(1)地域および経営の概要
ア 就農地の特徴と概要
田島氏が就農した広島県安芸高田市は、広島県の中北部に位置しており、北は島根県、南は広島市に接している地域である。人口は2万7296人であり、世帯数は1万3366戸、高齢化率は40.5%である(いずれも2022年4月現在)。
広島県といえば、大崎上島のレモン栽培に代表されるように、瀬戸内海側の温暖な気候がイメージされるが、安芸高田市をはじめとする北部の山間地域は、寒冷で積雪の多い地域である。このような気候を生かし、肉用牛や乳用牛の飼養が盛んな地域となっている。
安芸高田市の総土地面積は5万3775 ヘクタールであり、広島県内で6番目の広さである。同市の土地面積の内訳として、林野面積4万2696ヘクタール(79.4%)、耕地面積4270ヘクタール(7.9%)、田耕地面積3760ヘクタール(7.0%)、畑耕地面積517ヘクタール(1.0%)である
(注1)。
主要な農業生産は、水稲と麦類が展開されてきた地域である。令和2年産作況調査によると、水稲2220ヘクタール、麦類72ヘクタールとなっている。近年は、施設園芸などの導入が行われ、もっとも多いネギ類は61ヘクタール(農林水産省「2020年農林業センサス」)、そのほかレタスやアスパラガスなど、高収益性の作目の生産増加と産地化を図っている。
畜産については、乳用牛が12経営体で683頭、肉用牛が36経営体、採鶏卵が4経営体で1万2004羽、ブロイラーが1経営体となっている(いずれも農林水産省「2020年農林業センサス」)。
(注1) 総土地面積および林野面積は2020年農林業センサス、耕地面積は令和2年面積調査である。
イ 田島氏の酪農経営の概要
表1に、田島牧場の飼養管理と実績を示した。同表を基に、田島氏の酪農経営の概況を述べる。
田島牧場では2021年11月現在、経産牛31頭、育成牛(預託牛)11頭の合計42頭規模の酪農経営を営んでいる。年間の生乳生産量は183トンで、生乳販売金額は2300万円である。子牛販売の300万円を加えれば、年間売上高2600万円の経営規模となっている。
同牧場では前経営者から引き継いだつなぎ飼い牛舎を利用しているが、空いている牛床は残り4頭分しかなく、さらなる規模拡大を阻んでいる状況である。搾乳施設はパイプラインミルカーを利用し、生乳は、全量を広島県酪農業協同組合(ひろらく)に出荷している。飼料の主力となるのはTMRであるが、これはひろらくのTMRセンターから購入している。副産物であるふん尿の処理は、自宅から車で5分程度の距離にある地元JAのたい肥センターに2日に3回のペースで運んでいる。1回当たりの処理費用は、小型ダンプカー1台で1000円となっている。
田島牧場は、4人の労働力によって支えられている。田島氏夫婦2名と田島氏の弟(34歳)、義父(68歳)の4名である(2021年11月現在)。夫婦が日常的な作業を行い、田島氏の弟は週1回のペースで作業を手伝い、義父は週4回のペースで牛舎の改修を行ってくれている。現在は夫が牧場作業の主力となり、育休明けの田島氏は夕方の作業と事務作業を主に担当している。
(2)就農への決意と経営継承までのプロセス
田島氏が酪農経営を始めたいと思い至る経緯と、経営継承までのプロセスは、表2に示している。同表を基に田島氏の牧場開設までの道のりを見ていこう。
ア 新規就農を決意するまで
田島氏は、広島県広島市の出身で、高校を卒業するまで農業とは縁のない生活を送っていた。大学は、九州大学農学部で畜産を学び、ここで初めて酪農に触れることになる。牛に初めて触れたのは、大学3年生の時の「牧場実習」で、除角を体験した。
同大学卒業後は、そのまま九州大学の大学院に進学した。大学院修了後はもともと食糧問題に関心が強く、農林水産省に入れば食糧問題の解決にも貢献できるのではないかという思いから、同省を受験して無事に入省した。当時の田島氏は、農業をもうかる産業にすることによって食糧問題を解決したいと意気込んでいた。その後は霞が関の中で順調に活躍していた。
転機となったのは入省5年目の鹿児島県庁への出向であった。28歳〜29歳の2年間を鹿児島で過ごすことになるが、同県の農家と話す機会が多かった。農家と話す中で一つ大きな気づきを得ることになった。それは、農家からの「農業はもうかるんだけど、人は来ないんだよね」という話であった。農業はもうからないから働く人が少なくなっているのだと思っていた田島氏にとって、この農家の発言は衝撃的であった。この発言により、収入面ではない別の要因が新規就農を阻んでいると考え始めるようになった。
30歳の時に東京に戻ってからは、農林水産省の牛乳乳製品課での勤務となった。この勤務中に、北海道中標津町にある中村牧場で3泊4日のショートファームステイの機会に恵まれた。中村牧場で働く家族が楽しそう、幸せそうと感じたことと、当初、父、母、息子3人の家族経営だったのが、息子の妻の存在で一気に雰囲気も経営的にも良くなったなどの話を聞いているうちに「酪農って、なんだか面白そう」という思いが湧き上がってきた。機械や施設を導入することだけがすべてではなく、魅力的なプレーヤーが存在することで経営が変わることに魅力を感じたと言う。そして、自分もそんなプレーヤーになって、農業を盛り上げることができるのはないかと考えるようになったのである。
東京に戻った当初は公務員という仕事から離れるのに踏ん切りがつかなかったが、日々、中村牧場の人々のような生活をしたいという気持ちがあふれていった。今始めなければ、必ず後悔すると考えた田島氏は「酪農をやる」という決断を30歳のときにした。
イ 継承までの準備と牧場の立ち上げ
その後2年をかけて、新規就農に向けた準備をして、32歳の時に地元広島県にある大規模酪農経営に就職した。ここで従業員として学び、働きながら、いずれ迎える独立に向けて、広島県酪農業協同組合に相談も始めた。それから1年半が経過したときに、県内に廃業予定の牧場があることが伝えられた。同組合からは「経営者が高齢なため、もし酪農をやりたい人がいれば譲りたいと言っている牧場があるけど、どうかな」というお誘いを受けた。元の経営者自身も、脱サラ就農者で早く第三者継承を行った先輩という事実に縁を感じて、ここで経営継承をしたいと考えるようになった。
就農に当たっては、長期かつ無利子で貸与可能な国の青年等就農資金を活用して2700万円を借り入れている。内訳は表3の通りである。
また、農業次世代投資資金(経営開始型)も活用して、年間150万円の支援を受けている。これらの支援を受けるには、認定新規就農者になることが欠かせないが、認定を受けるための就農計画を県や広島県酪農協と毎日打ち合わせを続け、2カ月をかけて5年間の就農計画を立てることができた。
2019年3月からは、元の経営者からの引き継ぎを兼ねて、酪農技術などを教わりながら一緒に作業し、同年4月から本格的に「田島牧場」を立ち上げた。融資も同じ時期に決定し、晴れて酪農経営者としての第一歩を歩みだしている。
ウ 就農後の経営変化〜ライフステージの変化とともに〜
実際に就農してからは、想定外のトラブル続きだったと振り返る。軽トラックの故障を皮切りに、フォークリフト、ショベルカーが壊れる、家の床が抜けてしまうなどの問題が発生し、その修繕などに思いがけない出費がかさんだ。
このような事態を一変させたのが、現在の夫との結婚であった。これまで一人でやっていた作業も二人体制でできるようになり、だいぶ余裕が生まれた。就農から1年がたった2020年に二人は結婚したが、結婚するとすぐに双子の妊娠が分かった。双子ということもあり、6〜7カ月を過ぎたころからお腹も大きくなり、牛舎での作業ができない状況になってしまう。そんなときに夫が「俺も手伝おうか」と声をかけてくれ、それまで勤めていた建設業の仕事を辞めて、共同で経営に参画してくれるようになった。こうして夫は、田島牧場に欠かせない主力となった。
意外な助っ人となってくれたのが夫の父、つまり義父の存在であった。義父はもともと、鉄工所を経営しており、牧場の破損した鉄部品(壊れた牛舎のパーツから鉄製餌箱など)を何でも作ってしまうすご腕の職人であった。
(3) 第三者継承を通じて学んだこと
田島氏が実際に新規就農(第三者継承)を経験してみて分かったことは大きく二つあった。
一つ目は、余裕のある資金計画を立てるということの重要性である。借り入れの際、運転資金を500万円と想定していたが、これが圧倒的に少なかったと振り返る。まず、今の牧場が見つかった時には、これ以上の物件はないとの焦りから、各種施設、設備をしっかり確認できていなかった。このことが原因となりさまざまな故障事案が続出してしまうことになり、余分な出費が発生してしまったことを顧みている。
また、家族が増え、夫と二人で経営できることによって生乳生産能力が飛躍的に高まった。これにより増頭による規模拡大が可能となり、搾乳もと牛を導入するための追加的な資金が必要となった。このように想定外に備えた余裕のある資金計画をすることが肝要となる。
二つ目は、酪農ヘルパー業務は経験するべきであったと振り返る。就農前に多方面から酪農ヘルパーを経験するべきとアドバイスを受けていたが、大きな酪農経営法人で働いていた当時の田島氏は、日々のオペレーションはその経験でなんとかできると考えていた。しかし、実際に就農してみると依頼した酪農ヘルパー伝いにさまざまな情報を聞くことが多く、彼らの持つ技術の高さや情報の量に驚くとともに、助けられることになった。
こうした経験を経ながらも、田島氏は常に前向き思考で、日々の経営を営んでいる。2021年11月には、同じ敷地内に新居の建設も始まった。新規就農者をめぐる研究の中では、不動産を購入することが地域住民に定住する意思を示し、信頼を得るための良い行為だと指摘されている(内山(1999))。