本章では、全酪アカデミーの仕組みを活用して第三者継承による就農を実現した具体的事例として、福島県東白川郡塙町で設立された「らっきーべこファーム」の高橋夫妻の就農プロセスと経営実態を報告する(写真)。この事例は、非農家出身者のアカデミー生が第三者継承を果たした成功事例としても注目されている。
(1)高橋夫妻の出会いと就農希望の契機
夫の純真氏(30歳)と妻の帆乃佳氏(30歳)は、ともに埼玉県の非農家出身者であり、大学の同級生として出会った。
帆乃佳氏は、高校時代から動物関係の仕事に興味があり、動物園や牧場など幅広い進路を視野に入れて畜産を学べる大学を選んだ。在学中には、岩手県の中洞牧場で山地酪農を、静岡県では搾乳ロボット導入農場での搾乳を体験し、「酪農経営の形がこんなに幅広いものなのか」と面白さに気付いた。実習先では「技術は後からでも身に付けられるものだから、経営者として選んでもらえるような人間性を磨く方が大切だ」との助言を受け、その一つの手段として大学院進学を決意した。大学院では、性判別精液の普及が後継牛確保に与えた影響について研究した。修了後は全酪連に入り、北関東の酪農家への購買営業を通じてさまざまな経営の現場を見てきた。
一方、純真氏は、大学3年生の終わりに、帆乃佳氏から突然「酪農をやりたい」と告げられ、仰天した。しかし「一人の労働力でできる職業ではない」と考え、帆乃佳氏を支えたいと覚悟を決め、酪農を学ぶために卒業後は削蹄会社に就職し、削蹄師として約100軒の牧場を訪問する中で牛の爪(蹄)に現れる飼養管理の良否を見極める観察眼を養った。「良い牧場と悪い牧場の違いは、本当に見える。何より牛自身の爪にも現れる」と語る通り、この経験が継承先の選定で決定的な役割を果たすことになる。
(2)佐藤牧場への視察と継承プロセス
具体的な一歩は、全酪アカデミーの設立により開かれる。純真氏が2022年4月に第2期生として、帆乃佳氏が翌23年4月に第3期生として入社している。前述の通り、研修生は全酪アカデミーの職員として採用されるので、高橋夫妻は、月額42万円(夫婦)の基本給を得ながら、研修と就農先の選定を並行して進めることができた(表2)。
転機は2022年の夏に訪れる。福島県東白川郡塙町で50年にわたり酪農を営んできた佐藤勝氏(当時71歳)は引退を決めていた。佐藤氏は1979年の開拓入植以来、乳価暴落や生産調整、土壌障害による家畜事故といった幾多の経営危機を克服し、地域トップクラスの経営を築き上げた。これらの経験から導き出された「土壌分析の徹底」という佐藤メソッドとも言うべき指針は、経営の持続性を担保する重要な知見として高橋夫妻に継承されている。引退直前には30頭規模で、1日当たりの乳量1トンという高い生産性を維持し、各種表彰を受けるなど、完成度の高い経営を確立していた。当初は牧場施設ごと廃止する予定だったが、福島県酪農業協同組合(以下「福島県酪農協」という)を通じてアカデミー研修生の存在を知り、「後継者として継承してくれるなら」と受け入れを決断した。ここで、全酪アカデミーの賛助会員ネットワークを通じたマッチング機能が発揮されたのである。
2022年7月、高橋夫妻は佐藤牧場を視察に訪れた。前職で約100軒の牧場を見てきた純真氏は、築40年とは思えない施設の状態と牛の良さ、佐藤氏の人柄を即座に見抜き、帰りの車中で「ここがいい」と即決した。帆乃佳氏も、「引退を決めた酪農家は繁殖管理をやめている場合も多い中、(佐藤)勝さんの牧場は繁殖成績も抜群で、後継牛の確保もされていた。機械や
圃場もきれいに使われ、受け継ぐには最高の条件だった」と振り返る。そして、何よりも佐藤氏の誠実さが判断の決め手になった。同年9月から本格的な協議が始まり、12月に基本合意書を交わした。翌23年2月には青年等就農計画を作成し、5月には塙町による計画認定を受けるとともに、高橋夫妻間で家族経営協定を締結した。8月に福島県の初期投資促進事業補助金の交付決定、9月に資産譲渡契約書の締結と融資決定、10月に不動産売買契約と融資実行を経て、同年11月に経営を開始している。
(3)経営概況
佐藤氏からの経営移譲に当たり、資産評価は、トラクターなどの機械を日本ニューホランド株式会社が、牛を福島県酪農協が、施設は固定資産台帳をベースに関係者の協議の上で評価した。総額はおよそ4800万円で、高橋夫妻は、牛舎・機械・牛・草地を一括で取得した。資金は、青年等就農資金3700万円の借り入れおよび福島県の初期投資促進事業の補助金約1100万円で賄うことができた。
現在は、経産牛約30頭、育成牛(後継牛)約10頭(総収容能力50頭)、全頭ホルスタインのつなぎ飼養である(表3)。草地面積は借地を含め約5ヘクタール、草種はオーチャードグラスやクローバーなどで、家畜排せつ物は固液分離機を使い100%圃場に還元している。育成牛(後継牛)は自家育成を行っている。高橋夫妻は、佐藤氏が「土手の草を食べさせれば景観管理にもなり、預託料より安い」として続けてきた方針を引き継いでいる。生乳の出荷先は福島県酪農協で、乳価は1キログラム当たり132円(取材当日)である。労働力は夫婦2人で、酪農ヘルパー利用は1カ月当たり2〜3回である。
就農1年目、夫妻には、喜びと試練が同時に訪れた。帆乃佳氏が子どもを授かり、約1カ月間埼玉県の実家に里帰りした。この期間、純真氏が一人で牧場を切り盛りすることになった。本人が「やっている意味がわからない」と吐露するほど、純真氏は心身ともに追い詰められた。その姿を見ていた佐藤氏をはじめ周囲の人々は、続けられるのか憂慮していたと振り返っている。
また、佐藤氏から管理者が交代したことに伴い、高齢牛が次々と死亡し、乳量は大幅に低下、牛群検定も休止を余儀なくされた。それでも、福島県酪農協の獣医師による毎月の検診や飼料内容の見直し指導を受けて、経営は徐々に回復していった。こうした試練を乗り越えた結果、現在は32頭で1日当たり830〜840キログラムの乳量を維持し、生乳中の体細胞数は1ミリリットル当たり7〜10万個、細菌数も非常に低い水準で良好な乳質を保っている。現在は、会社員時代を上回る所得を確保できるようになった。
(4)就農支援の体制
高橋夫妻の就農を支えたのは、全酪アカデミーの制度的基盤に加え、就農地における多層的な関係機関の連携である。前述した「セコンド」と「接着剤」の機能が、就農後の支援体制にも反映されている。
第一に、前経営主の佐藤氏との良好な関係である。同氏は「あと3年は目を光らせる」として、高橋夫妻にとって特に経験の浅い自給飼料生産を重点的に指導している。佐藤氏は牧場の近くに居住しているため、トラブル時にはすぐに駆けつけられる。また、高橋夫婦が就農当初に担いきれない地域の役職を代わって引き受け、佐藤氏の妻は高橋夫妻の長男(1歳7カ月)を孫のように世話するなど、家族ぐるみの関係が築かれている。「牛さんたちは、お話はしないけれども、良い餌を与えれば一生懸命働いて応えてくれる」という佐藤氏の50年の知恵が、日々の指導を通じて高橋夫妻に受け継がれている。このような前経営者と継承者の良好な関係性は、第三者継承の成否を左右する最も重要な要因の一つであり、3で述べた全酪アカデミーの「3)移譲者との面会」を通じて相互理解を深めたことが、その基盤を築いたと言える。
第二に、福島県酪農協の役割である。同酪農協は、生乳出荷から廃用牛売却に至る「揺り籠から墓場まで」の一貫支援を担うことを理念としている。毎月の獣医師巡回による繁殖検診、TMR(Total Mixed Ration:完全混合飼料)供給、飼料設計の助言など、きめ細かい伴走支援が続いている。就農1年目の危機を救ったのも、同酪農協の獣医師の定期的な介入であった。全酪アカデミーが就農前の段階で同酪農協との関係を構築していたことが、就農直後からの円滑な支援につながっている。
第三に、塙町役場の支援である。さまざまな補助金申請の事務手続きに関する支援や、半年に1回の見廻りが状況確認など積極的な支援を提供している。
第四に、全酪アカデミーの制度的基盤である。基本合意書の仕組みと研修中の給与保障が、就農前の不安定な時期を支えた。また、この地域にはコントラクターがないため、自給飼料生産を自前で行う必要があり、佐藤氏からの技術移転が不可欠であった。全酪アカデミーの「接着剤」機能が、両者を結び付けただけでなく、自給飼料生産という課題に対応する技術移転の枠組みをも提供した点は重要である。
(5)将来展望
高橋夫妻は、規模拡大や6次産業化は目指さず、「実直に生乳生産をする」ことを信条に酪農に向き合いたいと述べる。佐藤氏のような安定した高収益経営の維持が目標であり、雇用は入れず家族経営を継続する。そして将来的には、自分たちと同様に非農家出身者にも継承できる「選んでもらえるような牧場」を築くことを目指している。
「らっきーべこファーム」は「Lucky」(幸運)と、東北で牛を意味する「べこ」を掛け合わせた名である。佐藤氏が50年かけて築いた最高の状態で受け取ったバトンを、同じく最高の状態で次代へと渡したい。さまざまな幸運と、人々のつながりに支えられて就農できた感謝を込めて、夫妻はこの名を選んだ。その名に恥じぬよう、2人の挑戦はこれからも続いていく。