NPO法人「食と健康プロジェクト」 理事長 高田 明和
東京都済生会渋谷診療所 松岡 健平、加藤 清恵
昭和女子大学 高尾 哲也、小川 睦美、石井 幸江、清水 史子
島津製作所グローバルアプリケーション開発センター 増田 潤一
糖尿病患者と健常中高年男性を比較すると糖尿病患者の血中トリプトファン濃度は低下していた。トリプトファン代謝のセロトニン系、インドール酢酸系、キヌレニン系のいずれの代謝産物は糖尿病患者では増加していた。
このことは糖尿病患者が絶え間ないストレスにさらされていることを示唆する。
日本人の栄養摂取量は毎年減っているが、糖尿病の受療率は増加している
1)。 砂糖摂取量という視点では、砂糖摂取は空腹時血糖にも影響を与えず、BMI、中性脂肪量にも影響を与えていない
2)。 つまり、同じような栄養摂取量の人でも糖尿病になったり、ならなかったりするということである。このことは糖尿病の発症には栄養摂取量の増加だけなく、何か別の要因があるのではないかと考えさせる。
実際、ロンドン大学のBrunnerらは、ロンドンの官庁街であるWhitehallで働く人を対象に調査したところ、
図1に示すように、職の地位の低い人は食後の血糖値が高いことが分かった
3)。
一方、
図2に示すようにアジアでも糖尿病は増加しているが、田舎に比べて都会に発症率が高いことが多い
4)(
図2)。
このことはストレスが糖尿病発症に大きな役割を果たしているのではないかと推察させる。しかし、ストレスを客観的に評価することは難しい。われわれの研究では、トリプトファン代謝産物が炎症性ストレス、身体的ストレスに関係していることが分かってきた
5),6)。従って、トリプトファン代謝産物の測定が可能になればストレスの客観的な評価につながると期待された。しかし、トリプトファン代謝には多くの代謝産物があり、そのすべてを測定することは困難であった。
ここでトリプトファン代謝の簡単な経路を示す(
図3)。
つまり、トリプトファンはセロトニン系、インドール酢酸系、キヌレニン系と代謝される。ちなみに、セロトニンは脳内では精神の安定に関係する物質とされ、うつ病などではセロトニンの活性を高めるような薬物が使われる。
そこでわれわれは、50歳から80歳の中高年の男性を対象に早朝空腹時に採血し、トリプトファン代謝産物の一部の濃度について調べた。なお、糖尿病患者(平均65歳)は、東京都済生会渋谷診療所に来所した患者から許可を得て採血した。
表1は、健常中高年男性と糖尿病患者の
血漿中アミノ酸の濃度の比較を示している。
トリプトファンに注目すると、健常中高年男性のトリプトファン濃度は糖尿病患者の濃度より高い。つまり、糖尿病患者ではトリプトファンが消費されている。
表2は、トリプトファン代謝産物の濃度の測定結果を示す。
糖尿病患者は、セロトニン系、インドール酢酸系、キヌレニン系のいずれの代謝産物の濃度も健常中高年男性より高いことが分かる。
トリプトファンは必須アミノ酸であり、食べ物から摂取しなくてはならない。しかも、植物性のタンパク質には少なく、食肉、魚などに多いことが知られている。唯一の例外は豆で、大豆などはトリプトファンを多く含む。
トリプトファンから精神を安定させるセロトニンが作られ、セロトニンは脳内でメラトニンになり、睡眠を引き起こす。うつ病などではセロトニンが足りないとされ、現在、うつ病の薬として用いられているパキシルなどは神経系でセロトニンの有効利用をもたらすものである。しかし、トリプトファンの95%はキヌレニンという物質に変換され、それはさらにさまざまな代謝産物になる。
Heyesら
8)は炎症でキヌレニン系の代謝が促進されることを示した。一方、Kleberら
9)は心筋梗塞で代謝が促進されることを示している。
われわれは、ラットに電気ショックを与えると脳内、肝臓、腎臓でトリプトファン代謝が促進されることを示している
5),6)。 しかし、この促進は30分後には性状に戻る。つまり、キヌレニン系の代謝が長時間促進されているということは、持続的に炎症、あるいは精神的ショックが続いていることを示していると思われる。
先に述べたように、糖尿病は全世界的に増加している。日本でも
図4に示すように、糖尿病患者あるいは糖尿病を疑わせる人は著増している。
これらの事実は糖尿病には食べ物以外の因子が重要な役割を果たしていることを示している。
最初にも述べたように、ストレスがあると血糖値は増加する。さらに、都会の方が田舎よりも糖尿病患者が多いということはストレスが糖尿病発症の重要な因子であることを示唆している。
しかし、今までストレスを客観的に評価する方法がなかった。増田らは最近、超高速液体クロマトグラフィー・質量分析計を用いて、ストレスの指標であるトリプトファン代謝産物の一斉分析に成功した。
われわれはこの方法を用いて、糖尿病患者のトリプトファン代謝産物の濃度を測定すると、セロトニン系、インドール酢酸系、キヌレニン系のいずれにおいても代謝が促進していることが示された。
最近では、痩せている人の多くに糖尿病の発症が見られる。このことは糖尿病の発症が食べ過ぎだけではないことをさらに示唆する(
図5)。
Schwartzらは、糖尿病の発症における肥満の関与に関して
図6のような仮説を出している
10)。
痩せていると、血糖値が低下する。脳はブドウ糖を必要とするために、身体がブドウ糖を消費することも貯蔵することもできないようにする。つまり身体をインスリン抵抗性にするのだ。しかし、これだけでは糖尿病にはならない。
図6に示すように、脳への心理的、炎症性のストレスがあると、身体は不可逆的にブドウ糖を使うことができなくなるのだ。このインスリン抵抗性が本来の糖尿病の原因と考えられる。
確かに、食べ物の過剰な摂取は糖尿病を引き起こす可能性もある。しかし、この場合にもストレスの関与を忘れてはならない。
文献
1)高田明和 他(2014)「砂糖摂取と糖尿病の関係」『砂糖類・でん粉情報』(2016年4月号)独立行政法人農畜産業振興機構
2)清水史子 他(2015)「健康な中高年男性の食事摂取状況と血液性状について-砂糖・穀類摂取を中心に」『砂糖類・でん粉情報』(2015年10月号)独立行政法人農畜産業振興機構
3)Brunner EJ, Marmot MG, Nanchahal K, Shipley MJ, Stansfeld SA, Juneja M, Alberti KG(1997)「Social inequality in coronary risk:central obesity and the metabolic syndrome. Evidence from the Whitehall II study」『Diabetologia』Nov 40(11)pp.1341-1349.
4)Yoon KH, Lee JH, Kim JW, Cho JH, Choi YH, Ko SH, Zimmet P, Son HY(2006)「Epidemic obesity and type 2 diabetes in Asia」『Lancet』Nov 11,368(9548)pp.1681-1688.
5)Malyszko J, Urano T, Takada Y, Takada A(1995)「Amino acids, serotonin, and 5-hydroxyindoleacetic acid following foot shock in rats」『Brain Res Bull』 36(2)pp.137-140.
6)Pawlak D, Takada Y, Urano T, Takada A(2000)「Serotonergic and kynurenic pathways inrats exposed to foot shock」『Brain Res Bull』 53(3)pp.197-205.
7)Matsuoka K, Kato K, Takao T, Ogawa M, Ishii Y, Shimizu F, Masuda J, Takada A(2016) 「Concentrations of various tryptophan metabolites increase in patients of diabetes mellitus compared to healthy aged male adults」『Diabetol.Int』DOI 10.1007/s13340-016-0282-y
8)Heyes MP, Saito K, Crowley JS, Davis LE, Demitrack MA, Der M, Dilling LA, Elia J, Kruesi MJ, Lackner A, et al(1992)「Quinolinic acid and kynurenine pathway metabolism in inflammatory and non-inflammatory neurological disease」『Brain』 115 (Pt5)pp.1249-1273
9)Tobias DK, Pan A, Jackson CL, O'Reilly EJ, Ding EL, Willett WC, Manson JE, Hu FB(2014)「Body-mass index and mortality among adults with incident type 2 diabetes」『The NEW ENGLAND JOURNAL of MEDICINE』Vol 370pp.233-244.
10)Schwartz MW, Porte D Jr(2005)「Diabetes, obesity, and the brain」『Science』 307(5708)pp.375-379.