山口・九州地方における甘いしょうゆの歴史としょうゆと砂糖の関係
最終更新日:2022年9月12日
山口・九州地方における甘いしょうゆの歴史としょうゆと砂糖の関係
2022年9月
学習院女子大学 国際文化交流学部 日本文化学科
准教授 宇都宮 由佳
【要約】
山口には江戸期に生まれた甘露しょうゆがある。通常のしょうゆでは、食塩水で仕込むところにしょうゆを使う。長時間熟成させることで塩角がとれ、まろやかな甘さがあり、沿岸で獲れた魚のうまさが引き立つ。九州では、戦後甘いしょうゆが普及する。鎖国時代から続くシュガーロード、奄美や宮崎で作られるサトウキビ、古くからもてなし料理に甘味を加える食文化、この風土に培われた郷土料理には、甘いしょうゆ味の料理がいくつもある。
1 山口・九州地方における 甘いしょうゆ
(1)甘露しょうゆ
山口県柳井地方には、甘露しょうゆと呼ばれるしょうゆがある。江戸期に誕生し、岩国藩主吉川公に献上したところ「甘露、甘露(美味である、おいしい)」との言葉を賜り、これに由来して甘露しょうゆとなったとされる。
しょうゆはJAS規格で、「濃口」「淡口」「たまり」「再仕込み」「しろ」の5種類に分類されるが、甘露しょうゆは「再仕込みしょうゆ」に該当する。しょうゆの原料は、基本的に大豆、小麦、食塩である。本醸造のしょうゆは、蒸した大豆(脱脂加工大豆)と炒った小麦をほぼ等量混合し、種麹を加えて「麹」を造る。食塩水と一緒に仕込んで「諸味」を造り、攪拌を重ねながら約6〜8カ月寝かせる。麹菌や酵母、乳酸菌などが働いて分解・発酵が進み、さらに熟成されてしょうゆ特有の色・味・香りが生まれる。最後に火入れをして製品ができる。甘露しょうゆは、諸味を仕込む際食塩水でなく「生揚げしょうゆ」を用いる。すなわち、しょうゆ造りに「しょうゆ」を使って仕込むため「再仕込み」といわれる(図1、写真1)。
再仕込みしょうゆには、甘味料が入っていない。なぜ「甘露」と評されたのか。再仕込みを濃口しょうゆと比較すると、塩分は12〜14%(濃口16〜17%)と低く、うま味である窒素は1.6〜2.5%(濃口1.5〜1.6%)と高くなる1)。
甘露しょうゆ蔵の店主に聞くと、長時間熟成することで、塩角がとれ、まろやかになることで甘味を感じる。また食塩水でなく、しょうゆで仕込んでいているためうま味と香りが増すという。藩主吉川公は、まろやかな口当たりに、濃厚な香りとうまさを総合して「甘露」と表現したのだろう。現在のしょうゆの種類別生産比率は、濃口が84.0%に対し、再仕込みは1.0%と少ない2)。現在、山口県柳井市から島根県、福岡県にかけて日本海側で好まれ、全国各地に点在して製造されている。
それでは、どのような背景で甘露しょうゆが誕生し、広まったのか歴史的観点から探りたい。
山口県柳井市は岩国藩の西端に位置し、海運を通じて菜種油や和ろうそく、塩、その他農産物の集積地で瀬戸内屈指の港町として繁栄する(図2)。今も残る問屋豪商家の白壁の街並みをみるに、当時の経済力が推察できる。『高田氏甘露醤油記録』3)によれば甘露しょうゆは、江戸時代創業の高田家(登茂屋)の4代目高田伝兵衛によって、天明年間(1781-1789)の頃に創案されたという。しょうゆの原料である塩は、瀬戸内海に入浜式の塩田が多数あり、大坂や九州へも移出していたようだ。大豆は、近隣の村々の他、肥後(熊本県)、豊後(大分県)、壹州(長崎県壱岐市)から、小麦は領内の岩国産他、豊後、島原(長崎県)などから移入された。このように原材料の入手先として九州各地とのつながりが強いことがうかがえる。
甘露しょうゆが誕生した時代、長崎ではオランダとの交易で砂糖が輸入される。8代将軍徳川吉宗により国内で製糖奨励策がとられると、山口でも宝暦元年(1751)に製糖業が開始される。
柳井ではしょうゆの生産量が増加し、安政元年(1854)には幕府から課税を命じられていることから隆盛ぶりがうかがえる。これには柳井津商人の活躍がある。彼らが柳井港から廻船で全国各地、明治41年(1908)にはハワイ・韓国・旧満州・台湾方面まで販路を拡大させた4)。鉄道が開通し、1900年に出版された鉄道唱歌には、「風による柳井津の 港にひびく産物は 甘露醤油に柳井縞 からき浮世の塩の味」とある。甘露しょうゆが柳井の名産であることを全国へ周知させたのである。
柳井は、しょうゆの原料が入手しやすい環境でかつ経済力もあり、手間暇のかかる再仕込みしょうゆの製造ができ、その販路もある。さらに後述するが、江戸時代後期から明治以降、煮物にしょうゆと砂糖が使われるようになる時期とも連動する。
甘露しょうゆについて、柳井出身の下関在住の女性に聞き取りをすると「魚は甘露しょうゆだと一段とおいしく感じる」と言い、帰省の度に購入するという。玄界灘でとれる魚介類の新鮮な刺身を引き立てる濃厚なうま味がある。また、しょうゆ蔵の店主への聞き取りでは、刺身以外では「あら炊き」にも向いており、色は濃くなるが、しょっぱくならないという。最近では郷土のお土産として、甘露しょうゆを使ったバターケーキやふりかけなど人気がありさまざまな用途で用いられている5)。
(2)九州地方の甘い混合しょうゆ
九州のしょうゆは甘いといわれる。しかし、昭和初期頃までの全国の都道府県の食事を聞き書した『日本の食生活全集』(農文協)や、『鹿児島の料理』(今村和子1999)をみると、昭和初期頃の自家製しょうゆの製造方法に地域差はなく、ヒアリング調査でも戦前の九州のしょうゆは甘くなかったとされる。いつからしょうゆは甘くなったのか。
しょうゆの製造方法には、本醸造、混合醸造、混合の三つの方式がある。九州は混合しょうゆの生産比率が高い。混合しょうゆは、戦時中、物資不足で原材料が入手しにくく、しょうゆの供給量確保のため、うま味を補う目的でアミノ酸液を加えた。アミノ酸液には独特の臭いがあり、これを抑える方法として甘味料を添加したのだ。戦後、物資が流通し本醸造しょうゆが復活しても、九州では甘味料が添加された混合しょうゆが支持され続けた6)。
なぜ、甘いしょうゆが継続して好まれたのか。
九州、中国・四国地方は「麦みそ」文化圏で、麦みそは米みそに比べて塩分が少なく、麹を多く含むため甘味が強い。さらに、九州の食文化において「砂糖」は切り離せない。鎖国時代より長崎―佐賀―小倉と続く長崎街道は別名シュガーロードと言われ、街道には砂糖を使った料理や菓子店が繁栄した。17世紀には琉球や奄美地方を中心にサトウキビが栽培され薩摩藩は黒糖を「禄」とし、宮崎県日向灘でも戦前までサトウキビが栽培されていた。江戸期の『薩摩風土記』には「そはは至ってよい。さるにいれ出す、したあじあまし、江戸者はくいにくし」(意訳:ソバはザルに盛られてよいが下味〈つけ汁〉が甘いので、江戸から来た者には食べにくい)「塩梅はあまけれども、村方にはやや塩辛く、汁には実が多く入る」(意訳:味付けは甘いが、村の方では塩辛く、汁には多くの具が入っている)とある。当時砂糖は貴重で、村では塩辛い味付けだが、町では甘い味付けで、特に客人へ出す料理は甘くしたのだろう。現在ではあまりみられなくなったが、お茶に砂糖を入れたり、お茶請けに黒糖など甘いもので客人をもてなす食文化がこの辺にはある。
九州の食文化において、「砂糖」は貴重品ではあるがサトウキビの栽培は身近なことであり、他の地域よりも手に入りやすかったことが「甘い」味に慣れ親しむ要因となったのではないだろうか。
九州にも関東のしょうゆは流通しているが「からい」と評されることが多い。「からい」は「しょっぱい」という意味で、九州の甘口を基準とすると、関東のしょうゆは塩からく感じるのである。最近では観光客にあわせて卓上しょうゆに、濃口しょうゆと甘口の九州しょうゆ(刺身用)の2種類を置く飲食店もみられる(写真2)。
鹿児島県醤油醸造協同組合の工場長日高氏は、同組合70周年記念誌に「さつまの甘口醤油」と題した私見として、濃口特級タイプのしょうゆは全国平均と鹿児島県内産平均で比べると、後者の方が、塩分が少なく、甘味とうま味の成分が多く、グルタミン酸濃度が2倍近くであり、そのため塩角がとれて甘くうまく感じるという。その背景に、食糧統制が昭和26年に廃止され、昭和30年前後に他県産しょうゆとの差別化を目指して作った甘口が消費者に受けて定着したことにあると述べている7)。
しょうゆに添加された甘味料は、戦中は黄双と甘草エキスで、戦後は人工甘味料の使用が許可され製品によりサッカリン、ズルチン、チクロや砂糖類であった。その後、ズルチンやチクロ、サッカリンの毒性・発がん性が問題となり次々使用禁止(その後、サッカリンは安全性の確認がとれ使用可となる)になってからは、砂糖、ブトウ糖、異性化糖と甘草、ステビアなどが使用されている8)。九州のしょうゆメーカーへの聞き取り調査でも、戦時中の飢餓の反動と甘味への渇望、他社製品との差別化もあり、戦後は競って甘くしたという。
また九州では明治から昭和30年代にかけては炭鉱業が栄え、現金収入のある者がうまい(甘い)ものを求めたとされる。これまで農業を営み、家庭で味噌やしょうゆを作っていたのが、戦後の高度経済成長で消費型生活へと移行したことが、メーカーが製造する甘い混合しょうゆの普及促進につながった。さらに、このしょうゆで作った料理は子ども達にも人気で親達はこぞって購入したという。
九州内でも好まれる甘さに地域差がある。幕府直轄地(天領)であった長崎県大村市、大分県日田市は、同県内でも特に甘く、粘性のしょうゆが好まれる。天領は経済的に豊かで高価な砂糖も入手できる環境にあったからといえよう。
また九州の南部地域へいくほど、しょうゆの甘さが強くなる。鹿児島県に近い日南市はカツオ漁が盛んで、大堂津港で造られる甘口のしょうゆは船食として積まれる。九州のしょうゆメーカーへのヒアリングでは、「関東や近畿は、江戸や上方の時代から魚を獲ってすぐにさばいて食べることがなく、漬けまたは酢でしめる、また輸送中に魚肉が軟化しうま味が増したところで食べる食文化であるから、きりっとした濃口しょうゆが合うのであろう。一方、九州では沿岸で獲れた魚をすぐに刺身にして食べる。獲れたての魚は身が固くうま味もあまりないため、船の上ですぐにおいしく食べられるように甘味、うま味の強い混合しょうゆが好まれるのではないか。また辛口の焼酎に、甘口のしょうゆを使った料理は合う」とのことであった。
山口と九州地方は、各県が海に隣接し、海の幸に恵まれ活魚料理が多い。特に刺身にはとろみのある専用のしょうゆ(主に甘口しょうゆ)が欠かせない。砂糖の消費量も上位を占め、甘味を嗜好する食文化がある。料理が甘くない(おいしくない)ことをえん曲に「長崎が遠い」といい、鹿児島では「琉球が遠い」という。甘いしょうゆが好まれ定着した背景には、(1)歴史的に砂糖の生産現場に近く、入手しやすい環境(2)甘味が経済的豊かさの象徴(3)甘さがおいしさであり、客人へのおもてなしという食文化(しょうゆが甘くなかった時代でも料理に砂糖を使用)(4)戦後他の地域との差別化で甘い混合しょうゆが製造・販売されたこと(5)沿岸で獲れた新鮮な魚がおいしく食べられる、子どもも好きな味付けであること(6)自給自足から消費型生活へ移行したことーなどがあり、人々に普及し定着したものと考える。
2 和食における砂糖としょうゆ
しょうゆは、刺身、おひたし、和え物、煮物、吸物、焼物など和食のあらゆる料理に使われている。料理の素材を生かしたり、引き立てたり、また素材のくせを和らげたりと何にでもうまく適応して使われる万能調味料といえる。
砂糖との組み合わせといえば、最もシンプルなのはしょうゆに砂糖を入れて、焼いた餅につけて食べることである。関東ではしょうゆをつけ海苔を巻いて食べることが多いが、九州出身の筆者としては砂糖じょうゆがいつもの食べ方である。
和食において砂糖としょうゆの組み合わせはいつからなのか、しょうゆが一般に流通し始める江戸期の料理書から眺めてみたい。
江戸の初期から中期は、「たまり」があるがしょうゆはない。刺身は、主に酢としょうが、わさび、からしを組み合わせたものや、煎り酒という酒、かつお節、梅干しを煮詰めた調味料で食べていた。江戸の後期『料理早指南書 初・二編』(1801)でようやく、わさびじょうゆが登場する。現在の三杯酢は、酢・しょうゆ(または塩)・砂糖(またはみりん)をあわせたものだが、江戸時代の料理書の三杯酢は、酢、しょうゆ、酒を同量あわせたものである。砂糖・みりんに置き換わる前が「酒」なのである。酒は古酒がよいとの記載もあり、今より甘かったかもしれない。みりんは『素人包丁』(1803-1820)、『江戸流行料理通』(1822-1835)の料理に多く出現しており、江戸時代後期の料理屋の煮物の特徴になっている(図3)。
関東しょうゆが大量に江戸に出回るようになる中期以降は、多くの煮物にしょうゆが使用されるようになる。『合類日用料理抄』(1689)では、しょうゆと酒の組み合わせは出現するが砂糖との組み合わせはない。『料理早指南書 初・二編』(1801)で、しょうゆと砂糖(みりん)が出現し、1800年代以降の料理書の煮物では頻繁にみられる。すなわちそれまで和食は、甘味のない調味であったといえる。
明治時代以降、特に東京を含めた関東地域の調味方法に、砂糖、みりんなどの甘味が多用されるようになる。『東京風俗志』(1899-1902)には、「煮物などなべて砂糖を加えざるはなく、朝餉の膳に上がるみそ汁にも、これを加えるさえあり」と甘い味付けが流行している様子がうかがえる。大正期になると煮物のほとんどに甘味がつけられているだけでなく、和え物、酢のものにも甘味が加えられる9)。肉類では「すき焼き」が、ネギと江戸甘味噌から、しょうゆと砂糖に置き換わった。現在では、焼鳥やつくねなどの照り焼き、魚の煮物にも砂糖としょうゆの組み合わせが使われている。
砂糖は、料理にコクと照りをだし、しょうゆとともに食材の臭味をマスキングさせる力がある。砂糖としょうゆは、保存食である佃煮には欠かせない調味料の組み合わせである。
週刊『朝日百科世界の食べもの』81-97号日本編/郷土料理(1)-(17)(1980-1983)から、日本の魚料理の種類を約750件抽出した(鰻の蒲焼、鮎ずしなど重複出現したものは1件とした)。刺身以外の料理で、主な調味料としてしょうゆを使った魚料理は4割の約300件で、そのうち砂糖(記述があったもののみ)を一緒に使ったものは約110件で3分の1を占めた。なかでも煮物は砂糖としょうゆの組み合わせの出現件数が最も多かった(図4)。
今日の和食において、砂糖としょうゆの組み合わせは、和食の味付けを変化させ、大きな影響を与えたといえよう。
3 甘いしょうゆを使った郷土料理
甘いしょうゆを使った郷土料理「漬け」「煮物」「汁物」を紹介したい。
(1)漬け
りゅうきゅう/あつめし/ごまさば
脂の乗ったサバやブリの切り身に甘口のしょうゆ、ネギ、ショウガ、すりゴマを加えて漬け込んだ料理がある。漁師のまかない飯で、沖縄(琉球)から鹿児島を渡ってサバ漁の多い地域に伝わった調理法といわれている。大分では「りゅうきゅう」または、アツアツの飯にのせ、魚に軽く熱が入るようお茶をかけて食べたりもするため「あつめし」ともいう。福岡では「ごまさば」で、名称は違うが似通った料理がこの地域一帯に存在している(写真3)。関東のマグロの漬けとは異なり、たんぱく質分解酵素を含むショウガを加えることで魚の表面が少し分解してねっとりとして甘い刺し身しょうゆが絡むのである6)。
(2)煮物
ア たらおさ/たらわた
大分県日田市の「たらおさ」はお盆に欠かせない郷土料理である
7)。福岡では「たらわた」の名で食べられている。「たらおさ(乾物)」とは棒タラのエラと胃で、内陸部にある日田では、魚介は貴重でエラと内臓だけでもおいしく食べようと、干しタケノコと一緒に濃口しょうゆと砂糖で甘辛く煮詰めたものである(写真4)。コリコリしたエラの部分、もっちりとした食感の胃の部分と、部位によって異なる食感を楽しめる。
イ 川魚の甘露煮
家庭的なもてなし料理で、日常のおかずにもなる。ハエ(ハヤ)、カマス、ドンコなどの川魚(12-13センチメートル)をハエ以外は内臓を取らず、鱗も付いたまま1時間ほど焼いて、鍋に水、みりん、酒、濃口しょうゆ、砂糖を加えて3時間ほどじっくり煮込むと、飴色の川魚の甘露煮ができる(写真5)。
ウ 東坡煮/豚の角煮
卓袱料理の一つで豚の三枚肉を材料とし、濃口の甘いしょうゆとザラメで柔らかく煮て調理する(写真6)。卓袱とは長崎市発祥の大皿に盛られたもてなし料理で、円卓を囲んで味わう中国料理やオランダ料理が融合したものである。黒砂糖がとれる鹿児島(奄美)では、甘からいしょうゆ味の煮物に黒砂糖を使うことも多い7)。
(3)汁物
ア 島原具雑煮
作り方は、長崎白菜、ゆでた山の芋、アナゴをしょうゆだれで焼いて切っておく。ごぼう、しいたけ、凍り豆腐、レンコンをゆでる。ちくわ、かまぼこ、厚焼き卵、鶏肉をぶつ切にし、砂糖、淡口しょうゆで調味しただし汁で煮て、丸餅、春菊を加えて出来上がり7)(写真7)。一説には、考案者は一揆軍の総大将天草四郎時貞であったとされ、寛永14年(1637)の島原の乱の時、約3万7千人の信徒たちと籠城した際、農民たちに餅を兵糧として蓄えさせ、山や海からいろいろな材料を集めて雑煮を炊き、栄養をとりながら約3カ月も戦ったといわれている。
イ 九州のうどん
コシのないふわふわとした麺に、煮干・アゴ・昆布などのだしと甘い淡口しょうゆのつゆを合わせる。「てんぷらうどん」と注文すると「さつま揚げ」がトッピングされたものが出される(写真8)。エビの天ぷらが欲しい場合は、エビ天と注文する必要がある。
このように、刺身や漬けは濃く甘い刺身しょうゆ、煮物は濃口、汁物は淡口と、しょうゆが使い分けられている。これが山口・九州地方の特徴である。伝統的な甘口嗜好を素地に定着した甘いしょうゆは、今後も郷土の味を支え、愛され続けるであろう。
(写真はすべて筆者撮影)
引用文献
1)日本醤油協会(2012年)『しょうゆの不思議 改訂版』東成社
2)農林水産省食料産業局、一般財団法人日本醤油技術センター(2018)
〈
https://www.soysauce.or.jp/knowledge/data〉(2022/8/16アクセス)
3)『高田氏甘露醤油記録』(1893)
4)藤重豊(2000)「近世、柳井の醤油醸造業の展開」山口県地方史研究 第83号
5)宇都宮由佳(2019)「山口と九州の甘いしょうゆの形成要因 ―再仕込みしょうゆの広がり、混合しょうゆ―」『FOOD CULTURE』No.29 pp.15-20. キッコーマン国際食文化研究センター
6)「醤油風土記 九州」(1974)日本醸造協会雑誌 第69巻第9号
7)福留奈美、宇都宮由佳(2016)「しょうゆと郷土料理 郷土料理からみた醤油の地域特性」『FOOD CULTURE』 No.26 pp.8-25. キッコーマン国際食文化研究センター
8)福岡県醤油工業協同組合(1979)『福岡県醤油組合七十年史』
9)江原絢子(2009)「伝統食の見直しと活かし方」岩田三代編著『伝統食の未来』pp.184-207.
ドメス出版
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農畜産業振興機構 調査情報部 (担当:企画情報グループ)
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