全国油菓工業協同組合
昔から庶民の間で食べられてきた「駄菓子」は、素朴な庶民の生活の中から生まれた物で、その由来などが判然としない物が多いです。「かりんとう」については、時代をさかのぼれば遠い昔、遣唐使により献上された唐菓子が始まりと言われております。当時の物は、穀物を油で揚げただけのものだったらしいです。その後、江戸人好みの雑菓子として進化し、江戸の後期には「かりんとう」売りが下町を賑わし、庶民に親しまれてきました。
明治8年、浅草仲見世の飯田屋が、小麦粉を練り油揚げした物に黒糖をまぶした物を店頭で売り、好評を得、下町一帯に広がり、その後全国に広がったと言われております。その後、時代とともにいろいろな形や味のかりんとうが作られ、全国各地で「おみやげ」をはじめ、いろいろな特徴のあるものが販売されております。
また、語源については、「かりん」の熟した実が、黒く太いかりんとうに似ているところから言われたという説と、かりんとうを食べた時カリカリと音がするところから言われたという説がありますが、おそらく後者の擬音の方ではないかと言われています。
かりんとうの種類は、黒かりんとうと白かりんとうに分けられ、黒糖を使った物と使っていない物とに分類します。黒糖は強い香りを持つため、黒かりんとうは太いか細いかといった形状の違いだけです。一方、白かりんとうは精製糖を使用しているため、いろいろな素材の持つ味を出すことができ、種々雑多の商品を作ることができます。
しかし、かりんとうの販売量の6割以上が黒糖を使った商品です。黒糖を使ったお菓子の代表がかりんとうであり、「黒糖=かりんとう」のイメージがあります。
当組合の組合員しか知らない、かりんとうのビックリする話があります。
江戸の昔からある「かりんとう」に「製造特許」が存在していたということです。いきさつはいろいろあったと思いますが、戦後景気が回復し、いろいろなお菓子が作られるようになりました。当時下請けをしていたあるかりんとう業者が、親会社からの厳しい要求の対応として「穀物を練り発酵させて棒状に切り、油で揚げた物に砂糖をかけた菓子」の製造特許を申請したところ、昭和41年にその特許が認められたのです。「これは大変」と各メーカーが騒いだのですが、結局その特許権を組合に譲渡することで落ち着き、昭和55年に特許権が消滅するまで当組合が保持し、かりんとうメーカーは特許使用料を当組合に支払っていました。
当組合が設立された頃は、かりんとうメーカーは全国で400〜500社くらいあったと言われております。
かりんとうの歴史の中にこのような話と戒めがあります。
戦後甘さに飢えた人々が甘い物に飛びつき、比較的簡単に出来る「かりんとう」のメーカーが全国あちこちに出来たのですが、戦後少しずつ景気が回復し、お菓子の種類も増え、メーカー同士の競争が激しくなってきました。当然最初に起きたのが価格競争です。価格競争が激しくなると利益を得るために行ったのが原料の質を落とすことです。より安い原料を使って商品を作ろうとするため、味がどんどん悪くなっていきました。さらに当時は「量り売り」だったため、目方を増やすため価格が安く目方を出す手段として、原料の小麦粉に炭酸カルシウム(石灰)を入れた商品が出回り、かりんとうは硬くてまずい商品の代表に成り下がってしまいました。
このような状態が続くと、かりんとう自体が消滅するのではないかと苦慮し、あるメーカーが発想の逆転で、より良い原材料を使い、よりおいしい副資材を入れ、今までの商品の3倍以上の価格の商品を売り出したのです。味は良いが値段が高いと言われ最初は相手にされなかったのですが1950年代の好景気も加わり、消費者がよりおいしい商品を求めたことも重なり、大好評を得、それ以降かりんとうメーカー各社は品質を第一に考えて競争し、今日に至った次第です。その過程において数百社あったメーカーは自然淘汰され、現在は50〜60社ほどとなり大半が自営業の方です。
かりんとう自体は子供や若者よりも中高年の女性が主な購入者だったのですが、平成9年に新しくなった東京駅のグランスタに「かりんとう専門店―錦豊林」が出店し、いろいろなテレビで取り上げられ、毎日行列が絶えず、一躍スポットを浴び、「かりんとうブーム」が沸き起こりました。その結果、「かりんとう饅頭」「かりんとうドーナツ」「かりんとう煎餅」等々黒糖を使用したお菓子に「
かりんとう〇〇〇」と名付けて販売され、若者にまで購買層が広がっております。
かりんとうメーカーの数は、廃業したところもあり少々減っておりますが、その分他のメーカーが生産量を増やし、生産量・販売量とも十数年来変わっておりません。
今後、日本の人口は減少しても高齢者人口が増えるため、現状維持が続くのかと思われます。また黒糖自体が身体に良いと言われており、健康志向も加わりこれからも生き続ける商品と思い、皆さまに愛される商品づくりに頑張っていこうと考えております。