(1)就農に至るまでの経緯
茨城県石岡市出身の
眞家裕史氏は、昭和57年生まれの37歳である(写真1)。酪農学園大学在学中に大学の付属牧場で実習を行ったり自主的に酪農家へ出向いたりするなど、多くの酪農現場を経験し、さまざまな酪農経営者と触れ合う中で、自身も酪農経営に興味を抱くようになった。卒業後はこれらの経験を生かして、同大学の付属牧場に勤務し、酪農に必要な知識や技術を学んだ。3年半勤務した後、大学の関係者から酪農ヘルパー組合はまなす(西興部村地区担当)を紹介され、28歳の時に酪農ヘルパーとして勤務を始めた。
勤務当初、眞家氏を含む4名の酪農ヘルパーで管内(西興部村)17戸の酪農家を担当していたが、それぞれの生産者で異なる酪農経営を目の当たりにすることで、飼養管理だけでなく自ら思い描く経営のビジョンを固めていった。また、生産者や組合関係者とコミュニケーションを取る中で、酪農経営を営むに当たっての心構えを学び、徹底した飼養管理や労働時間の短縮化に対する高い意識を持つようになった。このことが、今日の酪農経営の大きな礎になっている。
その後、西興部村を担当するJAオホーツクはまなすの職員から、体調不良を理由に離農を検討している農家の紹介を受けた。そこで、結婚前に新規就農者支援事業を活用し、当該農家で研修後、飼養中の乳牛、牛舎および附帯設備、住居を全て引き継ぎ平成26年(当時31歳)に就農した。
就農先の希望地域は特になかったという眞家氏だが、西興部村は他地域に比べて子育て支援や医療費助成などの手厚い福祉制度があったことも、同村での就農を決心した要因の一つであった。
かつて勤務していた大学の付属牧場では、設備面ではフリーストールパーラーやロボット牛舎といった一般的な飼養環境だったものの、個人の酪農経営と比較して圧倒的に手厚い人員体制だった。その経験を踏まえ、就農時から、1人でも対応できるような省力的な動線を考えることに重点を置き、身の丈に合った経営を目指した。
(2)経営概況
現在、妻と娘2人の4人で暮らす眞家氏は従業員を雇用しておらず、子育ての合間を縫って妻が作業を手伝ってくれることもあるが、基本的には1人で従事している。牛舎には、経産牛52頭を含む約90頭を飼養しており、搾乳牛がつなぎ、育成牛はフリーバーン、初生牛などはカーフハッチやカーフペンによって飼養されている(表2、写真2、3、4)。なお、年間搾乳量は1頭当たり8500~9000キログラムである。搾乳は4器のパイプラインミルカーで行い、朝夕2回の搾乳は1回3時間程度を要する(写真5)。
ふん尿は、牛舎内の排出口から牛舎外の堆積場まで送られる仕組みになっている(写真6)。これらの回収は同村において、近隣酪農家の出資により設立されたバイオガス施設「西興部バイオドリーム」が行っていることから、排せつ物の処理に悩まされることはない。
集乳は、原則2日に1回昼頃に行われ、眞家牧場では2日分の生乳が入るバルクを設置して対応している。なお、現在、西興部村管内で生産された生乳は紋別市内の乳業工場で取り扱われている。
日々必要な消耗品である敷料については、コストを考え、村内のギター製作工場に自ら出向いて交渉を行い、加工途中の木くずなどを無償で譲り受けることによって自家調達を可能としている。