(1) 北海道浜中町における支援体制
ア 浜中町就農者研修牧場について
浜中町農協は、2009年に農協他9社が出資する株式会社酪農王国を設立するなど、地域振興や担い手育成のため、常にリーダー的な存在として新たな取り組みを行ってきた
(注4)。しかし、酪農が基幹産業である浜中町においても、高齢化や後継者不足による離農が相次ぎ、酪農家戸数の減少が懸念されている。そこで浜中町では、同農協を中心に酪農関連機関・団体が協力して、新規就農希望者を総合的にバックアップする支援体制を構築している。この支援システムの基軸が「浜中町就農者研修牧場」(以下「研修牧場」という)である(写真1)。
(注4) 本場は経産牛118頭、未経産牛59頭を飼養し、牧草地116ヘクタール(2020年12月末現在)において放牧を主体に年間864トン(2019年度)の生乳を生産している実践牧場である。また、株式会社酪農王国は、浜中町農協50%、建設業等49.5%、その他0.5%出資により、常時600頭を飼養している。年間およそ2400トンの生乳を生産し、建設業などの異業種との連携により地域社会、地域経済、離農跡地の再編、担い手育成を目的に設立された地域の基幹牧場である。
研修牧場は多様な就農形態に対応するため、2004年に法人化し、実習受入れは原則として夫婦またはパートナーがいることが前提となっている。研修牧場は大別して「本場」と「分場」があり、研修生は本場での研修を経て、分場の経営を開始する(図5)。敷地内に研修生用住宅を完備し、本場事務所の一角には子供部屋を設置するなど、親子でも集中して研修ができるようにリモートワークの環境も整備されている。本場において2〜3年の研修を行った後に、分場の管理者として1〜2年運営し、その分場を取得させる。分場の多くは、農地所有適格法人である浜中町農協が離農跡地を取得したものであり、新規就農者は農地中間管理機構である北海道農業公社の農場リース制度を活用し、分場を取得している。浜中町では研修牧場勤務の有無に関わらず、農場リース制度により新規参入を支援し、さらに新規就農者誘致条例により、リース料の半額助成、5年間の固定資産税相当額の助成も行っている。1982年以降これまでに41戸の新規参入経営を輩出しているが、病気やけがの数戸を除くほとんどの経営体が現在も活躍している。
イ 新規参入の事例報告
2017年7月に実施したアンケートから
[1]、研修牧場を経て新規参入した2戸、研修牧場以外の2戸に対してヒアリングを行った(表5)。就農の動機と出身地はさまざまであるが、特筆すべきは研修牧場の評価である。多くは研修生同士の考え方や関係維持に不満を抱き、研修中の人間関係は複雑のようだ。しかし、評価する点に注目すると、実践的な研修を受けられる上で、安定した給与が保証され、就農地の情報や就農後の支援・資金調達において、浜中町農協によるサポート体制が構築されていることが挙げられていた。また、子育てをしながら地域との関係を築けたことも、新規就農までの環境整備として高い評価が得られていた。
研修牧場は新規参入の有効な方策であり、地域が一丸となって新規参入を後押ししていることが分かる。
(2) 栃木酪農における離農の現状と経営資源の活用
2018年における栃木県内の酪農家戸数は725戸であり、2農協の酪農家戸数は585戸であることから、およそ8割を網羅している。各農協管内の概要、過去5年間(2014〜18年度)の離農者数・年代、離農理由および離農後の牛舎の活用状況を把握するとともに、新規参入に関する意識調査を行った。離農した酪農家の詳細は、営農指導担当者らの記憶および帳票類などを基に分析を試みた。
2農協の経営主は、40歳代以下・50歳代の割合が約20%と低い。一方で、60歳代以上が55%以上と高く、過半数に達している。後継者不在率は33.2%、今後5年間に離農予定の経営体は8.4%となっており、具体的にはおよそ50戸と推察される。2014〜18年度に搾乳を中止している経営体数は、5年間で合わせて99戸であり、60歳以上が72.7%を占めていた(表6)。
ア 過去5年間の離農者の概要
離農時の年齢は、50歳未満が8.1%と最も少なく、次いで50歳代の19.2%、60歳代以上は72.7%と極めて高かった(表7)。
60歳以上の離農理由は「後継者不在」および「経営主の高齢化」が多く、50歳代では「けがや病気」を理由とする離農が最も多い。 50歳未満は「経営維持困難」が37.5%と最も高く、次に「けがや病気」、「肉牛経営以外への転換」がともに25%となっていた。概観すると、離農の理由は「後継者不在」「経営主の高齢化」に集中しているが、離農酪農家のうち、およそ2割が肉牛経営やそれ以外の農業への転換など酪農以外の農業に従事していることが明らかになった。肉牛経営への転換は各年齢層に10%以上存在しており、高齢化やけが・病気など、搾乳労働などへの負担を理由に肉牛経営に転換することで、農業経営を継続しているものと考えられる。これら搾乳を停止して黒毛和種繁殖経営もしくは肥育経営に転じる経営は、都府県の特徴として捉えることができる。次に、離農後の経営資源がどのように活用されているのかを概観したい。
イ 経営資源の有効活用
台帳・記録が整備されていたB農協を対象に、離農農家の牛舎および農地の利用状況について調査した。当該農協管内は 2014〜18年にかけて71経営体が離農している。離農後の牛舎を(1)売却(2)賃貸していた経営はそれぞれ2.8%であった。主な理由は、「離農後の収益確保」、「地域貢献」が挙げられた。次に、(3)離農者が自ら活用している経営は22.5%であり、その理由は、酪農引退後に肉牛経営へ転換し、収入を得ることであった(図6)。さらに、(4)未活用は70.4%と高値を示し、主な理由は「買い手がいない」66.0%、「荒廃・老朽化している」70.0%であり、牛舎はすでに利用できず、何らかの修繕や改修が必要であり、有効活用が困難であることがうかがわれる。
離農跡地への独立就農は、改修費に加えて、高額な乳牛導入費などを要することから現実的ではなく、搾乳を停止する前に経営継承を促すことが望ましい。しかし、農協単独による就農支援は困難であり、地域全体の優先すべき課題として取り組むべきであるとの見解が示され、さらには町内、地区における酪農理解の醸成や酪農家同士の結束が不可欠であることが示唆された。
(3) 全酪連会員農協における支援体制の現状と課題
回答が得られた都府県11農協の概要と新規参入支援を表8に示した。11農協の酪農家戸数は1872戸、うち後継者不在の経営は768戸、41.0%であった。特にA農協は、酪農振興地域と思われるが、後継者不在率は68.4%と高く、新規就農対策を早急に講じなければ減少が加速する。
一方で、今後5年以内に離農を考えている酪農家は99戸、およそ5%であり、そのうち経営移譲を希望する酪農家は、わずか5戸にとどまっている。在村離農が多い都府県では、農地売買や経営継承の対応がなされていない。また、これら酪農家の多くは経営移譲を希望していないことから、農地の多くは土地持ち非農家により賃貸借で利用され、結果として村外離村による継承はまれで、課題解決に向けた抜本的な方策を打ち出さなければならない
(注5)。
有形資産への支援は、「補助金の拡充」や「初期投資への助成」など資金的支援が多く、無形資産の支援は、担い手の研修制度など、技術支援に関する要望が挙げられた。このように、資金支援の拡充を期待する一方で、国や県に対し、「情報の一元管理」、「長期間にわたる支援体制」、「関係機関との連携」など初期段階におけるマッチング支援への期待も多数見られたが、その多くが農協単体での実施が難しい内容であることが明らかになった。また、労働時間の軽減、地域住民との環境問題の改善、酪農理解の醸成など、広範囲にわたる協力の要請も見受けられた。
次に、新規参入した5戸の経営について見てみよう。F酪農家は放牧酪農の形態で独立就農しているが、都府県の新規参入の多くは賃貸により、第三者経営継承で就農している(表9)。全ての経営で自給飼料はほとんど生産しておらず、小規模経営であることがうかがわれる。
(注5) 長田らは都府県の新規参入について、賃貸により経営を開始することができるが、経営地に住居を構える大家との関係悪化も新規参入経営が持続しない一因として指摘している[2]。
(4) 都府県におけるさまざまな新規参入事例
搾乳を停止させることなく経営継承に結び付けるためには、適確な情報を新規参入希望者へ伝えることが重要となる。本節では、農協などの関連機関と酪農家、地元の関係者などが情報を収集し、地域と行政機関が一丸となって新規参入を支援している事例に焦点を当て調査を行った。
島根県雲南地域のJAしまねおよびJAしまね雲南地区本部は、
木次 乳業有限会社(以下「木次乳業」という)と連携し、新規参入の推進を強化している。1962年に設立された木次乳業は、木次町内の牛乳販売組合と提携し、生乳生産基盤の確保のためいち早く新規参入の対策を講じ、10年間で3戸を新規参入させている。木次乳業の関わりは、JAしまねから請負う酪農ヘルパー事業の事務局と
日登 牧場での研修である。農事組合法人日登牧場は、木次乳業代表取締役の佐藤貞之氏が代表理事を務め、1990年に開設した牧場である。およそ80頭のブラウンスイス種を山地酪農の形態で飼養し、研修牧場の機能も持ち合わせている。木次乳業が関与して新規就農に導いた経営の経緯と資産の継承について表10に示した。
J酪農家は高知県の畜産系の大学を卒業後米国へ渡り、就農を決意している。委譲希望者の体調不良を機に、継承を生乳集荷先である木次乳業に相談していた。J氏は充分な営農技術を習得していたことからマッチングが急速に進み、居抜き継承で2009年に新規参入した。J酪農家は制度資金や自治体の情報を一切利用せずに就農したまれな事例ではあるが、木次乳業と仲介した家畜商の関与は大きい。また、地域との関係構築において、前経営者は畜産環境問題をおろそかにしていたため、J氏の就農に対し否定的であり、就農時のJ氏の苦労は計り知れないものがあった。しかし、堆肥舎の建設や環境美化に努め、地域の集会やイベントに積極的に参加するなど、今では地域の担い手として中心的存在となっている。
広島県出身のK氏は、島根県雲南市の酪農ヘルパー職員として7年間勤務し、その後、日登牧場に8年勤務している(写真2)。この間に、木次乳業より移譲希望者の情報が提供され、2015年に第三者経営継承で就農した。移譲希望者は体調不良を理由に離農を決意し、酪農ヘルパー時代から面識があったK氏と4カ月という短い併走期間により継承された。牛舎および農用地は購入により取得し、同時に乳牛30頭も引き継いでいる。売買価格の設定は、農協や家畜商などの第三者が仲介し、酪農ヘルパーとして多くの技術を習得していたこと、日登牧場や木次乳業を通じて地域との関係を築いたことから順調に継承された。自己資金はなく、認定新規就農者制度や農業次世代人材投資事業(経営開始型)を利用している。移譲者は在村離農ではあるが親密な関係を築けていることから、通勤酪農のK氏にとって緊急時の対応など、良き理解者として関わり続けており、望ましい継承事例である。
ダム建設で排出された残土造成地活用のため、ダム建設土地管理協議会(以下「協議会」という)の委員であった佐藤貞之氏により、当該調整地への酪農新規参入の募集がなされた。その情報は島根県出身で公益社団法人山口県畜産振興協会に勤務していたL氏に伝わり、日登牧場での2年間の研修を経て、2012年に独立就農した。新規参入希望者の条件は、40歳未満の夫婦であること、放牧を実施することであり、L氏はかねてから放牧酪農を希望していたことから、就農を決意したという。牛舎・施設地はすべて賃貸で、放牧地15ヘクタール含む25ヘクタールの共有地は、協議会が賃借料相当の管理費をL氏に支払うことで、残土調整地を管理放牧地として利用している(写真3)。フリーバーン牛舎・アブレストパーラーを新設し、収容頭数は30頭である。L氏は初期投資を抑えるため、搾乳機械などの施設を中古で導入し、施設・設備に要した金額はおよそ1700万円、離農する酪農家の乳牛の導入費用540万円、合わせて2200万円であった。認定新規就農者制度、農業次世代人材投資事業準備型・経営開始型、青年等就農資金、経営体育成支援事業のほか、公益財団法人ふるさと島根定住財団の定住支援も活用した。現在、酪農教育ファームを通じて地域に貢献し、酪農理解の醸成に努めている。
この地域の新規参入において、すべての事例で木次乳業の佐藤貞之氏が関与し、有形資産の継承はもとより、営農技術の習得や地域住民との関係構築まで携わり、貢献度は非常に高い。また、日登牧場は研修牧場として担い手を育成している。これは属人的とも言える支援ではあるが、新規参入の後押しに有効的な手段であることが示唆された(図7)。
経営継承は、経営主の高齢化や後継者不在の他に、けがや病気など焦眉の急を要する離農もあり、これら経営への迅速な対応が円滑な継承につながる。木次乳業の推進活動は、生乳生産基盤の強化により、生乳を確保することと捉えられるが、先代の佐藤忠吉氏は、かつての小さな集落での相互扶助の生活、教育や産業まで、地域活性化のためすべてを共有する「地域自給に基づいた集落共同体の復活」を目指し活動していた。貞之氏もこの精神を踏襲し、適宜変化する多様な就農環境において、持続可能な支援体制を確立している。