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調査・報告 畜産の情報 2022年12月号

農業者福祉を高めて持続的酪農経営へ 〜酪農経営者の精神的健康状態と経営要因〜

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国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構 畜産研究部門
動物行動管理研究領域 加藤 博美

【要約】

 農業を営む「人」の健康のあり様は、農業の持続性に極めて重要である。特に、過重労働である酪農業を営む農業従事者の精神的健康状態は、他の産業よりも悪いと報告されている。そこで本研究では、酪農経営における経営要因のメンタルヘルスへの影響を評価し、二つの関係を定量的な調査により検討した。研究対象者は、北海道の酪農場の経営者81名(男性80名、女性1名)である。従事者の精神的健康状態は、抑うつ症状の程度を示すCES-Dで評価した。酪農業の経営要因として、17項目を取り上げ、特に重要な九つの経営要因を解析対象として、主成分分析および二項ロジスティック回帰分析を行った。結果として、経済効率(農業所得率)が高く、十分に飼料を供給し、乳質が高い(リニアスコアが低い)農家ほど抑うつであることが明らかとなった。今後も農業生産における農業者福祉の向上のため、農学研究者のみならず、さまざまな分野との協働が必要である。

1 はじめに〜農業者福祉とは?〜

 農業生産を支えているのは、農業従事者であり、農業従事者が心身ともに健康であることが、農業の持続性の要である。この“農業者福祉”の視点を無視して持続的農業を語ることはできない。研究グループでは、“農業従事者の健康”を1947年に採択されたWHO憲章の「健康」定義から解釈し、農業者の健康とは、 “肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること”と考え、農業者福祉の目指すところと考えている。

2 背景・目的

 少子高齢化が進み、日本の農村部では過疎化が進んでいる。過疎化は、教育、医療サービス、保健福祉制度などの社会サービスに悪影響を及ぼすと言われ、豪州や米国では、農村部に住む人の心身の健康レベルは都市部よりも低く(Dixon and Welch、2000; Hartley、2004; Smith et al.、2008)、日本でも同様の観察がなされている(Nishi et al.、2007; Kondo、2019)。特に、酪農家のメンタルヘルスのレベルは、他の産業の労働者に比べて低いと言われている(Wallis and Dollard、2008)。酪農家のメンタルヘルス低下の要因としては、経済的な問題、気候変動による天候不順、農場の将来に対する不安、農作物や家畜の市場価格、税金、医療費、家族との時間の不足などが挙げられている(Momose et al.、2008; Kearney et al.、2014; Daghagh Yazd et al.、2019)。そして、Kanamori and Kondo (2020)は、日本の畜産が盛んな地域で自殺率が高いことを報告しているが、その原因は明らかにされていない。酪農家のメンタルヘルスに悪影響を及ぼす主な経営要因を理解することは、酪農の労働者を支援するための政策や実践的なアプローチを策定し、持続可能な農業活動を促進することに貢献できると考え、われわれの研究グループは酪農業を営む経営者の精神的健康と経営要因との関係について調査を行った。

3 方法

 対象者は、北海道の酪農家の経営者81名(男性80名、女性1名)である。経営要因は、図1に示すように17個である。精神的健康状態はCES-D (Center for Epidemiologic Studies Depression Scale)で評価した。CES-Dとは、うつ病のスクリーニング(注1)に一般的に使用されている20項目から成る評価のことである。CES-Dは30以上の言語に翻訳され、日本語版ではその信頼性と妥当性が確認されており、抑うつ症状の程度を表すことができる。本研究では、(1)最初に、各変数の関係について相関を用いて明らかにした。(2)次に、特に重要な九つの経営要因を解析対象として選択し主成分分析を行った。主成分分析は、複数のデータ変数から新たな合成変数を作成し、データの解釈を容易にする手法である。本研究では、主成分分析の主因子法(注2)を用いた。主成分分析を行うことで、いくつかの因子がグループ化(PCと表現)される。本研究では、各因子の因子負荷量(変数への影響度)が±0.5以上の項目を解釈対象とした。(3)主成分分析からは主成分得点(注3)が算出される。算出された各因子の主成分得点と搾乳方法(パイプライン、ミルキングパーラ―・ロボット搾乳の2グループに分類)を独立変数とし、農家のCES-Dのカットオフ値(注4)を従属変数とした二項ロジスティック回帰分析(注5)を行った。

(注1) その病態の疑いのある人を選び出すことを目的とした検査。
(注2) 因子の数はあらかじめ決めず、固有値が1より大きい数を用いて分析する方法。
(注3) 主成分分析から算出された係数を個々の経営に対して計算し、算出された得点。
(注4) CES-Dスケールでは、抑うつ症状のある人とない人を識別するために、15または16のカットオフ値(判定の基準値)が一般的に使用されている。本研究では、合計スコアが0〜15の対象者を非抑うつ状態とし、合計スコアが16〜60の対象者を抑うつ症状があるとみなした。解析では、各カットオフ値をダミー変数に変換し、うつ病は1、非うつ病は0のスコアを割り当てている。
(注5) 複数の要因から2値の結果(今回の場合、抑うつ/非抑うつ)が起こる確率を予測する手法。

4 結果

(1) 各変数の相関関係

 表1は、CES-Dと他の変数の相関行列を示したものである。CES-Dと各変数の単相関においては、いずれの変数とも統計的に有意でなかった。つまり、経営者の抑うつ状態(精神的健康状態)は、特定の経営要因によって左右されるとは言えなかった。しかし実際の酪農経営は多くの仕事が同時並行的に進行している。購入された飼料を多く与えれば、飼料費が高くなるように、経営要因は複雑に絡み合い経営として成立しているのである。


 
 

(2)主成分分析

 そこで、次に、特に重要な九つの経営要因を解析対象として選択し、新たな合成変数を作成し複数の経営要因を近しい傾向を示すグループに分けることができる主成分分析を行った。結果として、経営要因を二つのグループ(PC1、PC2)に分けることができた(表2)。PC1は主に、養畜費(高い)(注6)、FPCM(補正乳量:多い)、飼養密度(高い)、MFTA(1回1頭当たりの家畜の診療費:少ない)、雇用労賃(高い)、肥料・農薬費(高い)、農業所得率(低い)で構築されていた。PC1が示すこの傾向は、一般的に面積当たりの飼養頭数が多い集約的経営の概況を示している。よってPC1は“集約性”を表していると解釈した(参考までに表1に飼養密度と各変数の相関を示すので参照されたい)。PC2は、農業所得率(高い)、濃厚飼料給与量(高い)、LS(リニアスコア(乳質指標):低い=良い)で構成されていた。また、算出された三つの変数、経済性、飼料および乳質は、酪農生産において基本となるものであり”酪農の基本的経営要因”を示していると解釈できた。また、その特徴を因子負荷量の正負を加味して解釈すると、経済効率(農業所得率)が高く、十分に飼料を供給し、乳質が高い(リニアスコアが低い)農家を示していると考えられる。筆者らの研究グループでは、このような経営を“管理の行き届いた良い農場システム”と解釈した。

(注6) (カッコ内)に示す“高い・低いなど”は主成分分析で算出された因子負荷量の正負の方向である。正の方向(+)=高い・多い、負の方向(-)=低い・少ないとなる。

 

(3)二項ロジスティック回帰分析

 最後に、前項で算出された“集約性” と“管理の行き届いた良い農場システム”を農家ごとに点数化(主成分得点を算出)し、二項ロジスティック回帰分析を行った。結果として農場経営者の抑うつ症状は、経営の集約性(PC1;P=0.648)や搾乳タイプ(P=0.307)とは有意な関連があるとは言えなかった(表3)。一方、管理の行き届いた良い農場システム(PC2)は抑うつ症状と有意に関連しており(P= 0.018)、抑うつ症状のある農場経営者は、農業所得率、濃厚飼料の給与、LS(リニアスコア)で評価される酪農経営要因が優れていることが示された。つまり「管理の行き届いた良い農場システムほど経営者の精神的健康状態が悪い」ということである。また、酪農経営における最も基本的な経営要因である経済性、飼料、乳質は、それぞれが相互に関連しており、単独で改善することは困難である。主成分分析の結果においても、PC2は三つの因子の統合的な影響を示していた。従って、本研究では“要求の同時性”も重要なポイントとなる。これは、適正な財務状態、牛の飼養環境、乳質の維持が同時に行われることで、農場経営者の心理的ストレスレベルが高くなることが背景にある。言い換えれば、要求の同時性は、最初に結果で示した単相関では見ることはできない、単に経営状態が良いとか、乳質が良いという形では測れないということである。


 管理の行き届いた良い農場システムを運営するために適切な技術を適用するには、農場従事者と経営者の多大な努力と犠牲が必要であり、それがストレスの原因となり、増大させる可能性があることが推察された。この結果は、「良い経営を営むほど精神的健康度も良い」という従来の定説に異を唱え、経営要因と精神的健康の関係を国内外において初めて明らかにした研究である。しかし、観察研究に基づいているため、残念ながら、因果関係に関する結論を完全に提示することはできていない。さらなる研究が必要である。また、本研究は、北海道に在住している農家のみを対象にしているため日本全体のこととして当てはめることはできない。
 しかし、少なくとも、農場でのメンタルヘルスを向上させるための現実的なアプローチとして、“経済的に安定した農場経営、十分かつ迅速な飼料供給、乳質維持に加えて、三つの要求を同時に持続させること”を提案する。なお、Kingら(2021)は、酪農家のメンタルヘルスと、乳量や乳質、さらには農場のアニマルウェルフェアの指標との関係を調査しているが、乳タンパク質の割合が少ない生乳を生産している農場の酪農家では、不安や抑うつが大きいという結果を示している。本研究でも“乳質”が抑うつ状態に関わる変数として抽出されている。乳質が精神的健康状態向上の鍵になるのではないだろうか。

5 農業者福祉研究のこれから

 アニマルウェルフェアと農業者福祉の関係についての研究が開始され、アニマルウェルフェアの研究分野ではいくつかの知見が得られつつある。Hansen and Østerås(2019)によると、酪農家福祉(仕事の満足度が高い農家)、農場規模拡大およびアニマルウェルフェアには関係があることを示している。公衆衛生分野では労働安全衛生評価の一環として、施設の種類が異なる酪農場を対象に、身体的緊張と精神的ストレスの指標を用いて農業者福祉の視点を加味した評価をしている(Karttunen et al.、2016)。
 持続可能な農業を促進するためには、農業者のメンタルヘルスを評価し、何が問題であるのかを探り、問題解決に向けてサポートすることが重要である。とは言え、農業従事者の心身の健康に関わる“農業者福祉”研究は始まったばかりである。そして、得られた結果を生かし、どのように農業者福祉の向上につなげるのかも重要な課題である。

6 おわりに

 当初、本研究のターゲットは倍以上の経営体数であった。しかし、対象者の中で、経済評価などの数値が入手でき、家畜の健康評価の数値も入手でき、かつアンケートも回答いただくことができたのが81名の経営者であり、解析対象者となっている。例えば、深刻な悩みを持ちアンケートに回答する余裕がなかった方は解析対象から外されている。もし、解析対象者の方が“調査に協力できる余裕があった方たち”と仮定するならば、その余裕がある方たちの中でも、“良い経営を営む経営者の精神的健康状態が悪い”という結果が出たことになる。今まで筆者は、“いわゆる良い経営者は自助努力ですべてにおいて良い方向に行く”と信じており、少なくとも技術的支援があれば十分ではないかと考えていた。しかし、現在、農業者福祉向上への支援は限定されるべきものではなく、全員にすべきことで、まずは酪農従事者全体の精神的健康状態の底上げが必要なのではないかと考えを変えるに至っている。
 研究開始時から本稿執筆時の時間経過の中で、社会的情勢に大きな変化があった。新型コロナウイルス感染症の流行、原材料費の高騰、大雨などの自然災害が起こり、出口の見えない困難の中に生産者の方々は焦燥感に駆られているのではないだろうか。ここにもう一つ私たちの研究グループの成果を示したい。酪農従事者の抑うつ症状とその要因の関係において、男性では“社会参加が高い人”、女性では“仕事の相談ができる人がいる”と抑うつ症状のリスクが低くなる結果が示されている(Sato et al.、2020)。自身の気持ちを素直に吐露し、共感しあえる関係性を構築することは、不安の払拭ふっしょくに効果があるかもしれない。
 農業生産における困難性や不便性をくみ取り、サポートすることは農業に関わる人の役割であるが、農業者の福祉の向上は、農学研究者のみでは成しえず、さまざまな分野との協働が必要である。今後もさまざまな分野と協働し、農業者福祉の向上に資する研究を進めたいと思っている。皆様のご協力をいただけたら幸いである。


【倫理的配慮】
本研究は、研究参加者の権利を守るため、2018年10月4日に北海道大学農学部研究科倫理委員会で承認された(2018年11月8日に追加承認)。本研究の結果は、研究中に書面による同意を得た農業従事者を解析対象者としている。

【補足】
本研究は「持続的な農業・農村のための酪農生産システムの評価:人の健康と経営の健全性」、平成30年度科学研究費助成事業基盤研究費(C)(18K05917)として行われた。

【論文情報】
論文名 Relationships between management factors in dairy production systems and mental health of farm managers in Japan(日本における酪農生産システムの経営要因と農場経営者のメンタルヘルスとの関係)
著者名 加藤博美1,小野 洋2,佐藤三穂3,野口眞貴子4,小林国之11北海道大学大学院農学研究院 ,2日本大学生物資源科学部,3北海道大学大学院保健科学研究院,4日本赤十字看護大学)
雑誌名 Journal of Dairy Science
DOI 10.3168/jds.2021-20666

【参考文献】
Dixon, J., and N. Welch. 2000. Researching the rural-metropolitan health differential using the ‘Social Determinants of Health.’ Aust.J. Rural Health 8:254–260. 
https: //doi.org/10.1046/j.1440-1584.2000.00327.x.
Hartley, D. 2004. Rural health disparities, population health, and rural culture. Am. J. Public Health 94:1675–1678. https: //doi.org/10.2105/AJPH.94.10.1675.
Smith, K. B., J. S. Humphreys, and M. G. Wilson. 2008. Addressing the health disadvantage of rural populations: How does epidemiological evidence inform rural health policies and research? Aust. J.Rural Health 16:56–66. 
https: //doi.org/10.1111/j.1440-1584.2008.00953.x.
Nishi, N., H. Sugiyama, F. Kasagi, K. Ko dama, T. Hayakawa, K.Ueda, A. Okayama, and H. Ueshima. 2007. The urban-rural difference in stroke mortality from a 19-year cohort study of the Japanese general population: NIPPON DATA80. Soc. Sci. Med. 65:822–832. https://doi.org/10.1016/j.socscimed.2007.04.013.
Kondo, K. 2019. Social determinants of health and rural medicine. J. Jpn Assoc. Rural Med. 67:636–640. https: //doi.org/10.2185/jjrm.67.636.
Wallis, A., and M. Dollard. 2008. Local and global factors in work stress: The Australian dairy farming exemplar. Scand. J. Work Environ. Health 6:66–74
Momose, Y., T. Suenaga, and H. Une. 2008. Job satisfaction and mental distress among Japanese farmers. J. Rural Med. 3:29–33. https://doi.org/10.2185/jrm.3.29.
Kearney, G. D., A. P. Rafferty, L. R. Hendricks, D. L. Allen, and R.Tutor-Marcom. 2014. A cross-sectional study of stressors among farmers in Eastern North Carolina. N. C. Med. J. 75:384–392. https://doi.org/10.18043/ncm.75.6.384.
Daghagh Yazd, S., S. A. Wheeler, and A. Zuo. 2019. Key risk factors affecting farmers’ mental health: A systematic review. Int.J. Environ. Res. Public Health 16:4849. 
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Kanamori, M., and N. Kondo. 2020. Suicide and types of agriculture: A time-series analysis in Japan. Suicide Life Threat. Behav.50:122–137. https://doi.org/10.1111/sltb.12559.
King, M. T. M., R. D. Matson, and T. J. DeVries. 2021. Connecting farmer mental health with cow health and welfare on dairy farms using robotic milking systems. Anim. Welf. 30:25–38. https://doi.org/10.7120/09627286.30.1.025.
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Karttunen, J. P ., R. H. Rautiainen, and C. Lunner-Kolstrup. 2016. Occupational health and safety of Finnish dairy farmers using automatic milking systems. Front. Public Health 4:147. 
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Sato, M., H. Kato, M. Noguchi, H. Ono, and K. Kobayashi. 2020. Gender Differences in Depressive Symptoms and Work Environment Factors among Dairy Farmers in Japan. Int. J. Environ. Res. Public Health. 17(7):2569-2581. doi:10.3390/ijerph1707256