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調査・報告 畜産の情報 2023年10月号

リキッド・バイオプシー生体予測診断技術“AIビーフ”の事業化 〜畜産業界のアップデート:ステークホルダーが幸せになる次世代の畜産業界を創る〜

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【要約】

 われわれの研究グループでは、長年、畜産業界の悩みの一つである「肉質は牛を出荷しないと分からない(割ってみないと分からない)」を解決することを目指し研究を進めてきた。20年の研究開発期間を経て、肉用牛(黒毛和種)の血液から生体のまま肥育状態を計測・可視化する生体予測診断サービス技術“AIビーフ”の技術を確立した。この技術シーズを実装することで、枝肉品質の向上や出荷の安定などさまざまな効果が期待できる。

1 はじめに

 畜産業は、世界各国に存在する一次産業であり、栄養学的重要性やほかの産業との密着性から代替できない産業である。そのため、畜産業の発展は、国全体の経済成長に貢献している。さらに、食料安全保障の観点からも、畜産業を強化することは重要である。
 そこで、筆者の研究グループは、ビジョン「次世代の持続可能な畜産業の実現から日本の食料安全保障に貢献する」を掲げて、畜産業界における悩みの一つである「肉質は牛を出荷しないと分からない(割ってみないと分からない)」を解決することを目指した。このミッションの下に、20年間の研究開発期間を経て、リキッド・バイオプシー(注1)生体予測診断サービス技術“AIビーフ(商標登録証:登録第6523541号)”(以下「AIビーフ」という)を世界で初めて開発した(図1)。このAIビーフは、血清の定量的プロテオミクス解析(ウシ血清中タンパク質の網羅的定量解析)、バイオインフォマティクス(生命情報学)、そしてAI(人工知能)を含む機械学習を駆使した技術シーズであり、肉用牛を生体のまま分子レベルで把握し、遺伝的能力の発揮度に関する統合的理解から、肉用牛の産肉形質を出荷前に生体予測診断できる技術である。
 この20年間の研究開発は、国立研究開発法人科学技術振興機構(以下「JST」という)・アグリバイオインフォマティクスの高度活用技術の開発(平成15〜20年)から開始し、独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構・生物系特定産業技術研究支援センター・イノベーション創出基礎的研究推進事業(発展型)(21〜23年)、日本中央競馬会・畜産振興事業(25〜27年、28〜30年、31〜令和3年、4年)、そして日本学術振興会(JSPS)・科学研究費助成事業挑戦的萌芽研究(平成26〜27年、28〜29年)、同事業 基盤研究(B)(令和2〜5年)、さらにJST・研究成果展開事業・大学発新産業創出プログラム(START)・プロジェクト推進型 ビジネスモデル検証支援(2年)、同プログラム・プロジェクト推進型起業実証支援(4〜6年)などの外部競争的資金の支援を受けたものである。
 現在、われわれはAIビーフのデータベースプラットフォームを技術基盤として、複数の技術シーズの開発を展開し、それらを活用したスタートアップの創出を目指している。本稿では、AIビーフの科学的正確性とその現場実装、さらに今後の展望について紹介する。
 
(注1)血液などの体液を採取し、その中に含まれる細胞や微量なタンパク質・RNA・DNAなどを用いた検査の総称。

2 AIビーフの科学的正確性について

 肉用牛(黒毛和種)の枝肉形質の遺伝的能力の評価は、推定育種価とSNPs情報(遺伝子情報)を踏まえたゲノム育種価で行われ、家畜の改良と選抜に活用されている(引用文献1)。一方で、生体の遺伝的能力の発揮度は、タンパク質レベルで第一義的に評価しなければならないが、現場で実装可能な生体評価方法が未だ確立されていなかった。
 そこで、遺伝的能力の発揮度を生体評価し、家畜生産の効率化ならびに生産性の向上などに寄与することを目的に、われわれは、肉用牛(黒毛和種)の肥育期間中に経時的に採取した血清を対象とした定量プロテオミクス(SWATH:Sequential Windowed Acquisition of all Theoretical fragment ions)解析情報(注2)に基づき牛の産肉形質の発育状態や肥育状態を生体評価するシステムの開発と、その結果から得られるウシ血清バイオマーカータンパク質(注3)の情報を基盤にした産肉制御の分子機構の統合的理解に関する研究開発を進めてきた。
 まず、肉用牛の主要6項目の産肉形質(枝肉重量・ロース芯面積・バラの厚さ・皮下脂肪の厚さ・歩留基準値・脂肪交雑)の発育を肥育期間中にそれぞれ生体評価するウシ血清バイオマーカータンパク質延べ168個を明らかにした(特許8件)。さらに、われわれは、ウシ血清に特化した飛行時間型質量分析装置を用いた定量プロテオミクスSWATH法を確立して、血清1マイクロリットル中から135種類のバイオマーカータンパク質を同時定量解析する技術を開発してAIビーフを確立した(図2)。具体的には、血清バイオマーカータンパク質135種類について、その生物学的機能で大別すると図3のようになり、アルブミン(複合系に分類)やグロブリン(免疫系に分類)のほかに、脂質輸送に関連するアポリポタンパク質やビタミン輸送タンパク質、ホルモンや脂質代謝調節および細胞分化に関与するタンパク質なども含まれていた。また、肥育期間中のバイオマーカータンパク質の動態解析から、例えばウシ血清中には血液生化学値(図4では血中総コレステロール濃度)と高い相関性を示すタンパク質(図4ではアポリポタンパク質A1とC3)が多数存在していることも確認されたことから、血清タンパク質は肥育期間中の肉用牛の生理状態を反映していることが認められた(図4)。次に、肥育期間中(10〜28カ月齢)のバイオマーカータンパク質135種類の定量データに基づく主成分分析の結果から、ウシ血清中のバイオマーカータンパク質の量は遺伝的背景や肥育期間中の環境効果(飼養する肥育農家)を反映していることが明らかになった(図5)。さらに、同一肥育農家で肥育された牛の肥育期間中の経時的な血清バイオマーカータンパク質の定量情報の主成分分析から、血清バイオマーカータンパク質情報は、肉用牛の月齢の経時的変化を示していることが認められた(図6)。













 
 一方、BMSナンバーを生体予測する回帰モデル式の説明変数(選択された血清バイオマーカータンパク質項目と各定量データ)を用いた因果ネットワーク解析(IPA:Ingenuity Pathway Analysis)(注4)を実施したところ、経験的に指摘されている筋肉内脂肪細胞が形成される時期と合致して、BMSナンバーに関わる血清バイオマーカータンパク質の上流因子と下流表現型の因果ネットワークがダイナミックに変化していることが認められた(図7)。このことから、われわれのデータから肥育期間中の脂肪交雑の生理的状態を分子レベルで理解し、説明することが可能であることが明らかになった。
 以上のことから、ウシ血清バイオマーカータンパク質の情報に基づいて、肉用牛(黒毛和種)の産肉制御の分子機構を統合的に理解することが可能となり、AIビーフの科学的正確性を担保できることが認められた。
 
(注2)質量分析装置を使って細胞や血液などの生体サンプル中に存在するタンパク質の種類と量を網羅的に調べた結果から得られる情報。
(注3)生物個体の生理状態や病態を示す指標となるタンパク質。
(注4)データの因果関係を解析する手法のこと。この場合は、血清中のバイオマーカータンパク質の因果関係を示す。
 

3 AIビーフの現場実装

 われわれは、AIビーフのデータプラットフォームを技術基盤として、現場実装する複数の技術シーズを開発している。以下に、その技術シーズの概要を示すとともに、その目指す適用例についても示す(表)。

4 おわりに〜大学発スタートアップの創出について〜

 学問体系において、新たなイノベーションが創生されるプロセスに関する示唆的なモデルが提示されている。ドイツの哲学者G.W.F.ヘーゲルは、『精神現象学(1807年)』の中で「世の中の事象が時間を経てラセン状の階段を上っていくように発展していく様態」を示した「事象のラセン的発展」を提示した(図8)。このラセン的発展では、複数の考え方が理解できるが、ここでは「さまざまな事象は表面上周期性をもって円を一周廻って回帰しているようであるが、そこに新たなイノベーションが創生されると一段上の階層へのラセン的発展が行われる。」との視座を示す(引用文献2)。
 この視座から考えると、20年間研究開発してきたAIビーフのデータベースプラットフォームを技術基盤として開発される複数の技術シーズは、「肉質は牛を出荷しないとわからない(割ってみないとわからない)」という悩みを解決する畜産業界のラセン的発展を産むイノベーションであると判断している。そこで、われわれはビジョン「次世代の持続可能な畜産業の実現から日本の食料安全保障に貢献する」を実現するために、これらの技術シーズを基盤に、成長ポテンシャルの高い大学発スタートアップの起業を展開している。
 すでに、令和2年度にJST・研究成果展開事業・大学発新産業創出プログラム(START)・プロジェクト推進型 ビジネスモデル検証支援(大学の技術シーズを基に成長ポテンシャルの高い大学等発ベンチャーの創出を促進するためのプログラム)の採択を受けて、AIビーフのビジネスモデル検証を実施した(図9、10)。さらに、4年度からJST・研究成果展開事業・大学発新産業創出プログラム(START)・プロジェクト推進型 起業実証支援(事業プロモーターのもと、起業前段階から公的資金と民間の事業化ノウハウなどを組み合わせて、大学などの教職員が職務として開発・発明した技術シーズを基に起業するスタートアップの創出を目的とするプログラム)を受けており、サービス提供に向けた具体的な起業のための活動を進めているところである。
 今後、われわれは、畜産業界をアップデートして、畜産農家・飼料会社・食肉処理施設・食肉流通事業者・消費者などの畜産業界に関係する多くのステークホルダーがより幸せになる次世代の畜産業を創ることを目指す。
 






 
 
引用文献
1 渡邊敏夫、黒毛和種経済形質のゲノム育種価評価、The Journal of Animal Genetics 44:3–10(2016)
2 松本和也、マンモス復活プロジェクトから考える「応用科学としての動物生殖生物学」の将来展望、畜産学会報 91(3):300-303(2020)
 
【“AIビーフ”に関する連絡先】
aibeef@waka.kindai.ac.jp