【この人に聞く】開発から20年「やわらか食」の進展
最終更新日:2023年11月6日
広島県立総合技術研究所 食品工業技術センター 食品加工研究部
部長 柴田 賢哉 氏にインタビュー
見た目も楽しめるやわらか食
11月11日は「介護の日」です。わが国の65歳以上の人口割合は、29.1%と過去最高、世界200の国・地域中で最高となりました(総務省 人口推計 2023年9月15日現在)。超高齢社会が進展する中、国民の健康寿命を支える介護食品の研究開発が進められています。
広島県立総合技術研究所 食品工業技術センターが2002年に開発した「凍結含浸法」は、見た目や風味はそのまま残しながら簡単につぶせる食品加工技術です。この技術を利用した「凍結含浸やわらか食(以下「やわらか食」という)」は多くの病院や介護施設で導入されているほか、技術の応用展開が進められています。凍結含浸法およびやわらか食の進展について、同センター食品加工研究部 部長の柴田氏にお話を伺いました。
Q 貴センターの概要について、教えてください。
当センターは食品製造に係る技術支援、試験・研究、分析を行っている県立の試験研究機関です。本県は、日本三大酒処の一つである西条町(東広島市)や、軍港として栄えた呉市を擁し、伝統を受け継ぐ清酒製造業や、保存食品である缶詰、乾物、羊かんなどの加工食品製造業が発展し、地域の重要な産業となっています。
このような地域に根差した食品産業を支援するため、当センターは1952年、食品に特化した試験研究機関として設立されました。これまでに県内企業の製品開発や製造工程改良、製品の高付加価値化に向けた試験研究や技術支援に取り組み、昨年、創立70周年を迎えたところです。
Q 凍結含浸法はどのような技術ですか。
1990年代後半に食品の機能性や栄養成分に関する研究が注目され始め、当センターでも、細胞内に保持されている野菜の栄養成分に着目し、酵素を使って細胞を極力壊さずにペースト化する技術の開発に着手しました。論文を参考に真空含浸法(注)を試しましたが、食材の表層部分には酵素が浸み込むものの中心部まで入り込みませんでした。ところが、同僚の研究員が金曜日、にんじんを冷凍保存して帰り、月曜日に解凍して真空含浸法を行ったところ、酵素液が中心部まで入り、手で押して潰れるほど軟らかくなりました。この偶然が、「凍結含浸法」の発見につながったのです。
凍結含浸法は、基本工程のとおり食材に酵素などの物質を急速に浸み込ませる技術で、凍結・解凍と減圧の工程により、食材を細断することなく、中心部へ短時間かつ均一に物質を導入する技術です。
食材を冷凍すると、水分が凍り体積が増えるので、細胞と細胞の間を氷が押し広げます。これを解凍すると、細胞の隙間に酵素液が浸み込みやすくなります。酵素液が浸み込んだ食材は、置いておくだけで、まるで果物が熟すように軟らかくなっていきます。ちょうど良い軟らかさになったところで、加熱して酵素の働きを止めると、見た目の良いやわらか食材の完成です。野菜加工から始まった凍結含浸法ですが、今では主菜となる肉や魚介類などにも適用できます。
(注)食材を真空処理して酵素液を浸み込ませ、細胞間の物質を分解する方法。
凍結含浸法で軟らかくした食材
Q 形を残さないペーストから形を残す「やわらか食」への発想の転換のきっかけは何だったのでしょうか。
2002年に凍結含浸法を開発してから、風味を残した野菜ペーストの開発を続けていました。ある日、県内企業との情報交換の中で、「煮物のたけのこが硬くて食べにくいと購入者から言われるので何とかしたい」と相談が寄せられました。高齢化が進む中で軟らかい食材が求められていることを知りました。このとき、凍結含浸法の酵素反応を制御することで完全なペーストになる手前で軟らかいたけのこができるのではないかとひらめき、2003年から企業と共同研究に取り組み、やわらか食の第一号「たけのこの煮物」が完成しました。
折しも、日本介護食品協議会が、消費者が分かりやすく選択できるよう介護食品の軟らかさを区分表示する「ユニバーサルデザインフード」の規格を策定した頃でした。当時、介護食品の一般販売は始まったばかりで、おかゆなどのほか、ペースト食やペーストを固めた成型食などが主流で、病院や介護施設でもすり潰したり刻んだりして、必ずしも見た目に楽しめる食事が提供されていないことを知りました。当センターは、ユニバーサルデザインフード規格(歯ぐきでつぶせる)の商品開発を目指し、形状を保ったまま見た目も楽しめるやわらか食品の製造技術として、凍結含浸法を活用する研究にかじを切ることとしました。
Q やわらか食の製造方法や魅力について教えてください。
例えば筑前煮では通常、たけのこやごぼう、にんじん、れんこん、鶏肉などを一緒に煮炊きして作ります。他方、やわらか食の製造では、まず各食材を軟らかくした後、合わせて調味料で味付けして作ります。食材ごとに組織構造が違うため、複数の食材を同時にやわらかくすることは難しいためです。この方法であれば、味付けを和風にすれば筑前煮、カレー味にすればチキンカレーが出来上がります。
凍結含浸法で軟らかくした食材は、そのままの形を保ちつつ食べやすくなるだけでなく、素材の違いによる食感の違いを味わえます。例えば、ごぼうは繊維感があり、肉は筋繊維感が残って肉らしさを感じられます。
通常、長時間加熱調理すると、肉や魚はパサつきやすく、ブロッコリーなど緑色の野菜はビタミンCが流れ出たり、変色してしまいます。他方、凍結含浸法では低温の酵素分解により軟らかくするので、肉や魚はジューシーで、緑色の野菜は色鮮やかで、栄養成分もより豊富に加工できます。
また、事前に酵素分解されることから、通常の食材よりも消化しやすく、胃や腸への負担がかかりにくい特徴があります。
実際に、やわらか食を提供する介護施設からは、「入所者の食事時間が短くなった」「食べ残しも無くなり栄養状態が維持された」「胃ろうから経口摂取へ戻り、食べる喜びを感じていただけた」などの報告が寄せられています。食事時間の短縮は、介助者の負担軽減にもつながります。
ただし、すべての食材を軟らかくできるわけではありません。ナッツ類のように硬い外皮や脂肪の塊がある食材や、こんにゃくのように組織が詰まっている食材は、酵素液が浸み込みにくいため不向きです。また、肉や魚の骨は酵素で分解できないため、骨抜き加工した肉や魚を使って軟らかくします。
Q 凍結含浸法ややわらか食を導入したい場合の手続きについて教えてください。
凍結含浸法やその周辺技術は、本県で特許権を有しています(一部は存続期間終了)。技術利用に当たっては、右図のように本県との特許許諾契約の締結が必要です。契約締結後は、技術研修を通して製造工程やノウハウを開示します。製品化に向けた支援のため、食品企業の開発現場や工場にも赴き、製造や工程改良のアドバイスも行っています。
凍結含浸法でやわらか食を製造するには減圧装置と加熱装置が必要ですが、特注装置ではなく、一般に食品製造現場に導入されている真空冷却機やスチームコンベクションオーブンなどで代用できます。
病院や介護施設、給配食業の方であれば、加工済み業務用製品のほか、県内企業と共同開発した凍結含浸専用調味料を使うと便利です。この調味料使用によるやわらか食調理は、本県と特許契約せずに凍結含浸法を利用できます。また、自宅でやわらか食を利用したい方には、個人向けの宅配弁当が販売されています。
Q 凍結含浸法関連の技術は、どのように普及、進展していますか。
2010年ごろから、複数企業がやわらか食の販売を始めました。本格的な技術普及に取り組み、知名度が高まるにつれ、企業から大量生産に適した技術を求められるようになりました。このため、生産性向上の研究を続け、表のように凍結含浸法の応用展開を進め、各現場に合わせた含浸法を導入いただいています。
2022年度末時点で、特許は県内外の50社以上に許諾され、10社以上から多種多様な製品が販売されています。やわらか食の業務用製品、宅配冷凍弁当、酵素調味料などの売り上げは年々増加しており、2010年比で約30倍に伸びています。
2012年には、東日本大震災の被災者から介護食の確保に困ったとの声を受け、県内企業と共同で、常温で長期保存できる防災備蓄やわらか食の開発にも取り組みました。やわらか食の多くは流通時の崩れを防ぐため冷凍で販売されていますが、調味液のとろみなどを調節した缶詰製品とすることで、流通時の揺れにも対応しました。2014年にはそのまま、あるいは水戻しして食べられる乾燥食品も開発しました。これらが防災備蓄品としてさらに普及することを期待します。
<凍結含浸法関連の技術開発などの進展>
2002年 凍結含浸法 開発
2008年 凍結含浸プロジェクトチーム発足(技術移転開始)
2009年 凍結含浸専用調味料 開発
2010年 やわらか食が複数企業から発売
2012年 常温流通食品 開発
2014年 乾燥食品 開発
2016年 高温急速含浸法(減圧時間を大幅に短縮) 開発
2020年 常圧含浸法(減圧が不要) 開発 |
Q 凍結含浸法は、農畜産物の活用にもつながるそうですね。
県内のある企業グループでは、地域密着型の給配食事業を実現するため、凍結含浸法を使って地域の規格外野菜を調理し、病院や介護施設に食事提供しています。
当センターでも、介護食品のみならず、一般食品の加工技術として凍結含浸法を活用する研究を進めています。例えば、経産牛(出産経験のある雌牛)や廃鶏(採卵期間を終えた雌鶏)といった健常者にとっても硬い肉でも、食べやすい軟らかさに調整できます。特産品のくわいや皮付きレモンなど加工が難しかった食材を商品化したいといった相談にも対応しています。凍結含浸法の利用用途は、ますます拡大しています。
このように、今まで硬くて用途が限られていたり、廃棄していた食材の保存性や品質を高め、フードロス削減にも貢献していきたいと考えています。
Q 今後の応用や展望を教えてください。
凍結含浸法は、食材に酵素を浸み込ませることができます。酵素は軟化酵素のほかにもさまざまな特徴をもつ酵素があり、食材を機能性成分豊富な食材に加工することができます。例えば、デンプンが分解されてオリゴ糖が豊富なばれいしょ(じゃがいも)や、たんぱく質が分解されてうま味が増加したステーキ肉を生み出せる可能性があります。また、アレルゲンを分解する酵素を導入すれば、食材の低アレルゲン化を実現できるかもしれません。このように、やわらか食のみならず、食材の機能やおいしさをプラスに、あるいは、マイナス面をゼロに向けて加工する技術として、凍結含浸法を生かしていきたいと考えています。
今後、世界的に高齢化が進むと予想されることから、海外でのやわらか食の需要も見込まれます。実際に海外からも問い合わせがあり、日本企業の海外進出を見据え、一部の特許はヨーロッパや中国など海外にも出願し権利化しています。本県は、やわらか食の輸出や海外生産について支援していく予定です。
当センターは今後も、凍結含浸法を核として、消費者や企業などのニーズに沿った新たな技術や製品の開発に取り組んでいきます。
柴田 賢哉 氏
広島県立総合技術研究所 食品工業技術センター 食品加工研究部 部長
平成9年4月 広島県入庁
以降、広島県立食品工業技術センター(現 広島県立総合技術研究所 食品工業技術センター)に勤務し、凍結含浸法の研究開発に携わる。
令和5年4月〜 現職 |
※本インタビューは、令和5年8月25日にオンラインで実施しました。
お問い合わせ:
広島県立総合技術研究所 食品工業技術センター ホームページ
図表出典 :広島県立総合技術研究所 食品工業技術センター
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