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ベトナムの伝統的な砂糖生産を訪ねて(その3)

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最終更新日:2017年7月10日

ベトナムの伝統的な砂糖生産を訪ねて(その3)
〜土を使って砂糖の色素を除去する古法「覆土法」〜

2017年7月

昭和女子大学国際文化研究所 客員研究員 荒尾 美代

【要約】

 砂糖の国産化を目指した江戸幕府の8代将軍・吉宗の時代以降、土を使って砂糖の色素を取る「覆土法」が白糖を製造するのための技術として研究・実践されていた。平賀源内編『物類品隲』(1763)にも紹介されているその古法は、日本のみならず他国でも、もはや行われていないとみられていた。しかし、18年前にベトナムでこの技術が伝承されていることを発見した。目覚ましい経済発展を遂げるベトナムを2017年に再訪すると、「覆土法」による古法は消失し、現代風に改良されていた。

1.江戸時代に伝来した白糖の製造法

 江戸幕府の8代将軍・吉宗が活躍した時代、日本は砂糖の国産化を目指した。しかし、国産化には、原料となるサトウキビの栽培から砂糖の製造に至るまで、多岐にわたる知識や技術を習得することが必須となる。

 そこで幕府は、長崎に来航した貿易船(唐船)の船長からサトウキビの栽培法や、砂糖の製法に関する書き付けを提出させている。さらに、幕府の書物奉行に命じて中国の製糖技術を記した書物の収集も行っている。

 この時、中国から伝わった白糖を製造する技術は、植木鉢のような底に穴の開いた素焼き容器を用いて分蜜し、「覆土法」と称する土を活用して色素を除去する方法であった。この技法は、日本にはすでに現存せず、また、他国でももはや行われていないとみられていた。しかし、18年前にベトナムを訪れた際、その技術が残されていることが分かった。しかも、江戸時代に日本で研究および実践されていた方法と同じであったのである。

2.『物類品隲』が伝える圧搾と「覆土法」

 まず、江戸時代に本草学者、戯作者など多才な活躍をした平賀源内編『物類(ぶんるい)品隲(ひんしつ))』(1763)に所収されている2点の絵図を見ていただきたい。図1には、2本の垂直型ローラーによる圧搾機と、サトウキビを差し込む補助具、サトウキビの搾り汁をため入れるための容器などとともに、その圧搾機を畜力で回転させる様子が描かれている。これは、「ベトナムの伝統的な砂糖生産を訪ねて(その1)」(砂糖類・でん粉情報2017年5月号)で紹介した糖蜜を製造するためにサトウキビを圧搾する様子の写真と共通点があることが認められよう1)

図1 垂直型ローラーによる圧搾機

 本稿で取り上げるのは、図2の方法で、先述した素焼き容器を用いた分蜜法および「覆土法」により色素を除去する方法についてである。

図2 素焼き容器を用いた分蜜法

3.分蜜糖「ドン・ムン」

 5月号でも紹介した通り、ベトナム中部のクアンガイ省は近代的な工場(以下「ミル」という)が立地する中にあっても、なお手工業的な砂糖生産技術が数多く残っており、文化的にも、産業的にも砂糖生産の一大拠点となっている。  

 18年前にクアンガイ市内の市場を訪れた際、かめ(・・)の上に竹の支柱で固定された円すい形の砂糖の塊(以下「ドン・ムン」という)が並べられている光景を目にしたとき、とても感慨深いものがあった。『物類品隲』に描かれている円すい形の容器で分蜜する方法と酷似していたからである。ドン・ムンは、モラセス(糖分を含む非結晶の黒みを帯びた液体)が重力により下方に移動し、やがてかめ(・・)()()に滴り落ちる仕組みで分蜜される(写真1)。

写真1 クアンガイ市場に並ぶ「ドン・ムン」

 市場関係者から、ドン・ムンはチンチャウという地区から買い付けていることを聞き、早速訪ねた。5月号では、車が通行できない地区がベトナムにはまだあり、そういった場所で糖蜜が製造されていることを伝えたが、チンチャウの伝統的な手工業的砂糖生産工房(以下「工房」という)までの道のりも同様、車では通ることができず、ミルへサトウキビを運ぶことができない地区であった。

 車を降りて一本道を歩くこと40分、やっとの思いでたどり着いた地には、絵に描いたような田園風景が眼下に広がり、遮るものが何もないその畑の真ん中に工房が2棟建っていた。ここのオーナーいわく、このような場所にあるのは仮設の工房であるという(写真2)。砂糖の製造が始まる12月の直前に工房を設置して、製造が終わる翌3月には撤収して畑に戻すのだという。

写真2 チンチャウに設置された工房

 工房を訪れると、七つの釜が並んでいた(写真3)。そして、その傍らには穴の開いた円すい形の容器もあった(写真4)。また、ドン・ムンを買い付けに来た地元の商人とちょうど居合わせた。工房で見たドン・ムンは、まだベタベタとしている円すい形の黒砂糖の塊であり、クアンガイ市場で見かけたものとは明らかに質感が異なっていた。工房では、いつもこの状態で販売しているという。分蜜の工程は、工房から販売された以後に行われていることが理解できた。すなわち、クアンガイ市場ではドン・ムンを分蜜しながら販売していたのである。

写真3 工房の釜

写真4 工房で使用する素焼き容器

(1)工房の運営
 工房は、グエン・フン(45)さんと、グエンさんの弟、叔父2人の共同で経営されている。グエンさん一家にとっての砂糖生産は、祖父の代から受け継がれている職業だという。以前は、畜力でサトウキビを圧搾し、四つの釜で製造する程度であったというが、1990年に1人当たり400万ドン(3万2000円〈1993年3月TTS相場の平均値:1ドン=0.008円〉)を投資し、圧搾機の動力をディーゼルエンジンに替えるなどして現在の製造能力に引き上げた。

 工房は、家の庭や畑に常設していないことに特色がある。工房を設置する土地は借地であり、月々2万ドン(160円)を支払っているという。なお、工房の設営には1週間程度の日数を要するものの、撤去は1日程度で行うことができる。

 次に、作業体制である。グエンさんらは、サトウキビの搾り汁を均一に煮詰める熟練した技量があることから、外部から熟練工を雇用する必要がないという。ドン・ムンの製造期間中、工房では3人が従事し、残り1人が所有する田畑の管理作業に当たっており、各工程や作業の配置は毎日ローテーションを組んで対応している。

 サトウキビは、栽培した農家が直接工房に運び込んでいるが、他の農家のサトウキビと混ざることを防ぐため、1戸のサトウキビからドン・ムンを作り終えた後に、次の農家のサトウキビを搬入する体制となっている。加えて、サトウキビの圧搾作業は、搬入した農家などが行うこととなっている。ただし、搬入や圧搾に係る作業に対する賃金は発生していない。ドン・ムンは、集落機能や農家の生計を維持していくため、「互助・共助」的な支え合いの仕組みの中で製造されていた。

 このようにして完成したドン・ムンは、サトウキビを栽培する農家が自ら販売し、農家が得た収入の10%をグエンさんらに支払う契約となっている。グエンさんらが得た収入の半分は工房のメンテナンス経費に充て、残り半分は工房での従事日数に応じて各人に分配される。

(2)ベトナム農村地帯における生計事情
〜グエンさんを事例に〜

 グエンさんは、5.5サオ(sào、1980平方メートル〈1サオ=360平方メートル(注)〉)の農地を所有し、うち1.5サオ(540平方メートル)でサトウキビを栽培しているため、自らドン・ムンの製造・販売も行っている。このため、ドン・ムンの委託製造により得た分配金と、ドン・ムンの販売によって得られる収入が生計の大きな柱である。

 また、サトウキビ以外の農地で栽培する米の販売収入のほか、ドン・ムンの製造期間中に他の村へ熟練工として出稼ぎに行っており、そこで得られる収入も重要な収入源となっている。

 訪問時前年のグエンさんの年収は320万5000ドン(2万5640円)であった。ただし、訪問した年は、悪天候が続き、サトウキビが不作であったことに加え、他の村からの熟練工の派遣要請がなかったことなどから、例年の年収と比べると少なくなるということであった。

(注)1サオは、メートル換算で470平方メートルとする地域もある。

4.「覆土法」による色素の除去

 グエンさんの工房を訪れた際、『物類品隲』に記されたような土を使って砂糖の色素を除去する方法があるとの情報を得た。しかも、畑の土や乾いた土ではなく、水田に隣接する湿地の土を使用するのだと言う。製法は次の通り。

(1)製法の概略
 覆土法の工程は、以下の三つに大別できる。

(1)加熱
 サトウキビを圧搾して得た搾り汁(以下「圧搾汁」という)を釜の中に入れて煮詰め、濃縮糖液を作る。それを円すい形の素焼き容器に流し込んで部分結晶化させた砂糖を作る。

(2)分蜜
 容器の底の穴の栓を抜いて、モラセスを落下させて分蜜する。

(3)脱色
 固化している砂糖の上部表面に泥を乗せてさらに分蜜、そして色素を除去する。

 詳細な工程は図3、釜の配置図と糖液の移動は図4に示す。なお、工程を観察しながら、糖液の温度、pH、ブリックス(屈折率)を測定し、各工程中に示した。使用した機器は、pH 計 D-21S(堀場製作所製)およびブリックス計は手持屈折計N-1E、N-2E、N-3E(アタゴ製)である。

図3 事例1の製造工程

図4 事例1の釜の配置図

(2)土を使って砂糖の色素を除去する方法(事例1)
(1)ディーゼルエンジンを動力とした垂直三連ローラー式圧搾機を駆動させる。採録日のサトウキビの品種はF56である。

(2)底から約15センチメートル上に注ぎ口があるおけ1に圧搾汁を入れる。浮遊物と沈澱物が入らないよう静かに圧搾汁を釜1へ入れる。 (圧搾汁の温度33度、pH4.96、ブリックス9.0%)

(3)釜1で約30分加熱する。加熱を始めてから約10分経過後、焼いた赤貝の殻の粉を入れる。

(4)釜1からおけ2とおけ3へ入れ、約30分間不純物が沈殿するのを待つ。

(5)図4に示した矢印のように、釜2〜5の糖液を移動させながら浮いてきたあくを取り除き、最終的に釜6で煮詰めて濃縮させる(訪問日は釜7を使用しなかった)。途中、吹きこぼれそうになったときはピーナツオイルを1〜2滴加える。

(6)濃縮糖液の仕上がり具合を指で触って確認した後、バガス(圧搾後のサトウキビ)で底の穴をふさいだ素焼き容器に移し替える。(濃縮糖液の温度115度、pH5.57、ブリックス77.0%)

(7)濃縮糖液を素焼き容器に入れてから約15分経過後、容器内側に沿って金属製のヘラを差し入れ、外側から中央に向かってゆっくりと数回かき混ぜる。

(8)約1日経過後、円すい形の塊になって固まっているので容器から外し、補助具を使用して立て置き、重力によってモラセスを落下させる。

(9)立て置いてから2日経過後(素焼き容器に濃縮糖液を入れてから3日後)、モラセスの落下が進んだ砂糖の上部側面をバナナの葉で巻き、水田に隣接した湿地から採取した白みがかった土をよくこね、円すい形の塊となった砂糖の上面を塗りふさぐ(写真567)。

 

写真6 水田に隣接した湿地の土をよく練って砂糖の上面を塗りふさぐ

写真7 砂糖の上面を土で塗りふさいだ様子

(10)土をかぶせてから5日経過後(素焼き容器に濃縮糖液を入れてから8日後)から天日干しする。土をかぶせてから天日干しするまで2回ほど、手水を振りかけ、土の表面を湿らす。

(11)土をかぶせて7日経過後(素焼き容器に濃縮糖液を入れてから10日後)、土を取り除くと、土の表面に毛管現象によるものと思われる色素の移行が認められる(写真8)。さらに天日干しする(写真9)。
 

写真8 土の表面に毛管現象によるとみられる黒い色素の移行が見られる

写真9 土を取り除いて天日に当てる様子

(12)土を取り除いて8日経過後(素焼き容器に濃縮糖液を入れてから18日後)、工程のすべてが完了する。

(3)土を使って砂糖の色素を除去する方法(事例2)
 5月号で紹介したター・ホアさんに協力を得て、ドン・ムンを用いて「覆土法」により色素を除去する工程を再現してもらったので、次に記す。なお、製造工程の概略と釜図は図5図6である。事例1と同様に工程でポイントとなる糖液の温度、pH、ブリックス(屈折率)を測定している。

図5 事例2の製造工程

図6 事例2の釜の配置図

(1)糖蜜製造よりもさらに糖液を加熱し濃縮させる。

(2)釜2〜4が途中、吹きこぼれそうになったときは、焼いた赤貝の殻の粉入りピーナツオイルを1〜2滴加える。濃縮糖液を釜2にまとめ、糖液の状態を水に垂らして確認した後、運搬用のバケツへ移す。(濃縮糖液の温度114度、pH4.92、ブリックス79.0%)

(3)わらで穴をふさいだ素焼き容器の下部を土に埋めて(写真10)、容器の内面にピーナツオイルを塗る(写真11)。濃縮糖液を容器の半分くらいまで入れる。

 

  

 

(4)容器内側に沿って金属製のヘラを差し入れ、外側から中央に向かってゆっくりと数回かき混ぜる(写真12)。
 




 

(5)翌日、濃縮糖液が固化していることを確認後、工具で削って上部表面を平らにならし(写真13)、この日に煮詰めた濃縮糖液をさらに注ぐ。固化している表面との境目をなくすために、さらに表面部を削りながらかき混ぜる。 (濃縮糖液の温度119度、pH4.85、ブリックス79.0%)





 

(6)容器に濃縮糖液を入れ終えてから2日後、固化している砂糖を一旦取り出し(写真14)、底辺部を切り落とす。洗った素焼き容器に砂糖を戻し入れ、容器ごとかめの上に置く。この時、容器の穴をふさいでいるわらを取り除く。そして、重力によってモラセスを落下させる。





 

(7)砂糖が入った素焼き容器の上部を水田の泥(よくこねて水分を含んでいる状態のもの)を注いでふさぎ、軒先で保管する(写真15)。

(8)土をかぶせて7日経過後(素焼き容器に濃縮糖液を入れてから9日後)、土を取り除くと砂糖との接触面に若干色素の移行が認められる(写真16)。



  
 

(9)素焼き容器から砂糖を取り出して天日干しし、2日経過後 (容器に濃縮糖液を入れてから11日後)、工程のすべてが完了する。

5.「覆土法」によって色素が除去された砂糖の様相

 覆土法の工程を経て色素が除去された砂糖は、「これが白糖か!?」と驚くほど灰色がかっていた。図7は事例1の砂糖の上層部の切片、図8は事例2の砂糖の上層部の切片である。

図7 事例1の砂糖の切片

図8 事例2の砂糖の切片

 事例1の切片を見ると、断面に白っぽい筋状の模様が表れている。しかし、実際の色味は「白」というよりはやや黒みを帯びたシルバー色といったところだ。参考までに事例1と事例2の砂糖の明度(L*)および色度(a*、b*)を測定したので下表に示す(表12)。なお、基準試料は、全く分蜜されていない濃縮糖液(白下(注))とした。

(注)結晶とモラセスが混ざり合った状態のもの。

表1 事例1の砂糖の明度・色度

 事例1の砂糖の明度(L*の値)を見ると、最上部から下側1センチメートルの地点が最も高く47.50で、基準試料(明度26.70)と比べ明度が高いことが分かる。同3センチメートルの地点までは明らかに脱色が進んでおり、同4〜6センチメートルの地点では35.00台に低下、同7センチメートルの地点では基準試料とほぼ同じになっている。下側に向かって段々と明度が下がっているのは、重力によって黒色成分が落下し、それがたまっているからだと考えられる。また、砂糖の上層部を覆った土に含まれる水分がモラセスとともに落下した通り道は、より脱色されたものと思われる。

 上層部から下側の中層部は暗い褐色、下層部は黒色に近い上、モラセスがたまって粘性が高かった。

 事例2については、「覆土法」による色素の除去があまりうまくいかなかったものと考えられ、全体的に明度が低かった。

表2 事例2の砂糖の明度・色度

6.覆土による効果

 「覆土法」の原理は、重力により砂糖を覆った土の水分が下降することで、砂糖の結晶の周りに付着した着色成分をゆっくり洗い流しているものと解釈されている2)。今回の事例もこの原理が働いていることを示している。それと同時に、新たな発見を得ることができた。改めて、写真8の砂糖を覆う土を見ていただきたい。土の表面に黒い色素が染み出していることが確認できる。これは、毛管現象の働きにより乾いた土にモラセスが移動しているものと考えられる。

 覆土による効果は、砂糖に水分を供給し、結晶を洗い流す役割に加えて、毛管現象により乾いた土が余分なモラセスを吸い上げることで脱色を促進させる効果もあるのではないだろうか。今回の事例は、「覆土法」の解釈の幅を広げる重要な事案となった(注)

(注)より詳細な考察は、荒尾美代(2003)「ベトナム中部における伝統的な白砂糖生産について−「覆土法」を中心に−」日本産業技術史学会編『技術と文明』Vol.14 No.1に論じている。また、江戸時代の日本における分蜜法と、ベトナムの事例の詳細は、荒尾美代(2017)『江戸時代の白砂糖生産法』八坂書房を参照されたい。

(再掲)写真8 土の表面に毛管現象によるとみられる黒い色素の移行が見られる

7.様変わりした農村の暮らしとドン・ムン

 2017年にチンチャウを再訪したときは、グエンさんの自宅前まで車で行くことができた。その代り、サトウキビ畑や工房は見当たらなかった。サトウキビ栽培と砂糖製造は、労働量が収入に見合わなくなり、15年前に辞めていた。同時期に他の農家もサトウキビの栽培を辞めたという。かつてサトウキビが栽培されていた畑は米、トウモロコシ、野菜が栽培されており、現在の年収は4800万ドン(24万円〈1ドン=0.005円、2017年2月末日TTS相場の値。以下同じ〉)となっていた。

 


 


 他方、現在のクアンガイ市場に並ぶドン・ムンは、グラニュー糖に糖蜜を加えて作られたもので、1キログラム当たり2万1000ドン(105円)で売られていた(写真1819)。グラニュー糖の価格(1万8000ドン〈90円〉)よりは高いが、氷砂糖の価格(2万3000ドン〈115円〉)よりは安かった。18年前にも、グラニュー糖から作られたドン・ムンがあったが、圧倒的にサトウキビから作られるドン・ムンが主流であった。しかし、サトウキビから作られるドン・ムンは11〜12年前に市場から姿を消したようである。


  


 グラニュー糖から作られるドン・ムンは、砂糖を販売する業者の自宅で製造されているといい、完成するまでに1週間かかるという。その作り方は、(1)茶色いグラニュー糖と糖蜜に水を加えて約1時間煮詰めて、糖液をバケツ様の容器に入れる(2)約30分後、表面の泡を取り除き一晩置く(3)容器から取り出し、モラセスが落ちるようにして、1週間砂糖の塊を放置する(4)1週間後、天日干しして乾かす(5)二つに切り割って包装する−というものであった。

 グラニュー糖から作るとはいえ、手間がかかっていると言えよう。クアンガイ省では確かなニーズがあり、ドン・ムンは「che」という豆を使ったデザートに欠かせない食材であるという。また、割り砕いてそのまま食べる食べ方も以前から変わらず根付いている(写真20)。実際に食したところ、簡単にかみ砕くことができ、蜜の風味が残っているため、氷砂糖とも全く違う食感であった。

写真20 切り分けられたドン・ムン(左)(右はグラニュー糖と糖蜜で作られたドン・バ〈切り分けたもの〉)

おわりに

 5月号から7月号にわたって、18年前に採録した、ベトナムにおける伝統的な糖蜜、含蜜糖、分蜜糖の砂糖生産を紹介してきた。

 18年ぶりにクアンガイ市場を再訪すると、昔と同じような形状の砂糖が売られていた。しかし、サトウキビから作るのではなくグラニュー糖から作るということに驚いた。グラニュー糖を「材料」にして作られるものであっても、従来のサトウキビを「原料」にして作られる含蜜糖と分蜜糖の概念や伝統はそのまま受け継がれ、新たな価値も付加されているように思う。

 そして、消費者のニーズがあるから製造するという当たり前のことに気が付かされた。これまで、製造側の「伝承力」に目を向けてきたが、消費者の嗜好の底力がそれを支えているのである。これぞ「食の文化」であろう。 

 かつて江戸時代に日本が輸入していたベトナムの砂糖。400年の時を超えて、砂糖の名産地の「伝統力」というべき文化は、確かに息づいている。 


参考文献
1)荒尾美代「ベトナムの伝統的な砂糖生産を訪ねて(その1)〜失われつつあるベトナムの糖蜜〜」『砂糖類・でん粉情報』(2017年5月号)独立行政法人農畜産業振興機構
2)Noel Deerr(1949)『The History of Sugar』(Vol.1)p.109, Chapman&Hall、Sidney W.Mintz(1985)『Sweetness and Power』p.235, Penguin Books、Christian Daniels(1996)「Agro-industries and Sugarcane Technology」Joseph Needham『Science and Civilisation in China』 (Vol.6,V)p.393, Cambridge University Press、戴国W(1967)『中国甘蔗糖業の展開』pp.105-106, アジア経済研究所、植村正治(1998)『日本製糖技術史1700〜1900』pp.252-253, 清文堂、松浦豊敏(1987)『風と甕』p.240, 葦書房
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