日本語で「
餡」、「
餡子」というと豆や芋、栗などで作った甘いペーストのイメージが強いですが、もともと「餡」は餃子や中華まん、点心、お菓子などに「詰めるもの」全般を意味する言葉です。ですから、ひき肉や野菜のみじん切りももちろん「餡」。むしろ中国では「肉餡」や「菜餡」など、おかずとしてのイメージが強くあります。一般的にペースト状の、いわゆる「あんこ」を指すときは「棗泥(ザオニィ)」「南瓜泥(ナングワニィ)」というように「材料+泥」で呼び、小豆餡は「紅豆沙(ホンドウシャー)」、あるいは単に「豆沙(ドウシャー)」と呼びます。
このように、「餡」の意味は日本とは少し違いますが、小豆餡は中国人にも非常になじみ深い食材です。中国では古くから、赤色には邪気を追い払う力があるとされ、小豆にも強い厄よけの力があると信じられています。また唐代の大詩人・王維が「相思」という有名な小豆の詩を詠んだことで、小豆は「相思豆」とも呼ばれ相思や愛情の象徴となりました。
豆沙は唐代から普及が始まったといわれ、一説によると、太宗皇帝(598〜649年)の長患いを心配した皇后が病邪を払うために宮女に命じて作って食べさせたのが始まりといいますから、1400年ほどの歴史があります。以来、あんまんや月餅、ゴマ団子などをはじめ、豆沙入りおやきの「豆沙餅(ドウシャービン)」、餅で豆沙を巻いた「リューダーグン」、菊花の形を模した春節のお菓子「ジウホアスー」(写真1)、大福のような「マーツー」などなど、さまざまな豆沙を使ったお菓子が生まれ、今では全国的に小豆が栽培され、生産されています。
しかし、今でこそ東北地区の黒龍江省などで生産が盛んですが、小豆はもともと熱帯の植物で、中国では広東省、広西省、雲南省一帯が原産です。そのため今でも中国北部よりは南部の食文化とより密接なようで、南部では春節に神に捧げる蒸しケーキ「ファーガオ」や
屈原(中国の戦国時代の楚の政治家・詩人)をしのぶ端午のちまき、祖先を祭る中秋の月餅など、さまざまな節句や慶事のお菓子に豆沙が使われる傾向があります。
一方、北部ではナツメ文化が浸透しています。例えば上述の春節のファーガオや中秋の月餅などには棗泥(ナツメ餡)が、端午のちまきには干しナツメがそのまま入れられます。栄養豊富で保存性に優れ、食用の簡便なナツメは華北・河南・山東など北方の黄河流域やその周辺では8000年以上も前から食されていたようです。また、赤いナツメには厄よけの力があるとされるだけでなく、「棗(そう)」の発音が「早」と同じであることから「早く出世する、早く世継ぎが生まれる」に通ずる非常に縁起の良い食べ物とされ、古来、官民問わず祝事の贈答品や祭事の供物、結婚式の支度品などとしても用いられてきました。
棗泥がいつ始まったかは定かではありませんが、以前は寒食節(冬至後105日目)に棗泥が入った小麦菓子「子推燕(ズートゥイイェン)」を捧げるという風習がありました。寒食節は春秋時代の晋国の文公が功臣・
介子推の死を悼んで始めたといいますから、制定当初からの習慣なら、山西省一帯では2500年前には棗泥を作っていたことになります。いずれにせよ、棗泥が昔から中国北部の人々にとって身近な食材であったから子推燕の餡として使われたのだと推測できます。
もちろん、「北は棗泥、南は豆沙」と明確に分けられているわけではありません。北京でも旧暦10月15日の下元節では「豆沙包」(あんまん)を食べますし、広州にも「ザオニィガオ」(ナツメの蒸しケーキ)があります。さらに現代では流通の発達により文化の融合が進み、南北食文化の差異は小さくなりました。しかし、そういった文化の傾向は確かに存在し、棗泥が豆沙と並んで中国文化を代表する餡であることは間違いありません。
続いて、餡を使用した代表的なお菓子である「月餅」についてご紹介しましょう。