さとうきび大規模経営の展開と農業構造
最終更新日:2018年7月10日
さとうきび大規模経営の展開と農業構造〜八重山地域を例に〜
2018年7月
東京農工大学 大学院農学研究院 講師 新井 祥穂
東京大学 大学院総合文化研究科 准教授 永田 淳嗣
【要約】
本研究は、【地域労働市場─農業構造─大規模経営体】の関連を、八重山地域の三地域を事例に調査した。
地域労働市場が展開しつつも高い就業条件の農外就業機会に乏しい石垣島は、中間層や上層が堆積する農業構造を示した。この下で農地市場は逼迫し、大規模経営体による農地集積が困難を伴っていた。地域労働市場が十分展開しない小浜島・与那国島では、労働力他出が進み、農業構造は中間層を失い、農地が放出されていた。小浜島では大規模経営体が、他の収入源の存在を前提に、農地資源管理の役割を担っていた。与那国島では大規模経営体が選別的に農地を獲得していたが、収益追求のため、土地生産性向上(規模拡大には抑制的に作用)に転換していた。
はじめに
沖縄県では2000年代以降、さとうきび生産を主部門とする大規模経営体が出現するようになった。生産法人に代表されるさとうきび大規模経営体は、沖縄県内各地の糖業および地域農業の維持存続に重要な役割を果たすことが期待され、その正確な実態把握が求められる。
大規模経営体の存在形態や将来の方向性は、その立地する地域の諸条件から独立ではあり得ない。何より、大規模経営体の出現に欠かせない農地の集積が、地域内にどのような規模の農業経営体がどれだけおり、彼らがどのように農地集積を目指すのかといった農業構造と強く関係してくる。ところが、農業構造論を土台にしながら沖縄のさとうきび大規模経営を論じる作業は、これまでなされてこなかったように思われる。
本研究は、県内他地域に比べ、近年、大規模経営体が出現するようになった八重山地域を事例に、さとうきび大規模経営体の実態を、地域の諸条件や農業構造との関連において解明し、彼らの経営展開の見通しを得ようというものである。なお、本研究は独立行政法人農畜産業振興機構の平成29年度砂糖関係学術研究委託調査により実施したものである。
1.研究の方法
本研究では、八重山地域のうち石垣島、小浜島、与那国島に立地するさとうきび大規模経営体を事例とする。この3島は労働市場の展開度が異なると予想される他、各島には経営耕地面積10ヘクタール以上に達し、2000年以降農地集積を進めてきた経営体が存在することから、本研究の趣旨に照らして適切な事例群である。
調査は大きく二つの部分からなる。第一に、大規模経営体の現経営および展開過程に関して、具体的には、労働力と農業機械の現状と変遷▽個々の構成員の就業史(農外就業、農業双方)▽農地集積のプロセス▽現在の農業生産の特徴と農業所得について―詳細な聞き取りを行った。第二に、地域労働市場に関する調査として、事例地域の市町役場での聞き取りや、八重山公共職業安定所で労働力需給の現状や賃金水準に関する聞き取りを行った。他にも、国勢調査における産業別就業人口の推移を離島単位で追跡するとともに、個別には地域に立地する企業・団体(農業外)などを訪問し、その就業条件、雇用形態、雇用量とその変動を調査し、地域労働市場の理解に役立てた。
以下では、調査対象地域ごとに、地域労働市場と農業構造、さとうきび大規模経営体の展開と性格を整理する。
2.石垣島
(1)地域労働市場の状況
表1は男子の産業別就業人口を見たものである。大型離島である石垣島は、離島一般の中では就業機会のバリエーションに富む。第一次産業の比率は1980年に23%、うち農業18%と、他の離島地域に比べ早くから農業の比重が低下した。とはいえ、2010年においても農業比率は10%と無視し得ない値を示している。
製造業の展開が弱いという沖縄県の産業の特徴は、石垣島でも共通している。第二次産業への就業者は建設業が中心であるが、建設業の占める比率は、2000年以降下がっている。
図1は、建設業の受注額の推移を示したものであり、2000年代を通じて減少傾向であることが分かる。全国的な公共事業の減退傾向は、沖縄県全体や宮古地域だけでなく八重山地域も覆ったのであり、地域内では建設業の統廃業も目立った。大型の公共工事も、新石垣空港の建設事業(2006年着工、2013年開港)以降はない。第三次産業が最大の比率を示すが、うち公務は1980年からの30年間を通じて7〜9%であり、観光関連を中心に、民間のサービス産業に従事する人が多いという。
八重山公共職業安定所によれば、石垣島の最近の雇用情勢は、リーマンショックと関連した倒産などはなく、島内の事業所への直接的な影響はなかったと思われる▽新空港の開港により、空港関連のサービス業の雇用が増加したが、多くは有期の非正規雇用の募集であった▽全国的に逼迫する需要を受けて、賃金水準は上がっている−とのことである。2017年12月末時点での沖縄県の最低賃金は時給737円であるが、募集現場の実感としては、サービス業では時給800円でも応じる者がなく、時給1000円を超える募集も珍しくなくなった。一方で、同所へ寄せられた募集のうち正社員の賃金水準(年間、額面)については、建設業(289.9万円)が最も高く、その他の産業ではおおむね200万〜240万円程度であった。しかしこの額は、肉用牛繁殖経営などの農業所得であれば、超えるのが難しい水準でもない。少なくとも宮古島の集落では、これを超える農業所得を稼得する農家は多く見られ た1)。
(2)農業構造
図2には、石垣島における農業経営規模階層別の農家分布を示している。これによれば石垣島では1980年以降、1〜2ヘクタールをモード層とし、それより大規模・小規模の層いずれも厚い構造が維持されている。これは新井・永田 (2017)
1)で示した離島型の構造に近似している。しかし、より詳細に見ると、モード層は相対的・絶対的に下がってきており、2010年には同層が突出しているとは言い難い▽離島全体や宮古島市・旧城辺町と比べ、地域に占める5ヘクタール以上層の比重が大きいー。八重山地域は平均的な経営耕地面積が大きく、近年、中間層と上層の堆積する農業構造として現れている。
農業構造が、農業労働力の多寡と深い関わりを持つことに、異論はあるまい。また沖縄離島部の農業労働力は共通して、時代・年齢で異なるボリュームを持つことが知られている
2)。そこで、農業労働力をその年齢集団の時系列変化に注目して見てみよう(
表2)。表中のあるセルの集団は、10年後、右斜め一つ下のセルに移ることから、両者を比べることでその間の社会・自然増減が年齢集団ごとに判明する。なお、ここで取り上げたのは農業活動に比重を置く男子人口であることに注意されたい。
表2を見ると、まず、太線で囲まれたセルの「昭和1桁世代」およびそれより上の年齢層は、より若い年齢層と比較して明らかに多いことが分かる。沖縄離島部においても内地と同様に、昭和1桁世代は、それより若い世代と比較して格段に多いことが分かっているが
2)、これは石垣島においても当てはまる。次に、本土復帰直後に職業選択が可能であり、かつ、さとうきび生産者価格の上昇、その他農業環境の好転に反応し得た農業を選択することに
蓋然性のあった世代もまた、昭和1桁世代に次いでボリュームがあることが分かる。筆者らは彼らを 「第二次さとうきびブーム世代」(1935〜64年生まれ)と名付けているが、これは
表2の緑色のセルに当たる。石垣島における彼らの動向に注目すると、昭和1桁世代よりは数が減じるもののボリュームがあること▽加齢を経てさほど変動せず推移し、どの年代においても、一般的な企業の定年の年齢を挟んでその前後で増加すること−が認められる。そして、「第二次さとうきびブーム世代」より若い世代(以下「ポスト世代」という
1)〈1965年以降の生まれを指す〉)と「第二次さとうきびブーム世代」とは、歴然としたボリューム差がある。しかしながら注目されるのは、2015年の40歳代は55人と、2005年時点での30歳代48人から増加している。一般的な定年帰農とは言えない年齢においてこうした増加がみられる背景に、この世代が経験した農外就業の厳しさを見ることができよう。
以上のような農業就業人口の年齢集団構成と連動しながら、
図2の農業構造は形作られているのである。2015年時点で中間層から上層が多い背景として、第二次さとうきびブーム世代が農業生産に携わり、ポスト世代も育ってきていることが挙げられよう。
(3)大規模経営の特徴と農地調達:T経営
ア.労働力と機械
T経営は、S氏(40歳代)を中心に、S氏の父、母、兄、姉の夫といった家族・親族5人、加えて雇用労働力として男子1人(20歳代、以下「O氏」とする)を擁する労働力の豊富な経営である。なお、全員の年間農業従事日数が250日を超えており、農外就業は季節的・一時的なものを含めても見られない。
この経営の特徴として、所有する農業機械の多さが挙げられる。トラクター(80馬力)6台、ブルトラ4〜5台、さとうきび植え付け(アタッチメント)の全茎式プランター1台、ハーベスタ実働2台、株揃え機、中耕機(アタッチメント)を所有している。
イ.経営耕地面積
経営耕地は約30ヘクタール、うち借地は約10ヘクタールであるが、全て石垣島の中部に収まっている。2000年の訪問時には20ヘクタールであった経営耕地面積は、新たな土地の借り入れにより、約10年の間に現在の面積にまで増加した。農地貸借は農業委員会を通しており、相対での契約を避けている。これは数年前に、地権者の後継者の就農を理由に借りていた農地を返却した経験があるためである。借地時点で、雑草が繁茂していた農地の整備から行ったにもかかわらず、短期間で返却することになった事態の教訓から、貸借期間が保証される経路で農地を確保することにしている。地代も10アール当たり10000円の水準にある。
また、2000年時点ではS氏の祖父名義であった農地の名義変更や農業後継者のいない島外への転居者の農地購入(2カ所)など、借地としていた圃場の所有も併せて進めてきた。農地に対する権利を公式なものとして主張できる形で、規模拡大する方針をT経営から見てとれる。これらの対応は、石垣島の農地市場が競争的であることを示唆するものであろう。
ウ.農外就業と農業経営の展開
S氏自身は高校卒業後に農協に就職し、農業機械のオペレーターおよび機械整備を担当していた。しかし、さとうきびとパイナップル生産の専業農家であった両親の体力を心配したことを機に20歳代で就農した。就農の際、強く意識したのは、農業所得で農協時代の賃金水準を超えることであった。経営耕地は両親の世代ですでに20ヘクタール規模に達していたが、S氏の就農により個人でハーベスタを購入し、一層の規模拡大を図るのである。農協に勤務していたS氏の兄も、農協を退職、その後就農し、調査時点では主にトラクターの操作を担当している。S氏の姉の夫も、県外の鋼材メーカーを早期退職して、妻の実家であるT経営に参加したばかりである。石垣島の出身であるO氏は、大学卒業後、離島での生活を志向して小浜島で農業研修を行った後、2012年からT経営に参加した。現在では小型トラクターをはじめ農業機械の操作に慣れ、作業手順の判断もできるようになってきたため、T経営としてはO氏の雇用継続を希望している。そのため、O氏に対して、地域の農外就業機会と比較して見劣りしない賃金水準を設定するほか、農業機械関連の資格取得費用を負担するなどしている。
エ.農業生産の特徴
T経営では2005年以降、春植え→株出し→株出しのサイクルを確立している。これはS氏が「収入は毎年ある方がよい」との理由で、夏植えから転換したためである。一般には春植えは、梢頭部の成長時期が台風の襲来と重なり、被害を受けやすく、それを避けるためには台風シーズンまでに十分成長させておく必要があることから、植え付けを早め、さらにそのために前作の収穫を早く行うといった対応が要請される。そのため、経営規模が大きいと敬遠されがちの作型であるが、T経営では豊富な労働力と農業機械を背景に作業を組んでいる。調査時点では10アール当たり5〜6トンと、地域の平均的な春植え・株出しの土地生産性(同約4トン)と比べて高い。なおこの土地生産性の年変動は小さいという。
また、T経営はその豊富な労働力と農業機械を基に、さらなる規模拡大が可能であると考えている。しかしながら、公式的なルートによりながら農地調達するという方針が、規模拡大のスピードをそいでいる。その一方で、充実した機械装備によって荒廃した農地も引き受けられる点がT経営の強みである。農地市場がタイトさを増す中で、その強みを生かしながら農地の確保に努めている。
3.小浜島
(1)地域労働市場の状況
小浜島は農外就業機会が極めて少なく、農業と民間サービス業に集中している(
表3)。その理由として、建設業や公務の雇用がごく少ないことが挙げられる。島内の公共工事に対しては、建設業企業が石垣島から来航する。竹富町役場は石垣市に置かれ、基本的に職員は島内には常駐しない。一方で、石垣島との近接性(高速船で30分)は離島に住むことの生活上の不便さを和らげており、他島での勤務を退いた者の帰島も珍しくない。
(2)農業構造
図3より小浜島の農業構造の特徴として、第一には1〜2ヘクタールをモード層とするピラミッド型(沖縄県の離島型)ということが分かる。しかしながら、第二に注目されるのは2000年から2010年にかけての変化である。2000年に、より上位層に集中が移行し、さらにそこから2010年にかけて再びモード層は1〜2ヘクタールとなるとともに、どの階層でも経営体数が落ち込んだ。このような全階層での減少から導かれる姿は、大規模層による突出した集積がない場合には、島内の不耕作地の増加であろう。
表4に、男子農業就業人口の推移を示した。小浜島は竹富町の一部であるため、集落カードを用いた分析にならざるを得ず、そのため石垣島、与那国島と年齢集団の区切りが異なるほか、2015年のデータも、本報告書執筆時点で得られなかった。こうした制約のため石垣島、与那国島と厳密に同じ議論はできないが、利用可能なデータより見ていくと、やはり昭和1桁世代、第二次さとうきびブーム世代、ポスト世代の順に労働力が減退しており、しかも状況は深刻で、第二次さとうきびブーム世代の厚みが1995年には明らかに乏しくなっている。またポスト世代の男子農業就業人口がゼロである。どの年次をとっても60歳代以上(さらに言えば、65歳以上)が中心であることは、60歳代になってからの農業参入が見られることを示唆している。この年齢層に頼りながら小浜島の農業は営まれている。この島で、製糖工場を存続させるべく原料であるさとうきびを確保しようとするとき、個別経営の展開に加えて、地域的な生産組織による生産が望まれる理由がここにある。
(3)大規模経営の特徴と農地調達:K法人
ア.労働力と機械
K法人は50歳代男子D氏とその妻、20歳代の長男から構成され、D夫妻が役員、長男がそれに雇用される形をとる。農作業は主にD氏(年間農業従事日数100〜149日)とその長男(同250日以上)が、経理はD氏の妻が担当する。農業機械としてトラクター2台(105馬力、65馬力)、ブルトラ3台およびアタッチメント(プラウ、ロータリー、ブームスプレイヤー、スラッシャー)を所有するが、植え付け・収穫のための機械は有さず、後述のように島内の生産組織の利用を前提にしている。
イ.経営耕地面積
現在の経営耕地面積は18ヘクタールであるが、そのうちD氏が所有する農地は2ヘクタールで、残りは借地である。借地のうち2ヘクタールは県農業振興公社の農地中間管理事業を通じて、10ヘクタールは島外他出者から主に相対で借りているが、これらの借地は、主要な道路沿いではあるものの点在しており、一区画も1ヘクタール未満の箇所が多い。これは、K法人が優良農地を選別的に借り、機械利用の効率性を上げるというより、農地を荒廃から守る資源管理と製糖工場の原料確保の役割を担っていることを示している。
他出した地権者との間での貸借の内容に関する相談は、地域行事などで地権者が一時帰島した際に行い、その内容も明文化しないのがほとんどである。地代水準も明確に設定するというよりは、土地改良費の賦課金をK法人が支払う▽(地権者が在島の場合)地権者が管理している別の農地のトラクター作業をK法人が行う−という形でなされる。
これまで農地を返却した例は二例あり、いずれも島外他出していた地権者が、その定年退職を機に帰島し農業を始めた例であった。今のところ、K法人にとってそうした農地返却が痛手となっていないのは、件数の少なさと、後述のようにK法人自体が現在の経営規模を維持できるか不明であることによる。
ウ.農外就業と農業経営の展開
K法人は設立当初から、遊休農地の資源管理的性格を有している。D氏自身は中学卒業後他出していたが20歳で帰島、島内の観光ホテルや親族の営む企業で働いた後、島内の製糖工場に勤務した。製糖工場では原料確保のための「自営農場」として、島内の耕作放棄地を10ヘクタール以上借り受け、さとうきび生産を行っていたが1995年、会社で製糖事業への専念の方針が立てられると、1997年にはこの借受地の管理を行う生産法人を別途設立することとなった。ここに、製糖工場を退職したD氏ほか2人が役員として参加したのである。その後、1人は島外に他出、1人は島内で別の事業を始め生産法人を離れた結果、現在のような構成となった。
D氏はK法人以外にも、運送業などさまざまな事業を運営することで、農外就業による安定した収入を得ている。これはK法人設立時から、製糖工場という安定した収入源を失う事態を受けて、積極的に拡大してきたものである。大学を卒業後に帰島し就農した長男のK法人での年間賃金は200万未満と、地域労働市場における賃金水準と比べ、満足のいくものとはいえないが、K法人での雇用とは別に農地を借り、自らの関心のある野菜生産を行っており、そこからの農業所得も稼得している。なお、K法人では、長男の従事日数の多さと若い世代への応援の意味から、D氏とその妻の役員報酬合計を、長男1人分の賃金よりも少なくしている。こうした対応を可能としているのは上述のようなD氏の、高位かつ安定した農外就業からの収入の存在である。
エ.農業生産の特徴
K法人のさとうきび作型は夏植えを基本とする。株出しは良い株が立った圃場でそれを生かし、春植えはタイミングが合えば行うなど、副次的位置付けである。2015/16年期の搬入は、6ヘクタール強が夏植え、1.5ヘクタールが春植え、株出し1.0ヘクタールは台風・干ばつのためほとんど収穫がなかった(残り9ヘクタールは翌年期収穫の夏植え、0.5ヘクタールは苗)。夏植えが10アール当たり7トン弱と土地生産性が低くなった背景には、2015年の台風の襲来に加えて、収穫体制の変化がある。K法人では長年、D氏家族に加えて労働力を調達して手刈り収穫を行ってきたが、2012/13年期からは収穫を農協が組織する手刈り労働力に委託し、自らはさとうきび運送に回っている。2015/16年期にはさらに「バリカン」と呼ばれる倒伏機械を用いたところ、通常の夏植え同8トンの土地生産性が維持できず、今後の利用に疑問を抱いている。なお、このバリカン利用のコストは、労働力および脱葉機利用込みで1トン当たり9000円と手刈りよりも高い。
耕起・砕土、植え付けなどの機械作業は長男が中心に作業する。D氏が補助者として入ることもあるが、農外就業により作業に入れないこともあり、その際には知人の協力を仰ぐ。植え付け作業は、全茎プランター(島内の生産組織から借りる)を利用すれば、補助者の配置が必須ではないため、長男のみで植え付け作業を行うこともある。
K法人では生産費の大きな部分を占める収穫費用を問題視し、今後島内で稼働する予定のハーベスタの利用を視野に入れている。利用料金が1トン当たり5000円程度であれば「若い人がさとうきび生産に希望を持てる」と考えている。いずれにせよ将来は、土地生産性の高い圃場を手刈り、そうでない圃場を機械収穫とする予定である。
しかしK法人は、さとうきび生産での収益追求に向けた積極的な方策を打ち出してはいない。今後も夏植え中心の作型構成を維持する予定で、肥培管理作業の変更も模索されてはいない。K法人は、島内の農地資源管理と製糖工場の原料確保の役割を担うということであろう。
4.与那国島
(1)地域労働市場の状況
与那国島の男子産業別就業人口を
表5に示した。1980年において、すでに他の離島に比べて農業の割合が低いが、これは漁業、水産加工業、建設業、第三次産業などの一定の集積が島内に形成されていたことによる。与那国島の農業は、1971年の干ばつからの回復も遅く、1985年の全県的な農業生産の拡大期においても、そのピークが小さい。こうした動きも、農業以外の産業の定着(農業の比重の小ささ)が影響していると思われる。なお、建設業は2000年代前半まで多くの就業人口を抱えていたが、その後激減したのは、空港や港湾、道路建設といった大型の公共工事がこの時期までに整備を終えた結果である。
(2)農業構造
与那国島の農業構造は一見、沖縄県の離島部とも、また本島部とも異なる特異な形状をしているように見える(
図4)。筆者の理解は、3〜5ヘクタール層が脱落してより下位層と上位層に移行する両極分解を示している、というものである。分解される層の規模が大きい理由は、同島における農地賦存が大きく、経営耕地面積が大きいこと▽一方で土地生産性は低いため、経営耕地面積の数値の持つ意味が他地域と比べて小さいこと−が考えられる。離島部一般と異なり、中間層の厚みが形成されていないことは、大規模経営に対して、個々の経営としての収益追求に加え、農地資源管理、製糖工場の原料確保といった地域総体としてのさまざまな役割が期待されることを意味する。
表6に、与那国島の男子農業就業人口を示した。2005年までは昭和1桁世代の位置付けは大きかったが、彼らの引退が決定的になった2015年には、その欠落を埋めるように第二次さとうきびブーム世代にあたる50歳代・60歳代が農業就業人口を増やしている。しかし、これに続くポスト世代が十分に育っているとは言い難い。ポスト世代が参入するような条件が整わなくては、第二次さとうきびブーム世代の引退する2025〜35年ごろには、与那国島の農業は極端に縮小していく可能性が大きい。
もちろん、放出された農地をごく少数の大規模経営によって管理されていくこともあり得るが、少なくともさとうきび生産については、沖縄の生態環境および現行の生産技術体系を前提にすれば、生産者の規模拡大は一定でとどまり、そこからは土地生産性を高める方向に向かうことを、以下に述べるY法人の例が示している。
(3)大規模経営の特徴と農地調達:Y法人
ア.労働力と機械
Y法人は、1992年に法人化したサトウキビ専業の経営体である。役員は3人で、M氏(60歳代)、M氏長男、その友人から構成される。ただし、M氏以外の2人は設立時の出資に関わったのみで、現在は両名とも石垣島で勤務し、役員報酬なども受け取っていない。他に社員・オペレーターはおらず、友人知人に臨時に作業補助を依頼することがあるとはいえ、実質的にM氏1人が全ての農作業を担っている。
イ.経営耕地面積
現在の経営耕地面積は20ヘクタールだが、全て借地であり、M氏の居住集落近くに広がっている。農地を借りる際は、1団地50アール以上のまとまりがあることを重視して決定する。地代は、基盤整備事業の実施済みの圃場については、地域の標準的な水準である10アール当たり3000円を設定するが、1筆当たり面積が小さい圃場については、同2500円を設定している。M氏が農地を所有または購入する考えがないのは、与那国島のUターン、Iターンがほぼなく、帰島によって突然農地返却を求められる事態にはならないとの認識に基づく。このように、借地を基礎に大規模な集積を果たし、かつ借り手側で農地を選別し、地代も地域の標準かそれより低いところに、同地域の農地市場の、借り手優位の性格が現れている。
ウ.農外就業と農業経営の展開
M氏は、自身の父親が早世したことにより中学卒業後すぐに那覇で就職した。自動車整備や建設業での勤務を経て、本土復帰直前の1971年、20歳代前半で帰島し、建設業や石油関連企業で正社員として働いた。その後、1980年代には自身で建設業の会社を起業し、建設関連の専門学校を卒業した長男も島に呼び寄せ、共に経営に当たった結果、完成工事高1億円規模の経営実績を収めていた。しかし、1990年代には島内公共工事が一段落したのを機に、農業へと力点を移し、1999年には同社を廃業した。M氏によると、農業生産法人は、直接的には、与那国町農協の資産である農業機械の引き受け手が当初見つからず、「懇願されて」M氏が対応することをきっかけに設立したが、これは公共工事の受注減少を見越しての判断でもあった。
M氏の父の代には2〜3ヘクタール程度の農地に、さとうきび、米、野菜を生産していたが、父の逝去とM氏の就職による他出により、農地の基盤を失った。帰島して農外就業に勤務・経営している時期には1.5ヘクタールの農地を借り、農外就業の勤務時間後に農作業を行っていた(さとうきび、露地野菜、畜産)。農業への転換を明確に意識した1991年(法人設立直前)には、農地は3〜4ヘクタールに達していた。自身の設立した建設企業廃業後は、さとうきびに特化しながら経営耕地面積を拡大すると同時に、団地化した農地を借りることに成功している。ただし、このように効率的な機械利用ができる環境を整えた上でも、1人の労働力で行う規模としては現在管理している20ヘクタールが上限と感じている。
エ.農業生産の特徴
2015/16年期の実績は、収穫量700トン超(通常年では600トンと見込む)、収穫面積で15〜16ヘクタールである。同法人では夏植えの後の株出し(1回目)を80%程度と見込み、株出し(2回目)については期待していない。
農業機械としてトラクター2台(100馬力、80馬力)、さとうきび植え付け機1台を所有し、ハーベスタをリースしている。植え付け作業に友人が補助的に関わり、収穫の一部を農協の援農隊事業を通じて手刈り労働力を用いる他は、全ての作業をM氏1人で行う。ハーベスタは2015年に導入した2台目で、補助事業を通じた7年リースである。降雨時にも使用できるのが利点であり、これにより手刈り労働力の利用が、以前のハーベスタを利用していた時の約8ヘクタールから、約1ヘクタールにまで縮減した。
Y法人は土地生産性を上げる必要を感じている。現在の収穫・植え付け適期および労働力の制約下では、経営耕地面積の拡大を通じた労働生産性の向上には限界をみている。具体的には、夏植えでは、植え付け時期の早期化と植え付け後の管理、株出しについては丁寧な肥培管理を通じた梅雨時期までの成長促進といったように、肥培管理が中心であることは注目される。機械作業の予定がない日にも、圃場を巡回するのはそのためである。なお、かん水(土地改良事業の実施)による土地生産性上昇については、あまり重視していない。
5.まとめ
以上、【地域労働市場─農業構造─大規模経営体】の関連を島ごとにみてきた。その要約は以下の通りである。
(1)石垣島では、地域労働市場がある程度展開しており、青壮年が地域で就業する条件が見られるが、農外就業機会は、農業所得と比較して優位な就業条件を提供できているとはいえないため、青壮年にとっても就農が十分選択肢に入ってくる。その結果、地域内に中間層や上層を堆積する。
このことは、農地市場の需給関係をタイトにする。経営体が大規模化を図るに当たっては、地権者側の意向を尊重した地代設定にも応じ、時には購入も視野に入れる。このように努力した農地集積であるため、手続きを公式なものとし、耕作者の権利を確立しようという傾向が見られる。
(2)小浜島では、地域労働市場は十分な展開を見せず労働力の他出を促したが、石垣島との近接性を背景に出身者の帰島もみられる。ただし、それは定年後の年齢層を中心とする。
地域における中間層の厚みは失われ、農地資源管理・原料確保の担い手を必要とするほど、農地供給の制約は緩んでおり、それらを集積し収益を追求する経営が出現することも可能であろう。一方で、事例としたような農地資源管理・原料確保のような役割を引き受ける経営体の出現を見ることになる。しかし、さとうきび単独で農外就業の賃金並みの農業所得を得るのは、現在の技術・料金体系では困難である。こうした地域貢献的役割を引き受けられるのは、他に収入源(農外就業、ないしは集約的な農作物)があるか、上述のような通常の労働力の枠外にある人々であろう。
(3)与那国島も、地域労働市場は十分な展開を見せず、しかも出身者の帰島も定年後も含めて難しい状況にある。そうした状況下で「中間層」の分解が進んでおり、彼らの農地を、点的に出現している大規模経営体が引き受けている。
農地市場は借り手優位であり、大規模経営体は低地代での農地集積が可能である。ただし、ポスト世代の参入の低さを見ると、この大規模経営体労働力が再生産されるのかが不安視される。
おわりに
本報告を締めくくるに当たり、それぞれの地域的条件から一度離れて、収益性を追求する大規模経営体に共通して見られる特徴を挙げよう。それは、一定の農地集積を経た後に、土地生産性向上や丁寧な農業機械管理といった「細やかさ」の追求へと向かうことである。沖縄の離島部という生態環境は、サンゴ礁の岩盤による機械部分の損傷や収穫期の機械利用の不完全燃焼という問題に対して、低コストで対応しなければならないという課題を突きつけた。また、離島部という、農業機械の供給体系から物理的な距離を置かれた環境は、機械の維持コスト高という課題への対応をも強いている。これらに対して、事例とした大規模経営体が採った対応は、肥培管理を意識した土地生産性の上昇であったり、農業機械の丁寧な扱いや自力での整備であったりと、経営規模拡大の追求とは逸れた(時には、規模拡大追求を妨げかねない)方策に置かれるのである。これは、沖縄の離島部といった条件下では、収益性追求と経営規模拡大が、ある規模の段階から一致しなくなるということなのかもしれない。そうであれば、大規模経営体の収益を損なうような経営規模拡大を期待するのは、たとえそこに農地という資源管理や製糖工場の存続という目的があったとしても、無理なことであろう。
【付記】
本研究の調査に応じていただいた事例経営・法人の皆様、関係機関の皆様、ご紹介の労を取って下さった皆様に、心より感謝申し上げます。
【参考文献】
1)新井祥穂・永田淳嗣(2017)「沖縄県宮古島における農家就業構造と農業構造の動態」農業経済研究87、1-18.
2)新井祥穂・永田淳嗣(2013)『復帰後の沖縄農業』農林統計協会
このページに掲載されている情報の発信元
農畜産業振興機構 調査情報部 (担当:企画情報グループ)
Tel:03-3583-9272