「さつまいも」について
最終更新日:2012年2月21日
(独)農畜産業振興機構(alic)は、皆さんの食生活に関連した情報をお届けしています。
今回は、かんしょでん粉(さつまいもでん粉)の原料となる「さつまいも」について取り上げます。
「さつまいも」とは
さつまいもの花
「さつまいも」は、その名の通り、薩摩(鹿児島県)から全国に広がっていきました。また、地域によって様々な呼び方をされています。甘藷(かんしょ)、唐芋(からいも)、琉球藷(りゅうきゅういも)などです。
意外かもしれませんが、ヒルガオ科で、アサガオの仲間です。
さつまいもの起源
中南米のメキシコ、グアテマラに自生する野生種のイポメア・トリフィダが起源とされています。
ペルー海岸チルカ谷遺跡(紀元前1万年〜8千年)で炭化したさつまいもの根が見つかったこと、紀元前1千年頃にペルー遺跡から乾燥した根・葉・花を描いた綿布、さつまいもをモチーフにした土器が発掘されたことから、中南米が原産地であると考えられています。
また、紀元前3千年頃には、熱帯アメリカでかなり広く食されていたのではないかと考えれられています。
さつまいもの伝播
さつまいもは、3つのルートで世界に広がったと考えられています。
マラルート
紀元前にペルーから太平洋の島々を経由して、ニューギニアに達したルート
バタータスルート
大航海時代にクリストファー・コロンブスがヨーロッパへ持ち帰り、アフリカ、インドに伝わったのち、インドネシア、中国に達したルート
カモテルート
16世紀以降、スペイン人によってメキシコからハワイ、グアムを経由してフィリピンに達したルート
日本への伝播
諸説ありますが、1605年、中国から琉球王国(沖縄県)に伝わったのが始まりといわれています。本州には、1698年の第19代種子島島主の種子島久基が琉球の国王の尚貞に使者を送り、持ち帰りました。また、1705年、薩摩の山川(現鹿児島県指宿市山川)の船乗りの前田利右衛門がさつまいもを琉球から持ち帰ったのち、薩摩全域に広まっていったといわれています。
その後、江戸時代を襲った1833年の天保の飢饉を契機として、青木昆陽が普及に貢献し、救荒作物として全国に普及していきました。
種子島久基は、「藷殿様(いもとのさま)」として種子島の西之表市の栖林神社に祭られており、前田利右衛門は「甘藷翁(からいもおんじょ)」として山川の徳光神社に祭られています。また、青木昆陽については、東京の目黒竜泉寺不動堂にお墓があり、墓碑には、「甘藷先生」とあります。
さつまいもの現在
現在では、さつまいもは、焼き芋などの生食用、いも焼酎の原料や、多岐にわたる用途に使用されるかんしょでん粉(さつまいもでん粉)など(下図参照)、皆様の食生活に欠かせないものとなっております。
おわりに
alicでは、消費者の皆様の身近にあるでん粉の供給が安定的に継続されるよう「
砂糖及びでん粉の価格調整に関する法律」に基づき、国内のでん粉原料生産者及びでん粉製造事業者の支援を実施しています。また、HPでは、かんしょでん粉を使った
レシピも紹介しておりますので、ご覧ください。
(消費科学連合会「消費の道しるべ」(平成24年2月号)に掲載)
このページに掲載されている情報の発信元
農畜産業振興機構 企画調整部 (担当:広報消費者課)
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