分子レベルで明らかになってきた舌で甘さを感じるしくみ
最終更新日:2015年1月9日
分子レベルで明らかになってきた舌で甘さを感じるしくみ
2015年1月
京都府立医科大学 大学院医学研究科
樽野 陽幸(細胞生理学)
丸中 良典(細胞生理学、バイオイオノミクス)
【要約】
味覚は生物の生存に必須の感覚として進化してきた。多くの生物が持つ「甘さ」を感じ、「おいしい」と感じる能力は、エネルギー源である糖類(栄養)が含まれる食べ物を効率良く検知するためのセンサー機構である。近年の研究で、われわれにとって身近な甘さの感覚について、遺伝子・分子レベルでの理解が飛躍的に向上してきた。
はじめに
われわれは食事の際にさまざまな味を知覚し、食べ物の好き嫌いなどもこの味に起因することが多い。五感(触覚・視覚・嗅覚・味覚・聴覚)のうちの1つ、味覚は生物の生存にとって無くてはならない感覚として進化してきた。一般に、滋養になるものをおいしいと感じることで嗜好し、一方で、毒になるものはまずいと感じることで忌避するように、味覚とわれわれの食行動・生存は常に密接に関わってきた。ヒトを含めた多くの哺乳類は5基本味と呼ばれる味の質を区別することができ、甘味(砂糖・人工甘味料など)・苦味(カフェインなど)・塩味(食塩)・酸味(クエン酸)・うま味(いわゆる「出汁」のうまみ)を認識できる。甘味・うま味・マイルドな塩味を好み、苦味・酸味・強い塩味を嫌う。
アリストテレスが紀元前350年、On Sense and the Sensibleの中で「すべての生き物は甘さから栄養を得る」と述べているように、「甘さ」が栄養の源であることは古くからよく知られていた。実際に、生物は砂糖に含まれるブドウ糖をエネルギー源として利用しており、生存のためにブドウ糖など糖類を含む食べ物を、「甘い」「おいしい」と感じることで進んで摂取するように進化してきた。このように、種の生存のために発達した「甘い」という感覚が砂糖の「おいしさ」の基盤となっている。分子生物学の進歩を背景に、過去20年にわたり甘味受容体やその他多くの関連分子が次々と発見され、舌における「甘さ」の受容・処理・伝達についての分子レベルの理解が飛躍的に向上し、われわれが日常的に感じている砂糖の「甘さ」についてのいくつかの謎が解かれてきた。本稿では、舌での甘味受容の分子メカニズムを概観し、よく知られている甘味の不思議のからくりを分子レベルで解説する。
1. 舌における甘味受容・処理・伝達の分子メカニズム
解剖学的に、味覚は主に舌の表面に存在する味蕾と呼ばれる器官で受容される。味蕾はおよそ100個の味細胞が集まってできており、紡錘形の各味細胞は一方の端を舌表面へと伸ばして味物質を受容し、もう一方の端で神経との連絡を介して味情報を脳へと伝えている。味細胞の寿命は2週間程度で、基底細胞が味細胞に分化することで、常に新しい細胞に入れ替わっている。5基本味それぞれの味の質は、味蕾において別々の味細胞によって受容される。味細胞はその解剖学的特徴からT・U・V型の3タイプに分類される。甘味細胞は苦味細胞・うま味細胞と共にU型に分類され、砂糖や人工甘味料などの甘味物質を受容して甘味情報を近辺の神経終末へと伝達する。
甘味細胞における甘味物質の受容に関わる分子は2つあり、Tas1R2とTas1R3と名付けられている。この2つの分子が合わさって(ヘテロ二量体)1つの甘味受容体として機能する(図)。遺伝子組み換え技術により作製したTas1R2もしくはTas1R3を欠損したマウスの味覚感受性を解析すると、これらのマウスで甘味物質への感受性が損なわれていることが分かった。この結果は、Tas1R2とTas1R3どちらも甘味の受容に必須の分子で、2つで1つの甘味受容体(Tas1R2/Tas1R3)を形成していることを示している(Liman,E.R.et al.Neuron:(2014)81: 984-1000)。
甘味物質の結合により甘味受容体は活性化し、続いて甘味細胞内ではいくつかの分子を介した連鎖反応が起こる(図)。このことを甘味細胞の「興奮」と呼び、ここでは甘味物質の受容を細胞の興奮へと変換する、いわば甘味の情報処理が行われる。簡単に説明すると、活性化した甘味受容体は小胞体からのカルシウムイオン(Ca2+)放出を誘導し、細胞内Ca2+濃度を上昇させる。次に、細胞内Ca2+濃度上昇が細胞膜に存在するTRPM5チャネルを活性化し脱分極(細胞内電位のプラス側への弱い変動)を惹き起こし、電位依存性ナトリウムチャネル(SCNs)を介した活動電位(細胞内電位のプラス側への強い変動)が発生する。甘味の強弱はこの甘味細胞の興奮の強弱に変換されると考えられている(Taruno,A.et al.BioEssays:(2013)35: 1111-1118)。
興奮した甘味細胞は最後に甘味情報を神経細胞、つまり脳へと伝えなければならないが、甘味細胞はシナプスと呼ばれる古典的な神経細胞の結合様式を持たない。そのため、長い間、甘味を舌から脳へと伝える分子メカニズムは謎のままであった。最近になってわれわれは、Calcium Homeostasis Modulator 1 (CALHM1)チャネルという分子が甘味細胞から神経伝達物質であるATP放出の通り道であることを突き止め、脳への甘味情報伝達メカニズムを解明した(図)(Taruno, A. et al. Nature:(2013)495: 223-226)。
2. 砂糖と人工甘味料の甘さの質の違い
人工甘味料(アスパルテーム・アセスルファムカリウム・スクラロースなど)は、低カロリー食品において砂糖の代替品として利用される甘味料である。砂糖と同じく甘いのに砂糖よりカロリーが低く抑えられているかほとんど無く、健康志向の高い現在、需要が高まってきている。しかし、問題が無いわけではない。人工甘味料は確かに甘いが、甘さの質が砂糖とは違い、そのため砂糖の代替品として使用することで、本来の味を損ねてしまうことがある。そのため複数の人工甘味料を組み合わせることで、砂糖の甘さの質に近づける工夫がされるが、やはりまだその活用の幅は限定的である(
「近年における人工甘味料の動向」砂糖類・でん粉情報2014年2月号)。
前述の通り、甘さは甘味物質(砂糖や人工甘味料など)の結合によって、甘味受容体Tas1R2/Tas1R3が活性化することが引き金となる。Tas1R2、Tas1R3の構造は、どちらも細胞膜を貫通して存在し、細胞外(舌表面側)にハエトリグサ(“Venus flytrap”)に似た構造を持ち、これが甘味物質の認識・結合に関わることが知られている。実際に、天然甘味料とアスパルテームなどいくつかの人工甘味料はTas1R2のハエトリグサ構造に結合することが知られている(
図)。しかし、最近の研究でその他の人工甘味料がハエトリグサ構造以外の部分に結合して甘味受容体を活性化することが明らかとなってきた。例えば、人工甘味料シクラメートはTas1R3の細胞膜貫通領域に結合することが報告された(
図)(Temussi, P.A.et al.
Int.Rev.Cell Mol.Biol. :(2011)291: 191-226)。甘味料は、それぞれ固有の甘さの質を持つことが知られているが、これはそれぞれの甘味料が甘味受容体Tas1R2/Tas1R3の異なる部位に結合することで引き起こされる異なる受容体活性化様式に起因している可能性が現在指摘されている。砂糖による受容体活性化の構造的基盤の詳細が明らかになれば、これを参考にして、より砂糖に近い甘さの質を持った人工甘味料の開発ができると期待されている。
3. 酸味が甘味に変わるミラクルフルーツ
テレビや雑誌などで取り上げられることもあり、一般的な認知度も高いミラクルフルーツ。この果物は食べると酸味が甘味に変わり、レモンがはちみつレモンのような味に変化し、その効果が30分〜2時間程度持続するという不思議な果物で、そのしくみは長らく謎のままでであった。しかし、甘味受容体の発見によって、ミラクルフルーツの謎も解明された。ミラクルフルーツにはミラクリンというタンパク質が含まれており、これが甘味受容体Tas1R2/Tas1R3に強く結合する(Koizumi, A. et al. Proc. Natl. Acad. Sci. USA:(2011)108: 16819-16824)。口の中が中性条件下(酸っぱいものを食べていない状態)では、結合したミラクリンは甘味受容体を活性化することはない。しかし、酸っぱいものを食べて口の中が酸性(pH4.8-6.5)になると、甘味受容体に結合したミラクリンが構造変化を起こして甘味受容体を強く活性化するのである。そして、ミラクリンと甘味受容体の結合が続く限り酸味−甘味変換効果は持続するというわけである。今ではこのようにミラクルフルーツの謎は、ミラクリンと甘味受容体の分子間相互作用によって明解に説明することができる。
4. 猫は甘いものを好まない
味覚は生物の生存に深く関わる食行動を制御するために進化してきたと最初に述べた。一方で、生物の進化に伴う食行動の変化とともに、生存に必要なくなった味覚は失われもするし、また必要になれば、新しい味覚を獲得することもある。このようにして生まれる生物の種間での味覚の多様性だが、これは味覚受容体にみられる違いで説明ができる。ヒトと違って猫が甘いものを好まない、というのは一般によく知られた一例であろう。その原因は、現代の猫は、甘味受容体Tas1R2/Tas1R3の半分を構成するTas1R2を遺伝子レベルで失っており、そのせいで甘味物質への感受性が失われているためである(Li,X.et al.PLoS Genet:(2005)1: 27-35)。実はこのTas1R2の欠損に伴う甘味の感受性の欠如は猫に特有のものではなく、肉食動物に広くみられる一般的な進化の結果であることもその後の研究で明らかとなった(Jiang,P.et al.Proc.Natl.Acad.Sci.USA:(2012)109: 4956-4961)。肉食動物への進化の過程で、糖類を多く含む果物などを食物の選択肢から除外し始めると、生存にとって甘味を感じる必要性が失われた。そうすると甘味受容体に突然変異が蓄積し始め、ついにはその機能を失うことになった、というわけである。進化の過程で味覚を失う例は他にもみられ、竹の葉を主食にするパンダはうま味受容体の構成分子を遺伝子レベルで失っており、食べ物を咀嚼せずに飲み込むイルカは甘味受容体もうま味受容体も遺伝子レベルで失っていることが知られているが、こうした味覚の退化の意味は、彼らの食行動に密接に関わっていると考えられているが、詳しいことはまだよく分かっていない。
5. ハチドリが花の蜜を味わうしくみ
進化に伴って失った味覚を取り戻すこともある。鳥類の食行動はとても多様で、種によって虫、種子などさまざまなものを主食とする。一方、鳥類は古い祖先の時点でTas1R2を失い、全ての鳥類は甘味受容体分子Tas1R2を遺伝子レベルで欠損している。実際にニワトリや七面鳥、錦花鳥などは甘いものを好まない。しかし、甘いものを主食にする鳥類もいる。ハチドリ(写真)は甘い花の蜜を主食としており、つまり、花の蜜に含まれる甘味物質(ショ糖)を甘味受容体Tas1R2/Tas1R3以外の分子を使って受容しているのである。最近の研究で、ハチドリは失った甘味受容体の代わりに、構造の似たうま味受容体を甘味物質に応答するように機能を変化(進化)させることで、進化の過程で一度は退化させた甘味感覚を取り戻したことが証明された(Baldwin,M.W.et al.Science:(2014)345: 929-933)。甘味感覚の獲得によってハチドリは、鳥類の生存競争の中で競争の少ない独自のポジションを確保することができたというわけである。
http://www.hedweb.com/animimag/hummingbirds.htmより転載
おわりに
以上のように、近年の分子生物学の発展により甘さを感じるメカニズムの分子レベルでの理解が深まってきている。すでにこうした最新の知見をもとにした甘味料・甘味調節物質(促進剤・抑制剤)の開発も進んでおり、今後の食品開発分野への大きな貢献が期待されている。
われわれの甘味受容そのものについての理解は深まったが、他の味質(例えば塩味)による甘味感覚の変容のメカニズムや、食べ物の味・見た目・匂い・温度・舌触りなどの情報を脳で統合して「おいしさ」を感じるメカニズムについてはまだ解明が進んでおらず、今後の研究課題である。
このページに掲載されている情報の発信元
農畜産業振興機構 調査情報部 (担当:企画情報グループ)
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