江戸時代に活躍した青木昆陽という人物をご存じでしょうか。昆陽は、当時、西日本で作られていたかんしょが救荒作物として優れているという意見を持ち、かんしょの栽培法や形状、味などのほか、薩摩での栽培の実態などを記した「蕃藷考」を1735(享保20)年に著しており、これを八代将軍徳川吉宗に上呈しました。この昆陽の意見は、幕府に採用されることとなり、下総馬加村(現在の千葉市花見川区幕張)にかんしょの栽培試験畑を設置し、普及に努めました。
わが国でのかんしょでん粉製造の始まりは、昆陽が「蕃藷考」を著した時からさらに100年ほどの歳月が経過した江戸時代末期になってからだと言われています。製造が開始された地は、昆陽がかんしょの栽培試験畑を設置した下総馬加村の近くであり、千葉市中央区稲荷町にある稲荷神社には、「甘藷澱粉(かんしょでんぷん)製造発祥の地」の記念碑が現在も残されています(写真)。
かんしょでん粉の発祥が、千葉県だった、とはあまり知られていないかもしれませんが、実はこのような歴史があったのです。
でん粉についてさらに詳しく 知りたい方は、alicのホー ムページ掲載の「豆知識」をご覧ください。
http://www.alic.go.jp/starch/japan/arekore/arekore.html