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調査・報告 畜産の情報 2020年7月号 

酪農ヘルパー組合での経験を生かして目指す酪農経営の在り方〜北海道西興部村内での新規就農者 眞家裕史氏の取り組み〜

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札幌事務所 小島 康斉

【要約】

 北海道における酪農の位置付けは地域の雇用や経済を支える基幹産業であり、平成30年の乳用牛および生乳の農業産出額は全国の過半を占めている。しかし近年は、道内においても高齢化、労働力および担い手不足への対応が課題となっている。
 眞家裕史氏は、道外出身者ながらオホーツク管内西興部村で新規就農し、大学や酪農ヘルパー組合での経験を生かして、魅力的な酪農経営の姿を追い求めている。

1 はじめに

 全国に占める北海道の生乳生産量の割合は年々上昇しており、平成30年は54.4%(3965千トン)となっているが、乳用牛の飼養頭数は増減を繰り返しながらも減少の一途をたどり、29年には7年のピーク時に比べて10万頭以上の減少を記録し77万9400頭まで落ち込んだ(農林水産省「牛乳乳製品統計」図1)。
 30年以降は、増頭に向けた取り組みの効果などにより増加に転じ、31年は80万1000頭まで回復した。
 一方、飼養戸数は毎年減少を続けており、酪農生産基盤の維持・拡大には飼養戸数の減少を食い止めることが求められている。重労働であるとイメージされがちな酪農において、後継者の確保や担い手育成は喫緊の課題となっている。
 本稿では、北海道西興部にしおこっぺ村において、酪農ヘルパー組合での勤務を経て、新規就農者として酪農家になり、地域の酪農家やオホーツクはまなす農業協同組合(以下「JAオホーツクはまなす」という)と密接に関わり合いながら、自分に適した理想の経営像を目指す若手酪農家の取り組みを例に、酪農経営を取り巻く状況を考えてみたい。
 


2 地域の概況

(1)西興部村の概況について

 北海道西興部村は、オホーツク総合振興局管内の西北端に位置し、北と東は興部町、西は下川町、南は滝上町に隣接している。面積は約308平方キロメートルであり、東西21キロメートル、南北24キロメートルの広さである。
 札幌市から約280キロメートルの場所に位置し、最寄りのオホーツク紋別空港からは公共交通機関を利用して約1時間20分でアクセス可能である(図2)。

 
 気候は、オホーツク海高気圧の影響に加え、平坦地が少なく大半が丘陵性山地の地形に囲まれていることから、年間を通じて冷涼で、冬は寒さが厳しくマイナス20度近くまで冷え込む日も多いが、夏は比較的過ごしやすい日が続く。年間降水量は約1000ミリメートルであり、札幌市と比べると100ミリメートルほど少なく、年間平均気温も5.5度と3度以上低い(図3)。

 
 村の人口は、平成31年3月末時点で1095人であるが、総人口に占める高齢者の割合が高いことから、就労者は人口の半分程度である。

(2)農業生産の概況

 西興部村の平成29年の農業産出額合計は20億円である(農林水産省「市町村別農業産出額(推計)」)。このうち18億7000万円が乳用牛での産出額であり、次いで産出額が大きいのは種苗・苗木類・その他で、その額は1200万円であることから、酪農が基幹産業であることがうかがえる。
 西興部村役場によると、令和元年12月末時点で村内全15戸の酪農家の乳用牛飼養頭数は3422頭、生乳の年間生産量は1万6870トン、年間生産額は15億2527万円であることから、酪農が同村にもたらす影響は大きい(表1)。また、上述の農業産出額には含まれていないが、村の総面積の約89%を占める山林の豊富な森林資源を材料としたギターのボディ製造は、わが国でも有数の生産量を誇る基幹産業であり、廃材は敷料としても活用されている。

 
 一方、経営土地利用面積は全体で1673ヘクタールであるが、丘陵地帯であることから、うち1342ヘクタールが採草放牧地などとして利用されている。
 

3 JAオホーツクはまなすの概要と取り組み

(1)JAオホーツクはまなすの概要

 JAオホーツクはまなすは、紋別市、滝上町、興部町、西興部村を所轄する農協であり、地域の基幹産業でもある酪農を中心に事業を展開している。平成30年末時点の管内酪農戸数は105戸、生乳生産量は9万3969トンを誇る。
 令和元年末時点の管内生産者の飼養頭数は、1万9617頭(経産牛1万412頭、育成牛9205頭)であり、1戸当たり約182頭という状況から、管内は比較的大規模な酪農経営が展開されているのが特徴である。
 また、同JA内の酪農ヘルパー組合には、元年12月現在で13名(紋別市8名、滝上町2名、西興部村3名)の酪農ヘルパーが所属し、管内生産者を支えている。

(2)組合独自の担い手確保に向けた取り組み

 JAオホーツクはまなすでは、担い手確保対策の一環として独自に「JAオホーツクはまなす 農家・農村・農業支援事業」を展開している。同事業は、管内で、新規参入などにより将来農業を経営しようと考える人を対象に、就農研修に参加する以前の段階において、農業体験を実施した場合の経費の一部を助成することで、新規参入者が就農しやすいように地域農業の理解醸成を図る取り組みである。
 具体的には、2日以上連続して農業体験や実習などを行った者に対して、渡航交通費、滞在宿泊費および体験に係る資材費などの総額の一部を5万円以内で助成している。同JAではこの農業体験の参加者に対し酪農ヘルパー組合への呼び込みを行っており、実際に同組合に就職し酪農経営のノウハウを学んだ酪農ヘルパーに向けては、牛舎に空きが出た際などに声を掛ける働きかけによって、新規就農の機会につなげたいと考えている。直近3カ年では、10名程度が本事業を利用し、うち1名が酪農ヘルパーとして実際に就職した。
 同JAでは、酪農ヘルパー組合に対する支援も行っており、ヘルパー員が管内の住居を購入する際に要する修繕費や購入費に対して、金融機関から資金を借り入れる際の金利相当分の10%(上限200万円)を補助している。
 また、酪農ヘルパー組合とともに、年2〜3回都市部(東京、大阪、札幌)で開催される就農フェアに積極的に参加することで、新規就農者などの人材確保に尽力している。

(3)自治体との新規就農者確保に向けた取り組み

 JAオホーツクはまなすでは、平成16年から紋別市、滝上町、西興部村などの管内市町村と連携して「新規就農者支援事業」を実施し、居抜き就農(注)を前提に、新規就農予定者には1年以上2年未満の研修期間の支援を行っている。具体的には、期間中に農業研修経費手当として1人当たり23万円(費用負担:継承元が2分の1、JAが4分の1、市町村が4分の1)を支給している。
 受入要件は、継承元で6カ月以上の研修を受けた40歳以下の夫婦と定めており、令和元年12月現在、これまで本事業を活用した新規就農者は10名、うち6名が酪農ヘルパー経験者で、本稿で紹介する眞家氏もその一人である。

(注) 後継者のいない畜産農家から、牛や設備などを継承して新規就農(経営移譲)すること。

4 眞家裕史氏の沿革と現在

(1)就農に至るまでの経緯

 茨城県石岡市出身の眞家裕史まいえひろし氏は、昭和57年生まれの37歳である(写真1)。酪農学園大学在学中に大学の付属牧場で実習を行ったり自主的に酪農家へ出向いたりするなど、多くの酪農現場を経験し、さまざまな酪農経営者と触れ合う中で、自身も酪農経営に興味を抱くようになった。卒業後はこれらの経験を生かして、同大学の付属牧場に勤務し、酪農に必要な知識や技術を学んだ。3年半勤務した後、大学の関係者から酪農ヘルパー組合はまなす(西興部村地区担当)を紹介され、28歳の時に酪農ヘルパーとして勤務を始めた。

 
 勤務当初、眞家氏を含む4名の酪農ヘルパーで管内(西興部村)17戸の酪農家を担当していたが、それぞれの生産者で異なる酪農経営を目の当たりにすることで、飼養管理だけでなく自ら思い描く経営のビジョンを固めていった。また、生産者や組合関係者とコミュニケーションを取る中で、酪農経営を営むに当たっての心構えを学び、徹底した飼養管理や労働時間の短縮化に対する高い意識を持つようになった。このことが、今日の酪農経営の大きな礎になっている。
 その後、西興部村を担当するJAオホーツクはまなすの職員から、体調不良を理由に離農を検討している農家の紹介を受けた。そこで、結婚前に新規就農者支援事業を活用し、当該農家で研修後、飼養中の乳牛、牛舎および附帯設備、住居を全て引き継ぎ平成26年(当時31歳)に就農した。
 就農先の希望地域は特になかったという眞家氏だが、西興部村は他地域に比べて子育て支援や医療費助成などの手厚い福祉制度があったことも、同村での就農を決心した要因の一つであった。
 かつて勤務していた大学の付属牧場では、設備面ではフリーストールパーラーやロボット牛舎といった一般的な飼養環境だったものの、個人の酪農経営と比較して圧倒的に手厚い人員体制だった。その経験を踏まえ、就農時から、1人でも対応できるような省力的な動線を考えることに重点を置き、身の丈に合った経営を目指した。

(2)経営概況

 現在、妻と娘2人の4人で暮らす眞家氏は従業員を雇用しておらず、子育ての合間を縫って妻が作業を手伝ってくれることもあるが、基本的には1人で従事している。牛舎には、経産牛52頭を含む約90頭を飼養しており、搾乳牛がつなぎ、育成牛はフリーバーン、初生牛などはカーフハッチやカーフペンによって飼養されている(表2、写真2、3、4)。なお、年間搾乳量は1頭当たり8500~9000キログラムである。搾乳は4器のパイプラインミルカーで行い、朝夕2回の搾乳は1回3時間程度を要する(写真5)。







 
 
 ふん尿は、牛舎内の排出口から牛舎外の堆積場まで送られる仕組みになっている(写真6)。これらの回収は同村において、近隣酪農家の出資により設立されたバイオガス施設「西興部バイオドリーム」が行っていることから、排せつ物の処理に悩まされることはない。

 
 集乳は、原則2日に1回昼頃に行われ、眞家牧場では2日分の生乳が入るバルクを設置して対応している。なお、現在、西興部村管内で生産された生乳は紋別市内の乳業工場で取り扱われている。
 日々必要な消耗品である敷料については、コストを考え、村内のギター製作工場に自ら出向いて交渉を行い、加工途中の木くずなどを無償で譲り受けることによって自家調達を可能としている。

5 眞家氏の取り組みと理念

(1)酪農家で構成される飼料組合の利用

 飼料の調達にはTMRセンターを利用せず、継承元が加入していた飼料生産を共同で行う組合「239グラスマスター利用組合」に眞家氏も加入し、西興部村の豊富な牧草地を生かして自給飼料の生産に努めている。239とは西興部村を走る国道239号線を意味し、この組合は近隣酪農家4戸で約290ヘクタールの飼料畑に牧草やデントコーンの作付けを行っている(表3)。収穫期は全員で1週間程度の短期間で集中的に刈り取りを行い、外部から輸送専任者を短期雇用するなど、安定した飼料生産に取り組んでいる。眞家氏は「先代からの意思を受け継ぎ、組合に穴を開けたくなかった」と話すが、同氏にとっては、このような環境は地域との交流の場でもあり、個人では労働力を十分に確保できない飼料生産の省力化に大きく寄与し、粗飼料は全て自給飼料で賄えていることから、安定的な飼料確保につながっている。

 

(2)設備投資へのコスト意識

 眞家牧場の牛舎や牛舎内の設備は昭和50年代後半に建設され、継承元から引き継いだ後、今日に至るまで大きな改修などは施していないが、経年劣化により修理や修繕が必要となることもある。牛舎の構造に関わる部分については外部業者の手を借りるが、眞家氏は「牛舎や機械の基本的な修理修繕を農家がやれるのは当たり前」という考えのもと、溶接も含めた一定程度の処置は自身で行う。
 また、日々の作業効率をより向上させるため、定期的に利用している酪農ヘルパーの意見を基に作業動線上の設備などを自ら改修し、省力化を図っている。
 現在は、経営規模を拡大することなく、こうした取り組みを積み重ねることにより経営基盤を固め、将来に向けた準備をしている。

(3)担い手育成に向けた取り組み

 眞家氏は、JAオホーツクはまなすを介した新規就農者や就農希望者との意見交換の場で、積極的に話を聞き自身の経験に基づいた助言を行っている。その中で経営ビジョンを明確にすることの重要性を説いており、特に、設備投資については、資金の償還計画を熟慮した上で、中長期的な経営の観点から慎重に検討するよう助言している。

(4)JAオホーツクはまなす青年部への参加

 平成30年までJAオホーツクはまなす青年部の副部長として、子どもを対象とした食育活動や農業祭への出展、生産者同士による生産技術向上のための勉強会などさまざまな活動を行ってきた。こうした活動を通して、数多くの農家や関係者と意見交換はもちろんのこと、互いの牧場を気軽に行き来したりするなど、生産者同士で親交を深めた。

6 今後の展望や課題

 前述の通り、眞家氏は就農前のさまざまな経験を生かして、理想的な酪農経営を模索し追い求めてきた。つなぎ牛舎が満床となった現在、同氏は、足腰が強く長命連産性の高い牛を生産することを目指している。増頭などの規模拡大は行わず、現在の飼養頭数と乳量を維持しつつも、平均産次数を3産から4産に伸ばすことによって個体販売を行う目標を立て、牛の能力を最大限に引き出すことを念頭に置く。規模拡大を求めない理由は、現在は239グラスマスター利用組合で所有している耕作地での生産で確保できている粗飼料が、規模拡大によって自給で十分に賄えなくなると懸念されるためである。さらに、眞家氏は「現在の頭数と乳価で一定水準の生活は維持できることから、今後は、いかに休暇を取得できる環境を整えるかが重要」と話す。
 実際、毎日の飼養管理や搾乳のほか、春から秋にかけては自給飼料の生産作業も発生するため、休暇の取得は難しい。しかし、2人の幼い子どもとの時間を確保するため、平日に仕事を重点的に行い、子どもが休みとなる土日の日中は外に遊びに行く時間を設け、仕事とのメリハリをつけることを強く意識している。今後も休暇の取得は大きな課題であるが、今は自身の手の届く範囲で経営を行い、将来的には従業員の雇用も視野に入れている。眞家氏は、従業員を雇用できる酪農経営によって「酪農家が休暇を取得し、一般家庭と同様に酪農家が休暇を楽しめる環境を実現することが、酪農家の担い手増加につながる」と考えており、日々奮闘している。
 今日、酪農を取り巻く情勢として担い手育成や後継者の人材確保も重要であるが、一般的に労働拘束時間が長い酪農家にとって、日々の労働力の確保や休暇の取得は大きな課題である。また、昨今の酪農経営の大規模化や法人化により、搾乳ロボットの導入など設備投資による省力化の動きが加速する中、個人経営での労働力の確保には限界がある。こうした状況を解消するための手段の一つとして、酪農ヘルパー制度の活用や普及が求められている。眞家氏自身も勤務経験があるからこそ、積極的に酪農ヘルパーを活用しているが、酪農ヘルパーの人員確保も課題と言える。

7 おわりに

 北海道西興部村は、オホーツク海の内陸に位置する山に囲まれた小さな村であるが、豊富な土地資源に恵まれ、またTMRセンターやバイオガスプラントといった施設が整備されている地域であることから、酪農を営む上で理想的な環境と言えよう。しかし、JAオホーツクはまなすは、「将来的に後継者不足による離農により、生産基盤の弱体化や生乳生産量の減少が見込まれ、さらに地域コミュニティの崩壊が予想される」と危惧する。
 西興部村を含め、北海道内の多くの市町村で高齢化や人口減少が進む中、酪農は今後も重要な基幹産業であることは言うまでもないが、担い手や新規就農者の存在は、生乳生産だけではなく地域社会を持続的に維持していくために必要不可欠なものとなっていくだろう。
 将来的に、酪農経営の一つの形態として、眞家氏のように一定の経営規模を維持しつつ、生産基盤の強化や個体販売など、生乳生産以外の取り組みの拡大により収益性の向上を図ることで、ゆとりある経営を実現できる酪農家が増えることを期待したい。

謝 辞
 本稿の執筆に当たり、調査にご協力いただいた眞家裕史様、JAオホーツクはまなすおよび現地関係者の方々に、この場を借りて深く御礼申し上げます。