(1)「左草ブラウンスイス牧場」立ち上げの経緯
こうした飼料自給と省力化に取り組む一方、高付加価値化にも挑戦してきた。春恵氏が就農して間もない頃、希少かつ加工向きの乳質を持つブラウンスイス種の強みを生かそうと、手始めにアイスクリームづくりを試みた。しかし、アイスクリーム店の協力を得て試作に漕ぎつけたところで、本業との兼ね合いや販売ノウハウ不足が障害となり事業化は頓挫した。
ブラウンスイス種は乳肉兼用種のため肉も利用できるが、日本の市場では個体販売価格が低く、自家消費にとどまっていた。ブラウンスイス種特有のまろやかでうま味のある肉のおいしさは知っていたものの、焼き材に不向きな部位も多く、それがビジネスになるとは考えていなかった。
ところが、盛岡市から西和賀町へ移住してきたシャルキュトリー職人・佐々剛氏との出会いで新たな可能性が拓けた。シャルキュトリーとは、フランス語でハムやソーセージなどの食肉加工品を指す。焼き材などとして扱いづらい部位もこうした商品にすれば無駄にせず価値を高められることを知った。こうして2020年9月、春恵氏の個人事業として食肉販売業を開始し、「左草ブラウンスイス牧場
(注3)」の立ち上げに至ったのである。
(注3)「左草」は地名に由来する。
(2)仕入れ・加工
まず、左草ブラウンスイス牧場が菅原牧場からブラウンスイス種の廃用牛または雄子牛を生体で買い取る。買取価格は乳牛の市場相場の約2倍と高い。これは、(菅原牧場に限らず)出荷側にも利のある仕組みづくりを通して、「乳量が少なく個体価格も安いので酪農経営に向かない」と言われるブラウンスイスの評価を変えていきたいと考えてのことである。
と畜後、1頭当たり約250キログラムのブロック肉を引き取って商品に加工する。当初、年間1〜2頭分の出荷から徐々に増やし、5年目の現在は年間5頭分となる。約3分の1(サーロイン、ヒレ、モモなど)はブロックのまま県内外の飲食店などへ卸す。残った3分の2のうち、ブロック状では扱いにくい部位(バラ、ウデなど)はカット肉やひき肉にし、スジの多い赤身などを生ハム、ソーセージ、コンビーフ、パストラミといった約10種類のシャルキュトリーに加工して余すところなく使う(写真5、6)。
加工は佐々氏の経営する合同会社
33の工房を借り、衛生管理や製造方法を教わりながら始めた。作業は、気温が高く採草の繁忙期とも重なる夏場を避ける狙いから、晩秋と春先にまとめて行い、商品は冷凍ストックしておく。冷凍することで賞味期限を半年と長めに設定でき、添加物も減らせるので本来の味を楽しんでもらえるという。
(3)販売チャネルと顧客ニーズ
秋と畜分を夏までに、春と畜分を秋までに売り切らなければならない。特にシャルキュトリーは日本ではなじみが薄く高価格帯のため、地元よりも都市部に需要があると考えた。とはいえ、本業を放って営業活動に専念することも、宣伝広告費を捻出することも難しい。
そこで、まずは無料で利用可能なFacebookグループ(SNSを利用したオンラインコミュニティ)を立ち上げ、知人を中心としたネットワークに商品を紹介し、個別に買い手を募ることから始めた。SNS上では生産者側からの情報発信だけでなく、メンバーとの交流もでき、購入した顧客からの感想や写真などの投稿も見られる。シェア機能によってグループの輪は広がり、現在の参加者は450名を超える。その後、新設したInstagramや牧場のウェブサイトでも注文受付を開始したほか、飲食店や小売店への卸、地元直売所での販売、西和賀町のふるさと納税返礼品や地場産品を扱う外部EC(電子商取引)サイトなど、徐々に販路を増やしてきた(表3)。日々の情報発信、受注管理や発送作業は、春恵氏が朝夕の酪農の仕事の傍らすべて一人で行う。
コロナ禍に開業したにもかかわらず、売上は順調に伸び続けている。顧客は県内外、個人・事業者を問わず多様だが、商品カテゴリーごとに一定の傾向が見られる。シャルキュトリーは、初期から一貫して個人によるEC利用が大半である。ブロック肉は、定期顧客の町内旅館をはじめ、県内外の飲食店や小売店など事業者への卸が主体となっている。ただ、最近は一般の個人からの注文も増えているという。カット肉は個人からも事業者からも注文があり、後述する学校給食への提供も行う。事業全体で見ると、個人よりも事業者(学校給食含む)のシェアがやや高まりつつある。
販路拡大には、赤身牛肉を求める料理人の存在と、そのネットワークが重要な役割を果たしている。フレンチやイタリアンの本場では脂が少なくうま味のある赤身肉を用いることが多く、飲食店には一定の需要がある。しかし、日本では脂が多く柔らかい霜降りが好まれるので、質の良い赤身の国産牛肉は手に入りにくい。岩手県内には上質な赤身で有名な日本短角種の主産地もあるが、流通量は極めて少なく高価である。一方、左草ブラウンスイス牧場の商品は、乳牛としては高めの価格設定とはいえ、日本短角種の半額程度である。そうした事情もあり、日頃から新たな食材を探し求める料理人同士の情報網を介して「西和賀町で良質な赤身牛肉が安価で手に入る」といった口コミが自然と広がっていくのだという。既存取引先の紹介から新たな取引に結びつくことも増えた。そうしたケースは自ら営業をかけるより成約がスムーズで、リピート率も高い。肉の希少性や価格優位性のみならず、春恵氏の考え方や放牧という飼い方に共感し支持してくれる人も少なくない。
赤身肉は熱で硬くなりやすいため調理が難しく、ブラウンスイスという品種も一般にはなじみがない。しかし、食材の特性への理解と高い調理技術を備えた料理人が架け橋となり、左草ブラウンスイス牧場の商品や取り組みの価値を消費者へ広める役割を果たしている点は、非常に興味深い。
(4)地元学校給食への提供
菅原牧場の生乳は、湯田牛乳公社を通じて長年、学校給食用牛乳に供給されている。それに加え、食肉も学校給食への提供を始めた。きっかけは、2021年に新設された西和賀町総合給食センターの栄養教諭との出会いである。食育に力を入れる同センターでは、生産者と連携して地域食材をふんだんに使ったメニューを提供している。「毎日給食で牛乳を飲む子どもたちに、その乳を出す役目を終えた牛がどうなるのかも知ってほしい」という春恵氏の思いに共感した栄養教諭の計らいで、左草ブラウンスイス牧場の牛肉を使った献立が西和賀町内の全小・中学校で毎年8回提供されるようになった(写真7)。
2024年7月には菅原牧場が西和賀町、隣接する北上市の学校栄養士の合同研修会場となり、試食品が参加者から好評を得た。おいしさもさることながら、予算の限られた学校給食において、牛肉、それも希少な地場産を利用できるのは大きなメリットであろう。最近では町内外の保育園からも注文が入った。給食食材としての需要が増えている様子がうかがえる。未来の消費者である子どもたちにブラウンスイス牛肉を知ってもらう機会が広がっていくことが期待される。
(5)今後の展望
2024年は自らの加工施設を持つことを次なる目標に掲げ、準備に奔走してきた。ようやく資金調達のめどが立ち、10月30日に竣工した(写真8)。食肉製品製造業の営業許可に必要な国家資格「食品衛生管理者」は、大学時代に履修した科目で取得申請要件を満たせることが助けになった。
今後は女性一人でも続けられる作業体系づくりを念頭に、飼養規模は維持または縮小しつつ、ブラウンスイス種の割合を増やしていくつもりである。需要が確保できれば年間10頭分程度の加工販売ができる体制を整えていく。生乳生産量は減る可能性もあるが、その分、加工販売で付加価値を高めれば全体収入に大きな影響はない。
大口取引を増やしたり特定販路の拡大に注力するよりも、価値を理解してくれる顧客を少しずつ増やしながら、都市部のニーズに合う加工品の開発や、地元の消費者により手頃な価格で楽しんでもらうための方法を考えることを大切にしていきたい考えである。