛が78億円となっている(平成29年)。近年、乳用牛の飼養戸数は186戸であり、減少の一途をたどるが、一戸当たりの飼養頭数は徐々に増加している。青森県は冬の寒さに加え、特に津軽地方では多雪となる。今回、取材した安原氏は、このような環境の中で、独自の概念を取り入れた畜産経営を実践している。
安原氏は、昭和28年1月生まれの66歳である。取材時もゆったりと落ち着いた物腰で、笑顔が素敵な酪農家である。労働力は、安原氏のほかに妻の
千苗氏、息子の
大陸氏に加え、販売担当のパート従業員が2名である。食肉加工ができる乳製品製造施設を設置しており、六次産業化に積極的に取り組むだけでなく、搾乳体験なども受け入れており、地域を代表する酪農家である(写真1)。
現在、地域内に酪農ヘルパーがほとんどいないので、家族3名一緒に家を留守にすることはできない。近隣には、後継者がいる酪農家がもう一軒ある程度となっている。息子の大陸氏は、地域活性化のため、近隣に農家を増やしたいと考えている。
安原氏が営むアビタニアジャージーファーム(以下「アビタニア牧場」という)は、搾乳牛38頭、育成牛20頭、肥育牛(選定中を含む)15頭を飼養しており、これらは全てジャージー種である(30年3月時点)。生乳生産量は1頭当たり約4500キログラム、肥育牛は年間数頭の出荷となっている。生乳は、生乳として出荷されるもののほか、乳製品製造施設で牛乳やチーズ、バターやヨーグルトなどに加工、販売されている。牧場の管理は安原氏と息子の大陸氏が、乳製品の加工は妻の千苗氏が、また食肉の加工は安原氏が担当する。
まずは、安原氏が現在の経営に至るまでを紹介したい。
(1)国内での経験
安原氏は、元来ウシ飼いになりたいという願望を持っており、両親の反対を押し切って北海道に行った。19歳の時、テレビで、脱サラして北海道にわたり酪農家になった方の奥さん同士の対談番組を見て、すぐに番組のデイレクターに手紙を書き、酪農家について問い合わせた。そのデイレクターは、番組に出演していた酪農家にも連絡してくれて、酪農家からも歓迎する手紙をもらった。その酪農家のもとに1週間滞在し、酪農の仕事を手伝った。これが安原氏のウシ飼いのはじまりであった。 その後、その酪農家を2回訪問した。さらに、畜産について勉強するため、大学にも入学した。夏は実習に明け暮れ、冬は座学にふけった。そして、当時のメガファームといわれる100頭規模の牛舎、パイプラインのミルカー(8台)を整備した中標津の牧場で3年間実習した。
その後、安原氏は、さらに修行を積むために、卒業間際で大学を退学して、群馬県の神津牧場へ行った。神津牧場は、1880年代に洋式の牧場を開設し、1900年代初頭からジャージー種を導入して、牛乳の生産やバターやチーズの加工品の生産を行っている日本では最も古い老舗の牧場である。安原氏は、このとき、酪農業における一通りの仕事はできるようになっていたので、“仕事のできる若者がきた”ということで、即戦力として勤務することになる。これが、本格的なジャージー種との出会いであった。安原氏は、神津牧場の加工品を本当においしいと感じた。それが、働くモチベーションにつながった。
神津牧場は観光地としても人気があったので、安原氏は雄牛を肥育し、焼き肉として販売しようと提案した。そのために、安原氏は仕事の合間を縫って、町の精肉店で枝肉の解体法を習った。安原氏は、神津牧場で13年間働く中で、ジャージー種の肉としての魅力に出会い、牧場経営の基礎を学んだ。
(2)カナダでの経験
安原氏が、神津牧場で勤務していた時にジャージー種の世界的なイベントがあり、カナダ人のジャージー種のブリーダーと出会った。安原氏は、海外のジャージー種を用いた酪農経営に興味を抱き、すぐに手紙を送り、夫人とともにカナダへ行った。
カナダの牧場では、ウシ飼いの原点、牧場経営の気構えと覚悟を教えられた。日々の仕事は、従業員2名で150頭の搾乳と給餌、牧草地150ヘクタールの収穫であった。すでにカナダでは作業の機械化が進んでいたが、それでも仕事量は膨大であった。それまでは、酪農の労働の厳しさは十分に体に教え込まれていたと思っていたが、カナダへ渡った後の最初の1カ月間で体重は12キログラムも痩せた。
その中で、カナダの酪農業は、職業としてのけじめをつけて、メリハリをもって営まれていた。日中に集中して合理的に働き、18時ごろには仕事を終了し、家族で食事を楽しみ、時にはダンスにも行く。さらに、2週間に3日は休暇があり、日曜日は必ず休みがとれた。その代わり、時には、トラクターに乗ったまま昼食を食べるほど、日中は時間を惜しんで集中して働いた。安原氏は、日本とカナダの酪農労働における集中力の違いを感じた。牧草の収穫においても、無駄な動きがなく、“この仕事が今日中に済ませられるのか”と思うような仕事も、合理性と集中力でこなしていた。カナダでは、やるべき仕事を長時間の作業でこなすのではなく、いかに短縮するのかという時間の大切さを学んだ。
日本で経験してきた労働スタイルとは全く異なるカナダの経営に携われたことが、安原氏の牧場経営のあるべき姿の基礎を形成した。
日本では、現在、働き方改革ということで、労働時間の変革を進めている。安原氏がカナダで学んだように、すべての職業でこのような合理性と哲学を現場で感じる必要があるだろう。