(1)研究プロジェクト
畜産分野からのGHG削減に向けて、二つの大型研究プロジェクトが車の両輪のような形で進行している。一つは、ムーンショット型研究開発制度の一環として実施されている研究事業である。この制度は、わが国発の破壊的イノベーションの創出を目指し、従来技術の延長にない、より大胆な発想に基づく挑戦的な研究開発を推進する国の大型研究プログラムである。「牛ルーメンマイクロバイオーム完全制御によるメタン80%削減に向けた新たな家畜生産システムの実現」(牛メタン削減プロジェクト)と題し、北海道大学が代表を務めている(小林 2022)。もう一つは、農林水産省委託プロジェクトであり、「畜産からのGHG排出削減のための技術開発」(畜産GHGプロジェクト)と題する事業である。国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構(以下「農研機構」という)が代表を務めている。
(ア)牛メタン削減プロジェクト
ムーンショット型研究開発制度は担当する省庁ごとにプログラムディレクター(PD)を配置し、その下でプロジェクトマネージャー(PM)が各プロジェクトを統括している。PDの強いリーダーシップの下、研究全体を
俯瞰したポートフォリオを構築し、わが国の基礎研究力を最大限に引き出す研究開発を積極的に推進し、失敗も許容しながら挑戦的な研究開発を推進している。
牛の消化管発酵で生じるメタンガスはゲップとして大気中へ出て行く。これは、温暖化を進行させるだけでなく、飼料エネルギーの損失でもある。2050年までに、このメタンを80%削減し、温暖化抑止を図るとともに、牛の乳肉生産効率を10%向上させることを目標としている。
本プロジェクトは三つのサブ課題から構成されている。一つ目は、「ルーメンマイクロバイオームと代謝性水素の動態の徹底解明」である。ウシには胃が四つあり、ルーメンと呼ばれる第一胃内に住む微生物をルーメンマイクロバイオームと呼ぶ。ウシはルーメンマイクロバイオームの働きにより植物性のエサを短鎖脂肪酸やタンパク質に変換して栄養源として利用している。ルーメンマイクロバイオームの一部であるメタン菌は、ルーメン発酵の過程で発生した代謝性水素を利用してメタンを産生する。一方、代謝性水素は、プロピオン酸産生においても消費されるため、ルーメン内でプロピオン酸をたくさん作れば、メタン菌が利用できる代謝性水素が減少してメタンが減少する(小林 2022)。これまでに、乳牛のルーメンから、プロピオン酸産生の増強効果が期待できる新しいルーメン微生物を特定・単離することに成功している(真貝ら 2021)。本課題では、プロピオン酸産生の増強に関与する微生物の特定・単離や微生物間のネットワークの解明を進め、新規培養・保存技術を確立することで、長期的にメタンを抑制するプロピオン酸産生微生物資材の開発を目指す。
二つ目は、「発酵動態解明に向けたスマートピルの開発」である。ルーメン内でプロピオン酸の生成量を測るため、ルーメンに留置して短鎖脂肪酸中のプロピオン酸の量を測定し、無線通信によってそれをリアルタイムモニタリングできる装置“スマートピル”を開発する課題である。
三つ目は、「メタン産生抑制飼料を活用した最適飼養管理技術の開発」である。ルーメン発酵をプロピオン酸増強・メタン低減型へと導く新規飼料開発と、その効果を最大限に発揮するための飼養管理技術の開発を行う課題であり、前述のスマートピルとの組み合わせからメタン抑制効果の最大化が期待される。
これらの研究課題の実施以外に、普及・啓発に向けて、それぞれの課題に関連する民間企業との連携を深めるともに、生産者、畜産技術者および消費者を対象とするシンポジウムを開催し、研究の進捗状況を分かりやすく伝える努力をしている。また、PMを務めていた小林泰男先生の監修による、「ウシのげっぷを退治しろ」という、一般向けのわかりやすい書籍も出版されている(大谷 2022)。
(イ)畜産GHGプロジェクト
2050年のカーボンニュートラル実現に向けて、畜産からのGHG排出を削減する技術開発を行うために、22年度に開始されたプロジェクトである。17年度から5年間実施された「畜産分野における気候変動緩和技術の開発」(農研機構 2022a)の後継課題と位置付けられる。三つの小課題から構成されており、一つ目は「低メタン産生牛作出のための育種方法の確立と応用」である。低メタン産生牛の育種に向けて、多くの牛におけるメタン産生量の把握が必要となる。そのため、簡易なメタン排出量測定手法や推定手法を開発し、それらの情報から遺伝的能力評価法を確立する。簡易な測定法については、スニファー法と呼ばれているもので、22年にマニュアルが出版されている(農研機構 2022b)。より精度を高めるとともに、より簡便に複数の牛での測定が可能になるように改良を進めている。スニファー法を用いたメタン排出量推定手法、搾乳ロボットでの乳牛からのメタン排出量測定の様子、および分析計一式を図1および写真1、2に示した。スニファーは英語で臭いを嗅ぐというsniffが語源であり、わずかな量のサンプルガスを吸引するだけで分析が可能である。そのため、大掛かりなポンプや流量計は必要なく、シンプルな構成になっている。サンプルガスは飼槽付近に設置した、細いチューブから採取するので、目立たず、牛の
馴致も必要ない。既存の搾乳ロボットに装着することも可能であり、肉用牛であっても、ドアフィーダーやスタンチョンのある、個体識別が可能な飼槽であれば、メタン排出量の測定が可能になる。
スニファー法は、メタン削減資材の評価にも利用され始めている。これまで、ごく一部の研究所に設置されているチャンバーやヘッドボックスでのみ、そのような評価がなされてきたが、今後は、多くの研究所や農場での評価が可能になる。また、牛からのメタン排出削減に関わる研究者の数は、施設の制限もあり、限られてきた。しかし、スニファー法での測定が可能になった結果、公設研究所などに所属する多くの研究者がその測定に関与できるようになってきた。研究者層が飛躍的に厚くなっており、このことは、今後の削減技術の普及・啓発にも生かされると期待される。
二つ目は「排せつ物管理におけるGHG削減技術の開発」である。アミノ酸バランス改善飼料の給与により、泌乳前期の乳牛と、採卵鶏育
雛期における排せつ物からのGHGの排出削減技術を開発する。飼料添加物として登録されたアミノ酸の種類も増えており、その価格も下がっている。また、反すう家畜に使用できる、ルーメンで分解されないように保護された製剤も開発されており、それらの利用により排せつ物に含まれる窒素含量の削減が期待される。また、IoT技術や、センシング技術の開発により、堆肥化と畜舎排水処理におけるGHG削減技術の開発にも取り組んでいる。
三つ目は「GHG削減と同時に炭素貯留・再生エネルギー生産を行う技術の開発」である。土壌炭素貯留を促進するためのバイオ炭の利用や、乾式メタン発酵システムの開発、そして、畜産経営体からのGHG排出量をライフサイクルアセスメント(LCA)に基づき評価する課題から構成されている。バイオ炭については、それ自体の製造コストが課題になるため、クレジットと合わせた利用が想定される。現時点ではクレジットの価格が不十分ではあるが、2050年のネットゼロに向けて、クレジットの価格の上昇が前提となるだろう。5年間の研究実施期間を経て、最終的に、各技術開発を総合的に評価し、畜産経営体からのGHG排出量を30%削減することを目標としている。
(2)間接的にGHG排出を削減する技術開発
反すう家畜において、生産性が向上すると生産物当たりのGHG排出量が削減することが示されている(Beauchemin 2022)。生産性の良好な家畜は一般に採食量が多く、その結果、個体としてはより多くのメタンを排出する。しかし、採食した栄養分のうち、維持に要する部分が相対的に減少し、より多くの栄養分の生産に向けられるため、畜産物当たりのメタンの排出量は減少する。このことは、農場単位、あるいは地域単位でも同様である。個体の生産性を向上させるだけではなく、生産に直接関与していない家畜の割合を減らすことで、全体としての生産性を向上させることができ、それによって、農場単位であっても生産物当たりのGHG排出量は削減される。前章で記したような、畜産分野からのGHG排出削減に向けて、飼料添加物の開発や、低メタン牛の育種、家畜排せつ物処理の過程からの排出削減技術など、ブレークスルーになりうる技術開発は当然必要である。一方、畜産分野において長年実施されている、生産性向上を達成しうる技術開発も総じて、生産物当たりのGHG排出削減につながることは再認識されるべきである。
生産性向上を達成する技術は多岐にわたる。例えば、家畜疾病防除は生産物当たりのGHG排出削減に極めて有効である。2011年に宮崎県で発生した口蹄疫を清浄化するために、29万頭もの牛や豚が殺処分された。これらは畜産物を生産することにはつながらなかったため、生産物当たりのGHG排出量を大きくしたといえる。死亡や殺処分につながらなくても、家畜疾病によって、成長や生産性は影響を受けるため、疾病の発生を未然に防ぐ対策は生産物当たりのGHG排出量削減に貢献する。
繁殖成績の向上も重要である。受胎率の向上によって、空胎期間を短縮することができると、生産に供しない家畜数を削減できる。それによって農場全体における生産性向上を達成できる。
当然ながら、飼料効率の改善も極めて重要である。和牛の肥育の現場においては、脂肪交雑が高まると枝肉価格が高くなるため、肥育期間が長期化する傾向がある。肥育後期には、脂肪の蓄積が増加し、筋肉の増大よりも大きなエネルギーを必要とするため、効率が悪くなる。経営の改善に向けて、肥育期間の短縮を目指す取り組みがなされているが、これはGHG排出削減にもつながる。独立行政法人家畜改良センターが実施した、黒毛和牛の肥育試験において、肥育期間を29カ月から26カ月に短縮しても、枝肉重量に有意な差はなく、食味において変わりがない結果を得ている。そして、GHGの排出量についても、メタンの排出量が13.9%、堆肥由来の一酸化二窒素の排出量が11.4%削減できることが示されている(独立行政法人家畜改良センター 2021)。
生産性の向上だけではなく、資源循環を適切に行うことも、GHG削減に有効である。SDGsにおいても、食品ロス削減が重要であり、その流れからもエコフィードが注目されている。食品残さをエコフィードとして利用する場合の環境影響低減効果を調べた。食品残さをリキッド飼料化する場合と、食品残さを焼却により廃棄し、それに見合う飼料を米国で生産し輸入するというシナリオについてGHG排出量をLCAにより評価・比較した場合、食品残さのリキッド飼料化は残さを焼却廃棄する場合と比較して、GHG排出量を大きく低減し、25%程度であることが示されている(Oginoら 2007)。バイオマスである、食品残さの有効利用において、カスケード(多段階)利用が重要である。食品残さを単に堆肥化して、農地に施用するのではなく、まず、家畜に給与し、その排せつ物からバイオガスを生産し、その消化液を農地施用することがより有効である。これと似た概念であるが、近年、ヨーロッパでもエコフィードが注目されるようになってきて、食品残さの処理に関するヒエラルキーが示されている(Moshtaghianら 2021)。図2に示した逆三角形の上位ほど価値が高いという概念であり、単なる廃棄は最下位に位置付けられ、そのヒエラルキーに応じた対応が求められる。
資源循環を適切に行うことだけでもGHG排出削減が可能になる。ベトナム南部の農村地域では、水稲作と肉牛生産をそれぞれ単独で行う専業システムが一般的である。しかし、専業システムによる営農活動は、地域資源が有効に活用されず、環境に負荷を与えている可能性がある。そこで、肉牛生産により産生される排せつ物をバイオガス発生装置に投入し、その消化液を水田に導入して肥料利用するという、複合システムを想定した。両システムについての環境影響評価から、複合システムでは、専業システムと比較して、GHG排出量を22%削減できることが明らかになった(Oginoら 2021)。これは、単に資源循環による削減効果であり、肉牛生産と水稲作、それぞれにおけるGHG排出削減技術を導入するならば、さらに大きな削減効果が期待される。
日本の畜産は、その飼料を海外からの輸入に依存している。飼料を生産する
圃場からもGHGが排出されるが、その輸送時にもGHGが発生する。自給飼料に切り替えることができると、輸送に関わるGHGを削減できる。
このように、畜産分野で本来やるべき、生産性の効率改善や資源循環を適切に実施することは、GHG削減に対しても効果的であり、そのような努力を畜産の現場では日々行っていることを、消費者に理解してもらうことも重要である。