以下では、第2号事案となった「株式会社落合牧場」と第3号事案となった「沖之須牧場株式会社」の経営概況について見ていきたい。
(1)株式会社 落合牧場の事例
株式会社落合牧場(以下「落合牧場」という)は、静岡県菊川市に位置し、現経営主の一彦氏で三代目となる酪農家である。祖父の時代に一頭の乳牛を購入したことから、酪農家としての歴史が始まっている。
「支援事業」を利用する契機となったのは、経営主の息子が「酪農をやりたい」という意思を示したことだった。当時は、つなぎ飼い牛舎で40頭規模の酪農経営であったが、年々コストが増大し、1頭当たりの収益性が目減りしていることを危惧していた。息子が就農予定であったので、将来を見据えた時に現在の規模では経営が立ち行かなくなることを考え、規模拡大に踏み切った。当初は、家族労働力でできる経営規模を想定していた。しかし、伊藤組合長や伊東コンサルタントとの話し合いや、借入金の返済計画など経営のシミュレーションを重ねた結果、雇用を導入し、200頭規模での規模拡大を決定した。
2016年11月の大幅な規模拡大から、2019年(調査時点)で4年が経過した。現在は株式会社となり、雇用労働力も導入している。
表2に示すように、家族労働力3名(経営主、妻、息子)と雇用労働力6名(20代3名、40代1名、60代2名)の計9名により営農している。詳細をみると、雇用労働力は20代3名のうち2名が男性、1名が女性、40代の1名は男性、60代は夫婦での雇用であるので、9名のうち3名が女性となっている。作業内容は、妻と40代と60代の計4名が仔牛育成を担当し、残りの5名が経産牛の飼養や搾乳担当となっている。
従業員の勤務体系は、1日8時間の勤務となっており、午前5時30分から9時30分までの4時間と、午後4時から8時までの4時間で8時間となっている。従業員には月8日の休日を定めている。また有給休暇も年間5日取得することができるようにしている。近隣には、朝夕交代制での勤務を行う経営体もあるが、朝夕間の牛の状態変化に気が付いてほしいという思いから、このような勤務体系を構築している。
給与計算は組合も支援しており、タイムカードの情報を組合に送付して、給与を算出している。もちろん各種社会保険にも加入している。
表3には、落合牧場の現在の飼養管理や実績などを示している。同表を基に、落合牧場の営農状況を見てみよう。規模拡大後は、つなぎ牛舎からフリーストール牛舎に建て替え、経産牛191頭(搾乳牛161頭、乾乳牛30頭)を飼養している。哺乳舎も備え、生後3カ月間を哺育し、その後は北海道の育成牧場で放牧する方式をとっている。現在も40頭の後継牛が育成牧場で放牧されている。仔牛の育成に関して、軽労化のために哺乳ロボットの導入を考えたこともあるが、人に慣れてもらうために導入を止めている。人に慣れないと従業員の事故にも繋がりかねないためである。後継牛の確保だけでなく、F1種の販売も行っており、年間150頭ほどの仔牛を販売している。こうした仔牛の育成を担当しているのが、妻とベテラン職員の4名である。
一方、搾乳牛をはじめとした経産牛191頭の搾乳やさまざまな管理をしているのが経営主を含む残り5名のメンバーである。1日朝夕の2回搾乳で、新規に導入した8頭ダブルパラレルパーラー施設で搾乳している。年間の生乳生産量は1930トンで、上述したF1種の販売とあわせて、年間2億6000万円を売り上げている。経産牛1頭当たりの平均的な1日乳量は32キログラム(調査時は夏場のため29.5キログラム)となっている。
給餌は、組合のTMR飼料を利用している。以前からTMRを利用していたが、当時はトランスバックと呼ばれる大型の袋にTMRを入れて搬入していた。牛舎の改修にあわせて、給餌用トラックが通れる幅で牛舎を設計したため、現在は給餌車の荷台から直接通路にTMR飼料が給餌できるようになった。これにより作業が軽労化されている。給餌量は、夏場が1日約6000キログラム、冬場が約8000キログラムとなっている。
一方、ふん尿の処理については、組合のコントラクター事業で回収し、飼料生産に利用している。
飼養管理には、牛の前足に牛の状態を示すカラーテープを結びつけたり、パソコン内のデータと連動した牛歩計などを装着することで発情を感知したりするなどの工夫が見られている。
落合牧場の課題は、次の2点である。第1に、さらなる規模の拡大をどうするかという点である。現在の土地では、これ以上牛舎などを設置することができないため、第二牧場の新設や全面的な移転なども将来的には考える必要があるとしている。
第2に、従業員の中に「酪農を経営してみたい」と強い情熱を持って取り組んでいる人がおり、その従業員が独立できるための支援を行うことも検討している。
(2)沖之須牧場 株式会社 の事例
沖之須牧場株式会社(以下「沖之須牧場」という)は、2018年11月から生乳生産を開始し、2019年4月に本格稼働している。
前身は1966年に経営を開始した有限会社有馬農園であった。開設当時は、県内最大規模の50頭飼養を行う牧場として名が知られていた。同牧場の親会社は、神奈川県川崎市等々力にあった有馬ミルクであった。1954年に、当時牛乳瓶1本20円程で販売していたものを安い価格で消費者に提供したいという思いから、主婦連と協力して「10円牛乳」という産地直売方式の牛乳を販売した画期的な会社でもあった。有馬ミルクが、直営農場をはじめるということで候補地となったのが現在の掛川市沖之須地区で、現在の経営主である川内氏に白羽の矢が立ったのが、今からおよそ50年前のことであった。
その後、経営主である川内氏も歳月を経て、年齢的な問題から勇退を考え始めていたときに、組合およびコンサルタントから「支援事業」の打診を受けるかたちで、現在の沖之須牧場株式会社として新たな経営を開始することになった。
縦16メートル、横210メートルという広大な牛舎と事務所を新設し、雇用も導入する大規模酪農経営となっている。設立に当たり株式会社方式を採用し、牧場の名称も所在地の地名から沖之須牧場という名前で新たな経営を開始している。地元酪農家らを中心に、関連する企業や地域の金融機関などが出資し、株主となっている。
沖之須牧場は、2019年現在、経営主の川内氏を筆頭に、牧場長の西川氏、40代の従業員3名、20代の従業員6名、パート3名の14名体制で営農している。女性従業員もいることから事務所を新設する際、男女別のトイレ、シャワー、更衣室を設置している。こうした施設の整備が進んでいない農業分野では、同社の整備は先進的な取り組みと言えるだろう(写真4)。勤務形態は、1日8時間労働の交代制で、3日働いて1日休む3勤1休制を導入している。
現在、牧場長を務める西川氏は、実家が酪農家ではなかったが、幼少期から「牛飼い」になりたいという夢を持つ人物であった。大学卒業後には、北海道や海外で酪農の研鑽を積み、一度は地元のJAに勤務したものの、やはり酪農の生産現場に戻りたいと思い、浜名酪農協の副組合長が経営する牧場で17年間従業員として働いた。このようなキャリアを積んだ西川氏が同牧場の場長として抜擢され、現在の活躍に至っている。
表4には、沖之須牧場の飼養管理の状況や実績などを示した。これをみると、2019年8月時点で飼養頭数は420頭、うち搾乳牛が360頭、未経産牛が60頭という大規模な酪農経営を行っている。2018年11月に牧場が稼働したばかりで、1年目の成績はまだ確定していないが、このまま順調に推移すれば、生乳生産量3500トン、生乳販売による販売金額は4億2000万円となると予想されている。経産牛1頭当たりの生乳生産量(日量)は27キログラムと、先の落合牧場より少ない状況にあるが、これは導入した全ての牛が初妊牛であることが要因である。このため、数年内に1頭当たり生産量は増えてくるとの見通しを立てている。1日当たりの目標生産量を10.6トンと設定しているが、取材に訪れた8月(夏場)はどうしても乳量は下がり、最も下がってしまったときで日量9トンまで下がってしまったこともあるという。
飼養施設(牛舎)はフリーバーン式で、先にも述べたが、縦16メートル、横210メートルと広大な牛舎となっている(写真5)。搾乳施設もデラバル社製の最新鋭12頭ダブルパラレルパーラーを導入し、これにより搾乳時間も朝夕各3時間程度にまで抑えられている(写真6)。加えて、同社製の個体管理システムも併せて導入している。
事務所には、前述の男女別のシャワー、更衣室などに加えて、研修生の宿泊部屋が3室用意されており、酪農に興味のある学生などのインターンシップの受け入れも積極的に行っている。
給餌は、組合のTMRセンターを利用して1日1回配送されてくる。1回に使用するTMR飼料の量は11.5トンとなっている。また、沖之須牧場は、TMR飼料配送の中継基地ともなっており、ここから他の酪農家へとTMR飼料を配達している。
ふん尿の処理は、組合のコントラクター事業を利用して、1週間で全ての牛床が取り替えられる。
今後の課題と展望について、経営主の川内氏と牧場長の西川氏に伺ったところ、川内氏は、年齢的なこともあり、そろそろ勇退を考えている。同氏は、西川氏をはじめとする従業員にうまく引き継いでいくことが課題であると述べた。
また、牧場長として、日々のオペレーションを担う西川氏は、今後、誰が牧場長となっても経営できる仕組みづくり、経営システムの形成に注力したいと述べた。例えば、誰かがいなくなった場合、経営が行き詰まってしまう組織ではなく、誰かが欠けてもうまく運営できる仕組みを作りたいとの意向である。このため、普段から従業員には、「報告でなく、相談できる人になってくれ」と伝えている。例えば、牛が病気にかかったときに「牛が病気になりました」というのはただの報告である。そうではなく、自分で処置方法を考えて試してみて「こうやって、こうしてみたのですが、いいですか」というのが相談であると西川氏は述べる。このようなエピソードからもそれぞれの従業員が自分の頭で考えて、行動できるようになってほしいとの思いがわかる。加えて西川氏は、現在自分のところに集まっている権限を徐々に従業員に付与して、それぞれが責任ある立場になるような組織へと変革していきたいとの意欲も持っている。