次に、日本へ向かうインドネシア人労働力は母国でどのように養成されるのか、「LPK」と呼ばれる技能実習生・特定技能の送り出し機関に聞き取った結果よりみてみよう。なお、インドネシア国内には日本向けLPKが499登録され、かつ増加している
(注5)。
技能実習生・特定技能には、インドネシアの労働移住大臣規定(2008)により、高卒以上の学歴が必要である
(注6)。この規定に年齢制限は明記されていないのだが、日本企業に若者を採用する傾向があることから、各LPKでは18〜26歳の男女を募集する。そのためLPK在籍者のほとんどは20代前半で、最終学歴も一般高校、職業高校卒業に集中する。大学在学中や大卒で、学業継続の学費を得る目的の者、あるいは日本関連の学科に所属・卒業し、「留学の代わりに」数年間を日本で就労しようとする者もいるが、少数である。在籍者は農家や単純労働者の家庭の子弟が多く、父兄が会社員・公務員という安定就業にあるのは少数だという。先にみた北大東製糖における特定技能1号の学歴や親の就業は、これら在籍者よりも高い点に注意が必要である。
図にあるLPKを基準に、LPKに所属してから日本へ渡航するまでの流れと、在籍者が支払う料金を示した。登録後最初の2週間はオリエンテーションを行うとともに、LPKが面接を行い日本での就業に関する在籍者本人の意思を確認し、心理テストを用いた適性試験を行う。中には、周囲に促され日本行きを決めたが、性格や習慣面で日本での就業が難しいと判断される者も見受けられ、そのような場合、LPKは、この段階で終了し他の道を検討するよう薦めている。
本格的な研修は、次の段階から始まる。この期間のスケジュールを表3に示したが、基礎的な日本語の修得が毎日の活動の核となっており、これを3〜4カ月間、毎日4〜6時間の授業を受講する中で学ぶ(写真7)。一日の終了後も課題(日本語での日記など)が与えられる。これらを通じて日本語を学ぶが、特定技能1号に求められる資格(日本語能力試験<JLPT>N4、国際交流基金日本語基礎テスト<JFT>A2以上)に合格する在籍者は少数だという。
この過程では在籍者は、たとえ近傍に居住する者であれ、LPKが用意する寮(写真8)に、1室複数人で住むよう定められている。日本で就業すれば彼らは共同部屋で暮らすことが予想され、その際に必要となる生活上のスキルや周囲の人間との付き合い方を、この寮生活から学ぶためである。その他にも日本での就業を念頭に、朝礼(日本式の行進やラジオ体操を行う)や頻繁な掃除が、日々のスケジュールに組み込まれている。「運動」が、腕立て伏せや「手押し車」など筋力トレーニングに重点を置く内容となっているのは、日本で就業した際に必要な体力づくりを意図している(写真9)。近年インドネシアでは、短い距離であれバイクで移動することが増えている。対して、日本での工場・敷地内の移動は徒歩か自転車であることも、LPKが体力づくりを重要視する理由の一つである。
インドネシアとの違いが際だつ日本社会の特徴として、各LPK・語学学校が共通して挙げるのが、清潔感、挨拶の励行、時間厳守である。在籍者らはこれらへの意識強化を求められ、具体的には、服装や髪型、LPKの敷地・建物や寮の掃除・整理整頓、明瞭な発声での挨拶、授業への遅刻厳禁などが指導される。これらは、在籍者が身につけるべき心得(写真10)に端的に現れている。いずれのLPKも同種の内容を建物の目立つ場所に掲示し、在籍者はこれを日本語で暗唱できるまで、繰り返し声に出して読む。内容は、「7.時間を守ります」「9.感謝を忘れません、『ありがとうございます』と言います」などの基本的なルールのみならず、「12.間違えた時に、笑いません」「19.道具を大切に使います、壊れたとき、無くなったときに、すぐに報告します」などのように、自らの失態の際の態度が状況をさらに悪化させることのないよう、日本でのコミュニケーションのあり方が示されている。彼らが、インドネシア社会では求められてこなかった項目もあり、たとえば、「24.ひげを剃ります」(イスラム教徒の規範では男性はひげを生やすことが重視される)、「27.タバコを吸いません」(男性の場合、若い世代でも喫煙者が多い)、「28.洗濯や掃除など、自分のことは自分でします」(洗濯を、親世代と同居する者は親世代に、単身ならば「ランドリー」に頼ることが多い)である。「17.自分で仕事を探します」は、組織の年長者からの指示を待って動くことの多い彼らにとって、異質な習慣である。このようにLPKは単なる語学学校ではなく、日本での生活の「態度を学ぶ」場(聞き取りより)、ひいては、日本企業・社会に同化し得る労働力を育成する機関なのである。LPKで教える側も日本で技能実習生を経験した者がほとんどで、その際の学びが研修内容に反映されている。2に述べた北大東製糖のインドネシア人職員間の、寮や調理室での共同生活ルールなどに、こうした母国での研修が生きているのを見ることができよう。