【第一線から】三代目に受け継がれた伝統野菜「源助だいこん」〜石川県金沢市 松本充明さん〜
最終更新日:2017年1月4日
◆日本有数の伝統野菜「加賀野菜」
京野菜や大和野菜と並び日本有数の伝統野菜のひとつである加賀野菜。金沢市農産物ブランド協会では、昭和20年以前から栽培され、現在も主として金沢で栽培されている野菜を加賀野菜としており、同協会によって認定されている加賀野菜は現在15品目、そのひとつが「源助だいこん」です。この源助だいこんを栽培する松本充明さんは、JA金沢市の源助大根部の部長を務めておられます。そして、源助だいこんの生みの親である松本佐一郎氏の孫にあたる方です。
◆金沢市打木(うつぎ)町で誕生した「源助だいこん」
松本さんの祖父である佐一郎氏は、金沢市打木町で栽培していた在来種のだいこんに、愛知県の井上源助氏が作った品種を掛け合わせて、昭和17年に源助だいこんを誕生させました。
源助だいこんは、ずんぐりとした円筒形で、水分が多いのが特徴です。また、青首だいこんに比べて軟らかいにもかかわらず、煮崩れしにくいため、煮物やおでんに好適で、秋冬の金沢を代表する野菜のひとつです。
源助だいこんは、従来のだいこんに比べて収穫率も良かったため、昭和30年代には、石川県内のだいこん生産において一世を風靡(ふうび)しただいこんとなりました。
◆絶滅寸前だった「源助だいこん」
しかし、病気に強くて、より作りやすい青首系の品種が育成された昭和57年以降、石川県内でも源助だいこんの生産者が減少して、平成7年にはついに松本さんのお宅1軒だけになってしまいました。
その時、松本さんの父は「源助だいこんの本家がやめるわけにはいかない」と言って頑なに作り続けたそうです。
◆加賀のブランド野菜として復活した「源助だいこん」
転機は加賀野菜の認定制度が始まった平成9年に訪れます。制度ができて初の認定となった品目のひとつである源助だいこんは、ブランド化されたことで作りたいという人が増えてきました。それはまさに、源助だいこんの栽培をやめていった団塊の世代の生産者の、子や孫にあたる人達です。家業を継いだ若い世代が、青首系だいこんの生産の傍ら、「個性があってより技術やセンスを要する源助だいこんの生産の方が楽しい」と言って意欲的に取り組んでいます。
こうして、ブランド化以降、面積は増え、現在、源助大根部の生産者は20名で( 栽培面積4・3ha)、メンバーには若手が多く、大変活気があります。
生産者全員で栽培計画を立てて出荷時期をずらしたり、良いものを残そうと、毎年、産地全体で種を選抜し、優良種子を確保したりするなど、生産者自身が産地の宝をつないでいく努力をしています。
◆「源助だいこんの名を広めたい」 部長の地道な宣伝活動
部長を務める松本さんの熱心な宣伝活動も、源助だいこんが復活した大きな要因のひとつです。松本さんは「とにかく源助だいこんの名前を世に広めよう」と決め、市場が主催するイベントにブースを設けてもらったり、量販店などの試食販売には自らが立ち、また、より多くのメディアに取り上げられるよう尽力しました。さらに、消費者へのアピールとして、小学生の収穫体験や、食育活動に携わるなど、農作業の合間を見ながらできる限りの活動を行ってきました。また、源助だいこんの焼酎やドレッシング、焼き肉のたれ、葉 を使ったコンビニのおにぎりなど、加工品の開発も積極的に推進しています。
「より多くの人に食べてもらいたいから生産量は増やしたいけれど、無理に出荷期間を延ばすことは考えていない。昔ながらの野菜だからこそ旬があり、だからおいしい。全国の人に冬のシーズンにこの金沢の地で源助だいこんを食べてもらいたい」と熱く語る松本さんは、祖父、父の熱意を確実に受け継いでいます。
◆地域全体で盛り上げていく「源助だいこん」
源助だいこんは発祥の地の名をとって「打木源助だいこん」とも呼ばれます。自分の住んでいる地域の名前が付いていると、その野菜に対する思いが強くなり、一層愛着が湧くのかもしれません。
源助だいこんが、地元の頼もしい後継者らにより、今後も産地一丸となって地域の誇りとして継承されていくことを願っています。
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