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沖縄県のさとうきび農業の構造変化への展望

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最終更新日:2016年1月8日

沖縄県のさとうきび農業の構造変化への展望

2016年1月

東京大学 大学院総合文化研究科 准教授 永田 淳嗣

【要約】

 沖縄県のさとうきび農業の将来は、現在生産の主力となっている昭和10年代〜30年代生まれの世代の高齢化・引退が進む中で、次世代にどのように継承されるかにかかっている。生産者数の減少とともに大規模層の拡大が予想されるが、生産量の多い大規模・中規模離島では一気に階層分化が進むとは考えにくく、中間層、零細層も含めた各層がさとうきび農業を担うことによって、地域の産業としての規模を維持していく道を探ることが重要だと考えられる。

はじめに

 2010年代半ばの今日、沖縄県のさとうきび農業は、復帰後の第2の転換期にあると言える。2015年には、この30年間、沖縄県のさとうきび農業を支えてきた昭和10年代〜30年代生まれの世代が50代〜70代となり、この世代の高齢化・引退が本格化していくことになる。次世代に沖縄県のさとうきび農業はどのように継承されていくのか。何らかの構造変化を伴いながらさとうきび生産者群が再生産され、産業としての規模を維持していくことができるのか。沖縄県のさとうきび農業の将来は、その動向にかかっていると言ってよい。

1.復帰後の沖縄県のさとうきび農業の変動

 図1は、さとうきび生産量の推移を、自然条件や社会経済条件の異なる沖縄本島と離島部に分けて示したものである。これを見ると、1980年代半ばが復帰後の第1の転換期となり、拡大から縮小局面へと移行していることが分かる。復帰後1980年代半ばまでの拡大を、筆者らは、1960年代半ばの「さとうきびブーム」に並ぶものとして「第2次さとうきびブーム」と呼んでいるが、拡大がとりわけ顕著だったのは離島部だった。一方、1980年代半ばから1990年代半ばにかけて劇的な後退を示したのは沖縄本島であり、その結果、復帰以前と比べ、さとうきび農業における沖縄本島と離島部の地位は逆転し、今日に至っている。
 
 こうした、さとうきび農業全体としての変動は、さとうきび作への参入・撤退、拡大・縮小といった個々の生産者の意思決定の総体として考えることができる。そしてその動向を理解するには、さとうきび農業を取り巻く外部環境や技術条件の変化とあわせて、生産者の世代構成に注目した分析が有効である。外部環境変化の中で、生産者の意思決定に直接的な影響を与えてきたのは、やはり第1に価格動向であろう(図2)。復帰後の拡大局面においては、実質価格が1960年代半ばのさとうきびブーム当時を上回るほどに上昇したことが、また1980年代半ば以降の縮小局面においては、実質価格が傾向的に低下し復帰直前の水準に近づいていたことが大きく作用したことは疑いない。
 
 しかし1980年代半ば以降の縮小局面に関しては、昭和1桁生まれ以上の世代の高齢化・引退という事態との関係を見逃してはならない。表1は、男子農業就業人口の年齢層別構成を10年ごとに見たものである。太枠が昭和1桁生まれに当たる。復帰後の沖縄県のさとうきび農業の動向を読み解く際には、生産者群を、 1)明治末〜昭和1桁生まれの第1世代、 2)昭和10年代〜30年代生まれの第2世代(第2次さとうきびブーム世代)、 3)昭和40年代〜昭和末/平成初生まれの第3世代に分けて考えてみると分かりやすい。これら3つの世代間には、そのボリューム(生産者数)に有意な差が見られる。

 1985年という時点は、ボリュームの大きな第1世代が50代〜70代となり、高齢化・引退が本格化する時期に当たる。1980年代半ば以降の沖縄本島におけるさとうきび農業の劇的な縮小は、第1世代から第2世代へのさとうきび農業の継承が限定的にしかなされず、さとうきび作付地の都市的土地利用や園芸部門への転換、耕作放棄が進んだことを反映していると言えるだろう。一方離島部においてさとうきび農業が大幅な後退を免れてきたのは、肉用牛など他部門の台頭はあるにせよ、第1世代から第2世代への継承がそれなりに進んだ事実を反映している。しかし、1985年から30年が経過し、2015年には、今度は第2世代が1985年当時の第1世代と同じ年齢となった。その意味で、冒頭に述べたように、今日、沖縄県のさとうきび農業は、復帰後の第2の転換期にあると言えるのである。
 

2.さとうきび農業の世代交代と構造変化

 沖縄県の各地域で、現在さとうきび農業の世代交代はどのように進んでいるのだろうか。表2は、地域ごとに、総収穫量に対する各年齢層の割合を示したものである(2010年度)。「昭和30年代以降生まれ+法人」の割合が高い順、すなわち、世代交代が進んでいる順に並べてある。一般には離島のさとうきび農業は高齢化が進んでいると思われがちだが、全般的には、地理的隔絶度が高くさとうきび農業への経済的依存度が高い離島ほど、世代交代は進んでいると言える。さとうきびの実質価格は、第2次さとうきびブーム当時と比べれば極めて低い水準にあるが、1990年代以降長期間安定している。一方で、園芸部門や肉用牛部門が急激に拡大するという状況にはなく、2000年代に入り公共事業の抑制により農外就業機会も縮小している中で、離島部においては、後継世代のさとうきび作への参入動機がある程度持続していると言えるだろう。
 
 それでは、さとうきび農業の世代交代を通じて、さとうきび農業の構造に何らかの変化は生じているのだろうか。この点をやや詳しく見るために、沖縄県のさとうきびの主要生産地域である宮古島の宮古製糖地域の例を見てみたい。表3は、年齢層ごとに収穫規模別の生産者の割合を見たものだが、昭和30年代生まれ以降の世代とそれ以前の世代で大きな差はない。収量200トン以上を大規模層、収量50トン以上200トン未満を中間層、収量50トン未満を零細層とすると、今日進行している世代交代を通じて、少なくとも現時点では大規模層と零細層への分化が進んでいるわけではなく、中間層が再生産されていると見ることができる。中間層は、生産者数で見ると全体の48%だが、総収穫量に対する割合では70%に達し、宮古島のさとうきび農業を支える存在になっている。この層の動向・位置付けを考えることなくして、宮古島のさとうきび農業の将来を考えることは難しいだろう。
 

おわりに

 さとうきび農業の世代交代に伴う変動のシナリオとしては、 1)大きな構造変化なきままに縮小する、 2)大きな構造変化なきままに規模を維持する、 3)大きな構造変化を伴いながら規模を維持する、といったいくつかのパターンが考えられる。1980年代半ば以降の第1世代から第2世代への世代交代においては、沖縄本島は 1)、離島部はおおむね 2)のパターンを歩んできた。今後世代交代は、第2世代から第3世代への交代が中心になっていくが、第2世代に比べ第3世代のボリュームは一段と小さく、大規模層が拡大してくる余地はそれなりにあると言えるだろう。ただし体力のある大規模経営が次々と現れて、これまで中間層が担ってきた部分を全て引き受けるという展開は考えにくい。少なくとも宮古島のように、他部門や他産業がある程度の展開を見せつつも、全般的には経済基盤の多様性が低い沖縄県の大規模・中規模離島では、中間層がある程度再生産されてくるのではないか。中間層の営むさとうきび作は、粗収入で100万円〜400万円程度となり、生計戦略上一定の重みを持っている。家族労働力を最大限投入すれば、さとうきび専業でも生活が成り立つが、他部門や他産業と組み合わせ、さまざまな規模で取り組み、生計の下支えとしてきたケースが多いだろう。そもそもさとうきび作の意義は、さまざまな規模で農業経営や生計戦略の中に位置付けることができ、幅広い層に受け入れられて、地域の産業としての規模を実現してきた点にある。こうした意義を追求するには、地域ごとの状況の差はあるにせよ、今後もその生産を各層が担っていくというような構造を考えざるを得ないのではないか。だとすれば、各層の農業経営や生計戦略に適したさとうきび作の、収益性改善につながる、地道な経営・技術体系の追求が今後も重要になっていくだろう。これまで中間層にとって、手刈りを前提とした技術体系は所得を残せる有力な選択肢だった。しかし、第1世代・第2世代の高齢化とともに機械収穫が進展し、後戻りできない状況になってくると、例えば中間層が所得を残せる機械化技術体系の追求といったことも重要な課題になってくる。
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