欧州グリーン・ディールは、(1)2050年の温室効果ガス(GHG)実質排出ゼロ(気候中立)(2)経済成長と資源利用の切り離し(デカップリング)(3)資源効率が高く競争力のある経済の実現−を目標としており、この実現のために重要な分野として八つを取り上げている(表3)。このうち、農業・畜産業に関しては特に(1)〜(3)の分野が大きく関与しているため、この分野ごとに詳述する。
なお、これらの内容に法的根拠や実行力を持たせるために、一般に欧州委員会で策定可能な行動計画(アクションプラン)を先に決定し、その後、強制力を持つ規則を改定または制定する流れが多い。
(参考)EUの法令の種類と立法手続きについて
法令には、主に「規則」(Regulation)、「指令」(Directive)、「決定」(Decision)があり、加盟国法に優越している。ただし、すべての加盟国で直接適用される「規則」や、対象者(特定の加盟国の政府や企業、個人)に直接拘束力を持つ「決定」と違い、「指令」では、加盟国は、基本的に「達成されるべき結果」は拘束される一方、結果を達成するための方法については、加盟国の国内法として制定し直すことが必要である。通常の立法手続きは、欧州委員会が提出した法案を基に、EU理事会(閣僚理事会)と欧州議会が同一の法案をそれぞれ採択することで成立する。
グリーン・ディールによる各種持続可能性に関する政策と畜産業に想定される影響などの一覧は表4の通りである。持続可能性に関する取り組みを加速させる必要性については関係者間で異論はないものの、欧州委員会は技術革新などを通じた新技術導入と普及により生産面への影響は緩和/克服される点を強調している一方、畜産関係者は生産・消費への悪影響について懸念している。
(1)農場から食卓まで戦略(F2F戦略)
ア F2F戦略の主な内容
前述の表3に掲げるF2F戦略(Farm to Fork strategy)の主要な目標は表5の通りであり、2030年までの野心的な数値目標が示されている。同時に食品表示制度の改善やフードロス対策についても、タイムスケジュールを定め、推進していくこととされている。
イ 農薬削減
2030年までに域内の農薬の使用を半減させることを目指し、欧州委員会は22年6月、「植物保護製品(農薬)の持続可能な利用規則 (SUR) 」の規則案について発表した。
しかし、この規則案に対しては反対意見も多く、EU理事会(農相)は同年12月、法案の影響評価がロシアのウクライナ侵攻による影響を考慮していないとして、欧州委員会に対して法案の影響評価を再実施するよう要求している。
23年7月以降、同規則案について再度議論が行われる見込みである。このため、同利用規則の施行と農薬の50%削減目標に向けた取り組みの開始時期は24年以降になるとみられている。
ウ 新しい植物育種技術の促進
欧州委員会は、新しい植物育種技術(NBT)の利用を促進するための提案を、2023年に行うとみられる。NBTはゲノム編集
(注2)のように、植物の遺伝子を変化させて乾燥に対する耐性を持たせるなど、その植物に有益な形質を実現する技術である。
現状、ゲノム編集も遺伝子組み換え(GMO)技術と同じく、開発・利用に際して厳格な条件が求められており、より容易に開発・利用が行えるよう求める声が農業分野などで出されている。
なお、この提案は農薬の削減などにより、生産がさらに困難になる農業生産者に対する対案的な意味合いもある。
(注2)遺伝子組換え(GMO)は、類縁関係ではない作物などから新たな遺伝子をゲノムに挿入することで、自然界で発生しない形質を実現できる。これに対し、ゲノム編集は、対象となる作物や家畜の働きが判明している遺伝子を狙って、切断などの処理を加えることによって、狙った性質の遺伝子の形質を変更する技術である。
エ 肥料の栄養損失の削減
欧州委員会が2021年11月に採択したEU土壌戦略では、「土壌健康法(Soil Health Law)」の制定の必要性がうたわれ、23年に法令案が出される予定である。これに先立ち、法的拘束力のある条項の精査、土壌の健全性指標の開発、持続可能な土壌管理手法の特定、作物に吸収されず流出してしまう栄養損失を50%削減する方法の開発、マイクロプラスチックの発生防止措置について議論が行われるとみられる。
オ 抗菌性物質の削減
欧州委員会は2018年12月、薬剤耐性菌対策として薬剤添加飼料に関する「欧州議会・理事会規則2019/4」と、動物用医薬品に関して定めた「欧州議会・理事会規則2019/6」を採択し、22年1月から適用されている。主な内容は次の通りである。
● 家畜に対する抗菌性物質の予防的使用の禁止
● 成長促進または生産性向上を目的とした抗菌性物質の家畜への使用を禁止
● 特定の抗菌性物質をヒトの治療専用とし、家畜への治療目的の使用を禁止
● 抗菌性物質の販売と使用に関するデータ収集を加盟国に義務付け
この規則(2019/6)のうち、成長促進や生産性向上を目的とした抗菌性物質の使用禁止、欧州委員会が「ヒト用」として指定した抗菌性物質の家畜への使用禁止については、日本から輸出される和牛肉を含め、EUへ輸入される畜産物にも適用される。現在、日本を含めた第三国への具体的な適用のための委任規則(delegated regulation)、実施規則(implementing regulation)を欧州委員会が準備中であり、実際の適用はこれら規則制定の2年後が予定されている。
なお、EUによるこの取り組みはすでに成果を上げ始めており、家畜に利用される抗菌性物質の量は大きく減少している
(注3)。
(注3) 海外情報「欧州の抗菌性動物用医薬品の販売量、2011年から21年にかけて半減 (EU)」(https://www.alic.go.jp/chosa-c/joho01_003411.html)を参照されたい。
カ 有機農業
欧州委員会は2021年3月、有機生産推進のための行動計画を発表した。同計画では、需要喚起と消費者の信頼醸成、有機生産への移行促進と供給網の強化、有機農業を通じた持続可能性の向上について、後述のエコスキームの予算を利用して推進していくとしている。これは、前述のF2F戦略に位置付けられた全農地の25%を有機農業に充てるという目標の達成手段として位置付けられている。
また、有機産品の生産、認証、ラベリングなどに関する規則である理事会規則(2018/848/EC)を採択し、22年1月より施行されている。
(参考)『畜産の情報』2021年11月号「EUにおける有機農業の位置付けと生産の現状」(https://www.alic.go.jp/joho-c/joho05_001853.html)を参照されたい。
キ 食品廃棄物、食品調達、学校給食
食品廃棄物を削減するため、法的拘束力のある目標が2023年の前半に発表される予定である。これに関して欧州委員会のキリアキデス食品安全担当委員は、小売業者が売れ残り商品を寄付する提案を否定している。これは、EU域内で食品廃棄物の半分以上が消費者によるものと推計されていることが背景にある。
また、欧州委員会は、病院や学校などの公共給食などでの食品の調達に対し、有機栽培といった持続可能性の基準を義務付けする予定である。EUによれば、公共給食の規模は820億ユーロ(11兆5095億円)と推計されており、需要拡大につながることが期待されている。なお、一部の環境保護団体は、公共調達から食肉製品を除外するよう求めているが、同委員会は消極的である。
さらに、同委員会は、学校での果物、野菜、牛乳の配布や、食料生産・栄養に関する教育を実施する学校スキーム事業を実施している。同委員会は23年中にこの事業を見直す予定であるが、現在、事業対象として認められていない砂糖を加えた一部乳製品の提供の可否が焦点となっている。
ク 食品表示
欧州委員会は、「消費者に対する食品情報の提供に関する規則(EU)No 1169/2011」(FIC)改訂案を、2023年に公表する見通しである。当初、同案は20年5月に公表されたF2F戦略の中で22年中の公表が予定されていたが、加盟国の反対などにより調整が難航しており、その公表が延期となっていた。
(ア)ニュートリ・スコアを利用した栄養表示
ソルボンヌ大学パリ校研究チーム(EREN)が開発したニュートリ・スコアは、繊維、果物、野菜といったより摂取が望ましい栄養素と、砂糖、飽和脂肪、塩といった過剰な摂取が懸念される栄養素の含有量に応じて製品を得点化し、最も健康的とするAからEにいたる5段階でスコア化したものである。
欧州委員会の担当者は、ニュートリ・スコアも参考にはするが、ニュートリ・スコア自体を採用する気はないと発言しているものの、イタリアをはじめとする加盟国からのニュートリ・スコアへの強い反対意見により、2022年中に欧州委員会が規則案を提案するには至らなかった。主な意見や議論の内容については表6の通りである。
(イ)原産地表示
欧州委員会は、FIC改定時、現在の原産地表示の要件を拡大することを検討している。
現行の原産地表示が義務付けられているのは、果物・野菜、魚介類、牛肉・牛肉製品、豚肉・羊肉・ヤギ肉・鶏肉、オリーブオイル、ワイン、卵、蒸留酒である。しかし提案では、乳製品に含まれる牛乳、加工食品の主原料として使われる肉類、パスタに使われているデュラム小麦や、トマト製品に含まれるトマトも対象となる可能性がある。
(ウ) 賞味期限
最も野心的な提案として、賞味期限ラベルを廃止する案がある。欧州委員会によれば、毎年20%の食品が廃棄されているが、この大きな原因は消費者が賞味期限を過ぎると食べられないと誤って認識しているためである。その他の提案として、「〇日前は品質が良いが、それ以降食べても安全」、ラベルに「賞味期限後も安全に消費できる」と記載する案などもある。
(エ) 持続可能性ラベル表示
欧州委員会は、食品の栄養、気候、環境、社会的側面をカバーする持続可能性を表示するラベルを検討しており、提案は2023年末に出される予定である。欧州委員会は、製品別環境フットプリント(PEF)を検討しているが、例えばGHG排出量をスコア判断基準にすると、ケージ飼育の卵のスコアが高く、有機卵が低いスコアになる可能性があるとして(注4)、非政府団体から警戒する声も上がっている。
(注4)ケージ飼育の場合、卵1個を生産するために必要な羽数や飼料などの量(とそれに伴い発生するGHG)が少なくて済む。
(オ) 動物福祉ラベル
欧州委員会は、動物福祉のラベル表示の規制化も検討しており、2023年のEUの動物福祉規則を改正する提案の一部として、動物福祉ラベルの提案を含めるものと予想されている。ただし、欧州委員会や多くのEU加盟国は強制的なラベル表示義務ではなく、自主的にラベルを利用する制度を支持している。
ケ 動物福祉
欧州市民イニシアティブ「ケージ時代を終わらせる」により、消費者から動物福祉の厳格化を行うための法案を提出するよう欧州委員会は要請を受けており、2023年末までに規制案を提出する予定である。欧州食品安全機関(EFSA)は22年8月から9月にかけて、現行の動物福祉に関するEUの規則は時代遅れであり、改善する必要があるとの調査報告書を発表している。このため、23年には、動物福祉に関する法令の見直し作業が始まる予定である。
この改定により、家畜のケージ飼育の厳格化または廃止と、生体家畜の輸送中の取り扱いに関する措置が盛り込まれることは確実である。
ただし、農業団体は、こうした変更がもたらす経済的影響を懸念し、EUの畜産部門が新しい要件に適応できるよう「長期の移行期間」を設けるよう主張している。このため、規制改定後、数年間かけて新しい基準に移行していくものとみられる。
なお、農業団体を始め政治家や欧州委員会の一部は、不公正な競争を避け、緩やかな動物福祉基準の下で生産された輸入品の流入から欧州の畜産生産者をより保護するため、輸入食品をEU域内と同様の生産基準に適合させる新たなEU規則を要求している。実現すれば、EUの動物福祉基準は対外的な規制に繋がり、農畜産物の貿易に大きな影響を与えることになる。
(2)気候目標(Fit for 55)
グリーン・ディールで定めた2050年までにCO2排出量を実質ゼロ(中間目標として、30年にCO2排出量を55%削減(1990年比))との目標を達成するため、21年6月、同目標に拘束力を持たせる欧州気候法が採択されるとともに、21年7月に欧州委員会は中間目標を実現させるための政策パッケージであるFit for 55政策を発表した。
表7の通り多岐にわたる包括的な政策のパッケージになっており、相互に関連しているものの、特に農業に影響を及ぼす政策としては1〜4が挙げられる。
ア 土地利用・土地利用変化および林業(LULUCF)に関する規則
LULUCFに関する現行規則は2018年に採択され、21〜30年の土地と森林などから発生するGHGの排出と吸収に関して規定している。加盟国に対しては、対象部門(土壌、森林、植物、バイオマス、木材)からのGHG排出量が、大気からのCO2吸収量と最低でも同等になることを義務付けている。
改正規則案の内容については、22年11月にEU理事会(閣僚理事会)と欧州議会の間で暫定合意に至り、25年までは現行と同じ排出量が吸収量を超過しない(排出量≦吸収量)というルールを継続するとしている。その後、26年以降30年までに、対象部門の年間のGHG吸収量がEU全体で3億1000万トン以上(CO2換算)排出量を上回ることを目標として新たに定め、加盟国には排出削減を分担する拘束力ある国別目標を課すことになった。
一方で、同規則の対象に農業分野からのGHG排出(例えば牛のげっぷ、家畜排せつ物、肥料からのメタンガスや亜酸化窒素の排出量)を含めるか否かは23年以降、欧州委員会がEU理事会と欧州議会に報告書を提出して議論される予定である。
イ 排出量取引制度、努力分担規則、国境炭素調整メカニズム
EUには排出量取引制度(EU ETS)があり、域内のGHGの排出量に上限を設定するとともに、排出枠について市場で取引を行える制度があるが、農業分野は対象外である。
このため、農業・建物・輸送部門などから生じるGHG排出量については、努力分担規則(ESR)という別のカテゴリーで管理されている。
2022年11月には、EU理事会と欧州議会の間で、農業などESR対象部門から発生するGHGの排出量について、30年までの国別の削減目標を設定する規則改定について合意された。規則は加盟国に対して拘束力を持ち、年間GHG排出目標については、排出量削減目標を05年比で30年までに40%に引き上げるとされている。
また同月に欧州委員会は、ETS以外の部門による炭素除去の認証制度に関する規則案を発表した。これは、EUにおいて、炭素除去活動の水準を高いレベルで保ち、グリーンウォッシュと呼ばれる実態の伴わない、見せかけの環境保護活動を回避することが目的とされている。
炭素除去活動を実施する事業者(生産者など)は、カーボンファーミング(炭素農業)
(注5)のような炭素除去につながる活動について、欧州委員会が承認した認証制度に申請し、認証機関による監査を受けた上で、公的に登録された証明書の発行を受ける。
(注5)カーボンファーミングとは、炭素を土壌に固定し、大気中への炭素排出量を減らす農業である。具体的には、有機肥料の使用、不耕起栽培、カバークロップの利用や収穫残さによる土壌の被覆、輪作やアグロフォレストリーなどの手段がある。
認証枠組みの活用方法について欧州委員会は、小売りや食品メーカーが証明書を持った生産者を優遇することや、投資家が炭素除去技術に投資する際の判断材料にすることを想定しているが、各種民間ベースで行われている排出量取引の仕組みに利用されることも予想される。
欧州環境庁によれば、20年のEUのGHG排出量(CO
2換算)のうち、8%が農業由来によるものであり、農業からのGHG総排出量のうち、家畜の腸内発酵によるメタン排出と土壌(肥料など)からの亜酸化窒素排出が80%以上を占めている。ふん尿からのメタン排出は3番目に大きな排出源であり、約10%を占めている。残りの排出源は全体の10%未満である。このため、農業が対象になる場合、これらが重点的な規制対象となると考えられる。
ウ 産業排出指令
欧州委員会は2022年4月、産業から発生する汚染物質の排出制限を強化する産業排出指令の改正案を発表した
(注6)。この改正により、EUの畜産生産者のうち、全体の13%を占める18万5000戸(現行規制では約2万戸)が対象となると見込んでいるが、生産者団体は、フランスなどの一部加盟国では国の大部分の生産者が対象となり、生産者が大規模企業に求められるような費用や労力を要する手続きを強いられるとして指令の見直しを求めている。23年1月の農相理事会においても、加盟国の農相から基準が厳しすぎるとして反対の意見が上がっている。
(注6)海外情報「欧州委員会、汚染物質排出制限強化で畜産生産者の範囲拡大案を発表(EU)」(https://www.alic.go.jp/chosa-c/joho01_003245.html)を参照されたい。
(3)生物多様性戦略
ア 自然回復法
欧州委員会は2022年6月、「自然回復法(Nature Restoration Law)」の法案を提出した。この法案は、ヨーロッパの野生動物生息地の8割以上が劣悪な状態にあるとし、50年までに復元が必要なすべての生態系を回復させるとしている。この中で、F2F戦略と同じく、30年までに化学農薬の使用とそのリスクを50%削減するという目的を共有しており、加盟国に対して「規制」を導入するとしている。
イ 森林破壊防止を目的としたデューディリジェンス義務化規則案
同規則案は、2022年12月にEU理事会(閣僚理事会)と欧州議会の間で大筋合意された
(注7)。目的は、地球温暖化や生物多様性の喪失の原因とされている品目の生産拡大による森林破壊を防止することであり、パーム油、牛肉、木材、コーヒー、カカオ、ゴム、大豆の7品目および皮革、チョコレート、家具、印刷紙などの派生製品が対象品目とされている。
対象産品をEU市場に供給する業者は、市場へ供給する前に、その産品が21年1月以降の森林破壊によって開発された農地で生産されていないこと、生産国の法令を順守していることを確認し、加盟国政府に報告書を届け出る必要がある。
なお、各国・地域の森林破壊リスクのレベル分けが行われ、「高リスク国」には監視を強化する一方、「低リスク国」についてはより簡素化したデューディリジェンスが実施可能となっている。ただし、制度開始時点ではすべての国を中リスク国とした上で、評価を行うとされている。
(注7)海外情報「域外産牛肉などを供給する業者に対する森林破壊防止を目的とした規制強化規則案を合意(EU)」(https://www.alic.go.jp/chosa-c/joho01_003441.html)を参照されたい。