(1)A2ミルクとBCM−7生成
A1型とA2型のβ−カゼインに違いをもたらすのは、67番目のアミノ酸(Pro67His)とされている。A2ミルクのβ−カゼインはVal59−Tyr60−Pro61−Phe62−Pro63−Gly64−Pro65−Ile66−Pro67−Asn68のアミノ酸配列をもち、Val59−Tyr60はエラスターゼ(消化酵素の一つ)で分解されるものの、Ile66−Pro67はどの消化酵素にも分解されない。A1ミルクのβ−カゼインはIle66−His67となっており、このペプチド結合を切る消化酵素は複数ある。これによりA1ミルクからのみβ−カゾモルフィン7(BCM−7; Tyr60−Pro61−Phe62−Pro63−Gly64−Pro65−Ile66)が生じるとされ、BCM−7のオピオイド様作用(モルヒネのような物質作用)で健康被害が生じるという主張が一部にある。そのため、A2ミルクと表示されるものの、重要なのはA1フリーすなわちBCM−7を生じないことである。しかし、カゼインを酵素分解してBCM−7生成の有無を調べると、A2ミルクからも微量のBCM−7を確認できるという報告が多い。αS1−、αS2−、κ−カゼイン、α−ラクトアルブミン、β−ラクトグロブリンにBCM−7に相当するアミノ酸配列はなく、これらをつくりだすCSN1S1、CSN1S2、CSN3、LALBA、LBG遺伝子に変異があってもBCM−7に相当するアミノ酸配列にはならない。搾乳後の生乳は、半日以上農場内のバルククーラーで低温(4度)保存される。集乳後も常に低温下に置かれるが、乳業会社で加熱殺菌されるまで低温細菌の活動が穏やかとはいえ継続し得る。この間にIle66−Pro67の結合が分解され、A2ミルクからBCM−7が生じるようになるのかもしれない。現在のところ、A2ミルクの品質保証は設計図(CSN2遺伝子の塩基配列)で行われており、製品(タンパク質)ではなされていない。
人であれ動物であれ、腸細胞にはDPP4(Dipeptidyl peptidase IV)と呼ばれるプロリン特異的なペプチダーゼ(ペプチドを加水分解する酵素の総称)が存在する。プロリン周辺のペプチド結合は消化酵素の作用を受けにくいが、DPP4などのペプチダーゼが作用することで、われわれはカゼインに含まれるアミノ酸はほぼ100%(95%程度)吸収できる。BCM−7の生成から、「β−カゼインは消化吸収率が悪い」という誤解をもたれることがあるが、ミルクタンパク質の栄養価は疑いなく非常に優れている。一方、DPP4に類似する酵素活性が乳酸菌を含む多くの微生物に確認されることから、ヨーグルトやチーズの発酵中にBCM−7前駆体が分解される可能性が指摘されている。A1ミルクの不安を払拭する発酵法となるかは分からないが、品質の制御因子として調査を行った。
(2)BCM−7の測定方法
農場TのA1A1牛およびA2A2牛からバケットミルカーで搾乳を行い、65度で30分間殺菌した生乳からカゼインを凝固させた。遠心分離で脂肪を除き、凍結乾燥した粉末を脱脂してBCM−7の測定に供した。酵素消化はカゼイン24mg/mlの濃度で行い、ブタペプシン(pH2.5、37度、5時間)およびウシパンクレアチン(pH7.0、37度、5時間)によって生じたペプチドを、MWCO(分画分子量)10000および3000のVivaspin(遠心濃縮チューブ)で限外ろ過して分子量3000以下の分画を得た。これを逆相HPLC(高速液体クロマトグラフ)で分析するとともに、MALDI−TOF−MS(マトリックス支援レーザー脱離イオン飛行時間質量分析計)でBCM−7の有無を確認した。
(3)BCM−7の測定結果
A1ミルクからだけでなく、A2ミルクからもBCM−7が生成することを確認した(図4)。生成プロセスの解明については調査を継続する必要があるが同様の結果を示す報告は少なくない。前述のとおり、カゼイン、ラクトアルブミン、ラクトグロブリンにBCM−7に相当するアミノ酸配列はなく、A2ミルクからBCM−7が生成するということは、Ile66−Pro67のペプチド結合が考えられているほど強固ではないことを示唆する。消化酵素の基質特異性がそれほど厳密でなく、プロリン周辺のペプチド結合にも作用するということがあるかもしれない。また、低温耐性の微生物群が生乳保存中にDPP4様の酵素を作用させる可能性もある。今回用いたミルクは、サンプリング前日夕方の生乳と当日朝の生乳を混合したもので、カゼインを調製するまでに最大で20時間程度低温保存されていた。
BCM−7はβ−カゼインに酵素が作用して生じるものであり、ミルクをそのまま用いてもBCM−7を測定することはできない。ペプシン、トリプシン、キモトリプシンといった消化酵素を作用させて検出可能な形にする必要がある。本研究ではウシパンクレアチンを使用したが、パンクレアチンは膵臓由来の酵素混合物で、トリプシン、キモトリプシン、カルボキシペプチダーゼの他にアミラーゼ、リパーゼ、リボヌクレアーゼといった多様な酵素を含む。高度に精製された酵素ではなく、膵臓あるいは腸管に由来するDPP4が混在している可能性もある。もし酵素消化に用いる試薬に問題があるとすれば、BCM−7生成の有無からA1ミルクとA2ミルクを識別する方法は改良あるいは修正されなければならない。これらについての検討は始めており、総括できるよう知見を積み重ねて公表したい。
(4)DPP4活性のモニタリング
DPP4活性を有する乳酸菌スターターでBCM−7前駆体を発酵分解することは、市販スターター3種(CH−1、YC−X11、Mild1.0)のDPP4活性をモニタリングすることで調査した(図5)。A1A1型およびA2A2型の乳牛からミルクを採取し、65度で30分間殺菌した生乳にスターターを接種して37あるいは43度で6および24時間発酵させた。DPP4活性は、Gly−Pro−pNAからのニトロアニリン生成量およびBCM−7の分解率で測定した。
37度で培養すると、24時間後のpHはCH−1が3.9まで低下しており、YC−X11とMild1.0では4.3程度にとどまった。43度で培養した場合も、24時間後のpHはCH−1で最も低くなった。DPP4活性はスターターおよび培養条件による違いが明確で、CH−1とYC−X11は37度、6時間後に高値を示す一方、24時間後には活性値が著しく低下した。また、43度では培養時間に関わらずDPP4活性が低値であった。すなわち、いずれのスターターもDPP4の耐酸性は低く、BCM−7前駆体を分解する能力があったとしても、ヨーグルト製造の初期段階でそれらは半減あるいは失活すると考えられた。スターターによって耐酸性や培養条件に対する反応は異なるので、BCM−7前駆体の分解をどこまで高められるかについて検討を続けている。