畜産 畜産分野の各種業務の情報、情報誌「畜産の情報」の記事、統計資料など

ホーム > 畜産 > 畜産の情報 > 畜産物の生産コストを価格に反映する仕組みを考える

海外特集 畜産の情報 2024年3月号

畜産物の生産コストを価格に反映する仕組みを考える

印刷ページ


京都大学 名誉教授 新山 陽子

1 はじめに

 生産コストが償われる価格で取引できなければ、生産の継続は難しい。しかし、フードチェーンを通した各段階の生産コストを、小売価格にまで、確実に反映する仕組みを作ることも難しい。価格決定を含む取引は、競争的な市場で自由な交渉によることが原則であり、拘束的な制度を定めるのは独占禁止法に抵触するからである。フランスは生産コストを考慮した価格形成を義務付け、農業者の報酬を保護する法を制定した。しかし、それは農業者と最初の取引相手が対象である。しかも、適用除外措置を取れる。次の食品事業者と小売事業者の取引には、農産物原料部分のみにコスト変動の反映を求め、小売事業者には、原価割れ販売を禁止するにとどまっている。
 それでも、すべての人がいつでも十分な食料を得られるようにするには、何より農業者の、そして食品事業者のコストが償われ、報酬が保護される必要がある。そのための適正な価格形成の仕組みづくりは、2023年9月に出された食料・農業・農村政策審議会基本法検証部会の答申においても、基本理念、基本施策に提示され、協議会も開始されている。
 極めて難問ではあるが、フランスのEgalimU法の骨子を捉え、その上で、日本の畜産分野の取り組みを捉え、可能性を検討する。併せていくつかの課題を提示する。

2 フランスのEgalim U法:生産コスト指標を考慮した価格決定

 フランスは、2018年のEgalim法で、農業者と最初の購入者との取引において、農業者からの生産コストを考慮した価格決定方法を含む書面契約の提示を定めた。しかし、競争法への抵触から、義務化が見送られ、効果が上がらなかった。その後、21年に(EU)No.2021/2117により、「欧州農産物市場共通組織規則」(EU)No.1308/2013が改正されたことによって、21年のEgalim U法(農業者の報酬を保護する法)において義務化することができた(図)。
 Egalim U法では、生産コスト指標を含む価格の自動改定条項(フォーミュラなど)を契約書に記載することを求め、生産コストとその変動を価格に反映できるようにした。このフォーミュラは、生産コスト指標×係数+公表市場価格指数×係数のような値決めの式である。公的ラベルなど特別な品質のものは、割増ができる。ただし、競争法への抵触を避けるため、極めて慎重な対処がなされ、あくまで生産コスト指標を「考慮する」ことを義務化したものである。22年9月に筆者らが現地ヒアリングを行ったが、考慮の程度は当事者同士の交渉によって決まり、当事者以外は知ることはできず、係数は実際には0.7となる場合もあれば、0.2にしかならない場合もあるとのことであった。
 生産コスト指標の作成と公表は、品目ごとに法の認定を受けた専門職業間組織(Organsations interprofessionnelles)、または技術研究機関が行うことが義務付けられている。


 
 次の段階の、食品加工事業者とその購入者との間では、加工事業者が提示し交渉の出発点となる「一般販売条件書」(CGV)が交わされる。そこに食品に占める農産物原料、農産物を50%以上使用した原材料の比率を示し、その部分の価格交渉を禁じた。そして「契約書」に、原料農産物コストの変動を反映する価格改定式を記載することとされ、農産物の生産コストへの考慮を川下に伝達する措置が取られた。
 実際には、生鮮果実・野菜(価格変動が激しい)、穀物(シカゴ相場など国際相場の利用)など、政令による適用除外品目も多い結果となった。一方、生乳、肉牛、豚は、政令により迅速に実施されている。生乳は、EUミルクパッケージ規則の制定(2012年)があり、早くに契約書が義務化され、Egalim法の段階から生産コスト指標を使用している。

3 日本における価格形成と生産コスト指標導入の可能性

 生乳では、周知のように指定生乳生産者団体を通して、乳業各社との乳価交渉が行われている。かつては、加工原料乳の基準取引価格が、飲用乳向け乳価形成の指標価格の役割を果たしていたが、2001年に補給金制度改正により廃止された。そこで、04年に一般社団法人Jミルク(以下「Jミルク」という)が次のような飲用原料乳のフォーミュラを提示した。
(1)乳業者支払い可能乳代=飲用牛乳の卸価格−乳業者の製造・販売コスト
(2)再生産コスト=飲用原料乳地帯の生乳生産費+生乳の運賃等コスト
(3)(1)と(2)を按分して算出
 このうち(2)は農林水産省の畜産物生産費統計(以下「生産費統計」という)より入手できるが、(1)の乳業者の製造・販売コストデータが入手できず、フォーミュラそのものは実施できなかった。しかし、(2)の変化係数が算出され、これを用いて指定団体は乳価交渉に臨んでいる。20年以降の生産コスト上昇の中で一定の引き上げを実現し、成果は上がっている。
 これは、公正な価格形成の仕組みづくりの手がかりになると言える。
 フォーミュラにあたる値決めの方式は、豚肉や牛肉においても、産地食肉センターにおいて食肉メーカーなどとの相対取引において使用されている。例えば、等級別の東京市場価格×0.5+福岡市場価格×0.5−運賃などのように、中央卸売市場価格の加重平均を使う。肉豚や肉牛の生産コストは生産費統計により公表されており、家畜の輸送やと畜解体コストの算定・公表が必要になるが、この値決めの式に生産コスト指標を導入できるか、検討の余地はある。

4 公正な価格形成の仕組みづくりに向けた課題

 前述のように、畜産では生産コスト指標が導入できる可能性が高いが、具体的な仕組みをつくり、運用できるようにするには、いくつかの課題がある。

(1)法に基づく品目ごとの専門職業間組織の形成
仕組みづくり、運用の議論の場として、法で認可された専門職業間組織が日本でも必要である。専門職業組織は多数あるが、その連合組織である専門職業間組織はJミルク以外にない。両組織の性質・役割を定義し、認定する法の制定が求められる。課徴金を集め、予算規模と専門性のある人材を確保することが必要である。
 フランスでは1974年に専門職業間組織が法制化され、関係者の重要な議論の場となっている。職員の専門性は高く、多くは修士学位をもち、博士学位をもつ者もいる。競争法抵触を超えて法制定できたのもこのような議論の場があったためと言える。

(2)コストと価格のデータ収集
 「生産費」は、支払い費用ではない家族労働費や減価償却費、自作地地代、自己資本利子を含むものであり、生産費統計の「全算入生産費」に該当するデータが必要である。同統計は、牛乳、肉用牛、肥育豚に限定されている。採卵鶏、肉鶏の生産費データの収集、さらに各品目の処理場のコストデータの収集が必要であり、方策の検討が求められる。卸、小売段階のコストのデータも望まれるが、小売は多数の品目を扱っていることが多いので難しいだろう。市場価格は、畜産物については、農畜産業振興機構が卸と小売価格のデータを公表している。

(3)生活者(消費者)が公正な価格で購入できる基盤を整える必要
 生活者は、小売店の価格からは、生産者が適切な報酬を得られるかどうかは分からない。コストや農家の報酬を示して理解を得ることも大事だが、何よりも重要なのは公正な価格で購入できるように、先進国で最低水準の給与を引き上げ、経済状態を改善することである。
 最後に価格形成の仕組みづくりそのものではないが、関連する課題に言及しておきたい。畜産では、輸入飼料の利用が多く、原料価格の変動・高騰の原因になっている。一方で、耕作放棄地が増えており、そこに飼料用トウモロコシや飼料用稲(ホールクロップサイレージ用)を作付け、飼料の安定供給とコスト節減を進めることが極めて重要であろう。
 併せて以下を参照されたい。『農業と経済』2023年冬号、英明企画編集。新山・杉中・大住・吉松(2023)「フランスEgalim法、EgalimU法にみる生産コストを考慮した価格形成」『フードシステム研究』30巻2号。
 
【プロフィール】
京都大学大学院農学研究科博士課程修了。農学博士。2017年まで京都大学教授、2022年まで立命館大学教授。京都大学名誉教授。主な業績に、シリーズ「フードシステムの未来へ」(『フードシステムの構造と調整』など)昭和堂、2020年、『牛肉のフードシステム−欧米と日本の比較分析』日本経済評論社、2001年など。