砂糖 砂糖分野の各種業務の情報、情報誌「砂糖類情報」の記事、統計資料など

ホーム > 砂糖 > 話題 > 有平糖から平和を思う 〜“ピース・キャンディ”プロジェクトと北インド・ネパール巡礼〜

有平糖から平和を思う 〜“ピース・キャンディ”プロジェクトと北インド・ネパール巡礼〜

印刷ページ

最終更新日:2024年4月10日

有平糖から平和を思う
〜“ピース・キャンディ”プロジェクトと北インド・ネパール巡礼〜

2024年4月

昭和女子大学 国際文化研究所 客員研究員 荒尾 美代

はじめに

 有平糖(アルヘイトウ、アリヘイトウ)は、金平糖やカステラと同様に、450年ほど前の織田信長の時代にポルトガルを中心とした国から日本へ伝えられた南蛮菓子で、日本最古のシュガー・キャンディである。

 当時の日本は、現在のように菓子に砂糖を使う文化が形成されておらず、砂糖を必ず使うことに特色がある南蛮菓子は、その後の「菓子は砂糖を使うもの」という菓子文化に影響を与えたと考えられる。

 筆者は南蛮菓子1)や伝統的な砂糖製造方法2)の現地調査と文献調査を長年行い、研究を続けてきた(注1)

 中でも有平糖は、ポルトガルの「アルフェニン」を語源とするシュガー・キャンディが、日本に渡ってきてから「アルヘイ」「アリヘイ」と呼ばれるようになり、日本では「有」と「平」の漢字を当てた。筆者は、この「有平糖」という名称に着目した。こじつけではあるが「平和が有」と読み込みたい。

 2023年末に「平和が有」有平糖で平和を願い、その魅力を広める“ピース・キャンディ”プロジェクトの「のろし」を上げた。そうした中で、京都建仁寺や鎌倉円覚寺をはじめとした僧侶の方々の釈迦の四大聖地巡礼に同道させていただくという機会があり、最初の取り組みとして有平糖を製造し、サトウキビ・砂糖と縁の深い北インドで、平和を祈ってお寺へお供えしたいと考えた。また、過去に読んだ文献に、仏教の祖である釈迦が「甘蔗族」であるという記述を目にしてもいた。

 今回は、「有平糖」の魅力と北インド・ネパールでの模様を紹介する。

(注1)筆者の砂糖研究内容については、「内外の伝統的な砂糖製造法」として本誌に連載した(『砂糖類情報』および『砂糖類・でん粉情報』2011年3月号、2011年8月号〜2013年2月号、全20回)。また「ベトナムの伝統的な砂糖生産を訪ねて」(本誌2017年5月号〜7月号、全3回)も参照されたい。

 

1 有平糖の語源

 有平糖の語源は、ポルトガルのアルフェニン(alfenim)であると考えられる。ポルトガルの文献によれば、1515年にポルトガルの一大砂糖生産地であったマデイラ島からローマへ、アルフェニンで作られた等身大の枢機卿の人形が送られた記録が残っている(注2)。写真1は、2024年1月、大西洋のポルトガル領アゾレス諸島テルセイラ島を再訪した際のものである。アルフェニンで体の悪い部位を作り、サントアマロ教会に奉納する行事が現在も粛々と続けられている。私自身も腕、膝、首、そして全身などの形をしたアルフェニンを購入し、奉納した。

(注2)ポルトガルのアルフェニンについては、「南蛮菓子と砂糖の関係」(『砂糖類情報』2005年12月号)も参照されたい。



 

 アルフェニンの特色は、煮詰めた濃縮糖液を冷ましながら引いて白くし、モノの形を模すことにある(図1)。ポルトガルの菓子店では、小ぶりのハトや花などの形を模したアルフェニンが土産物として売られている(写真2)。



 

 

1

2 有平糖の製造方法

 日本に有平糖が伝来した16世紀後半から17世紀に書かれた、日本のレシピ書から作り方を見ると、砂糖と水だけで作っていた。その後、日本に古代からあった水あめを加えるようになり、現在では有平糖製造者のほとんどが水あめを加えて製造している。

 その一方で、ポルトガルでは酢を加えている(図1)。洋菓子のあめ細工もアルフェニンの親戚といえるが、こちらは酒石酸(しゅ せき さん)などを加えており、ヨーロッパでは酸を入れるようになったと考えられる。酸によって砂糖が加水分解されるため、生地の伸びが良くなり砂糖の再結晶化を防止する効果がある。

 以下では、水あめを加えるのではなく、ポルトガルと同様に酢を入れた方法での有平糖の製造工程を紹介する(図2、写真3)。この製造方法は、2023年1月の建仁寺塔頭・霊源院主催のイベント用に戦国時代の菓子の再現を京都・塩芳軒の家啓太氏に依頼し、特別に撮影させていただいたものである。前段で紹介した、現在のポルトガルのテルセイラ島でのアルフェニンの作り方と共通点が見られる。



 

 ご覧のように、職人の技が光る小さな一口大の有平糖は、四季折々のモチーフで茶席の干菓子(ひ が し)として用いられている(写真4)。また、前述の京都の塩芳軒でかつて修業していた、群馬県高崎市の鉢の木七冨久の店主である石川久行氏は、『名匠に学ぶ、基本の手順と細工徹底解説 日本の有平糖』(グラフィック社)という書籍で、有平糖の製造技術を写真付きで詳細に解説している(写真5)。

 山形県鶴岡市は(ひな)祭りが盛んであるが、雛菓子の一種として、モノの形を模す有平糖が作られ続けている。住吉屋菓子舗の本間三英氏は、今年は縁起物のエビ、伝統野菜である外内島(と の じま)キュウリ、木の子、タケノコ、ワラビなどを作った。鶴岡市では、月遅れの4月3日に雛祭りを行う風習が残っているところもあり、雛祭りモードはおよそ1カ月以上続く(写真6)3)

 一方で、モノの形を模さずに切り分けたシンプルなタイプもある。東京都日本橋に本店を構える榮太樓總本鋪(えい た ろう そう ほん ぽ)の梅ぼ志飴(写真7)、神奈川県小田原市のリキ・コーポレーション製造のサクサクかんで食べる新食感の有平糖(写真8)もある。

 このように有平糖は、450年以上もの間、歴史の波をくぐり抜け、金平糖と同様に作り続けられている。









 
2

3 有平糖の特徴

 有平糖は、材料はシンプルだが、いろいろな食感があり、また時間経過によっても食感が変化する。前段で紹介した通り、有平糖は製造工程において伸ばすことで空気が入り透明な色から白色に変化する。

 茶席の干菓子としては、口に入れてかんだときにガリッと音がしないように、有平糖を製造してからその一部が砂糖の結晶に戻るのを待つという。このような事情があり、作りたてではなく茶会の開催日から逆算して製造しているとのことである。さらに、食感の好みは注文者によって違うため、その点の計算も必要になる。

 一方で、有平糖は作りたてのパリッとした食感も、日にちが経って砂糖の結晶に戻り、ハラッと口溶けが良くなる過程も楽しむことができる。材料の配合、濃縮糖液の取り上げ温度、形や色、味付け、食感、時間経過による変化と、製造者の創造性が高い有平糖の可能性は無限であるといえよう。

4 有平糖とともに北インド・ネパールへ

(1)サトウキビと縁の深い北インド

 人間が栽培し、製糖向けに使用されているサトウキビの「栽培起源種」の誕生の地は、ニューギニア島周辺地域とされており、「野生種」の古里は北インドと考えられている4)。このように北インドは、サトウキビと縁が深い地である。

 さらに、北インドは仏教の開祖である釈迦が活動した場所であり、釈迦の出身種族が「甘蔗族」であるという話がある5)。釈迦の時代からは大きく離れるが、中国・唐の太宗が、かつて釈迦が活動していた北インドのマガダ国へ「熬糖法」を学ばせに使者を送ったという話も残っている6)。「熬糖法」とは、「熬」という字からわかるように水分を飛ばして煮詰めることである。サトウキビのジュースの煮詰め具合やその方法が、サトウキビを原料に糖を製造するうえでの要諦(よう てい)であった。

 このように、釈迦が「甘蔗族」の出身という話からもうかがえる通り、北インドには紀元前からサトウキビが存在しており、糖液を煮詰める方法について他国から学びにくるほど、サトウキビを原料とする甘味料の先端地であったと考えられるのである。

(2)現代にも続く砂糖生産

 筆者は北インドへは、伝統的な砂糖製造法を見つけるため4回ほど調査に入ったことがある(注3)。しかし、サトウキビとの縁が深いと考えられる釈迦の聖地へ訪れる機会を得られずにいた。そして今回、前述の通り京都建仁寺や鎌倉円覚寺をはじめとした僧侶の方々の、釈迦の四大聖地への巡礼に同道させていただく機会を頂戴した。

 巡礼に同道する道すがら、釈迦が涅槃(ね はん)に入ったクシナガラを目指し北へと向かう車窓から、青々としたサトウキビ畑が見えた。さらに、大きな釈迦の涅槃像が横たわる涅槃堂に向かうべくバスを降りると、すぐ目の前で露天商が砂糖菓子を販売していた(写真9)。その中には、金平糖、有平糖と同様の砂糖菓子もあり、露天商は、それぞれ「ダナ(dana)」と「ガタ(gata)」と呼んでいた(写真10)。インドが現代にも続く砂糖生産の地であることが伝わってきた。

(注3)インドの伝統的な砂糖製造法については、「内外の伝統的な砂糖製造法(19)〜インドの薄茶色の砂糖〈カンサリとラワ〉〜」(『砂糖類・でん粉情報』2013年1月号)も参照されたい。



 
3

(3)有平糖を持参し巡礼へ

 持参する有平糖の試作を行うとともに、「平和が有」と読み込んだ有平糖を象徴するマークにこだわった。平和の「和」の部首の口へんの中に、「有平」の漢字を入れる案が昨年にはアイデアとしてあり、このマークを、書道家であり、アフガニスタンで凶弾に倒れた故中村哲医師を支援する活動を現在も継続している井上龍一郎先生に、キャッチコピーとともに書いていただいた(写真11)。さらに今年に入り、個包装のシールのデザインをパッケージデザイナーで滋食研究家の藤きみよ氏に仕上げていただいた。今回の巡礼に持参した有平糖は、保健所の許可を得た「南蛮菓子工房」にて、水あめを使用する方法で製造し、無事北インドの釈迦が悟りを開いたブッダガヤの大菩提寺に渡すことができた(写真12)。



 
4

おわりに

 巡礼の最後の地が、ネパール・ルンビニの釈迦の生誕地だった(写真13)。長年行ってきた研究の先に、使命としておぼろげながら見えてきたものが、長い時間を経てアジアの東の果てである日本にたどり着いたシュガー・キャンディ「有平糖」を、ピース・キャンディとして世界に発信することだ。砂糖が主材料の有平糖の製造法を残し、さらにアートとしての可能性も追求していくために、今後どのような活動をしていくかを考えているところである。

 こじつけではあるが、「有平糖」の「有平」を「平和が有」と読み込むと、まさに有平糖は平和を思い、祈る菓子なのではないだろうか。有平糖を口にする機会があれば、ぜひその名前にも思いを馳せてほしい。



 

【参考文献】
1)荒尾美代(1992)『南蛮スペイン・ポルトガル料理のふしぎ探検』日本テレビ放送網、同(1993)「有平糖の原型をポルトガルで発見!」『南蛮菓子展』株式会社虎屋、同(2016)「南蛮菓子アルヘイトウの語源考」『和菓子』23号. pp.36-52. 株式会社虎屋 虎屋文庫、同(2021)「開国と西洋との出会い」『日本食の文化−原始から現代に至る食のあゆみ』アイ・ケイコーポレーション、同(2022)「二條城行幸時の饗応献立における南蛮菓子―新史料を用いて―」『会誌 食文化研究』No.18. pp.20-26. 一般社団法人日本家政学会食文化研究部会
2)荒尾美代(2017)『江戸時代の白砂糖生産法』八坂書房、同(2018)『日本の砂糖近世史』八坂書房
3)荒尾美代(2022)「(2)雛菓子の製法 (1)有平糖(あめ)」「第3章 史料から見る鶴岡の菓子店と形を模す菓子の歴史」『鶴岡雛菓子調査報告書』山形県鶴岡市. pp.58-63. pp.87-129
https://drive.google.com/file/d/1sSsNCWF7xXKJBHhT-JyAIN5mCLfWUvV8/view
同(2023)「第3章 南蛮菓子の有平糖(あめ)の製造と道具」『鶴岡雛菓子調査報告書(R4年度追加調査)』山形県鶴岡市. pp.97-110.
https://drive.google.com/file/d/1RNG-4FESFKp_WDSMM2vezEjknZR790Iq/view
4)杉本明(2008)「13章 世界のさとうきび」『砂糖の文化誌―日本人と砂糖―』八坂書房. pp.197-200
5)日高秀昌・岸原士郎・斎藤祥治編(2009)『砂糖の事典』東京堂出版. p.2
6)歐陽脩・宋祁撰(1975)『新唐書』第20冊. 中華書局. p.6239

 

このページに掲載されている情報の発信元
農畜産業振興機構 調査情報部 (担当:企画情報グループ)
Tel:03-3583-9272