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〜北海道が誇る「てん菜糖業」探訪〜

ビート資料館へようこそ
〜北海道が誇る「てん菜糖業」探訪〜

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最終更新日:2026年7月10日

ビート資料館へようこそ
〜北海道が誇る「てん菜糖業」探訪〜

2026年7月

日本甜菜製糖株式会社 ビート資料館
館長 佐藤 晴彦
 

はじめに 〜てん菜とは何か〜

 てん菜(ビート)は別名「砂糖大根」と言われるが、ヒユ科に属するほうれんそうの仲間であり、国内では北海道だけで栽培される寒冷地作物である(写真1)。生産量は全道の8割以上を十勝とオホーツクの両地域で占め1)、小麦、ばれいしょ、豆類とともに輪作体系の主要品目である。国内産糖におけるてん菜糖の割合は8割強を占め2)、てん菜糖業および関連産業と相まって、地域経済において重要な役割を果たしている。

 てん菜の根部は、砂糖として利用する以外にも飼料(ビートパルプ)、機能性食品(ラフィノース(注1)、オリゴ糖含有液状甘味料、ベタイン(注2)など)、イースト(パン酵母)などの原料となり、茎葉部は収穫後に畑にすき込まれて緑肥となる。このように、捨てるところがないてん菜は、二酸化炭素の吸収量が非常に多く3)、持続可能な社会を実現するためには欠かせない環境にやさしい農作物と言える。

 (注1)天然のオリゴ糖の一種で、大腸内でビフィズス菌の増殖を促進する効果を持つ。
 (注2)アミノ酸の一種で、食品添加物(調味料)として使用されており、塩味や酸味をまろやかにする効果がある。
 
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1 てん菜糖業とビート資料館

 てん菜糖業は、明治政府がスローガンとした富国強兵と殖産興業の一環として、北海道開拓とともに始まった。国内初のてん菜糖工場である官営紋鼈(もん べつ)製糖所(伊達市)における初年度(明治13〈1880〉年度。年度は砂糖年度〈10月〜翌9月〉、以下同じ)の生産実績は、てん菜の作付面積は120.7ヘクタール、1ヘクタール当たり収量(以下同じ)は23.26トン、産糖量は450キログラムとなり4)、以降、栽培および製糖技術の未熟さと輸送の不便さなどによって、16年後に解散を余儀なくされた。

 その後は技術革新などを経て、直近の令和6(2024)年度では、全道合計で作付面積は4万8847ヘクタール、産糖量は54万250トンに達し、1ヘクタール当たり収量は71.34トンと過去最高を記録した5)。ここに至るまでの道のりは坦々たるものではなく、幾度か存亡の危機にひんしたが、さまざまな苦難を乗り越えた先達の知恵とたゆまぬ努力があった。

 このようなてん菜糖業の歩みと歴史を体感できるのが、てん菜の栽培および製糖をけん引した先駆者として北海道農業と共に歩んできた日本甜菜製糖株式会社(以下「日本甜菜製糖」という)が運営する「ビート資料館」である(写真2)。ビート資料館は、平成元(1989)年に同社の創立70周年を記念して、旧帯広製糖所敷地の一角に建設された。当館はてん菜糖業のたどった苦難と発展の歴史を広く一般に伝え、併せて北海道の基幹作物であるてん菜生産の安定を期すとともに、貴重な資料の散逸を防ぎ、それらを保管・展示・解説している(写真3)。

 敷地面積は6075平方メートル、建築面積660.67平方メートルの鉄筋コンクリート製の2階建てで、平成2(1990)年に帯広市から都市景観賞を受賞した。

 本稿では、当館の展示物を示しながら、先達が残した偉大な足跡について紹介する。



 
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2 てん菜糖業の歩み 〜帯広製糖所の誕生から戦前まで〜

 展示室1では、帯広製糖所の誕生からの道のりについて展示を行っている。

 松方正義(のちの第四・六代の内閣総理大臣)が設立に尽力した紋鼈製糖所の解散から二十数年後、てん菜糖業が再び表舞台に立つことになる。第一次世界大戦に伴う砂糖不足で糖価が暴騰する中、正義の子息・正熊(しょう くま)(帝国製糖株式会社社長)は父の志を継ぎ、てん菜糖業再興への決意を固め、大正8(1919)年に日本甜菜製糖の前身となる北海道製糖株式会社(以下「北海道製糖」という)を帯広に設立し、翌9(1920)年には帯広製糖所が完成、操業を開始した(写真4)。また、同年、正熊が取締役に名を連ねる(旧)日本甜菜製糖株式会社(以下「(旧)日本甜菜製糖」という)が現在の上川郡清水町に設立された。こうして甘味資源の確保と北海道農業の振興を果たすべく、親子二代にわたる挑戦が始まった。



 

 しかし、両社は大凶作、大恐慌に見舞われて苦難の船出となった。(旧)日本甜菜製糖は大正12(1923)年に明治製糖株式会社(以下「明治製糖」という)に吸収合併され、「日本甜菜製糖」の社名はてん菜糖業史から一時消えることになる。一方で、北海道製糖は明治期の問題点を洗い出し、製糖の過程で得られる副産物(ビートパルプ、糖蜜)の有効利用を進め、帯広製糖所の建設と同じ大正9(1920)年に、てん菜輸送専用の私営鉄道を敷設した。

 その後、北海道製糖の鉄道部門は大正13(1924)年に十勝鉄道株式会社として独立し、「とてっぽ」の愛称で地域の足として親しまれた(写真5)。営業開始から54年の間に1600万人の旅客、1100万トンの貨物を運び、重要な交通機関として地域に大きく貢献したが、昭和52(1977)年に惜しまれながら廃線となった。
 
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 北海道庁による積極的な保護奨励政策に加え、北海道製糖は操業時から原料駐在所を配置して栽培技術の指導や奨励を行った結果、計画的輪作の確立、酸性土壌の矯正、優良農機具の普及、病害虫の駆除などが徹底されるようになった。こうした官民一体となった施策によって冷害に強い寒冷地作物として、てん菜は道内各所に根付き始めた。このような中で、北海道製糖・明治製糖両社に工場新設の気運が高まり、原料確保と輸送コストを勘案して候補地を北見と由仁に画したが、天恵乏しい根釧原野・天北原野の開拓を推進するという北海道庁の勧説に呼応し、企業営利を度外視して昭和11(1936)年に磯分内と士別に製糖所を建設した。両社は、困窮を極めた入植者の期待を一身に背負った形で、原野開拓の先兵としての重責も担ったのである(写真6)。



 

 続いて特別記念展示室では、皇室関係者の御巡覧の様子について写真とともに解説している(写真7)。

 昭和11(1936)年9月には、石狩平野における陸軍特別大演習のため来道した昭和天皇が、北海道の産業奨励を願って、北海道製糖の帯広製糖所に行幸された。案内役を北海道製糖社長の正熊が務め、当社にとって唯一無上の光栄であった。しかし、その背後には戦火が忍び寄っていた。
 
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3 てん菜糖業の歩み 〜戦時中から戦後、そして現在へ〜

 展示室3では、てん菜糖業と今に続く日本甜菜製糖の歴史について展示を行っている(写真8)。

 時代は第二次世界大戦へと突入し、国策は農業振興から軍事優先に転換され、主食優先策が輪作体系を崩した上に、多肥性作物のてん菜にとって致命的な肥料不足や労力不足などの難問に直面した。北海道庁がその打開策として取った企業統合による北海道製糖と明治製糖のてん菜糖部門の合併、北海道興農工業株式会社への改称などを経て、終戦を迎えることとなる。

 昭和22(1947)年に、北海道興農工業株式会社は、事業の実態に添うように現社名の「日本甜菜製糖株式会社」に改称した。製造設備などは戦災を免れたとはいえ、てん菜の収量は明治期を下回る1ヘクタール当たり10トン以下の状況が続き、経営環境の悪化が著しく、絶望的な状態にあった。

 

 

 戦時中の統制から戦後の自由経済へと移行し、肥料などの輸入再開によって、てん菜の収量は戦前の水準まで回復したが、昭和27(1952)年の砂糖の統制撤廃により、日本甜菜製糖は一層深刻な経営危機に直面した。関係者一同一丸となり、てん菜糖業を維持・存続させる陳情活動を繰り返した結果、昭和28(1953)年に「てん菜生産振興臨時措置法」が施行され、初めて安定成長への法的基盤が築かれた。

 国策による自給率向上計画を受け、昭和30(1955)年代に精糖会社や農業団体がてん菜糖業に参入して多くの製糖所が誕生したが、粗糖の輸入自由化とともに進出熱は収束に至った。以降、「砂糖の価格安定等に関する法律(糖価安定法)」の制定から「砂糖及びでん粉の価格調整に関する法律(糖価調整法)」への改正など、重厚な政策支援を受け、てん菜は作付面積を拡大し、甘味資源作物および北海道畑作の基幹作物としての重要な位置付けが確立したのである。製糖所は手動から自動へ、バッチから連続へ、そして大型化・省人化・省エネ化へと技術的に発展していくことになる。

 一方、姿を消した製糖所もあった。帯広製糖所(写真9)は芽室製糖所との統合によって昭和52(1977)年に閉鎖となったが、操業から閉鎖までの57年の間に、てん菜645万トンからてん菜糖87万トンの生産を果たし6)、主要機械は芽室製糖所の能力増強のために移設された(写真10)。

 現在、北海道のてん菜糖工場はホクレン農業協同組合連合会(中斜里、清水)と北海道糖業株式会社(北見、伊達)、そして日本甜菜製糖(芽室、美幌、士別)の3者7工場の体制となっている。



 
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4 てん菜糖業における技術革新

 展示室2では、てん菜糖業と技術史についての解説を行っている(写真11)。

 てん菜糖業が制度として安定していく中、先達は総力を挙げて合理化を進めるべく、てん菜の生産性の向上と新たな製糖法の開発に一意専心で挑み続けた。品種・栽培・貯蔵・製糖などにおける顕著な技術的進展により、今日のてん菜糖業の礎を築いたのである。ここでは、日本独自の技術の向上によって局面を打開した「紙筒移植栽培法」と「KAAK法」に焦点を当てて紹介する。
 
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(1)紙筒移植栽培法

 北海道が欧米と比較して低収量であった原因は、冬期間が長く、生育期間と積算温度に違いがあることであった。日本甜菜製糖が開発した紙筒移植栽培法は、3〜4月にビニールハウス内でペーパーポット(蜂の巣状構造の折り畳み式紙筒)の中で苗を育て、5月ごろにポットごと畑に移植するという画期的な安定多収技術である(写真12)。これにより、1ヘクタール当たり収量は昭和30(1955)年代の25トン前後から、50(1975)年代には50トン台へと飛躍的に増加し、国および北海道ではその普及に補助を行った。農作業の一貫した機械化もあり、普及率はピーク時には全道の作付面積の9割超まで達し、生産者の安定経営に寄与した。なお、本技術は農林大臣賞、特許庁長官奨励賞、農業試験研究一世紀記念農林水産大臣賞を受賞した7)

 紙筒技術は、効率的で環境に優しい技術としてさまざまな作物に利用可能であり、新たに数珠状のチェーンポットや専用移植機(ひっぱりくん)の開発など需要に合わせた改良を進めており(写真13)、海外にも事業を展開している。



 
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(2)KAAK法

 製糖工程では、てん菜から非糖分(灰分、有機酸、アミノ酸など)を取り除いて砂糖結晶を得るが、石灰清浄法では除去できない非糖分を完全に除去するためには、イオン交換樹脂を充填した脱塩工程などが必要となる。日本甜菜製糖では、二つの脱塩法を組み合わせた日本独自の画期的なKAAK法(独語の陽イオン〈Kation〉、陰イオン〈Anion〉の頭文字を組み合わせて命名)を開発し、精製度が極めて高い糖液を得ることができた(写真14)。これにより、所期目標であったてん菜からの直接の上白糖の生産が可能となり、同時にグラニュー糖品質の向上、砂糖歩留まりの向上、糖蜜発生量の削減、再生剤の多段使用も達成することができた。

 その後はさらに技術を発展させ、KAAK法により得られた糖蜜をクロマトグラフィーにより分離し、結晶化の阻害物質でしかなかったラフィノース、ベタイン、オリゴ糖含有液状甘味料(ビートオリゴ)の製品化を実現した(写真15)。糖蜜から糖分を効率的に回収しつつ、機能性食品を生み出す技術を確立したのである。



 
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おわりに
〜今後の展示と目指すもの〜

 日本甜菜製糖では、てん菜「糖業」から、北の大地の恵みであるてん菜を余すことなく活用し、新たな産業を追求するてん菜「産業」への拡大を掲げた「日甜アグリーン戦略」を進めている3)。ビート資料館では、この取り組みを親しみやすいアニメーションで表現した映像を展示物に加えた(写真16)。
 


 

 当館では、今後も写真、パネル、模型、映像などに工夫を凝らして、どなたでもわかりやすく、楽しく見学いただけることを目指している。施設面においては、令和7年度からバリアフリー対応、障がい者対応などを段階的に推進し、より多くの方々に不自由なく、安心・安全に見学いただける施設となるよう、取り組みを進めている。

 来館者の滞在時間や興味に合わせた館内ガイドを続けている中で、砂糖について誤解をされている方が多いと実感することがある。当館の展示や解説を通して、砂糖について正しく知っていただき、より一層おいしく味わっていただくことを願っている。

 皆さまも、てん菜産業の歴史やその未来にも触れることができる当館に一度足を運んでみてはいかがでしょうか。ご来館を心よりお待ちしています。

 〇ビート資料館ホームページ
 https://beet-museum.jimdoweb.com/
 


【参考文献】
1)北海道農政部生産振興局農産振興課(2026)「令和7年産てん菜生産実績」
  〈https://www.pref.hokkaido.lg.jp/ns/nsk/tensai/81955.html

2)精糖工業会(2026)『砂糖』pp.13-15
3)内野浩克(2026)「畑作物およびバイオものづくり原料としてのてん菜の役割〜日甜アグリーン戦略で考える未来〜」『砂糖類・でん粉情報』2026年3月号No.161 pp.69-77、独立行政法人農畜産業振興機構
4)北海道農産協会(2025)『てん菜糖業年鑑2025』「4 てん菜及びてん菜糖の生産推移」p.154
5)北海道農政部生産振興局農産振興課(2025)「令和6年産てん菜の生産状況について」『砂糖類・でん粉情報』2025年7月号No.154 pp.47-49、独立行政法人農畜産業振興機構
6)日本甜菜製糖株式会社(1999)『日本甜菜製糖80年史』p.69
7)日本甜菜製糖株式会社(2009)『日本甜菜製糖90年史』p.31

 

 

 

 

 

 

 

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農畜産業振興機構 調査情報部 (担当:企画情報グループ)
Tel:03-3583-8678