われわれは従来の製法という伝統にとらわれない、むしろタブー視されていた方法にどのような特性が秘められているか、自由な発想で新しいクラフトチーズ開発を検討してきた。本稿については、原料乳に対してホモジナイズ処理するという点でのチーズの諸特性について述べた。わが国では「ザラザラ」や「しっとり」など、食感を表す多くの言葉がある通り、他国に比べて食感を重視する嗜好や文化がある。多くの食品加工の分野では最重要な要素である「香気成分」や「うまみ成分」については最新の機器分析技術が導入されている。一方、「食感」については力学物性的な評価をいかに食感に結び付けるかの研究が進められているものの、食感を直接支配している各構成成分の微細組織、すなわち「混ざり方」についての研究は電子顕微鏡観察に限定されてきた。電子顕微鏡は多くの「混ざり方」の情報が得られるが、一方では観察試料調製上、水を含む系をそのまま見ることは難しい。そのため、水がない状態は物質の変化過程を継続的に捉えること、例えば熟成などの長期の物質・構造変化を捉えることが難しい。筆者らは原料乳にホモジナイズ処理を施したモデルチーズのレオロジー特性(注3)については、熟成開始後8週間にわたり動的弾性率と破断強度、周波数依存性を測定することで解析し、特に熟成10日目あたりにチーズ微細構造の変化が起きていることを確認しているが[12]、示唆されるカゼインミセル構造およびそれらで構成されるネットワーク構造変化については、継続的な観察が必要である。
われわれは、酪農学園大学で調製したモデルチーズを、移動時間1時間圏内にある北海道大学に設置されているモリブデン線源を用いたX線小角散乱装置で、非破壊的にゆっくりした熟成反応をその場で観測(スローオペランド観測)することによって形態変化を解析している[13-15]。この解析機器は主に鉄鋼材料の構造解析に用いるのであるが、チーズカード調製初期、すなわち熟成初期におけるカードのナノ構造変化を解析することが可能である[16]。国産チーズのフロントランナーであるクラフトチーズに食品構造工学の知見を「かける」こと(ナチュラルチーズ × 食品構造工学)で旺盛な国内需要に応え、今後、さらに日本独特の嗜好にも適合し得る新チーズ開発技術が確立できると考える。
(注3)レオロジー(rheology)は物質の流動と変形を扱う科学領域であり、レオロジー特性はその科学領域で得られる物質の特徴(粘度や弾性、ひずみの大きさなど)を指す。
謝 辞
本研究は独立行政法人日本学術振興会(JSPS)科研費JP20H02926の助成を受けたものです。モデルチーズの官能評価については、酪農学園大学食物利用学研究室の宮崎早花講師に多大なご協力を賜りました。加えて、北海道内にある多くのチーズ工房関係者に、本研究遂行に当たって多大なご助言を賜りました。書面をもって厚く御礼を申し上げます。
参考文献
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