喜界島のサトウキビ生産の変遷をたどると、平成初めごろまでは、夏植え(秋植え含む。以下同じ)・春植え・株出しの三つの栽培型のうち、株出し栽培が主流であった。この時期は、手刈りや小型脱葉機による収穫を行っており、株出し栽培でも10アール当たり7トン近い収量に達していた。しかしながら、その後、当時の主力品種であり、株出し多収性を長所としていたNCo310に、黒穂病などの病害がまん延するようになる。そこで、黒穂病に強いNiF8などが鹿児島県の奨励品種に採用されたものの、NCo310よりも株出し
萌芽性が劣っていたことから、NiF8の普及とともに株出し栽培は衰退し始めた。
この株出し栽培の衰退とともに、喜界島では夏植え栽培への移行が進み、平成18年ごろまで続く夏植え一作時代が幕を開ける(図4−1、4−2)。このとき夏植え栽培に特化した生産者が増えたことで、元年から18年にかけて、夏植えの収穫面積は全体の3割から6割にまで増加することとなった。しかし、株出し面積の減少が夏植え面積の増加を上回り、収穫面積が減少を続けた結果、平均収量こそは10アール当たり約7トンを維持していたものの、生産量の減少には歯止めがかからなかった。
19年ごろから、収穫面積および生産量の減少に対する危機感などを受けて、植え付けの必要がなく萌芽から1年間で収穫できる株出し栽培復活への機運が高まり、株出し栽培体系の確立に向けた官民の取り組みが始まる。時を同じくして、特に株出し栽培における不萌芽の原因となっていたハリガネムシに有効な薬剤が登場し、株出し多収を長所としたNi22やNi23が奨励品種に採用されたことも影響し、19年から30年にかけて、株出し収穫面積は全体の4割から7割に増加した。その結果、収穫面積は平成初期並みの1400ヘクタール近くまで回復を果たしている。
一方、19年産以降の生産量については、年によって変動があるものの、収穫面積のような回復基調は見られず、収量とともに低迷している。その要因として、気候変動を含む複合的なものが考えられるが、以下に主なものを挙げる。
(1)株出し面積の増加
夏植え栽培は生育期間が約1年半と長い分、他の栽培型よりも収量が高いが、夏植えに代わって株出しが主流になったため、収穫面積ほどには生産量が伸びなかった。また、近年は株出しを通常(1〜2回)よりも多く行う多回株出しの割合が、株出し面積の2割近くまで上昇しており、さらなる収量の低下が懸念されている。
(2)機械化の進展
6年ごろにハーベスタが導入されて以降、ハーベスタ収穫率(面積比)は19年産で68%、30年産で96%に達した。冬から春にかけて比較的雨が多い喜界島では、ハーベスタ収穫による土壌の踏圧や株の引き抜きが起きやすいため、収量低下を招いたと考えられる。また、ハーベスタの走行に適した畝幅や枕地を確保するなど、機械化を前提とした作業体系の整備が進んだことの影響も否定できない。
(3)生産者の高齢化、1戸当たりの面積増加に伴う負担増大
喜界島のサトウキビ生産者の高齢化率
(注1)は、30年産で52.8%と10年前に比べて約14ポイント増加している。また、収穫面積が回復した一方で、生産者数が減少を続けた結果、30年産の1戸当たりの収穫面積は238アールと30年前と比べ約2倍に拡大し、鹿児島県下で最大となった(図5)。それに伴い1戸当たりの作業負担が増大したことで、土づくりや病害虫防除、肥培管理に費やす時間が減ったほか、適期の作業が難しくなっていると考えられる。
このような複数の要因が重なって、19年産以降の平均収量は10アール当たり約6トンとなり、30年産では平成以降初めて、喜界島の平均収量が鹿児島県の平均を下回った。高齢化と生産者数の減少に歯止めがかからない中で、生産量を回復し、維持していくための取り組みは一刻を争っており、喜界島のサトウキビ生産は、岐路に立たされている。
(注1)甘味資源作物交付金の交付決定を受けた生産者(法人を除く)のうち、65歳以上の割合。