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特集:畜産の持続的発展の実現に向けた取り組み 畜産の情報  2021年10月号

神奈川県の酪農における新たな担い手の確保〜酪農経営の第三者継承の事例〜

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神奈川県畜産技術センター 企画指導部 普及指導課 齋藤 直美

【要旨】

 神奈川県内の酪農家戸数の減少が続く中、担い手確保が喫緊の課題となっている。今回、当所がコーディネーターとなり、関係機関と連携して県内で初めて酪農経営の第三者継承を実現したので、本稿では当所の取り組みを中心に紹介する。

1 背景と課題

 本県の酪農は、都市化の進展や経営者の高齢化・後継者不足などにより乳用牛飼養農家戸数・飼養頭数ともに減少が続いている(図1)。


 経営体の多くは、家族経営であり、後継者がいないことが廃業理由として大きいことから、酪農事業への新規参入や経営の第三者継承などによる新たな担い手の確保が、酪農経営継続の一つの手段になると考えられる。しかし、県内酪農家には第三者継承を行うという発想がほとんどなかった。
 今回、継承希望者から酪農経営の継承による新規就農の相談を受けていた当所では、移譲希望者(秦野市)が後継者不在による廃業に向けて、事業継承を検討していたことから、令和2年3月に両者の意向を確認し、経営継承支援を行うこととした。
 移譲希望者の廃業予定が約1年後(令和3年3月末)と決まっていたため、経営継承までの期間が非常に短期間であった。さらに、県内には酪農事業の第三者継承の事例や経営継承システムがないことが大きな課題であった。そこで、期間内に経営継承することを目標として、(1)経営継承システムの構築、(2)各種計画作成の支援、(3)経営者としての技術習得の支援、(4)資産評価と売買契約の支援ーを中心に関係機関と連携して取り組んだ(図2)。


 本県では新規就農希望者に対して、県の農業の担い手育成機関であるかながわ農業アカデミーが就農相談窓口となり、就農相談、農業技術の習得、営農計画の作成支援を行っているが、畜産コースがないことから、かながわ農業アカデミーと連携し、当所が中心となって各種計画の作成支援、技術習得の支援を行った。

2 第三者継承実現に向けた活動の内容 

(1)継承の舞台となった秦野市の農業

 今回、酪農経営の第三者継承が行われた秦野市は、神奈川県の西部に位置する首都圏の近郊都市である(図3)。北方には神奈川県の屋根と呼ばれている丹沢山塊が連なり、南方には渋沢丘陵が東西に走り、県下で唯一の典型的な盆地を形成している。降霜・降雪は少なく、比較的温暖で、湧水が多く、昭和60年には、秦野盆地湧水群が環境庁により「名水百選」に選定されている。


 秦野市では野菜、果物、花きなどが栽培され、都市近郊であることから、収穫体験、農園オーナーなどの観光農業にも取り組むほか、大型の農産物直売所では、豊富な新鮮野菜や農産物・加工品が販売され、多くの県民が訪れている。秦野市の酪農家戸数は13戸で、伊勢原市、平塚市、相模原市に次いで、県内第4位で、市内の農業産出額の内訳では、酪農が野菜に次いで2番目に多い(図4)。しかし近年は、高齢化や後継者不在などの理由による廃業で、戸数が減少している。


 

 (2)移譲希望者と継承希望者

 移譲希望者は、父の代から秦野市の畜産団地で、妻と2人で牛舎規模54頭の酪農経営を営み、県の乳質改善共励会でも表彰されるなど、良質乳を生産してきた。近年は、後継者が不在であること、今後の人生設計においてやりたいことがあることから、廃業の期日を明確に定め、計画的に次世代に経営を移譲したいという強い希望を持っていた。
 継承希望者は神奈川県出身で、実家は非農家であるが、幼少期の観光牧場での体験から、大学では酪農を専攻した。卒業後は、県内外の牧場で従業員として勤務し、経験を積む中で、神奈川県内で酪農経営を営みたいという夢を持つようになり、土地、牛舎、機械、牛すべてを新規で準備するのは資金面からも困難なことから、第三者継承のような形で経営開始できる機会を探していた。
 

(3) 経営継承システムの構築

 県内に酪農事業の第三者継承の先行事例や経営継承システムがないことから、他道県の情報も参考にしつつ、試行錯誤しながらも、重要なポイントを押さえて経営継承システムの構築を進めた。
 具体的には、第三者継承にかかる各種手続き、資金調達、技術習得、資産評価など多岐にわたる項目に漏れがないように、当所がコーディネーターとなり市役所、農業委員会、都市農業支援センター(JA含む)、日本政策金融公庫と連携して令和2年4月に「秦野市酪農事業継承会議」(以下「継承会議」という)を発足し(図5)、ここで継承に向けた課題の洗い出しと解決を図ることとした。継承会議は、移譲希望者、継承希望者が出席の下で、月1回の定期的な会議(写真1、表1)を開催し、各機関の役割分担を決め、課題解決の方向性や進捗しんちょく状況を共有し(情報の一元化)、全員が共通認識を持てるように工夫して運営した。経営継承までの期間が短期間であるという課題に対しては、経営開始目標である令和3年4月1日から逆算して、移譲希望者と継承希望者のそれぞれのスケジュールを立てて支援を行った(図6)。各機関は、このスケジュールを基に必要な時期に必要な準備と支援を行った。
 秦野市では、酪農事業の新規参入の事例はなかったが、耕種部門において新規参入の受け入れ実績があり、スムーズな支援につながった。
 

 


 

(4)各種計画作成の支援

継承希望者への支援
 当所は、継承希望者の青年等就農計画、青年等就農資金借り入れのための収支計画の作成支援を行った。継承希望者は意欲的に青年等就農計画を作成したが、当初は経営指標など根拠となる数値を正しく把握していなかったため、やや現実的ではないという課題があった。計画作成に時間的余裕はなかったが、継承希望者が、自ら実現可能な計画を作成するために「酪農経営に関する勉強会」(写真2)を継続的に実施した(令和2年9月から12回実施)。勉強会開始当初は、継承希望者が思い描いた夢と継承する牛舎や牛群を引き継いで経営する現実の飼養管理や経営数字にはギャップがあった。


 そこで、移譲希望者や以前従業員として従事していた酪農家の飼養管理について、普及指導員が質問し、その場で分からなかった点を、移譲希望者から聞き取るなどして、次回の勉強会までに調べることとした。継承希望者は移譲希望者などとコミュニケーションを深めていく中で、酪農経営者として必要な知識を身に付けていった。また、耕種農家のように年間ごとに栽培計画が完結する経営と異なり、搾乳牛の飼養計画は、交配から始まり、出生、育成と年をまたいで長期間にわたるため、乳牛の飼養頭数動態(表2)を一から積み上げた。まず、移譲希望者から提供された牛群の繁殖台帳や決算書の減価償却資産台帳、育成牛のリストなどから、継承する予定の乳牛の年齢・産次構成、繁殖成績、健康状態を把握することからはじめ、当所の作成した「交配シミュレーション」を活用し、交配計画の立て方を理解し、飼養頭数動態表を作成した。飼養頭数動態表から売上、経費などを算出し、移譲希望者などから得た情報も加味し、移譲後の経営シミュレーションを繰り返すことで、経営安定のために何をしなければならないかを理解し、借入資金の返済も含めた現実的な経営計画、収支計画を作り上げるに至った。


 

(5)経営者としての技術習得の支援

ア 継承希望者への支援
 継承希望者は、酪農家での勤務経験があり、一定の飼養管理技術を習得していた。しかし、酪農技術の捉え方が従業員と経営主では大きく異なり、経営主となるためには、新たに習得すべき知識や技術も多かった。そこで、以前、継承希望者が勤務していた酪農家の視察を企画した。継承希望者が従業員と経営主の考え方の違いを改めて認識できるよう支援した。継承希望者は、視察酪農家から経営者としての判断や決断は夢だけでは成り立たないこと、利益を上げながら少しずつ設備投資していくことなどを学び、考え方を改める転機となった。視察酪農家は、技術水準も高く、研修生を積極的に受け入れるなど、継承希望者の目指す経営理念と一致しており、継承希望者が目標とする経営であることが、よく理解できた。また、継承希望者と視察酪農家や周辺酪農家との良好な人間関係から、コミュニケーションが良くとられ十分な信頼関係が築かれていたことが伺えた。
 また、当所が農業後継者を対象に、酪農技術全般の習得状況を自己評価するために使用している「現状チェック表」を活用し、継承希望者が、経営者として必要な技術や知識にはどういったものがあるのかを知るとともに、自身のウィークポイントを認識する支援を行った。継承希望者がウィークポイントを補い、効率よく技術習得するための計画(表3)を継承希望者と話し合いながら作成し、計画に基づき実践することを支援した。


イ 移譲希望者への支援
 継承までの技術伝達の一つとして、移譲希望者が継承希望者を従業員として雇用し、移譲希望者との併走期間を設けたことから、就業条件、雇用契約の作成支援を行った。また、移譲希望者にも継承希望者の技術習得計画を伝え、併走期間中に効果的な技術伝達をするよう支援した。これに応えて移譲希望者は、共同作業から段階を経て継承希望者が最終的には一人で作業ができるように、施設や機械の利用に関するノウハウを引き継いだ。また、新型コロナウイルスのまん延により、JAの酪農部会などの会合が、開催されないことが多い状況であったが、少ない機会を捉えて、地域の農業関係者との交流についても引き継いでもらった。
 

(6)資産評価と売買契約の支援

ア 移譲希望者への支援
 移譲希望者から継承希望者への、資産(土地、牛舎、機械、牛など)の継承に向けて、資産評価の根拠となる資料作成を支援した。土地・建物は固定資産税による評価額、機械や牛は減価償却資産台帳による簿価をベースに、機械は中古品としての価値、牛は処分益を加味するなどして資産評価額を客観的に整理した。

イ 継承希望者と移譲希望者の仲立ち支援
 中立的な立場の当所が移譲希望者と継承希望者の間に入り、双方が納得できる資産評価結果を導き出し、これに基づいて売買契約書などの作成を支援した。
 具体的には、移譲希望者が作成した資産評価額を継承希望者に提示し、双方が充分に条件などの確認を行ったうえで、最後に継承会議で確認するという段取りとし、これらの過程を当所が第三者として仲介した。その都度、交渉の内容と議論の結果である決定事項を文書化した。これにより、売買契約に向けた共通認識の形成が継承会議に見守られる形で一定の方向に効率よく進めることができた。

3 活動の成果

(1)経営の継承

 令和3年2月に継承希望者が認定新規就農者の認定を受け、日本政策金融公庫により青年等就農資金の融資を受け、移譲希望者から機械、牛などを購入した。令和3年4月1日より移譲希望者から継承希望者が土地と建物を借りて、主体的に酪農経営を開始した(写真3)。
 

 

(2)継承者と移譲者の感想

 継承者は、夢であった酪農経営を自身の実家のある神奈川県で開始することができ、意欲的に酪農に取り組んでいる。また、自身の経験から新規参入を志す人の研修受け入れなどを、支援したいと語っており、地域の酪農家や農業者との交流にも積極的に関わっている。
 移譲者は、長年営んできた酪農経営を譲ることができ安堵あんどするとともに酪農資産の譲渡によりまとまった収入もあり、これまで頑張ってきた酪農の退職金をもらえたようだと喜んでいる。一身上の都合により自身は酪農業を退くが、親から受け継いだ財産と酪農業を、意欲のある若者に引き継ぐことができた喜びと、地域農業の活性化に役立てたことにも大きな意義を感じている。
 

(3)地域の酪農基盤の存続

 地域では、酪農家の戸数と乳用牛の頭数の減少に歯止めがかかり、酪農基盤の存続につながったことに、喜びの声が上がっている(図7)。また、経営者の若返り(継承者は現在32歳)もあり、地域の関係機関は、これを機に新たな地域農業の振興につなげたいと意気込んでいる。

 

(4)県内酪農家への波及

 今回の普及活動を通じて継承希望者と移譲希望者の意向確認から事業継承まで一連の流れを関係機関とともに把握することができた。また今回の事例が、新聞や畜産関係の情報誌へ掲載されたことにより、県内畜産農家や関係者への情報提供を行うことができた(図8)。
 今回の事業継承の実現により、第三者継承が酪農の新たな担い手確保の選択肢の一つとなることを県内酪農家に認識させることができた。

4 今後の活動に向けて

(1)継承者の経営発展の支援

 令和3年4月1日の経営開始後、継承者は、畜産団地の酪農家や獣医師、また市、JAなど、関わりがある方々とよくコミュニケーションを取り良好な関係を築いている。また生乳生産は順調に推移しており、2年後に経営実績を農業委員会から認められれば土地、建物を購入する計画となっている。就農がゴールではなく、スタート地点であり、今回の継承者の経営安定が図られて初めて、県内初の第三者継承が成功したと評価されるので、当所は経営開始後も継承者を定期的に訪問して、経営の進捗状況の確認と飼養管理の改善点を助言するなどの支援を継続している(写真4)。

 

(2)新たな移譲・継承希望者への対応

 今回の取り組みにより、当所としては酪農第三者継承を支援するためのノウハウを蓄積することができたので、今後の要望や地域支援に活用していきたい。今後の支援対象となる継承希望者はさまざまな経歴を持つことが予想され、それぞれの経験や技術レベルに応じた対応が求められる。
 一方で、今回の第三者継承では、移譲希望者が早くから、経営継承の意向を表明しつつ、搾乳牛の飼養頭数をできるだけ減らさないなど、経営基盤を維持していたため、継承する資産も整っていたが、一般的に廃業を予定している酪農家は、新たに投資をせず、機械の老朽化や、後継牛を確保せず、乳牛頭数が減少した状態であることが想定され、継承後の早期の経営安定が難しい面もある。こうした課題の解決のためには、酪農団体と行政が連携した形で、移譲希望者を早い段階で把握し、継承希望者の情報を集約し、両者をマッチングさせるシステムの構築が必要となる。こうした施策展開に今回のノウハウを生かしていきたい。